第六章──奪還作戦

75・アンナの慟哭


「捜索隊の手配を急ぎなさい! これではあまりにも足りないわ!」


 王城の三階。マーノスト国第一王女アンナは、鬼気迫る表情で兵と向かい合っていた。対する兵の主張も必死なものである。


「しかしアンナ様……これ以上はマーノストの国防に関わります。すでに兵のほとんどは出払っており、カルヴァの足止めや敵の追尾で手いっぱい。これ以上は、獣人の攻撃があった場合に耐えられません」

「っ……じゃあリェルナは諦めろと、そういうのですか!」

「どうか気を落ち着かせください。ことを急いてはいけない」

「もういい、下がりなさい」

「アンナ王女」

「下がれと言っているのだ!」


 怒声に気をあてられた兵は、歯噛みしつつ部屋を辞した。彼は彼で国のためを思って動く兵に他ならない。それがわかっているからこそ、アンナの怒りは止まらなかった。国か妹か、どちらが大切かなんて選べるわけがない。この選択肢を用意した神の、なんと残酷なことか。


「ああ、あァぁ!」


 演劇じみた破砕音が部屋に響く。

 グラスは割れ、燭台は倒れ、花瓶は砕け散った。アンナの手が、言葉通り手当たり次第にぶつかったものを転倒させていった。


「リェルナ」


 どこにいるの。早く帰ってきて。

 早く。早く。


「リェルナ!」


 アンナは何度も叫んだ。こうしていれば、どこからか愛する妹がひょっこりと顔を出すと、信じて疑っていないかのようだった。


 声が枯れるころ、彼女は周囲を見渡した。本棚には王たるべき知識の泉がこれでもかと並んでいる。窓際のテーブルには手を付け忘れた昼食が夕日に照らされている。天井には、削り出した魔動石により暖かな灯りを注ぐシャンデリア。


 どんな豪勢なモノもアンナの心を癒さない。妹たちがいなければ何の価値もない。


 だって、そうだろう?


 わたくしはいったい誰のおかげで、誰のために頑張ってこれたと思っているのだ! すべては妹たちとの明るい未来を夢見て。それに相違ない!


 なのに、クソッ。


「ぁあああアあァ──ッ!」


 金属をひっかくような奇声と、獣が暴れ狂うような物音に気おされて、その後アンナの部屋を訪れるものはいなかった。


 涙でぐしゃぐしゃになった顔を治そうともせず、彼女はテーブルに座り、昼食をぜんぶ床にぶん投げる。空いたスペースに顔を突っ伏し、その拳で天板を叩き続ける。ガン、ガン、と断続的に。


 骨が痛みを訴えた後でようやく止まった。彼女の手には血が滲んでいた。


 静かになった空間で。

「ディーテ……」

 アンナは第二王女の名を呼んだ。



 



 お願い。わたくしに力を貸して。








 気づくと夜だった。


 いつのまにかテーブルに突っ伏して寝てしまっていたらしい。喉も目元も乾いて、カラカラで、気持ちが悪かった。アンナは飲み水を喉に流し込み、それから浴場へ向かった。ジンジンと痛む全身を温かい湯で労わった。


 風呂を出、ナイトドレスをまとい、部屋へ戻る。


 ドアを開けると、そこは惨状だった。見事に散らかった部屋。これでは誰も王女の部屋だと思うまい。


 なのに、どうしてだろう。

 暗い部屋の中に散乱するガラスや小物の類は、いやに自分を癒してくれた。



 ──ただ。なにか妙だ。



 アンナはハッと天井を見上げる。


「……灯り」


 一切触れていない灯りが消えていた。どうして。


「誰か──」


 アンナは喋れなくなった。

 口元を布でふさがれ、嬌声のような呻きをこぼすことしかできなくなった。両腕を囚われ、無様に背筋を逸らし、自らの豊満な肢体を揺らすことしかできない。


 背後から自分を捕らえる手。

 人外の膂力りょりょく。その気配。



 殺される。



 アンナは死を覚悟した。

 涙の浮かぶ瞼をぎゅっと閉じる。







     *







「動かないでください」


 耳音で囁く。すると、腕の中のアンナ王女の動きが緩くなる。そっと振り向いた彼女は黒爪を纏った僕を見て目を見開いた。


「モゴっ!」


 ──賊!


 と言ったのだろう。どうやら覚えていてくれたらしい。その覚え方はまったくありがたくないんだけど。


「お静かに願います」

「──! ──!」


 罵倒の言葉が止まない。こっちだって急いでいるんだ。勘弁してほしい。そう思いながら耳元に口を寄せた。


「リェルナ第三王女を助けに行きましょう」


 今度は驚愕の表情が浮かんだ。

 もはや口元の布を取り外しても、彼女は叫んだりしなかった。


「どういう……」

「言葉通りの意味です」


 話し合いの気配が感じられたので、両腕も開放する。アンナは戸惑った様子でその場にとどまった。


「なぜ、お前が」

「理由を説明するには、時間を要します。きっと理解も及ばないでしょう。それでも聞きますか」


 彼女が頷くので、あとはいつも通りだ。僕はサジールとシロツキのことを説明した。何回も繰り返されたプレゼンテーションは、いつのまにか洗練されていた。かなりの短時間で説明が終わる。


