03
魔術師というものは、案外体力が必要だ。
魔法の行使には魔力はもちろん体力も必要だし、錬成術に使用する薬品や鉱石などの用意には体力もいる。
なにが言いたいかといえば、
「そんな時のための従者だと思うんだけど」
魔法実技とは別の、体力育成、通称体育も授業の必須単位に存在する。
実技であれば人気もあるが、この体育は、本当に体力育成のみを目的にしているため、魔法の行使は禁止。筋トレや無魔法のスポーツが行われるのだが、大変に不評な授業となっている。
特に、魔術師のそれなりの家系の人間にとっては。
「コーラル汗だくぅ~」
ケラケラと笑うアレクの言う通り、コーラルはひどく汗をかいていた。
対照的に、アレクとクリソは涼しい顔。
ふたりの方が、5周は多くトラックを走ったというのに。
「水!」
「あまり飲むと吐きますよ」
笑いを堪えているのを隠そうともせず、クリソが冷えた水を渡す。
のどを潤しながら、当たりを見渡せば、ほとんどがコーラルと同じように疲れ切っている。
ふたりのように涼しい顔をしているのは一部だけ。理由は簡単。
「お前たち、まだ余裕そうだな! もう3周ずつするか!」
このように余裕そうな生徒には、エンドレスに課題が追加されていくからだ。
「申し訳ありませんが、私共が揃ってコーラルから離れるわけにはいきませんから」
「なら、ひとりずつ走ればいいだろ」
「……」
有無を言わせない教師にクリソも笑顔のまま固まり、背中を叩かれたと思えば、コーラルが何も言わず、楽し気に笑っていた。
追加で走る生徒は、追加を命じられるだけあり、息も絶え絶えになっている生徒たちとは違う。
「さすが、動物は体力があるわね」
「でも、四つん這いの方が速いんじゃないかしら」
ふと、耳に入った陰口の矛先は、クリソと共に現在トラックを走り、本日最も厳しいメニューをこなしている生徒に向けられていた。
特徴的な獣の耳に、人間とは違う質感の髪、そして体格。
獣人だ。
いくら世界有数の魔法学校である、メティステラ学院とはいえ、獣人の生徒は両手の指で足りる程度にしか存在しない。
その全員が、漏れなく同じ扱いを受けていた。
「……」
「アレク?」
「なぁにぃ?」
獣人を見ていたアレクに声を掛ければ、ひどく感情が消えていた表情から笑顔に変わる。
「…………」
アレクにしては珍しい。
表情を取り繕うのは、クリソの方だ。アレクはどちらかといえば、素直で正直な方だ。
「別に、あと10周は余裕の顔してるな。って思っただけ」
「えー走るの飽きたー」
後ろから抱きかかえるように、抱き着くと、コーラルの頭の上に顎を乗せながらアレクは頬を膨らませた。
古来より、人間と獣人は何度も争っていた。
しかし、今より約100年前。その争いに、一種の終幕が訪れた。
獣人の王の暗殺。
王だけではなく、王族と王宮にいた全員がひとり残らず死亡した。
人間だけではない、精霊の介入もあった奇襲だった。
一晩にして王宮が全員が死んだこともあり、獣人は降伏することとなった。
そして、獣人たちは、人間の捕虜として扱われてきた。
ここ数年、ようやく獣人たちにも尊厳を、という運動が始まったが、現状は先程の生徒たちからしても一目瞭然。彼らには、人間の形をした動物にしか見えていない。
「獣人、ね」
アレクは何も言わなかったが、何かしらはあるのだろう。
似たところもあるから、気になるのだろうかとも思ったが、アレクの性格からして考えにくい。
「あぁ、ダイア・プロテアさんのことですか」
「そ。アレクと何かあった?」
片割れであるアレクのことは、クリソに聞くのが早い。
「信じてはもらえないでしょうが、なにも」
「本当に信じられないこと言ってきたわね……」
しかし、少し調べれば、実際ふたりの間に何かあったなら、何かがあったことは掴める。
ならば、嘘をつくにしろ、何もなかったというよりも、適当に理由を繕った方が納得できる。それをわからない人間ではない。
「本当に何もねェーって!」
地面に座ったまま威嚇するように口を開けるアレクに、コーラルも小さくため息をつく。
信じていないわけではない。
「お前のその態度で何もないとは思えないから聞いてるんだ」
淡々と告げた言葉に、アレクも口を閉じ、身を引く。
優しさからの言葉ではない。ただ主としての、従者の交流関係。特に、トラブルになりかねないものの把握だ。
「別にコーラルにカンケーねェーし!」
「小学生みたいなこと言いだした……」
「バーカバーカ!」
「おやおや、困りましたね」
「あーもう! クリソ。お前は知ってるんだろ」
答える気が無いアレクよりも、クリソの方が話が早いと、目をやれば、静かに微笑んだ後、
「今回はアレクの味方です」
裏切られた。
裏切ったまま笑顔のクリソに、変わらず威嚇するような表情のアレク。
それほど珍しくもない双子とコーラルの睨みあい。
