81・混乱


 遠くから聞こえる銃声をものともせず。


 飛び上がった彼女の放つ矢は雨のように絶え間なく続いた。ふつうの弓ならありえない速度だ。彼女もまたカルヴァの獣人。戦うすべのことごとくに磨きがかかっている。


 屈曲し、弓の形をとったイヴの黒爪。弦の部分は自動的に前後し、逆の手で補充された矢をはじき出し続けていた。その、操作の正確さ。直観的にわかる。強い。メリーと同じか、それ以上に。


 弾いて、避けて、それでも攻撃の隙は一切見つからない。

 メリーの触手と違って彼女の攻撃には癖と呼べるものがなかった。常に一定のペースで打ち込んでくる。


「イヴッ!」


 一方的な的当ての渦中、シロツキが叫んだ。


「どうしてお前がここにいる!?」

「ずいぶんと間抜けな質問をする」


 攻撃の手が一瞬止んだ。


「そっちの人間はすでに理解しているだろう」

「……ゼノビア陛下を裏切ったってこと?」


 おかしいと思っていた。ゼスティシェにいたとき、どうして彼女一人だけ置いていかれてしまったのか。別件の任務があるのだろうと強引に自分を納得させていたけど、違ったのだ。ゼノビアはなんらかの方法でイヴが裏切っていることに勘づいた。そして僕らを守るために退却の指示を出したのだ。


 でも、どうして。


「なんで裏切ったの」


 喉から漏れた低い声が自分のモノだと気づくのに一秒の時間を要した。


「カルヴァに何か不満があったから?」

「不満や不足、そんな個人的な感情ではない。そこは断言しておこう」


 イヴは手ずから弓を引いた。

 僕は射線に刃を備える。


「すべては獣人の未来のためだ。私がお前たちを裏切るだけで、これからの世界はずいぶん明るくなる」

「……思い上がりだ」


 シロツキが戸惑いを滲ませていった。


「私たちが、カルヴァの兵が、これまでたった一人で何かを変えたことがあったか。マーノストの襲撃に立ち向かうときも、エルガの強襲を退けたときも、私たちは常に誰かの力の傍にいた。──思い上がりだ、イヴ。お前一人の力では何も変えられない」

「そうだろうか」



 彼女は丁寧に射線をずらした。狙う先は──。



「やめろっ!」

「思い上がりはお前たちの方だ」


 つるが放たれる。

 全身の骨を軋ませた末の加速で、僕は沙那の脳天へ迫る矢をたたっ斬った。


 助けたと思ったのもつかの間、急降下してきたイヴが僕らを地面へ押さえつける。

 まずい。


 緊迫の静けさが辺りに広がった。


「ッ」

「易い言葉だ。『一人では何も変えられない』? 事実、お前たちはこの少女一人を守るためにこんな僻地までやって来た。それはつまり、この人間を攫った私一人に誘いだされたということ。この岩場の向こうで戦うマーノストの人間たちもそうだ。私一人が動かしてやった。──シロツキ、お前の言葉は見当違いだ。私たちは一人でも変われる。一人でも戦況を動かせる」

「その通りだぜ」


 背後から聞こえた荒い声に鳥肌が立つ。僕は恐る恐る《視界ノック》を広げた。


 もはやそうする必要もなかったかもしれない。ここまで強い圧を放てる獣人を、僕はエルガ以外に知らないんだから。灰色の巨躯を揺らして、彼は愉快そうに笑う。


「なぁ姫様ァ、どこへお出かけにしますか、ってな」

「アンナ王女……!」


 シロツキが悲嘆の声を漏らす。


 丸太のように太い腕の中に、拘束されたアンナがいた。口元には沙那と同じく布が巻かれ、腕や脚は鬱血するほど固く縛られている。敗色濃い状況にあってなお、その瞳はエルガをきつく睨みつけていた。


「はっ! 恐ろしい女だ」

「エルガ。遊んでいる場合じゃない」


 イヴがいった。その瞬間数十機のαアルファが谷あいから現れた。外の獣人を掃討して駆けつけてきたのだ。嬉しいとは言えない出来事だった。銃弾の一欠けらがエルガになんのダメージを与えられる?


「人間の肉はダメだ。特に男の筋肉は味が悪ィ」


 退屈そうに言い、エルガは消えた。

 αアルファの方から爆発に似た音が響く。取り残されたアンナが怒りの滲む表情で呻く。そっちを見る気にはならなかった。


「私たちをどうするつもりだ」


 シロツキが問い、イヴが弓を引いた。


「死んでもらう」

「それは残念だ」

「っ……!」


 初めてイヴの表情が歪んだのはそのときだった。シロツキの放った《闇焦シュアファル》が彼女の胴をきつく絞った。


 イヴが離脱したと同時に立ち上がった僕らは刀を生み、イヴへ振りかぶる。容赦はできない。一瞬でも躊躇ためらえば死ぬ。間違いない。それは僕とシロツキの共通認識だった。


「《過剰オーバー》ッ」


 宙へ離脱しようとするイヴの体を、伸長した刀が貫く。霧散する血のしぶき。心臓がわけもなく痛かった。止まるわけにもいかなかった。刀の先端を鉤爪状に曲げ、イヴを地面へ引きずり下ろす。左の羽がボロボロなのが見えた。ずいぶんと体を張った裏切りだ。


