76・交渉、あるいは推考


「……」


「……」


「……」


「……」


 さて、どう切り出したものか。


 時刻は早朝四時。

 目を覚ましたアンナとシロツキ、見張りをやっていたサジールと共に、四人でテーブルへついた……、のはいいんだけど、主にアンナとサジールがにらみ合ってばかりで話が始まらない。どうにも口を出しづらい空気だった。


 部屋の外からは役人たちの足音がひっきりなしに聞こえてきて、こちらもいつ見つかるかと気が気でない。


「少し待っていろ」


 アンナがふいに立ち上がって、ドアの外にいる役人へ声をかけた。


 人を呼ばれる!

 そう思って身を竦めたけど、彼女が頼んだのは全く逆のことだった。


「私がいいというまで、この部屋に誰も入れないでくださる?」


 どうやら気を使ってくれたみたいだ。


「あ、ええ、構いませんが。朝食はどうなさいますか?」

「そうね、別に──」


 するとサジールのお腹が鳴った。


「え、」


 シロツキがびっくりしてコミカルに振り向く。

 部屋の入口からアンナがものすごい形相でサジールを睨んだ。そこから一瞬で営業スマイルに戻る。


「──来客が来ていますの、三人分お願いしますわ」


 役人は頷き、去っていった。


「私がお腹を鳴らしたと思われたらどうするつもりなの」


 戻ってきたアンナが声色を低めてサジールを脅しつけた。

 一方顔を赤らめたサジール。


「生理現象なんだから仕方ないだろ……」

「はぁ……。育ちの悪さがうかがえるわ」

「……育ちは関係ないだろ」対するサジールの目に力がこもった。「そっちはずいぶん贅沢づくしみたいだな。頼めば部屋に料理まで届けてもらってさ」

「ちょっと、二人とも……」


 また口論から始まるのか。


「落ち着きなさい、サジール」


 そこにシロツキが声を挟む。


「私たちは喧嘩をしに来たのではないはず。──アンナ王女。そちらもどうか話を聞いてください。お互いにくだらないことでいがみ合っている時間はないはずです」


 二人はぶすっとしてテーブルに肘をついた。

 話を挟むとしたらここしかない。


「事情は先ほどお話した通りです」

「……話が突飛すぎてまだ混乱している」

「そうだと、思います。僕もこの世界に現実味を感じるまで何日もかかりました」

「リェルナは……、死んでしまったのか?」


 即答するには残酷で、僕は一つ間を置いた。だけど言い切らないわけにもいかない。


「──亡くなりました」


 アンナは泣きはらして青白くなった顔をくしゃっと歪めた。うつむきながら嘆息する。


「そんなの、どう信じろって言うの」

「……愛する者が死ぬ痛みは、私も理解できます。ここにいる楓は一度死んだ人間なので」

「他人の愛する者の話など、いくら聞いても仕方のないことだわ。──それで、どうしてリェルナの中にお前の妹が入っていると?」

「この前僕たちがマーノストを脱出したのを覚えてますか」

「ええ。地下通路を使ったのでしょう? あの時は大騒ぎだったのよ。どうして獣人が秘密の脱出口を──」


 ピンときたみたいだ。


「まさか妹さんに教えてもらったってことかしら」

「はい」

「……」

「普通に考えれば、彼女が僕らを手助けする理由はありません。でも、兄妹の魂が入っているなら話は別だって、そう思いませんか?」

「そんな都合のいい話」

「でも事実です」


 アンナは絶句して頭を抱えた。


 そのうちにさっきの役人が台車を引いて戻ってきた。原生生物の上質な肉を使ったソーセージと野菜スープ、パンだった。役人はドレスを纏っていない僕らを怪しい視線で眺めたが、ついぞ声をかけることはしなかった。


 サジールのお腹がまた鳴る。


「……食べなさい」

「いいのか?」

「お前のお腹の虫がやかましくて話に集中できないの」

「それは悪かったな


 皮肉気味に返すサジールだが、食事はしっかりいただいた。


「それで」アンナが僕に向き直る。「お前はこれからどうするつもり。私が誘いに乗らない場合はどうするの」

「誘いが断られることは、その、想定していません」


 はぁ?