「獣人に興味があるのかい?」
それは、突然コーラルの背後からかけられた声により中断された。
というより、声を掛けられるのと同時に腕を引かれ、気が付いた時にはアレクの腕の中。
身動きが取れないため、声をかけてきた人物の顔は見えないが、アレクたちが声をかけてきただけ、この反応を見せる人物はふたりしかいない。
「うん。素晴らしい愛だ。しかし、同時に寂しいものだね」
「なんでお前がいんだよ」
「何故かと問われれば、同じメティステラ学院の生徒だからと答えるほかない」
予想通りの人物のようだ。
軽くアレクの背中を叩けば、不服そうな唸り声と共に少しだけ抱きしめる腕の力が弱まり、振り返るだけの余裕ができる。
今日は離すつもりはないらしい。
仕方なく膝の上に座りなおすと、先程までコーラルの立っていた場所で楽し気に見下ろす男を見上げる。
「ハローコーラル」
「こんにちは。シトリン」
にっこりと微笑む男は、シトリン・T・ヴェナーティオ。
メティステラ学院4年の幼馴染。
「とてもうれしいよ。青バラの君が、獣人に興味が出たなんて!」
大げさに腕を広げるシトリンの髪を舞い上げる風。
「クリソ……」
「失礼いたしました。急に動くので、つい」
容赦なく攻撃魔法を使ったクリソは、悪びれた様子もなく笑みを浮かべたまま杖を遊ばせている。
また琴線に触れたなら容赦なく攻撃することは、口にしなくてもわかった。
普通なら委縮するような威嚇。いや、シトリンが避けなければ、威嚇は当たり、ただの攻撃になっていたことだろう。それこそ流血沙汰になりかねない攻撃だったが、シトリンといえば、委縮どころか、興奮したように頬を赤く染めていた。
「ねぇー殴っていい?」
「フフ、構わないよ。君たちとの戦いは実に楽しいものだからね」
腹に巻き付くアレクの腕に力が入る。
「こいつが、変態なのは昔から知ってるでしょ」
放置すれば、このまま本当に喧嘩が始まってしまう。
この三人の喧嘩の収拾は大変なのだ。
「それで、何の用? どうせ話は聞いてたんでしょ」
「言葉通りさ。獣人に興味があるなら、僕が声をかけることは何の不思議もないだろう」
「商売熱心ですね」
「君たちに褒められるなんて光栄だよ」
「誉めてねェーし」
「しかし、今回は少し商売とは違うんだ」
シトリンは、コーラルの前に屈むと、先程まで以上に笑顔を向けた。
「君にお願いがあるんだ」
内容なんて聞かなくていい。
もし『嫌だ』と言ってくれたなら、この杖を振り下ろすというのに、片割れに抱きかかえられたままの小さな主人は、続きを促した。
「来週、魔法実技試験があるだろう?」
魔法実技試験。それ自体は、色々な種類が存在するが、来週行われるものは、校外で行われる最も自由度が高いと言われる総合魔法実技試験。
決められているのは、スタートとゴール、時間の3つだけ。
個人でもチームで挑んでもいい、毎回何かしらの問題が起きる実技試験だ。
それでも取りやめられないのは、ルールがあってこその実力とルールが無いからこその実力の二種類の実力を学院が認めているからだ。
しかし、いつも問題が起きるのは事実。
特に、入学したての1年はその年の生徒の特色が出るとも言われ、生徒間での争いが絶えず誰もゴールしなかった事例も、逆に圧倒的なカリスマが1学年をまとめ上げ全員が時間内にゴールした事例まである。
正直なところ、コーラルも何かしら起きることはわかっていたが、目の前の男の提案に乗れば、別の面倒事を連れてきそうだ。
「そこで、ダイア君と組んでくれないかい?」
「ヤダ」
即答したのは、もちろんアレクだ。
「理由は? あなたのことは、信頼してても信用はできない」
「クラーロ! 僕が見たいのさ!」
「話になりません」
「代わりに、君が困った時に、一度だけ僕が無償で手を貸すというのはどうだい?」
それは意外な言葉だった。
大商人の跡継ぎでもあるシトリンが、”無償”で手を貸すなんて条件を軽々と口にするはずもない。
しかし、今、確実にシトリンは”無償”と言った。
「フフ、君のその瞳が好きだよ」
彼にとって、それだけ重要な案件が隠れているということだろうが、その分何かがあることは必須。
そう簡単に手を取れない。
「コーラル。自分の身の上をお忘れですか?
貴方は、過去のアークチスト家の功績のおかげで入学ができたのですよ。もし、試験で下から数えた方が速い成績なんて取った日には、自主退学を勧められる危険だってあります。
獣人どころか、貴方だって試験で狙われる危険がある。わかっていますか?」
もちろん、クリソの言葉も理解している。
「そうね」
その言葉に安心したような表情を零したクリソに、
「面倒ごとに、ひとつもふたつも変わらないわね」
コーラルは裏切った。
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