79・山岳の戦い


 ゼノビアに手紙を出した僕たちは、返答が届く前にエルガへ急襲を駆けることになった。というのも、カルヴァへ攻め込んだマーノストの本隊が戻ってくれば、指揮系統はアンナの手を離れ制御が難しくなるからだ。


 決行前日の夜、僕とシロツキは兵舎で打ち合わせまがいの話し合いをしながら、装備の確認をしていた。


「……うわ」


 脇腹の包帯を巻きとると生々しい縫い痕が出てくる。そういえば糸を抜いてもらってなかった。あとでサジールにどうにかしてもらおう。

 僕が上着の内ポケットに必要な道具を詰めているあいだ、シロツキは黒爪をしげしげと眺めていた。はじめて買ってもらったラケットの感触を確かめるスポーツ選手みたいに。


「なにか気になることでもある?」

「この国へ来る前に、組成そせいを変えてもらったんだ」

「組成?」

「金属の内部にある、生命力伝達に必要な分子配列のことだ。ゼノビア陛下の指示でそうした。少しだけど、変わったような気がする」


 シロツキが組んだ両手を天井に向け背筋をぐっと逸らす。しなやかな四肢をストレッチしながら、その口ぶりはどこか他人行儀だ。


「生命力の流れ方に違和感を感じる。なにか、こう、ストッパーのようなものがあるみたいな」

「なんだかイメージしづらいんだけど……。戦いに支障ありそう?」

「んん」と首を振る。「むしろ動きは軽いくらいだ。楓を包むのを見越して黒爪の展性を引き上げてくれたらしい。兵装開発の人たちに頭が上がらないな」

「そっか。何かあったらすぐ言ってね」

「楓こそ、体の方はどうなんだ」


 ほっそりした指がつんと僕の脇腹に触れた。


「んはッ」

「ん?」

「……ごめん。くすぐったい」

「意外な弱点だな」


 青い瞳がぎらっと光るので、すぐさま距離を取る。


「そうはさせないよ」


 その瞬間シロツキが消えた。


「獣人の速度に」


 背後!?


「ついてこられるとでも?」


 黒爪が驚くべき速度で僕を包んだ。改良の結果は上々らしい。だけどこんな形で威力を発揮してほしくない。


「……やめて」

「覚悟」

「──ッ!」


 身動きできない鎧に詰め込まれてくすぐられたことはあるだろうか。僕からは、体験しないことをお勧めしようと思う。息はできない。楽しくもない。それがたとえ親愛なる元飼い猫のおふざけだったとしても。

 僕は五分を超えたあたりで喉を枯らした。シロツキからすればじゃれているだけのつもりだろうが、悪意がない分下手な拷問よりよっぽど残酷ではないだろうか。









     *









 マーノスト南東には高低差のある岩場が広がっていて、肥沃ひよくな土地も付随ふずいする植物も一切見えなかった。僕らは高い岩場を迂回して平坦な道を選んでいく。


 同時に、四百人の兵が機動二輪兵装=αアルファにまたがり、乾燥した砂を巻き上げながら進んでいた。砂埃は狼煙のろしのように進撃を示している。もはや敵への合図となり果てているけど構わない。増援が来る前に戦闘を終えることができれば、強襲は成功だと言えるから。


 陣列の後方中央付近にはアンナがいる。僕とシロツキはその後ろに乗せてもらい、いざと言うときすぐ戦闘に入れるよう警戒を全方向に警戒を注いでいた。


「この数でも少ないだろうか!?」


 耳元で吹きすさぶ暴風に負けないよう、声を張るアンナ。

 防塵ゴーグルをかけた彼女は、知らない人が見ればカッコいい狩人にしか見えない。まさか王女だなんて誰も気が気がつくか。

 そう、王女だ。王女の立場にもかかわらず戦場の前まで出てきている。それはひとえに兵の士気を保つため。王座に座っているだけのトップのために、誰が命を懸けられよう。こうして戦場に赴き、周りの兵に重要な戦いだと示すのがアンナの役割だった。