 怪訝も怪訝。彼女は眉をひそめた。


「呆れたわ。なんて杜撰ずさんな計画なの」

「アンナ王女はきっと応じてくださると思っていますから。リェルナ王女をひどく愛している様子でしたので」

「それは、そうなのだけれど」


 形のいい唇がきゅっと引き結ばれる。


「果たして、知らない誰かの魂が入った体を、リェルナと呼べるのかしら」


 自問するように彼女は言った。


「本当はリェルナのふりをしていた沙那という女性なのなら、私には関係ないと言い切ることができてしまう」

「ええ。そう思うのも王女の自由だと思います」

「……ずいぶん突き放した物言いね。私の協力が欲しくないように見える」

「欲しいですけど、協力したくない相手にそれを望む力が僕にはありませんから」


 戦闘力はシロツキ頼み。判断力はサジールに助けてもらってる。《視界》に至っては、たまたま手に入れた力に過ぎない。人を率いるカリスマ性をなんら持ち合わせていない僕だ。協力を強制するなんて。そんなつもりはない。


「私は」


 アンナはそう言いかけて、一度口を噤んだ。


「ねえ、楓と言ったわね」

「はい」

「私の目線になって考えてくださらない。どうして助ける理由があるのか」


 難しい質問だと思う。愛する人の皮をかぶった他人を助けに行く、その理由。僕はしばらく考えこんだ。シロツキとサジールがパンを咀嚼しながら不安げな視線を寄越していた。


「きちんととむらうため、というのはどうですか」


 アンナは傷ついた顔をする。親友に陰口を言われた少女のように。弔うためには、妹が亡くなった事実を認める必要があるから。きっとそれが痛いのだ。


「アンナ王女はまだ実感できていないと思うんです。あなたの妹がどうなったのか。それを確かめるために、ひいては、いつか沙那が亡くなったときリェルナ王女を葬送するために体を取り戻しに行く。こんな理由はどうでしょう」


 いつか、と言ったのは、沙那にできるだけ長生きしてほしいというちょっとした願望だった。アンナは目ざとくそれに気がつき「仲の良いこと」と遠い昔を眺める顔をする。


 なぜだかシロツキが、ふんすと自慢げに胸を張った。サジールが「お前のことじゃないだろ」と見咎める。


「仲良きことは美しい、と誰かが言っていた」

「そーかよ」


 サジールは食事を終えて、ふと息をつく。それから思案顔のアンナを見た。


「で、どうだ王女様。あんまり時間はないっぽいし、あたしらは迷ってもられないんだけど」


 口調はともかく、サジールの言うことは本当だった。沙那を攫った獣人たちからいつ脅しが来るとも限らない。


「そういえば」とアンナが言う。「どうしてリェルナ──沙那が攫われたんだ。戦争にも関わっていないし、軍事的な権限もないのに」

「僕のせいです」


 僕が《全席獣会合セレム》の場で「共生策」を話したせいだ。


 今回リェルナを攫った獣人の上には、必ず誰か糸を引く人間がいる。ゼノビア女王はリドオールだと睨んでいるらしいが、僕にとって誰が犯人かは関係ない。問題はそいつの目的、つまり、人間と獣人の共生を止めようとしているところ。


 マーノストの人間が、獣人に明確な敵対意志を抱くだけでいい。それだけで、あと数年はカルヴァとにらみ合う状況が続くだろう。人間が嫌いな獣人からしてみれば願ったり叶ったりというわけだ。


 アンナは僕のたどたどしい説明にもしっかりと頷いてくれた。


「獣人の国……。いままで気にしたことなどなかったけれど、そっちにも政情というモノがあるみたいね」

「はい」

「そのパデューロという国の獣人が沙那を?」

「おそらくは」



 そこまで言って、矢が突き刺さるようなひらめきが訪れた。



 これまで一度も戦争を仕掛けたことのないカルヴァが、何度もマーノストからの侵攻をうけていた理由。


「あの、アンナ王女。もしかしてマーノストは獣人からの侵略を何回か受けていたり?」

「なにを白々しい。『何回か』なんて話じゃないわ。部隊自体は小規模だけれど、私が生まれたときから何百と繰り返されている」


 クソッたれ。思わず悪態をつきそうになる。


 ゼノビアの口ぶりから察するに、カルヴァは有史以来一度もに立ったことはない。それなのにマーノストは仕掛けてくる。なぜだ。カルヴァの軍勢のふりをしている誰かがいるからじゃないのか?


