2『世界最強はドジっ子?』

 ――時は数時間前まで遡り。


 数日前、上司から偵察任務を任された護は、東京の第8地区に潜んでいるという裏社会で勢力を伸ばす組織のアジトに来ていた。

 レスノアがいるからといって、そういった人間同士の争いがなくなるわけではないのだ。


「ここか」


 見た目からは、旅館のような風情ある和風な屋敷に見える。だが、軍が掴んで上司が正しいと判断した情報なら間違いない。


「ようこそお越し下さいました」


 屋敷の入口には着物のお婆さんが立っており、護に向かって丁寧にお辞儀してきた。


「このばあやが案内を務めさせて頂きます。どうぞ、こちらへ」


 今回の任務は数日の準備期間を必要とし、護は麻薬の受け渡しをする役で潜入する。

 ここは素直に案内係のお婆さんの後ろについていき、目玉を動かさず屋敷を見回して頭の中に図面を作っていく。


「こちらの部屋です」


 通された部屋の床は畳になっている。というより、おそらくほとんどの部屋はだろうが。日本人の血が騒ぐのか、和の空間ではどこか落ち着く。

 そうして緩まった気を引き締め直し、


「ありがとうございます」


 護は案内係にお礼を言う。

 しかし、部屋を見渡しても人の気配が見られない。これはどういうことなのか。


「これは、また勝手に……申し訳ございません。本日の予定だと伝えていたのですが、今回のことにあまり乗り気ではないようで。このばあやが探してきますので、少々お待ち頂いてもよろしいでしょうか?」


 乗り気ではない。

 その言葉が引っかかったが、ここでお婆さんに訊き返しても意味はないと護には思えた。

 脳裏に浮かんだ疑問を呑み込み、


「わかりました。構いませんよ」


 敵陣の和室で正座して待つ。


 それから数分が経過しても来ないので、痺れを切らした護が『この和室を抜け出して勝手に動いたほうが早いんじゃないか』と思い始めたとき、


「……ん?」


 なにかが盛大に崩れたような音が届く。


「なんだ?」


 距離があるようで小さな音だったが、護の聴覚は確かに拾った。

 なにが起きたのか、それを把握するために護は和室から飛び出し、音を辿って足音を殺して廊下を駆ける。

 十秒とせず、音の発信源まであと曲がり角ひとつとなったが、現地で待ち受けていたのは護の想定の斜め上の光景だった。


「――私としたことがなんたる失態を」


 思わず、護は敵陣の人前で呆気に取られる。思考がその場で停止し、相手の前で無防備に立ち尽くしてしまった。

 だが、無防備さに関しては相手のほうが一枚上手だろう。


「まさか着替えを部屋に忘れた挙げ句、焦りで棚の物を落としてしまうとは……しかし、今日はばあやに見つかるわけにはいきま、せん、か、ら……」


 どうやら向こうも護に気付いたらしく、衝撃のあまり最後の防壁である一枚のタオルを床に落とす。


「あっ」


 露わになったその姿を目の当たりにし、護の脳は仕事を放棄するほど震撼した。ただでさえ驚愕していたというのに、さらに追い打ちをかけるような衝撃が来たのだ。


 まず一つ、部屋の前で突っ立っている少女には護も見覚えがあった。かなり有名人であり、テレビでもよく見かける。

 そしてもう一つ、彼女は美少女ということでも広く知られ、軍は彼女をモデルにしたファッション雑誌を資金源としている。それが今、護の前で一糸纏わぬ姿の彼女が唖然と突っ立っていた。


 ずっと軍人として生きてきた護にそういった経験はなく、興味もなかったために、まるで雷に打たれたかのような衝撃に襲われた。


 入浴してきたばかりなのか、透き通るような艶のある肌は護の眼には刺激が強すぎる。

 まだ濡れている黒髪が腰の辺りまで下ろされていて、テレビでは冷徹な印象のあった瞳は見開らかれて冷静さを失っていた。

 だがなにより目の毒になっているのが、風呂上がりのせいで何倍にも増幅された彼女の色っぽさだ。


 互いに目線を交え、徐々に回復してきた思考で現状をなんとなく把握してくると、


「〜〜〜〜〜〜ッ!!」


 声ならぬ悲鳴を上げた彼女は、羞恥に茹で上げられた顔で慌てて部屋へ入っていった。

 一分もしないうちに浴衣姿で出てきたと思えば、冷静さの欠片もない憤激を宿した瞳で護を睨む。顔から赤みは抜けていないが、そこには羞恥の他に瞳と同じ憤激の色が混じっていた。そのまま一切の瞬きをせず、瞳に護を捉えて距離を詰めていき――。


「ヤベっ」


 かつて、これほどの殺気を受けたことはない。

 数々の戦場をくぐり抜けてきた護も、彼女が放つ荒ぶる殺気にはおとなしく身震いし、踵を返して逃げ出すことしかできなかった。

 もちろん、そうやすやすと見逃してもらうことは許されず、物凄い形相の彼女から全力で逃げ続ける。

 その中で、護は気付いてしまった。


 彼女の名は攻奈氷花せな・ひょうか。誰もが知る魔法少女である。おそらくここは氷花の自宅なのだろう。そして、護が氷花の自宅にいる理由は知っての通り――。


「あんにゃろォォォ!!」


 身体が刺されたと錯覚するほどの殺気を集める氷花から逃げながら、護は内側からこみ上げる怒りを無線機へぶつける。


「テメェ!! 俺を騙しやがったなァ!!」


『はて? なんのことやら』


 無線機の向こうからすっとぼけた白々しい言葉が聞こえ、護の怒りはますます膨れ上がった。


「なにが裏社会の組織のアジトだ! ここ魔法少女の自宅じゃねぇかァ!」


『そうか。だが安心しろ。お前のために、相手はあの『世界最強』と名高い攻奈氷花にしておいたからな。基本的に魔法少女は時間稼ぎ隊と組むのが鉄則だが、攻奈氷花は時間稼ぎ隊の力を借りずに変身できるらしい。よほど頭が切れるんだろう。適正者が見つからんらくてな、そこで白羽の矢が立ったのがお前と言うわけだ』