「お前が生き返りだからと言って、なんでリェルナを」

「第三王女が無関係ではないからです」


 僕は、沙那と言う妹がいること、それからリェルナ第三王女の中にその魂が入っていることを隠さず言った。


 もちろん、──本物のリェルナ第三王女が死んでしまったことも。


「ば、かな」


 見ると、アンナの歯ががちがち震えている。

 こうなることはわかっていた。でも言わないわけにはいかないだろう。


「そんな、わけが。リェルナが死んだなど、そんな、わけ」

戯言ざれごとだと一蹴しないのは──、アンナ王女、心当たりがあるからではありませんか? たとえば、リェルナ王女が急に記憶を失くしたり、急に性格が変わったり」


 彼女はとたんに落涙した。


 魂の波長が一致するからといって、人格や性格は同一人物ではない。心当たりなどいくらでもあるはずだ。

 それを指摘したのは僕自身なのに。


 ああ、いやだな。と思う。

 人が絶望する顔と言うのは、種類は違えど、本当に見るのさえつらい。


 アンナは明らかな絶望に包まれようとしていた。浅い息を繰り返すだけの機械になり果てようとしていた。残酷だけど、僕はそれを許すわけにはいかなくて。


「アンナ王女。どうか、話を聞いてください」

「どうして、どうして、リェルナ、」


 そのとき嫌な気配を感じた。

 バネが弾む寸前のような。引き絞った弓が矢を放つ寸前のような。とてつもない感情のエネルギー。


 アンナがつと息を吸った。


「リェルナぁァァ────!!!!」


 それは、呼ぶにふさわしい絶叫。


 ああ、クソっ。

 ごめんなさい。本当にごめんなさい。


 崩れ落ちるアンナの頭を胸に抱いて、僕は背中をそっと抱きしめる。血のにじむ拳が僕の着ている黒爪を殴りつけた。


「シロツキ」

「……ああ」


 鎧を脱ぎ去る。

 これ以上アンナが傷つかないために。









 彼女の声が止んだのは十分もあとだった。


 止まらない涙と嗚咽おえつのせいで、まともな話はできそうになくて、それでも僕は沙那の方が大事だから、問う。


「あなたは妹の体を取り戻したいはずです。僕は実の妹の魂を。持てる力のすべてを貸してください。権力でも兵力でも、何でもいいんだ。大切なモノを取り戻すために!」


 自己嫌悪が血液に混じって体内をめぐる。泣きたいのは僕の方だった。家族を失っていたことを知ったばかりの人間に、こんな詐欺師まがいのことを言わなければならないなんて。


 そして、アンナは頷いてしまうのだ。


 たとえ中身が違う人間であってもリェルナが大事だから。愛していたから。その躰だけでもせめてと思うから。遺族の心を利用する僕は本当に汚くって、吐きそうなほど悲しかった。


「あっ、う、ぅっ、ひッ」


 しゃべろうとして、アンナはそれを諦めた。僕の腕から逃れると、紙を引っ張り出して何やら文字を書く。


『リェルナを回魂術で生き返らせることはできないの?』

「少なくとも僕らはできません。生きることを諦めた魂しか」

『妹たちのいない世界に価値なんかない』

「それは……」


 反論できなかった。僕だって、家族のいない世界に価値なんか感じられなかったんだ。


「違う」シロツキがいった。「あなたは、何か見落としてる」

『なにを』

「私も、楓たちのいない世界は無意味だと思った。でも違う。それは違う。絶対に」


 強い断言。


「私の周りには別のものがあった。サジールがいて、第三部隊ルートニクのみんながいて、私と多くの時間を過ごしてくれた。本当は、だって、苦しいけど──」


 アンナにつられたように、シロツキも泣いていた。僕や沙那を失ったときの絶望と、今のアンナを重ね合わせているのかもしれなかった。青い瞳がきらりとうるんで、小さく震える。



「こんなこと言いたくないけど、本当は──」





 楓がいなくても、私は生きていったんだ。



 生きることができたんだ。

 年を取って、いつか死んでいったんだ。






「息もできないくらい真っ暗で、前も見えないくらい寂しいんだ。でも、生きることはできるんだ。死ぬことが本当に怖くて、なかったことになるのが怖いから! たとえあなたの世界に妹がいなくとも、そこには必ず何かがあって! だから!」


 シロツキはうまく言えないもどかしさに奥歯を噛みしめた。


「まだ意味はある! 調子のいいバカげた言い分だけど取り戻せ! 私たちに手を貸せ!」

「その辺でいいよ、シロツキ。もう伝わってる」


 きっとそうなのだろう、と僕は思った。


 サジールの回魂術が成功しなかったら、いまごろシロツキは何をしていただろう。まだ挑戦している? それとも、諦めてる? どちらにせよ、彼女は生きていったはずだ。僕や沙那のいない世界を。


 眩しかった。一人で生きることを選べるシロツキが。

 羨ましくて。その強さが僕も欲しくって。

 だから僕は誇りに思う。

 そんな彼女が、僕を生き返らせる道を選んでくれたんだから。


 絶対に後悔させたくない。

 沙那を助け出して見せる。



 僕の心臓に強い痺れが走った。

 心の一部が決定的に疼いた。

 もう、自分の命が使い捨てだなんて思わなかった。









 やがて、夜が明けるころ。マーノストで情報収集に走っていたサジールが窓から入ってきた。

 ベッドに眠るアンナの顔をのぞきこむ。


「なんか、」

「どうしたの?」

「前見たときは怖かったけど、思ったより普通の人間だな」

「……」


 ふいに思い浮かぶのはゼノビアの顔だった。


 女王、王女。彼女らはとてつもない知識と手腕を有していて、──ただの人間。間違えることもあって、でも毅然としなきゃいけなくて。すごいんだな、って。そんな浅い感想しか絞り出せない自分が嫌だった。


「シロツキは?」

「こっち」

「ん? ……ああ」


 彼女はソファに沈んで眠っている。

 その頬に涙の痕が残っているのを見ても、サジールは何も言わないでいてくれるのだった。


「起きたら作戦会議だぜ」

「うん」


 まずは、第一段階。

 協力者を得ることが叶えば──。


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