 ──ふざけるな。


 その首へ刃を突き立てようとしたとき、すでに僕らは岩に叩きつけられていた。


 背面の黒爪が砕け散る。

 声も出せない衝撃。

 代わりとばかりに全身の痛覚が叫びをあげる。


「勘弁しろよ人間。こいつァ殺すなってジーサンに言われてんだよ」


 僕らを吹き飛ばした黒爪のグローブを元に戻しながら、エルガはあくびを一つ。


 《懐花クドデュリア》と名付けられた黒爪の特質は、攻撃対象を爆発させることにある。ファロウがそう言っていた。地面だろうが、黒爪だろうが、触れたものは等しく断裂する。まるで花が開くように。悪い冗談だ。いったいどうやってこの二人に勝てばいい。


「おい、死んでねェだろうな」

「この程度で」


 イヴは軽く起き上がった。

 そしてこちらへ弓を構える。


「ッ」 


 シロツキの強制操作が僕の体を弾く。着弾間際の矢を避け、戦線離脱を試みた。けど、それもけっきょくは失敗に終わる。気づいたときには、僕の両腕はエルガに軽々と掴まれていた。


「元気な奴だ。一発食らってまだ動くか」

「《闇焦シュアファル》……!」


 シロツキの手がエルガの鎧に触れた。

 でも、すでに息も絶え絶えのシロツキに、他人の兵装を破砕する力は残ってなかった。彼女は数秒間力を放って、静かになった。ほとんどの生命力を使い果たしたのだろう。


「エルガ、それをこっちへ」

「おお。──って、なんだそれ」


 イヴがおもむろに二本の注射器を取り出す。半透明の容器の中に粘着質な赤い液体が入っていた。


 岩場の真ん中に組み敷かれた僕とシロツキの肩に針の先端があてがわれた。冷たい感触。得体のしれないモノを体内へ注がれる。そう考えると、目眩が起きるほどの恐怖だった。


「リドオール長老から聞かされていたはず」


 エルガは、はて? と首をかしげた。


「知らねェな」

「……いつも話を聞いていないのは困る」

「で、なんなんだよ、それ」


 イヴの冷たい目が僕を捕えた。


「人間を獣人へ作り変える薬」

「なっ……!」

「──の、試作」


 獣人へ作り変える!? あまりに現実味のない言葉。僕は何かを喋ろうとして口を動かした。声は出なかった。パニックで体がバカになってしまったのかもしれない。シロツキも目を見開いていた。


 人間の体が無くなるっていうのか。そんなこと……。


「んーッ!!」


 沙那が注射器めがけて飛び込んだ。獣人の反射神経は簡単に騙せない。イヴはさっと腕を引き、それを守った。


「エルガ、彼女を抑えて」

「ああ。──で、なんでこっちの獣人にも打つんだよ? それと、ほんとに獣人になっちまったらどうすんだ?」

「実験。さっきも言ったけれど、これは試作。どんな副作用が出るかわからないし、そもそも第一作初期ロットともいうべきものだから、効果は期待できない。十中八九猛毒に近い成分だと思われる。この人間は死ぬだろう」


 地面に頭を押し付けられた沙那が呻き続ける。エルガは両の腕で、僕らをそれぞれに拘束していた。シロツキさえ黒爪を操る力を一時的に失っている。もうできることはほとんどない。




 ただ、ほんの一つあるとすれば。




 僕は上着の内ポケットに意識をやった。そこに潜む円筒に。は服の中に延びている。隙さえあれば安全に使える。でも今は無理だ。強引に使うこともできなくはないかもしれないけど、その場合シロツキも巻き込んでしまう。


 これはアンナに頼んで作った貰った爆弾だ。国を亡ぼすなんてことはできないが、獣人一人の黒爪を砕くくらいできないかと期待して持ってきた。


「それじゃあ、さよならだ」

「っ」


 考えているまに針が深く刺さった。中の液体が血管に流れ込んでものすごい勢いで体をめぐる。怖い。純粋にそう思う。自分がどうなるのか誰もわからないなんて。


「かえ、で……」


 シロツキが震えた声で僕を呼び、


「エルガ」

「あ?」



「《地穿ヴァルト》」



 イヴが矢を放った。







 ──背に。






「は……」


 その場の全員が言葉をなくした。

 シロツキも、アンナも沙那も、エルガでさえも。


 イヴが、イヴだけが、エルガの無防備な体毛に矢を放ち続けた。固いやじりが筋肉を穿つ。その音だけがしばらくなり続けた。


 やがてエルガが血を吐いた。深く刺さった一本が内臓を傷つけたのかもしれない。


 イヴは撃ち続けた。

 そして、エルガは突然笑いだす。


「おう、イヴ。お前──」

「ああ」

「面白れェな」

「そうだろうか」


 エルガは僕と沙那から手を離し、イヴに向かいなおる。


 なんだ。何が起こってる。

 二人の間に漂う雰囲気はさっきのモノとは一変している。協力関係の空気は消え去って、本気の殺意をぶつけ合ってる。


「ハ」


 エルガがにんまりと口角を上げた。


り合うか。よォ」

はなからそのつもりだ」


 イヴは目を細めた。

 エルガを鋭く睨むその瞳は、視覗術の青い輝きに染まっている。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る