「そんな話、今はどうでもいいんだよ!」


『ん? さっきから妙に余裕のない声だが、なにかトラブルでもあったか?』


「大ありだ!! 魔法少女の家ならそうだって先に言っとけよ!」


『言ったら行かなかっただろう?』


「当たり前だろ! でも今はそのせいで攻奈氷花から追われてんだよ!」


 廊下から庭園に出て、氷花を振り切るために致し方なく屋根の上まで飛び乗る。

 魔法少女はレスノアを視認しなければ変身できないのは周知の通り。軍人の中でもエリートの護はまだしも、脚力だけで屋根まで飛び上がることなど魔法なしでは不可能だ。


 ――そう、不可能なはずだった。


 相手は十七歳の女子高生。一体どこからそんなパワーが出てくるのか、余裕をかましていた護に続いて屋根に飛び乗ってきた。


「嘘だろ!? なんで女子の身体でそんな芸当できるんだよ!」


 屋根を上を伝って逃げるが、負けず劣らぬ速度で氷花が背後から迫ってくる。


『おいおい、なにをどうしたら攻奈氷花に追われることになるんだ?』


「部屋に着替えを忘れたんだ! それで偶然、部屋に着く前に俺が見ちまったんだよ!」


『な、んだと? まさかとは思うが……』


「そのまさかなんだよォォ!」


『それは、羨ま……ごほんっ、災難だったな』


「他人事なら言ってられるだろうなァ!」


 世界最強の魔法少女と名高い攻奈氷花は、これまで数々の人間を救ってきた。かつてその殺気に当てられたのは、レスノアを除いて他にいない。

 しかし、その神話は終わりを告げる。今日、レスノア以外の被害者が生まれるかもしれない。


『……そうか。では検討を祈る』


「おい、ちょっと待――」


 結論から言えば、通信に気を取られていたことが敗因だったのだろう。逃げ切るまで粘るつもりだった徒競走は、持久走に持ち込む前に終わりを迎えた。

 瓦が並んで足場の悪い屋根に躓き、体制を立て直すわずかな隙を突かれ、護は氷花の蹴りで庭園の池へと転落した。


「がはっ!」


 池から自力で這い出た護は引きずり上げられ、橋の上で氷花に動きを封じられる。


「――っ」


「あなたが、ですか。先程は……くっ、思い出すのも耐え難い屈辱を受けて気が動転していましたが、魔法も使わずここまでの身体能力を持つとは……。今日来ると言っていた守護隊はあなたで間違いないようですね」


 正式名称は残念ながら『時間稼ぎ隊』で正しいのだが、魔法少女の中では『守護隊』という呼び名が一般的らしい。

 捕らえたことで怒りも収まっていたのか、氷花の瞳には冷静さと冷徹さが戻る。それで状況が好転するとは思えないが。


「それでは早速で申し訳ありませんが、私はあなたの記憶を消去しなければなりません」


「あ、あの……今は魔法を使えませんよね?」


「安心してください。多少の魔法は使えても強力な魔法の発動は変身なしでは不可能です。ですが、記憶を消すには頭蓋を何度か打てばいいんですよ?」


「ははは、面白いジョークですね」


「…………」


「なんで黙ってるんですか? 攻奈氷花さん? なんで小石を持った左手を振り上げてるんですかね? ねぇ、ちょっと!?」


 ――これは本気でやられる。


 覚悟を決めて護が目をつむった直後、街全体に警報音が響き渡った。さらにその刹那、屋敷のすぐ近くで爆音が鳴り、かつてないほど至近距離から超生命体の咆哮が届く。

 狼や獅子などとは桁違いの雄叫び。それに籠められた恐怖に護は身震いする。

 が、護を押さえ込んでいる腕は寸分も震えておらず、恐怖の類の一切を感じない瞳で恐怖の存在を見つめていた。


「――私が向かいます」


 装着した無線機に向けて淡々と呟く。まるで何気ない日常の1ページを見ているかのような、氷花の瞳はまさしくそれだった。

 それを見てしまえば護のプライドも刺激され、恐怖を置き去りにして自然と立ち上がる。


「俺も行く」


 魔法少女の変身時間を稼ぐことが、今の護の仕事になってしまった。ならば全力で勤め上げ、自分も魔法少女も生還させるしかない。

 そんな護の覚悟を知ってか知らずか、


「足手まといは不要です」


 たった一言、氷花はバッサリと斬り捨てた。


「は? 誰が足手まといだっ……ておい!」


 先に行ってしまった氷花を追って、護も屋敷の壁を飛び越える。


「待てよ! 魔法少女が一人で勝てるわけ」


「足手まといは黙って帰ってください」


「あぁ? 喧嘩売ってんのか?」


「見ていればわかります。足手まといはなにもせず黙っていてください」


「だから俺を足手まといって」


「シッ、静かに。レスノアに気付かれます」


「……チッ」


 崩れたビルとビルと隙間から視認できるのは、レスノアの巨体のほんの一部のみ。これではまだ、魔法少女の変身条件は揃わない。

 レスノアの巨体を六割以上見続けながら、行動が制限される変身を完了しなければならないのだ。


「おい、どうするんだよ」


 護の対応が面倒になってきたのか沈黙を決め込み、氷花は黙って廃墟と化したビルの中へ入っていく。

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