83・反転攻勢


 まっさきに見えたのは、死んだマーノスト兵の首を掴んでいるエルガの姿だった。イヴがすぐさま宙へ飛び出し、恐るべき加速でエルガに衝突した。甲高い金属同士の衝突音が響く。


「しつけェな」

「避けろ!」


 エルガが地面を強く殴りつけた。

 同心円状に地面が抉れ、鋭く花開いた。


「ッ、クッソ!」


 零が急ハンドルを切る。放り出されそうな遠心力。ギリギリの回避だ。なんて広いリーチ。


「イヴッ!」


 花の中央には変わらずエルガが立っていて、向こう側に彼女が倒れていた。彼女は指で大丈夫だと告げる。表情は苦しげだが致命傷じゃない。


 僕は気を抜かずあたりを観察した。αアルファとマーノスト兵が演劇の舞台装置みたいに転がっていた。物も、者も、ほとんどが破砕されていて、二度と動けないことが分かった。苦いものが胸の内に滲む。


「王女はどこだ」


 零が静かにブレーキをかける。

 僕はイヴの向こうに立つ砂埃を指さした。


「あそこです。あの中に横たわってる」

「見えねえが」

「います」


 《視界ノック》ごしに確認した沙那は、左側頭部から血を流して気を失っている。エルガの襲撃でαアルファから振り落とされたのかもしれない。それにしては軽いけがでよかった。幸運なことに、アンナはさらに軽症だ。全身擦り傷だらけだけど、意識もあるし、いざとなればαアルファを動かしてくれるはず。まだ無事な乗り物が残っていればの話だが。


 僕は零の運転するそれを降りて、遠く離れているよう言った。どのみち生身で獣人と対抗するなんてできない。いざというときの移動手段となってもらう方がありがたかった。


 振り向いた僕はイヴとエルガが向き合っているのを見る。


「ずいぶんだな。えェ? イヴ。味方に矢を放った挙句特攻仕掛けてくるなんてよ」

「すまないことをした。すぐに殺せば痛みも残らなかっただろうに」

「ハッ、こんなんよりもオレァ心の方が痛ェな」


 イヴが失笑し立ち上がった。ボロボロの羽は今にも千切れてしまいそうだった。


「心なんかとうに失くして、いまさら何を言う」

「おいおい、獣人を食うからって俺ァ狂人ってわけじゃねえんだ。そこのところを勘違いすんなよ」


 銃声が一発響いた。

 エルガの背後に倒れていた一人の兵がなけなしの一発を撃った。


 でも、瞬時に背を覆った黒爪がそれを弾く。


「『弱気は奪われ、強気は食らう』。パデューロの教えだ。知ってんだろ?」


 エルガが動くその前に、僕は人間の前に飛び出ていた。

 まるで戦車の一撃。巨大な力そのものが僕を殴りつけた。

 シロツキが残してくれた黒爪をフルに使って体を支える。それでもなお口から血が溢れた。体はまだ耐える。イヴから貰った薬のおかげだ。これがなければ、痛みでとっくに気を失ってる。


「よォ、人間」


 エルガは笑った。

 その顔色が、あまりよくなかった。僕は笑う。


「あんまり元気がないみたいだね」

「そんなこたァねえ。いつでも戦えるぜ」


 本能で痛みを押し隠しているのか。理由はわからないけど、実際こいつは痛みを感じていないように見えた。でもあれだけの矢が刺さって無事なはずがない。あまつさえシロツキの全力を喰らってる。ぼろぼろなのはみんな同じだ。


 それを理解したとき、急に怖くなくなった。

 そうだ、ギリギリなのはこいつも同じ。


「ゥアぁッ!」

「ハっ」


 振りかぶった刀をエルガが簡単に止める。同時に僕は半回転。捻った勢いそのままに地面を蹴り、袈裟斬りを浴びせかける。


 ──消えた。


 エルガは地面を駆り、その場から退いている。続けざまに繰り出した二撃、三撃目はなんなく避けられてしまう。カウンター気味に放たれた《懐花クドデュリア》が僕の腹を抉ろうとしていた。飛び込んできたイヴが僕を退かせた。


「げほっ、っ……ありがとう」


 イヴは小さく頷いて、そのまま攻勢へ入った。エルガと黒爪を競り合わせる。三度花開く火。僕はイヴの反対からエルガを囲み攻撃を注ぐ。と、裏拳が危うく頭蓋を粉砕するところだった。ぞっとしながら、なお退けない。攻撃を止めれば反撃される。逃げれば追撃される。どれだけ望み薄であっても、僕らに止まる選択肢はなかった。限界が来るまで。体がちぎれるまで。


「アァ!」


 エルガが苛立たし気に猛る。さっきから攻撃が一発も当たってない。そんなはずあるか? 僕はシロツキの身体能力さえ借りていないのに。やっぱり、蓄積されたダメージがこいつの動きを遅くしてるに違いない。


「クソが」

「ッ」


 エルガが唐突に地面を打った。攻撃に手を焼いていた僕らは《懐花クドデュリア》の範囲を逃れることが叶わない。左足が岩石に巻き込まれた。じゅっと焼けるような熱が広がる。見るとすねの皮が真っ赤に剥けていた。痛いと感じることさえ難しかった。