「ええ、少ないと思います!」

「あいにく私の権限ギリギリ一杯がこの人数だ! 王女が勝手に四百名も動かすなど、マーノストには前例がない! ──そのエルガと言う獣人はそんなに強いのか!?」

「私たち二人だけだったら間違いなく負けるでしょう!」


 シロツキが言う。


「そうか。じゃあこれは負け戦だなぁ!」


 アンナはからりと笑った。むろん、それを冗談で済ますためにこれから頑張るのだけど。


「信じています!」

「何をだ!?」

「きっと、いざと言うときは王女が僕らのことを助けてくれるって!」

「はっは! 誰がお前なんか助けるか! どれだけ怪我しても私の知ったことじゃない!」


 たしかにその通りだった。僕らは協力関係でしかなくて、本来はいがみ合う国の敵同士だ。


 彼女らの援護が受けられなかったら、いったいどれほどの負傷を負うだろう。脇腹を十六針縫う程度ですむだろうか。次に大けがを負わされることになったら、今度こそ四肢の一つでも持っていかれてしまうかもしれない。自分の体がなくなってしまうって考えたらとにかく恐ろしい。


 震えだした僕の腕を庇うように、背後からシロツキの手が腕を沿った。


「大丈夫だ」と彼女は言う。


「ほんとにそう思ってる?」

「ほんとにほんとだ」

「根拠は?」

「ん」


 シロツキに指され、僕は昨日用意したを覗く。


「そんなにうまくいくかな?」

「安心材料があるのは大事だ」

「それには同意するけど」


 でも、こっちの獣人は一人だけだ。

 そう言おうとしたとき、「見えて来たな」という呟きが聞こえてくる。


 顔をあげれば、一際高い丘と、その隙間に見られる深い谷あいの道が迫っていた。岩場にはいくつかの洞穴があり、例えば小柄な獣人が潜むことだってできそうだ。事実、ねぐらとして利用している獣人もいるかもしれない。


 重い緊張が体を包む。


 実戦経験を積んで直観が鍛えられてる。僕らはたった今敵の射程圏内に入った。こうなれば次に起こることなんかすでに予想がついている。




「構えろッ!」




 アンナが叫ぶ。


 それを合図に兵たちはΛラムザ──対獣人用の30連装小銃パスカータだ──を構え、シロツキは刀を生み出す。開いた《視界ノック》の中に移り込むのは二十を超える獣人の影。洞穴、谷あい、丘の上、いたるところから迎え撃つように現れた。


 もちろんすべてが敵。捕虜奪還を阻む最初の壁だ。ここを超えられなければエルガと戦うことすらできない。


 獣人の群れが岩肌を飛び出て、飛行能力のあるものは空から、それ以外は地上を迫りくる。対するマーノスト兵は一斉射撃でそれを食い止める。獣人と言えど鉛玉を直に受けるわけにはいかない。防御で手一杯なら移動性能も落ちる。


「散開! 一匹たりとも逃がすな!」


 部隊長の指示でマーノスト兵のいくつかが左右に割れた。二十名の敵を各個撃破に走る。


「アンナ王女!」


 僕の声に振り向いたアンナはそっとほくそ笑んだ。


「わかっている。頼んだぞ。──ゼロ!」


 王女の声に呼ばれたのは一機のαアルファだった。そこに乗る兵は熟練の操縦士で、今回の作戦では第一陣より前に出ることから「零」と呼ばれていた。


「移れ!」

「はい!」


 彼のαアルファに飛び乗った僕らは急加速。前列の兵たちを通り抜けて最前線へ向かう。魔動石による駆動音と、Λラムザの破裂が三百六十度から鳴り響く。その渦中にあってもなお、運転席の彼の声が明瞭に聞こえた。


「まさか獣人を飼いならしちまう人間がいるとはなぁ!」


 兵たちに不信感を与えないよう、僕の立場はそう説明されていた。シロツキを洗脳して味方につけた優秀な兵だと。僕としては不本意だったけど、本当のことを言うわけにもいかない。いつか真実を告げる日が来るといい。そう思った。


「流れ弾に当たらねぇことを祈るぜ!」

「大丈夫です! 心配せず援護をお願いします!」

「おお! これが終わったら酒でも囲むか!?」

「ごめんなさい! お酒苦手です!」

「はっははッ! んじゃあしょうがねぇな!」


 僕らの乗るαアルファが最前線にたどり着く。

 響いたのはブレーキ音。僕の体が慣性で浮き上がる。

 体に激突する車を思いだした。


「おらよ!」


 零の勇猛な笑顔が、そんな白昼夢を粉々に砕いた。

 右手が差し出されていた。


「行ってこい!」


 慣性の威力はそのまま。逆さまで前方に吹っ飛びながら、僕は彼とハイタッチする。


「了解!」


 前宙を決めて駆けだす。すぐさま始まる援護射撃。銃弾の先端と化した僕らに獣人の視線が集中する。思わず笑みがこぼれた。


「すごいな」

「ああ。私でも感じる」


 すべての視線が集中している、その圧力!

