80・山岳の戦い──Ⅱ


 僕が八人無力化するあいだに、マーノスト兵の攻撃がほかの獣人を窮地に追いやっていた。攻勢があるとしてもここまでの大軍が来るとは予測していなかったに違いない。敵の顔に焦りの色が伝播し、状況がさらに傾いていく。


 ただ、こっちも被害がゼロと言うわけにはいかない。


「寄るなッ」

「畜生がァ!」


 最前列で銃を乱射していた一人が、空から飛来した巨大な羽に斬られた。

 トンビの獣人が挑発気味に嗤う。それをめがけて怒りの銃弾バラまく彼らに、地上を走ってきたサイの獣人が槍を突き立てる。そのままαアルファを破壊。ひしゃげたそれをぶん投げて三人、四人目の被害を生み出す。


 彼らの攻撃は決死の特攻だった。すでに戦いの結末を悟っているのだ。ならば一人でも多く殺して死なんと願っている。


つよいな……」


 彼らを突き動かす感情は、どうしてこんなに固いんだ。逃げていいだろう。死を選ばずとも、次のチャンスを待てばいいだろう。違うのか?


「アァッ!」

「っ!」


 目の前には僕をめがけて大槌を振り下ろすゴリラの獣人。両目に宿る、敵ながら清々しい光。


 ──ああ、違うのだろう。


 僕やアンナが沙那を助けるこのチャンスを逃せないように、彼らにもきっと退けないわけがある。獣人の流儀だろうか。あるいは、プライドだろうか。平和、獣人のため?


 それがどんなに下らない理由に見えたとしても、彼らにとってはまごうことない一つの意志なのだろう。僕の頭で測ることなど絶対にできない。なら考えるだけ無駄なのだ。


「そこをどけッ!」


 地を駆る。

 跳躍に合わせ逆袈裟。

 腰から胸元まで一息に切り上げれば、鮮血が宙を舞う。


 力を失いつつある彼の体を飛び越え、僕たちは次の標的を目指すのみだ。


「踏ん張りどころだ!」


 背後のシロツキが言った。


「相手も死を覚悟してフルスピードで来ている!」

「それは僕らも同じだ」


 この戦場に渦巻く感情はドロドロに重い。殺意を知る人々の、なんて恐ろしい形相。


「僕らの最終目標はここじゃないんだ。まだ体力を、──ッ」


 振り向きつつ刃を振るう。

 背後の気配はしゃがんで避けた。かと思えば、曲げた膝に力をためていて、


 ──来る!


「ッ、アっ……!」

「楓!」


 内臓に強い衝撃が走る。思わず膝をつくほどの痛み。鎧がなければ骨の二、三本持っていかれてた。


 すぐさま顔をあげる。

 目の前に鈍い刃が迫っていた。


 しまった。


「《過剰・解躰オーバー・コード》」


 銃弾吹き荒れる岩場にて、僕は鎧の外へ放り出される。

 だが敵の得物は背後にいたシロツキの首をも狙っている。一度は驚愕した敵だったが、表情は一転。牙を見せて歪む。


「裏切りモン一匹、」

「シロツキッ!」


 ふ、と。

 彼女は凄艶に笑う。

 目元は冷たく凍り付いていた。明らかな怒り。


「その汚れた刃を」


 黒爪から黒い煙が立ち上った。

 あれは。ゼスティシェへ降りる前に見た謎の瘴気。


「楓に向けるな」


 バキッ。

 あまりにも単純な音がした。シロツキの首に突き立てられたはずの刃が、根元から折れたのだ。見ると、彼女の細い指先が折れたところに添えられている。一体何をした?