 イヴと並んで立った僕らへ、エルガは笑う。


「ゾンビみてェだぜ。お前ら」

「そうかもしれない」


 僕は笑う。


「というか、実際そうだよ。僕らは一度死んでるんだから」

「もう一回死んどくか」

「お前の番だ、クソッたれッ!」


 イヴと同時に、不意打ちで飛びだす。


 目的は首を狩ることのみだった。いつかシロツキがそうしたように。



 ふと、戦いの最中にもかかわらず穏やかな感情が僕を包んだ。



 きっと。ねえ、シロツキ。

 君はこんな感情だったのかもしれない。


 いざというとき、殺すことの罪悪感とか、そんなものは一切感じ取ることができないんだね。殺せ、殺せって、頭はそればっかりで。それ以外を考える余裕なんてない。そうしなきゃ死ぬから。

 仕方なかったんだ。分かり合うことなんかできるはずない。僕らは他人で、違う生き物。それでも、シロツキ。僕を守ってくれた君が好きだから。


 僕は獣人を殺す。

 必ずこいつを──!




 感情を固く決めた瞬間、目の前の世界が明瞭に開けた。

 頭の中に流れ込んできたのは。


「──《視遥ハル》」




 エルガの拳を躱す。

 一度、二度。何十回だって。


 青みがかった景色の中に射線が浮かび上がって見えた。

 ほらここに来る。次はそっちだ。

 獣人の速度なんか問題じゃなかった。

 位置がわかっていればこんなもの。

 

 刃を振る。エルガの腕を割く。

 もう一閃。次は足。

 短い痛みの声が上がる。

 容赦なんかない。殺す。絶対に殺す。


「ああアァ──ッ!」


 喉の奥から湧き上がる叫びをこらえきれず、僕は刀を振り回す。鮮血が舞う。鉄の香りがする。エルガは驚愕の表情を浮かべていた。


「テメェ……ッ」

「死ねッ!」


 なんて幼稚な罵声。でもこれでいいんだ。死ね、死ねって、僕は「殺す」っていう意志を何度も確認した。これでいい。弱い僕はヒーローにはなれない。悪役じみたセリフを吐いていこう。あらゆる犠牲を払って、大切な人だけを守れるように。


「────。」


 狼らしい遠吠えを鳴らし、エルガは地面を殴りつける。すでに予想していた僕とイヴは回避を優先した。




 結果的に、それは最悪手となった。




「ッ──!」


 パン。

 そんな音。久しぶりに聞く音。


 まずい。まだ、ダメだ。もってくれ。

 願いとは裏腹に激痛が眼球を打った。耐え切れずに地面でのたうつ。勝手に喉が震えて情けない声を上げてしまう。


 反動だ。《視界ノック》の反動が来た。

 脳の一部が冷静に状況を伝えた。


「なんだ、けっこういい動きだったがよ、終わりか?」


 エルガの嗤う気配がした。


 それと同じくして、


「ああ、終わりだ」とイヴが言った。


 焦げ臭いにおい。

 シューと言う短い音。


 たとえば、そう、導火線。



「は」

 僕は笑う。


 土壇場だけど、決まった。

 ダイナマイトだ。


 やっちまえ。


「任務完了」

 

 イブの声が再び聞こえ、直後。

 すさまじい爆発音が鳴り響いた。












 残響が止んだ後、しばらく何も聞こえなかった。しばらくっていうのは、しばらくだ。具体的に言うと、僕の目が回復するには足りないくらいの時間。

なんにも見えない状況で、僕はイヴの助けを借りて立ち上がった。


「エルガは」

「……まだそこに立っている」

「ッ」

「だけど、様子がおかしい。動かない」


 どちらにせよ死んではないってことだ。ほとんど絶望に近い感情が僕を包んだ。これだけの攻撃を注いで、これだけ手段を尽くして、なお勝てない。何があればこいつを屠れるっていうんだ。

「とにかく、っ、ここを離れよう。動けないのは、私たちも一緒だ」

「沙那はどこ?」


 反動が続く。

 頼りになるのはイヴの助けと音だけだ。


「そこにいる。さっきの音で目を覚ましたらしい。──歩けるか」

「うん。連れて行ってくれると助かるんだけど」

「ああ」

「アンナもそこにいる?」

「二人とも無事だ」


 安堵が胸に広がった。

 生まれたての赤子のような足取りでそっちへ向かうと、二人分の足音がやってくる。


「楓!?」

「うん。生きてるよ」

「目、目! どうしたのそれ!?」

「……えっと、どうなってる?」


 イヴに問うと、彼女は言った。


「真っ赤だ。血を垂らしたみたいに」

「それは、怖いね」


 想像して苦笑した。


「なんか、戦闘の反動? みたいな。時間が経てば元に戻るよ」

「ほんとに?」

「うん。それより、まだ危ないかもしれない。早くここを離れないと」



 言った瞬間、背中にどんと何かがぶつかった。



「伏せろッ!」

 アンナの鋭い声がした。

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