77・失せ者探し


「これが全部終わったら聞かせてください。リェルナさんの話」


 アンナ王女はほんのわずかに表情を変えた。知り合いていどの友達に誕生日プレゼントを渡されたときみたいな、唐突な衝撃をはらんだ顔。それが、砂漠ににじみ出る湧水のように、静かに笑みへと移り変わる。


「お前などに聞かせてなんになるっていうの。言っただろう。他人の愛する者の話など聞いたところで何も起きないって」

「そうかもしれません。でも、あらゆる感情って、吐き出すとけっこうすっきりするものじゃないですか」

「くだらない」


 彼女は踵を返しドアを開けた。

 でも何を思い立ったか、つと振り向いた。


「もちろん、お茶菓子はお前が用意してくれるのだろう?」


 僕はあっけにとられて、ようやく好意的な返答だと気が付く。


「もちろん」

「じゃあ、その時を待とう。きっとロクなものは出てこないだろうけれど」


 アンナがいなくなったあとで、サジールがいった。


「ひねくれたやつだな」

「サジールにそっくりだね」

「だ、れ、が、だッ!」

「慣れればわかりやすいところとかさ」

「単純って言いたいのかこのひょろひょろ根菜がッ!」


 そんなやり取りを気にも留めずに、シロツキは一人難しい顔で椅子に座っていた。


「どうしたの」

「少し不安になっただけだ」

「不安って?」


 青い瞳が手元に視線を落とす。両の指を閉じたり開いたりして、それから彼女は言った。


「私たちは幸福を望む一個人に過ぎないのに、いったいどこまで行くんだろう。いつまで国と国のごちゃごちゃに巻き込まれているんだろう」

「一生だろ」


 サジールが言った。

 部屋の中に沈黙が生まれ、そして。


「一生だ」


 彼女はもう一度繰り返した。






     *






 城に隣接する兵舎の空き部屋を用意してもらい、二日が過ぎた。


 その間に、アンナはマーノスト王に掛け合い強制権限を発動。国防に当たっている兵の二割をリェルナ捜索に補充することに成功した。


 リェルナを攫って行った獣人の目撃情報から、敵はマーノスト南東の山岳地帯に潜んでいる可能性が高いと、アンナは予測した。そのほか、南西の森林地帯、北東の廃村あたりも怪しいと目星をつけ、それぞれを捜索させることになった。






     *






 マーノストの再訪三日目。僕とシロツキがリハビリも兼ねて部屋の中で運動していると、入口のドアが一人でに開いた。


「失礼いたします」


 そこには疲れた顔のアンナが立っていた。目の下には隈ができていて、ちゃんと寝れているのか心配になる。でも瞳は相変わらず鋭い光を放っていた。肉食の獣人に似たまっすぐな光だ。たぶん大丈夫、なのだろう。


