84・第一王女アンナ


 アンナに押された楓はその場に倒れ、付き添っていた沙那も同時に倒れた。そのおかげで、二人は凶刃を逃れた。


 対して、二人を助けた本人は伏せるのが遅れた。横なぎに放たれたエルガの攻撃にその身を晒した。


「──ッ!」

 荒野に絶叫が響く。




 アンナの右腕。

 二の腕から先が宙を舞った。




 地面に血の雨を降らしながら、肉塊となり果てたそれは。やがて地面へ落ちていく。イヴが咄嗟の判断で黒爪の鎧を突き出さなければアンナの胴体も同じことになっていたかもしれない。


 断裂した筋繊維を振り乱しながら、彼女はその場に崩れ落ちた。

 甲高く強く叫びながら、一人思う。



 よかった、と。



 自分はまだ、誰かのために身を投げ出せる人間だ。そのことに安堵を覚えていた。リェルナはいまの私を見てどう思うだろうか。


 アンナは願う。


 もう一度、たった一度でいい。私をお姉さまと呼んで。そのためなら、腕も足も惜しくはない。四肢を失ってなお力が湧いてくるくらいだ。あなたのためなら私はなんでもできるの。どうか、ね、見ていて。



 ──あなたに恥じぬ私を。



 私は第一王女。

 マーノスト国第一王女、アンナだ。


 ああ、リェルナ──。


 あなたに再び会うまでは。

 私は絶対に、何者にも屈しない!


 定まらない焦点を無理やり合わせ、

 アンナの目に強い光が宿る。



「うあああああああァ──ッ!」



 およそ女王らしからぬ猛りに任せ、彼女は立ち上がりざま左手を突き出した。たったいま腕を吹き飛ばしたバケモノの顔をめがけて。


 長い爪がバケモノの目に突き刺さる。

 アンナはつたない握力に全力を込めた。



 ぐちゃ、といやな感触がして、

 気づくとアンナはエルガの目を抉っていた。



 楓、シロツキ、イヴ、マーノスト兵。ここに集まった彼らによりダメージが蓄積したエルガだからこそ、それを避けることはできなかった。人間と獣人のつながりが生み出した一撃は、いま確かに実を結んだ。



 エルガがアンナを仕留めようともう一撃を振りかぶる。


 終わった。これで私は死ぬだろう。

 アンナはあっけなく死を認める。


 腕の痛みに涙を流しながら、

 それでも安らかに笑って見せた。


 初めて本心から自分を好きになれた。

 愛する妹のために力をふるう自分を。


 ──もうすぐ、会える。


 そして彼女は目を閉じる。









「よく耐えた、王女よ」









 声が聞こえた。

 瞼を持ち上げる。


 目の前にあるのは巨大な背中。エルガと同じくらいの体躯に、黄金のたてがみ


 物音がしてあたりを見回せば、獣人の軍勢が自分たちを取り囲んでいる。だが敵対的ではない。それどころか、アンナの盾になるように黒爪を構えている。

 この獣人たちは、いったい。


「素晴らしい一撃だった」


 ライオンの獣人に対して、アンナは口端を歪めて笑う。


「私を誰だと思っているのかしら」


 ふらり。

 一言を発した瞬間、失血が彼女の意識を奪った。




 ──マーノスト国第一王女、アンナよ。




 声は出ず、彼女は満足そうな笑みと共に倒れた。



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