本売りの中年

弱腰ペンギン

本売りの中年

「本は要りませんか?」

 真冬の、寒空の下で私は本を売っている。空は雪でも降るのか、白く重い雲が覆っている。

「本は要りませんか?」

 自分で書いた小説だ。自分で売るなんて、本当はしたくない。

 でもどこの出版社も目をかけてなんてくれなかった。

 昔はあれほど『いいですね』とか『次はウチでお願いしますよ』とか言ってきた編集者も、今はメールの変身すらしてくれなくなった。まあ当たり前だが。

 自費出版の小説を、手売りする。なんだこれ地獄か。

 人々が「イラネ」という顔をしながら通り過ぎていくのを眺めるのは、ことのほか堪える。

 いや、わかっている。自分にブランド力なんて、もうないことを。

 この時代に本なんか売れないよ。うん。そうだよね。

「貴様、何をしておる! 往来で商いをする許可は得ておるのか!」

「ひぇっ!」

 やばい。同心だ。

 私は急いで荷物をまとめるとその場を駆けだした。

「まて、不届きものめ!」

 路地を駆け抜け、長屋を曲がり、井戸にぶつかりそうになって袋小路にたどり着いた。

「あぁ、やばい」

 捕まったらどうしよう。私はこの時代の人間ではないんですとか、絶対信じてもらえない。

 どこ藩出身だとか聞かれても水戸とかそのあたりしか言えない。黄門様の名前をかたる不届きものとか言われかねない!

 ……んなわきゃないか。

 後ろから同心の足音が聞こえてくる。あぁ、終わった。そう思ったとき、袋小路の壁がくるりと回転して。

「こっち!」

 中から女の子が出てきたと思うと、私の手を引いた。

勢いあまって壁の向こうへと転がり込んでしまったが。

「さ、こっちへ」

 女の子は壁に棒を立てつけると屋敷へと向かった。促されるまま、私は彼女の後ろをついていくことにした。


「で、なんで追われてたんだい?」

「いや、話せば長くなるんだが」

「話してもらわなきゃわかんないよ。それにあたしが助けたんだ。あんたの処遇はあたし次第だってわかってんだろうね?」

 女の子がじろりと私をにらむ。

「そうだな……助けてもらったし、話すくらいなら」

「詰まんなかったら一両」

「……は?」

「タダで人助けなんてやってらんないからね。なんで追われてたのか、思わず助けちまったけど、やばいことならそのままほっぽりだすか同心に突き出して恩を売っておくのも悪くねえ。いずれにせよあんた次第だってことさ」

 今度はにやりと笑って胡坐の上に頬杖をついた。

 まぁ、いずれにしても仕方がない。

「私は、えぇとこの時代は何年だっけかな?」

「そんなこともわかんないのかい? この間吉宗様が将軍になったから……」

「あぁ、1716年か。およそ三百年後の未来からやってきたんだ」

「一両」

「……つまらなかったかい?」

「……本気かい?」

「うん」

「正気かい?」

「残念ながら」

「……なんでまた」

「気が付いたらとしか言いようがないな。出版社、あぁ……なんだっけ。本を売るところだが、そこに原稿を渡しに行った帰りに、足を滑らせたと思ったら、このありさま」

「本って、あんた先生かい?」

「……この時代の先生で、意味はあってるのだろうか」

「何をぶつぶつ言ってるかわかんないが、それで?」

「あぁ、一文無しの宿無しで身に着けていた物とか処分したのさ。まぁ、我ながらよくやったと思う。うん。最初は宿を借りたんだけどすぐに行き詰ってね。だって武士でも商売人でもないんだから」

「へぇ?」

 いまいちわかってない顔だなこれは。

「なんやかんやあって、稼ぐ方法を考えた。それがこれ」

 風呂敷から本を取り出す。自らの字で書き上げた小説だ。

「……ちいせえんだな、本って」

「……文庫っていうんだけどね」

 私の薄い江戸時代の知識では何もできなかった。なのでとりあえず小説を持ち込んで気に入ってもらえば活版印刷とか出来るかななんて思ってた。甘かった。

「何かいてあるかわかんないってさ」

 現代語だもの。

「んぁ? そうか? 文字は読めるぞ?」

 いつの間にか女の子が小説を読んでいた。

「ところどころ意味のわかんねえのがあるが、大抵は。このばとるってのはなんだ? 後らっきぃ? ってのは?」

「君、文字が読めるのか!?」

「あたしをバカにすんねぇ。寺子屋では一番だったんだぞ?」

「お、おぉ?」

 じゃあなんで出版社では……。

「大方文字の読めねぇ丁稚あたりを捕まえて読ませちまったんじゃねえか? ほら、バカは何処にでもいるしな」

「笑い事じゃないんだけどね」

「まぁともかく。小説がなんなのかは分かった。それでだ」

 女の子はぐいと身を乗り出すと。

「こいつをどのくらいの時間で、いくつ作れる?」

「……え?」

「ちょっと読んだだけだが、今までの江戸には無ぇもんだってのがわかる。今まで無ぇってんなら、そこに商売のタネがある。おやじからよく言われたよ。そのタネを見つけたら自分で植えて育てて収穫しろってな」

 女の子は獰猛な笑みを浮かべていった。

「この本、あたしが買ってやる。今からあんたはあたし専属の先生だ」

「専属……君の?」

「あぁ、そういやあたしの名前を名乗ってなかったね。桃ってんだ。蔦屋の桃。よろしく!」

 私は、桃が差し出した手を、思わず握り返してしまい。

「あんたが死ぬまで、こき使ってやるよ」

 新しいおもちゃを見つけた子供のような笑顔を見て、後悔した。

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