 シロツキやサジールの顔色を窺えば、こちらもおおむね苦い表情で。


「なぁ、あたしら獣人の言うことを信じてくれるとは思っちゃないけどさ。あたしらマーノストに攻め込んだことなんかないぞ」

「っ、そんなわけが。わ、私は今回のリェルナの件もカルヴァがやったとばかり思っていたくらいで……」


 彼女は口を噤むと、鬼気迫る表情で部屋の外へ駆けだした。


 しばらくして戻ってきた彼女は狼狽ろうばいもあらわに、足取りは重い。


「どういうこと」

「何があったんです」

「カルヴァへの攻撃を取りやめるよう指示したの。そうしたら、指揮が弾かれた」

「弾かれた?」

「この国の軍部は独立してるから、おかしなことではないの。でも、それでも私の指示が通らなかったことは、二度目、くらい? ──誰? 誰が強行させているの?」

「きな臭くなってきたぜ」


 サジールが振り向いた。


「な、楓。どう思う」

「どうって……」


 人間の中にも獣人と同じように戦争を望む人間がいる。あるいは、ただ単に必死なだけなのか。


 頭の中の一部が警笛を発した。

 そんな甘い考えで敵の思考に追いつけるのかと。


 リドオール長老は温厚な人だと、僕は思う。でも、ゼノビア陛下が言うには狡猾で嫌らしい人間だと。

 こと国交においては、生半可な予測は意味をなさない。人柄で性格が図れないようにだ。僕が考えうる最悪の想定はなんだろう。


「……」

「楓?」


 シロツキの問いに口を開く。


「僕らとは反対の方向で、えっと、仲たがいさせる目的で獣人と手を組もうとしている人間がいるとしたら」

「……おいおい」


 考えすぎだろ、とサジールは言うが、その表情は危機感に溢れている。

 僕もそう思いたい。だって、人間が獣人と戦争したって、得なことなんか一つも──。






 ──戦争を止めるな。






「あ……」

 誰だ。これは誰の声だった。






──俺の大事な取引先を一つ潰す気か!?






 戦争。取引先。武器商人。


 対立こそ利益になる人物が、一人いる。


「……ガロンだ」

「ッ」


 アンナが険しい顔つきで僕を睨む。


「一体どういうこと」

「ガロンウェポン組合ギルドが怪しい。軍部と組合ギルドの関係はどうなっているんです!?」

「ぎ、組合ギルドの長であるガロンが、武器の調達や兵の斡旋にも一役買っているわ。軍部とは強い関わりがあるし、必要なら指示も出せる立場にいるけど、でも──」


 ガロンと獣人が取引するとしたら、どうなる。獣人はガロンに戦争を提供することができる。でも、ガロンは? ガロンは何を提供する?


 だめだ、この取引は成り立たない。


 それでも疑いは晴れなかった。頭の中で線を結びかけた犯人の影は、明確にガロンの形を帯びている。わからない。どうすれば獣人とガロンが結び付く? もっと僕の頭が良ければと今日ほど願ったことはない!


「楓っ」


 シロツキが大声で僕の意識を引き戻した。


「話が飛躍しすぎている。私たちは、沙那を助けるためにここに来たんだ!」

「っ、ごめん」


 そうだ、なにを見失ってるんだ。これは僕の手に負える問題じゃない。しっかりゼノビアに報告して、精査して──。


「……それだ」

「え」

「私がお前と取引する、正当な理由」


 アンナの目が力強い光を発する。


「お前の言う通り、私はリェルナの死をまだ実感できていない。この浮ついた心に終止符を打つためにも、もう一度彼女と会話する必要がある。私が手を貸す。共に彼女を助けるんだ」


 アンナは右手を差し出した。

 喜んで受けようとする僕を、「ただし」と強い声が遮る。


「お前はマーノストをたぶらかす灰色の輩を突き止めろ。その動機、証拠、すべてをだ。これを対価として要求する!」


 僕には不相応な要求だった。

 この前までただの大学生だった僕に、探偵まがいのことができるわけない。なのに心は燃えている。絶対やってやるっていう気になってる。理屈よりも感情が走ってる。そういえば、前にもこんなことがあった。その時は沙那と別れる時だったっけ。


 まあとにかく。僕は沙那のためなら不可能だって引き受け手やる。後から可能にしてやればいい。今できることを、精いっぱい。


「その申し出、お受けします」

「成立だ。よろしく頼むぞ。


 右手を重ねる。

 不安なことばかりのはずなのに、アンナは強気に口端を持ち上げた。

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