「おはようございます」

「ええ。ごきげんよう」

「候補三つの捜索はどうなりました?」

「もちろんそれについて話に来たのですよ」

「?」


 なんでだろう、口調に違和感を感じる。


 そのとき、部屋の前の廊下を見知らぬ兵が横切っていった。そういうことか。

 僕がどうぞと招いて部屋の戸を閉めると、彼女は長いため息を吐いた。


「よく気がつくこと。かなり目ざといみたいね」

「そっちがの口調ですか」

「堅苦しいお嬢様言葉なんかほんとはまっぴらよ。それが望まれているからやっているだけ」


 椅子に腰かけ、高圧的に腕を組む。


「それより、本題に入りましょう。当初からの予測通り、山岳地帯周辺に敵影が見られたわ」

「規模はどのくらいですか」


 シロツキが問う。


「残念ながらそこまで正確なことはわからない。こちらの兵が見つからないだけでも大変なんだから」

「敵の見張りを遠くから観測した、と言うことでしょうか」

「ええ」

「それは……」


 シロツキがむつかしい顔をする。


「敵からも観測されている可能性が大いにあります」

「心配せずとも、兵たちは障害物に隠れていたと報告が上がっているわ」

「目の良い獣人にとってはそんなこと関係ありません」

「じゃあどうして捜索隊が無事に帰ってこれたというの」

「私たちを誘いだすため、とは考えられませんか」


 アンナが額に指をあて唸る。


「情報を泳がされているにすぎないと?」

「沙那を攫った獣人が、マーノスト兵の届く位置に停滞しているのは不自然じゃありませんか? そう考えると、敵にも狙いがあるのではないかと思うんです」

「狙い?」

「たとえば……」シロツキは少し考えた。「この前の話を蒸し返しますが、マーノストの内部に協力者がいたとして、その勢力と連絡を取り合うのに都合がいいから、とか」

「……一息に否定できる話でもないわね。そんな人間がいればの話だけど」

「ええ。あくまで例えばの話です」


 アンナは無言で思考を続けた。

 沈黙が一分を過ぎようとしたあたりでふと顔をあげ、サジールは何か言っていなかったかと尋ねてくる。


 彼女はいま兵舎の医療設備を見学しているところだ。カルヴァよりも技術が劣っているのにびっくりした、と昨日言っていたっけ。

 それというのも、遠地で怪我をした兵が生きて国へ戻ってくる確率は極端に低い。必然手術の機会は減る。その代わりに教会や墓地が増える。マーノストは典型的な医療不足にあるようだった。


「特に獣人との戦争になれば、生還率は三十パーセントに満たないこともある。たしかに医療は衰えるかもしれないわ」


 アンナは自虐的に笑った。

 そういえばと思い、尋ねる。


「マーノストの兵だけで獣人に対応ができますか」

「頭数を押し付ければね」


 まさかの持久戦?


「というより消耗戦。それが無理なら罠をつかったり、狡猾に殺しの手段をとるしかない」


 前回の戦争でも前線の兵は銃を乱射していたような気がする。混戦状態と化した中では物量がモノを言うのかもしれないけど、今回はどうなんだろう。そもそも頭数を揃えられるかと言う話で。


「あなたは戦えるの?」


 挑発気味な視線が僕を見る。

 シロツキに目配せすると、頷きが返ってくる。僕らは黒爪を一つに纏って見せた。アンナが眼を丸くした。


「冗談でしょ?」

「けっこう本気だったりします」

「でも、獣人一人で戦った方が的が小さいし……」

「私の最大の目的は楓を守ることなので」


 シロツキがすんと言い切る。

 苦笑交じりのアンナが「わかったわよ」と手を振る。


「リェルナを助けに行くときは、先陣を切ってくれるのでしょうね?」

「必要なら」

「なら文句はないわ」


 アンナはさて、と一区切りつけると、部屋から出ていく。


「事態が動きしだい、また来る」

「お気をつけて」


 シロツキの気づかいに「ええ」と柔らかい表情を返すのが、なんだかひどく印象に残った。







 その日の深夜、アンナは再び僕らの部屋にやってきた。

 山岳の捜索に出ていた兵が壊滅状態に陥ったのだという。


 時を同じくして第七部隊オウロエル所属の鷹の獣人が窓から尋ねてきた。彼はゼノビア女王からの書簡を預かっていて、何も言わずにそれを手渡してくる。

 すぐさま包みを開いた。



マーノスト南東・高い岩に阻まれた渓谷地帯にエルガの存在を確認。

お前の妹がすぐ近くにいる。

戦闘が避けられない場合被害は甚大になる。

判断を任せる。




 それは手紙と言うにもおこがましい。情報の羅列だった。


 カルヴァの状況がどうなっているかわからないが、戦争中、あるいは戦争の後処理の最中のはずだ。その合間にわざわざ書簡を飛ばすなど、ゼノビアの手際の良さはどうなっているんだろう。

 しかも、はるか遠くにいながら僕らより先に沙那の居場所を務めている。これは一体どうやったんだ。


 しかしともかく。

 沙那の居場所が割れた。この書き方ならすでに殺されてしまったということもないだろう。しばらくぶりの小さな安堵と共に、僕は次の目標を定める。


「返答はあるか?」

「ええ」


 それからしばらく時間をもらう。

 アンナにペンを借り、ゼノビアへ宛てて手紙をしたためた。


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