「あぁ?」


 訝しむ獣人の鎧に、シロツキが手を触れる。


「《闇焦シュアファル》」


 聞き慣れない言葉に混じり、今度はあまり気持ちの良くない音が鳴る。内臓と骨が絞られた末に折れる、そんな音。


 一瞬の間をおいて敵はくずおれる。

 その眼にはもう生気がなかった。


 言葉を失う僕を、間髪入れずにシロツキが黒爪で包む。

 背後から聞こえる苦しそうな息。それが僕を現実へ引き戻した。


「っ」


 当たりそうな銃弾をとっさに避けて、気を引き締めなおす。新たな敵に向かいながら口を開いた。


「何をしたの!?」


 息も絶え絶えに彼女は言った。


「《闇焦シュアファル》。あいつの黒爪を、強制操作した」

「そんなこと、どうやって!?」


 敵の鎧に生命力を流し込んだのだと、彼女は言う。

 僕はいよいよ絶句した。

 黒爪の操作がどれほど体力を使うモノか、何回も戦っていればいい加減わかってくる。




 ──黒爪っていうのはよ、本来他人にまとわせることなんかできるはずがねぇんだ。表面積を広げれば広げるほど硬度の維持に必要な生命力が増える。




 カルヴァで牢に入れられたあの時、ファロウもそう言っていた。他人の装備を動かすのはいったいどれほどのエネルギーを使うのか……。


 背中に感じるシロツキの鼓動は非常に速い。息はとにかく荒い。額には汗がにじんでる。そんなに疲れるなら、なんで。


「なんでこんなところで使ったんだよッ!」


 シロツキはハッと気配を委縮させて、囁くように言った。


「すまない……」

「っ、沙那を助けるのが僕らの目的だ! でも、そのためならシロツキがどうなってもいいわけじゃないって! それぐらいわかってるだろッ!?」

「私も、ううん、私は焦っていた。安易な判断だったことを認める」


 あまりにも素直な謝罪だ。こっちが言葉に詰まってしまう。


 シロツキはあくまで僕を守ってくれようとした。そこへこんな怒声を浴びせかけるなんて。思い返すにあまりにひどい。シロツキの自己犠牲は許せなくて、でも感謝したくて、やっぱりやめてって言いたくて、ああ、もう。

 僕はごちゃごちゃした感情をかき集めて泥団子みたいに固めた。そうして吐き出した一言は、「……ごめん」という情けない謝罪だった。


「え?」

「……怒鳴ってごめん」

「……ああ」


 シロツキは僕の首元に腕を回し、鎧の中で抱き着く手に力を込めた。温みが広がる。戦闘で上がった体温。熱い血のめぐり。脈打つ肌。それらが一緒くたに伝わってきた。


「次だッ」


 シロツキが黒爪を伸ばして新手の攻撃をはじく。僕はすぐさま刀を構えた。






     *






 戦闘が始まって三十分のうちに、獣人側は壊滅状態におちいっていた。半数以上が戦う力を失くし、残った者たちはそれでも戦い続ける。

 少数対多数を押し付けている今の状況は、人間側にとって理想の展開だった。


 すると、僕らの傍にゼロと呼ばれた彼がやって来た。後部座席にアンナがまたがっている。


「アンナ王女!?」

「よくやった。敵のほとんどがもはや無力化されている」

「シロツキのおかげです」


 鎧からひょっこり顔を出した彼女が、アンナにぺこりと礼をする。

 手人形みたいなやつだな、と零が笑った。


「それで、どうしてこんな前線に?」

「次の指示を出しに来た。獣人たちの残党は後衛第三陣に任せて、我々は奥へ進む」

「でも」


 僕は行く先を見た。目的地の周りは丘で囲まれていて、その隙間、谷あいの細い道を通らなければいけない。αアルファは一度に三台が通るので精いっぱいだし、引き返すことすら難しいだろう。マーノスト兵たちが通るにはリスクがありすぎる。


 しかしアンナは言う。


「なんのための銃器だ」

「どういうことです」

「私たちが向かうのはあっちだ」


 指先で指し示されたのは、丘の上。


「あそこから撃ちおろせばお前たちにもあたりにくいし、好きな場所へ狙い撃ちができる。ちょうど円形の地形と相まって、獣人の逃げ場も奪えるだろう」

「でも、かなり険しいですよ」

「防げる被害を出しながら戦闘するより幾分もマシだ」

「──わかりました。僕らはあそこの通路から先に行きます」

「敵と遭遇したらできるだけ時間を稼げ。私たちが到着すれば確実な援護を約束する。いいな?」

「はい!」


 僕らはさっそく狭いけもの道を歩いた。ごつごつした岩がそこら中にあり、銃声が鋭く反響して聞こえる。辺りは陰になっていて強い日差しさえ気にならなかった。


「この先に──」


 シロツキが言いかけたとき、目の前に開けた空間が現れる。


 闘技場のような、円形の閉じた空間だ。

 隙間風が甲高く鳴いている。


 中央に人影が立っていた。猿轡さるぐつわをかまされ、目元を覆われているが、間違いない。


「沙那ッ!」


 生きていた。

 その安堵を噛みしめ走り出す。


「んーッ!!」


 しかし、沙那が大きく首を振る。

 なんだ。何をやって──。


 こっちに飛んでくる黒い塊。

 《視界ノック》の知覚範囲内!


「《過剰・変爪オーバー・ラム》ッ」


 シロツキのとっさの判断がそれを断ち切る。


 地面に転がったのは一本の矢。その先端は黒爪でコーティングされていて、僕らにも十分通用する兵器に見えた。


「っ、」


 思わず、その矢を二度見した。

 まさかと思う。


 その矢には見覚えがあったから。




──勝手に終わらすな。




 ツリミミズへ放たれた矢。




──《地穿ヴァルト




 またあるときはエルガへ向けて放たれた矢。


 まさか、違うよな?


 沙那の横の地面に、羽を広げた獣人の影が落ちている。

 断続的な羽ばたきの音が聞こえる。


 シロツキが眼を見開いた。

 僕も同じ表情をしていたかもしれない。





「まさか、ここまで来るとは思わなんだ」





 出会った当初と同じ声音。

 同じ無表情。

 そして、全身を覆う焦げ茶色の羽毛。


「どうしてここにっ……!」

「……」


 シロツキの声に、は答えない。



「さぁ、人間。さよならを始めよう」



 沙那の横に降り立ったイヴが、その弓を僕らに引いた。


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