78・手紙と普通と特殊


 つかいに出した鷹の獣人が、戻ってくるなり一通の手紙を差し出す。彼は全身に雪どけの雫をかぶっていた。一息も休まずに飛んできたのだろう。ゼノビアは丁重に謝辞を告げ、手紙の封を切る。差出人は予想通り楓だ。




マーノスト第一王女・アンナと協力体制を築きました。




 出端ではなから、なんて奇想天外なことを。


 ゼノビアは笑えばいいのか呆れればいいのかわからない。結果、頬がぴくりと痙攣し、不本意な宿題を強いられた子供のようになってしまう。


 あの人間には驚かされてばかりだ。獣人ごと黒爪を纏って戦ってみたり、視覗術を開花させてみたり、あげく、獣人であるゼノビアに「友達になりませんか」とのたまったり。この世界の価値観ではおよそ予測不可能で。


 それが、少し面白かったりする。

 真っ白なキャンバスの上に小さな子供がいて、これからどうなるのだろう、という。そんな期待に似ている。


 ゼノビアは続きに目を走らせた。




エルガを掃うために人間の兵と活動を共にします。

陛下の助言通り、山岳地帯に沙那が隠されているみたいです。

おそらく戦闘になりますが、心配はいりません。




「チッ」


 露骨な舌打ちが作戦室に響く。鷹の獣人がびくりと肩を震わせたので、すぐに「お前のことではないよ。すまない」となだめた。


 視線を手紙に戻すゼノビアの顔は、まさに不本意なモノに変わった。


 戦闘になりますが、ではないのだ。楓に戦闘を避けさせる目的でエルガがいると通告してやったのに、どうして真逆の方へ向かう。


「判断は任せる」などと、遠回しな言い方を好む自分を恨むべきなのか? いや違うだろう。楓は冷静ではない。一見思慮深く見えるが、破滅に向かっている。


 だって、一度負けた相手に二度目は勝てるなんて、どうして思うことがあろう。たとえ相手の手の内がわかっているとして、それは向こうも同じこと。人間の手助けなんか雀の涙なのだから。




ゼノビア陛下も怪我にお気をつけて。

充分な休息を。


        楓




 なんだその要らない気遣い!

 笑い出したゼノビアを、鷹の獣人が不思議そうに眺める。


「はぁ、本当におかしな奴を国へ入れてしまったものだな」

「人間がですか」

「ああ。これから死地に向かうというのに、よりによってこちらの心配をしてくるなど」


 鷹の獣人は手紙を見せられ、苦笑した。


「勝てるでしょうか」

「エルガに、か?」

「ええ。報告を見ましたが、あれは強い。おそらくグレア隊長と力量を張るほどに」

「死ぬだろうな、普通。周囲の味方ごとぐちゃぐちゃにされて食われて終いだ」

「……それでいいので? 心配ではないのですか」


 ゼノビアは怪訝に彼を見返す。


「なぜそんなことを聞く?」

「いえ、何でもありません」

「言わないと牢にぶち込むと言ったら?」

「横暴ですよ……」


 観念して、鷹の獣人は口を開く。


「手紙を読む顔が、ひどくわくわくしていましたよ。仲の良い友達なのかと邪推するほどに」

「な」


 仲の良い?

 そんなわけあるか。


「あれもけっきょく人間だ。意志を持つ肉塊の一つに過ぎない。仲良くはないし、断じて友達でもない」

「ですが、」

「なんか文句があるか」

「いえ、その、──耳が立っています」

「は」


 ゼノビアの口から、女性らしい、いや、少女らしい、ともすれば、彼女らしからぬ声が零れた。棚のガラス戸に反射する自分を見れば、赤い髪のあいだから確かに犬の耳が覗いている。


「図星、なのですよね」

「違う。たまには、ほら、あれだ、あの、耳を風に晒さないと錆びつくだろう」

「金属でもないでしょうに」

「うるさい。塩水でもぶっかけるぞ。お前の羽毛も錆びつかせてやる」

「いや、錆びつくなんて──いたっ、書類を投げないでください」

「用が済んだらさっさと出ていけ。判断は私の仕事だ」


 文句は言うが、彼の退出際にきっちりと「休息をとれ」と叫ぶ当たり、ゼノビアもしっかりしているのだった。


 誰もいなくなった作戦室で、彼女は頭の上に手を当てる。柔らかい毛におおわれた耳の感覚があって、──はぁ。思わず息が零れる。


 心配に決まっている。



 ──人間など、すぐに死ぬのだから。



 そう考えると、大きな寂しさが心を打った。血の流れに乗った感情が喉を震わせる。




「……Aliceアリス




 ゼノビアが呟いたのは人間の名前だった。それは、彼女が胸の内に固く秘めた、決して語られることがないはずの、強い意味を持った名前。ゼノビアの前世に深い関わりを持つ名だった。




 彼女が楓にその話をするのはもっと後のこと。


 あるいは、それは今の楓やシロツキにはなんの関係もないのだった。









     *









 いくつかの書類仕事を終え、ゼノビアは作戦室を出る。


 すると廊下の向こうに見知った顔が立っている。もはや驚かない。もうすぐ来るだろうと予想が立っていたのだから。あくまで冷静に問う。


「どうしてここにいるのです。──リドオール長老」


 斑点のある灰色の短髪。その頭にかぶったフード。怪しいことこの上ない容姿だ。カルヴァの正面から入国しようものなら門番に止められていただろう。なのにここにいるということは、不法に入口をかいくぐって侵入したということ。


「いえいえ、カルヴァがマーノストの襲撃を受けたと聞きまして。いても経ってもいられなかったのです。国はご無事ですかな」


 なんて白々しい。なにが「いえいえ」、だ。

 どうせ戦況はすべて知っているくせに。


「ええ。損害がいくつか出ましたが、国防に関わるレベルではありません」

「そうですか、それはよかった。──して、あの人間の方はいかがなさったかな」

「申し訳ありませんが、教えることはできないのです。彼が危うい立ち位置にいることはご存じでしょう?」

「ええ、もちろんですとも。いつ野盗などに殺されてしまっても、誰も驚きませなんだ」


 リドオールの目が光る。

 ゼノビアは強気に笑い返した。


「そうですね。たとえば、兵としての訓練を受けながら、犯罪の道に走ったなんかに襲われることも、考えうる話です」


 その言葉に場の空気が一変する。リドオールが笑みを消した。

 なにを隠そう、ゼノビアが言ってのけたのはエルガの経歴。本来カルヴァが知りようのない情報。「お前の国の情報を握っているぞ」という威嚇。


 ここは情報戦の真っただ中にあった。

 しかし、リドオールも動揺を表には見せない。


「いやに不吉な考えです。無事を祈りましょう」

「ええ。無論そのつもりです」

「国が無事とわかりましたので、私は、これにて」


 去ろうとするリドオールに、ゼノビアは問う。


「勝てると思いますか?」

「……なにがでしょうな?」

「あの貧弱な人間が、野盗に襲われたら」

「……残念ながら無理です。人間と獣人には地力の差がありすぎる。ふつうは勝てなんだ」


 そう言い残すと、彼は去っていった。




 ゼノビアは誰もいない廊下で不敵に笑う。




 勝てない。

 彼らは言う。ゼノビアだって言う。




 ──勝てない。




 なら、その普通をぶっ壊してしまえばいい。


「見ていろ。リドオール」


 ゼノビアの仕掛けた三つのが、


「お前の計画もここまでだ」


 わずかに音を立てて動き出した。



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