 魔王と戦う勇者はきっとこんな感じなんだろうな。


「ねえシロツキ!」

「なんだ!?」

「一度言ってみたかったセリフがあるんだけどいいかな!」

「存分にやれ! どうせ誰にも聞こえない!」

「『戦地においてなお猛り狂う猛者どもよ、残念だが僕が相手だッ』」


 アニメかなにかで見たセリフだ。シロツキは呆れたように笑いながら刃を振り乱して応えた。


 跳躍と共に刀を振り上げ、真っ先に迫っていたチーターの獣人と競り合う。彼も刀使い。二つの得物の間に散った火花は開戦の合図にして不足なしだ。

 僕らは競り合う。斬撃、斬撃。あるいは回避。瞬く間に幾重も刀身を交わす。削れても使用者の意志で再生する黒爪ならではの攻防。


「お前ッ!」


 刃先の衝突。一瞬産まれた間に、彼は僕の顔を見た。


「獣人じゃねぇのか!?」

「僕は人間だ。本当に残念だけどッ!」


 あのアニメの主人公は魔族と人間のハーフだったっけ? 僕にそんな力はない。


 黒爪を纏う人間はよほど珍しいのだろう。彼の動きが一瞬鈍くなった。その一瞬で構わない。メリーのおかげで身についた反射能力は、この戦場において何にも代えられない僕らの宝物だ。


──《過剰・変爪オーバー・ラム》。


 僕らの持つ刀が螺旋状に延び、敵の手首を絡めとる。シロツキの黒爪が持つ柔軟性という特質をフルに使った、メリーの《踊猛エテル・チェテル》をまねた不意打ちの拘束。


「ギッ!?」


 予想外の動きに彼は身を固くし、手首を引こうとする。


「シロツキ!」

「ああ!」


 ──負けない。倒す。殺す。


「すまない」

「あ?」


 彼の瞳に最期に移ったものは何だっただろう。深海色の瞳が放つ美しい哀悼。あるいは槍に姿を変えた黒爪が放つ渾身の刺突か。どちらにせよ、もう戻らない。

 僕らは彼の心臓を鎧ごと貫いた。

 明確に、自分の意志で獣人を殺した。


 背後の一部から歓声が上がり、目の前の獣人たちから怒りの色が滲む。


せェッ!」


 若い兵の声がし、獣人へ向け榴弾グレネードが放たれる。黒煙をはらむ爆発が目くらましの役割も果たしながら空気を揺らした。


「ッ、クソがァ!」


 爆破に乗じ急接近。

 手近な相手の頸動脈を狙った一撃を放つ。


 けど相手の動きも早い。兎の獣人が僕らのナイフを正確に鎧で受けた。

 短い得物は遠心力が乗らない。鎧を砕くことは難しい。

 これはファロウの教えだったか。


 再び始まる超近接戦闘インファイトに、僕らは息をつく間もない。でもそれは敵も同じことだった。銃撃を避けては攻撃の繰り返し。敵と同じ色の鎧をまとうせいで背後からの攻撃が心配だが、マーノスト兵たちは驚くべき正確な狙いで敵の獣人を妨害していく。


 さすがに国防を任せられる兵たち。

 平均的なレベルはかなり高いのだろう。


「、アアァッ!」


 僕らは剣戟の末に相手の胴を切り伏した。この怪我なら治療すれば間に合うかどうか。微妙なラインの。


 でも、黒爪の剥がれ落ちた彼の体を無数の銃弾が襲った。バックステップで回避していた僕の目の前で、彼の側頭部はズタズタに穴が開いた。


 ──ごめん。


 そんな声が出そうになって慌てて唇を噛む。なんて馬鹿げた言葉だ。謝罪は許されない。僕らは彼らを殺しに来た。恨みも憎さもない彼らを。そうして沙那を助け出すためにここにいるんだから。


「詰めろっ!」

「前進だ!」


 複数の声が上がって、こっちの部隊が押していることを知る。元々隠密行動をしていた小部隊に四百人の軍勢をぶつけているのだ。これで勝てなければいよいよ希望はない。問題は、いつエルガが出てくるのか。


 僕らは常に目を光らせている。

 刀を振り、複数の獣人と火花を散らしながら。


て──ッ!」


 アンナの号令に第二陣の一斉射撃が始まる。

 《視界ノック》がなければ今頃ハチの巣になっていたところだ。


 退くことなく二陣が出てきた。

 戦況はこちらが押している。




「行けッ! 私たちの目標はすぐ奥だッ!」




 銃声を縫って駆けつけたのは王女の声。

 背を押され、僕は刀を持つ手に力を込めた。

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