74・転換
「大丈夫?」
「皮を剥がれて煮物にされなかっただけ幾分マシだろ」
その日、サジールとゼスティシェの説得に出た僕たちは、あえなく撃沈。重い足取りで小屋に戻っていくところだった。
「こうも頑固なもんかな、人間ってやつは」
サジールは足元の枝をわざとへし折って、ぐるぐると喉を鳴らす。
さっきの集会はあまり気分のいいものじゃなかった。サジールを見るなり武器に手をかけた人が数名。委縮してほとんど話にならなかった人が数名。カルヴァについて問いただして、逆にサジールを威圧する男が数名。集会とは名前だけ。ほとんど話し合いにならなかった。見かねたコル爺がストップをかけたほどで。
「全員お前みたいなら楽なのに」
サジールがぼやいた。
村人が全員僕?
考えたらちょっと笑えた。村長も含めみんな優柔不断なのだろう。
「一生結論を出せない村が出来上がるよ」
「そのまま滅ぶまで気づかなかったりしてな」
「言いすぎ」
鼻で笑った彼女は、表面上は気丈に見えた。でも表情の端々に疲れた色が滲んでいる。前と違って、村人たちは明確に僕らを避けていた。そんな状況に長居をすれば誰だって気疲れを起こすというものだ。
「あのさ」
「んー?」
立ち止って尋ねる。
「サジールは、人間のことがまだ嫌い?」
面食らった様子で振り向く彼女。必然足も止まる。
「なんだよそれ」
「これを機に人間を嫌い始めたらいやだなぁと思って」
「安心しろよ」挑発的な口ぶり。「元から人間なんか好きじゃない。一部を除いてな」
「その一部にこの村が含まれてるといいんだけど」
「どうだろうな。グレーゾーンってやつだ」
冗談を言い合えるうちは、まだ──。
「楓ー! 姉ちゃーん!」
「姉ちゃんじゃねぇ!」
サジールが叫び返した方へ振り向く。木漏れ日をすり抜けながら、ユトとミラが走ってきていた。既視感のある光景だ。
「二人とも、久しぶり」
「久しぶりだー。元気してたか?」
「うん」
「おわっ」
体当たりでミラに抱き着かれたサジールが苦笑して受け止める。
「また来てくれた」
「たまたま用事があったからな」
「そっか」
「なぁなぁ、楓たち」
ユトが自慢気に腕をぐるぐる回した。ミラは嬉しそうに笑って頬をぺちぺち叩く。
「えっ、と?」
何のことかわからずにいると、サジールが口端を吊り上げる。
「すっかり治ったな」
なんのことはない。
「あれから森には近づいてないか?」
「コル爺に怒られたから……」
「ねー……」
二人は同時にぶるりと震えた。
「それよりも。来てるなら言ってくれればよかったのに」
ミラがサジールに文句を言う。
「あー、でもな。あたしら今、その……」
そうだ。この二人は一度も集会に顔を出していなかった。サジールが獣人だってことを知らないのかもしれない。
「いま?」
ユトは聞き返す。
そして僕が口を開く前に──。
「ユト! ミラ!」
背後から怒声に近い声が二人を呼んだ。こちらも見覚えのある、ガタイの良い男性と妻が歩いてきていた。ミラがぽつりと「おとうさん」とこぼす。
「そこで何してる」
「いま、楓たちと遊んでて……」
「すぐにこっちに来い。いますぐだ」
「でも」
「早くしろッ」
二人は顔を見合わせ、ぼくらに小さく手を振ると、両親の方へとぼとぼ歩いていった。
サジールが申し訳なさそうな顔で「なぁ」と言った。
振り向く二人。
「あたしさ、獣人なんだ。それが理由でこの村の人たちから嫌われてる。隠してて悪かったよ」
「獣人?」
「姉ちゃんが?」
二人は目を真ん丸くしてぴたっと体を硬直させた。そこだけ時間が止まったように見えた。できのいいパントマイムみたいに。
「悪いな」
サジールはおどけたように笑って、小屋の方へ歩き始めた。
ユトとミラは両親に手を引かれ、サジールを見ながらひきずられるように歩いていった。
小屋に戻り、サジールは自分の医療具が入った木箱を蹴り飛ばした。荒い音で床に転がったそれを直そうともしない。
「疲れたから寝る」
そう言って布団へ横たわる。
留守番を担当していたシロツキが不思議そうな顔で見、そっと布団をかけた。
「全員そろってるか?」
しばらくすると、ファロウが戻ってきた。なにやら険しい顔つきに、お茶を飲んでいた僕らは気を引き締める。
「イヴがいません。あと、サジールが寝ています」
「……イヴのことはいい。村中見て回って来たんだが、見当たんねーんだあいつ。あと、サジールはたたき起こせ」
「了解」
シロツキが小さな体を強引に起こして、肩をゆする。
「サジール。急いで起きなさい。でないと私はあなたの頬を数回に分けて殴打しなければならない。あるいはビンタをしなければならない」
「揺れる~、やめろ~、起きた~、起きたッつの」
寝ぼけ
「
「満点だろうか」
「イラつきがな」
それでもだるそうな体を起こして机へつくあたり、彼女もカルヴァ兵らしい。とっさの医療任務にも対応できるよう身についているのかもしれない。
「で? なんだよ」
「書簡が届いた。女王からだ」
「中身は」
「戻ってこい、とのことだ」
「え」今度は僕が硬直する番だった。「どうして急に」
だって、まだゼスティシェの説得だって終わっていないし。もしかして、時間をかけすぎたせいで見切りをつけられてしまったのか。
「理由はなんですか」
「書いてない。ただ、『早急に戻れ』と」
「ゼノビア陛下にしては簡潔すぎやしませんか」シロツキが言う。「こういっては何ですが、偽物の可能性を疑います。私たちがいない間にゼスティシェをどうにかしようとする輩がいるのかも」
「残念ながら本物だ。字は嘘をつけねーよ」
ちらりと見えた書面は神経質なほど整った字だった。余白から、字の縦横の長さまで。同じ字はコピー&ペーストしたかのようだ。
「マネできる奴はいないだろ」
「なるほど?」とサジール。「で、なんで戻るなんて言う結論が?」
「わからん」
ファロウはきっぱり言い切った。
「言えない理由があるのかもな。もしくは、説明の暇もないほどことを急ぐのか。どちらにせよ俺らに選択権はない。今日中にこの村を出る」
「イヴを呼んでこないと」
と僕が言うと、ファロウは眉をしかめた。
「あいつの行き先知ってるやつ、誰かいるのか?」
互いに顔を伺って、全員が知らないと首を振る。
「村の中にも、村長の家にも、小屋にもいない。──んで、これ見てみろ」
ファロウが書簡を裏返す。ゼノビアの字が隅に小さく並んでいた。
──イヴが見当たらない場合、おそらく戻ってこない。今いる仲間だけを引き連れて帰ってくること。
怖いくらい今の状況を言い当てている。
陛下は何を予見してこの手紙を書いた?
「そういうわけだ。あいつは気にしなくていい」
「ちょっと待てよ。いくら何でも……ファロウ、説明しろ」
「あのな」
彼は仰々しく息を吐く。
「理由がわかってたらとっくに説明してるっつーんだよ」
その言葉ほど僕らを不安にさせるものはなかった。いまここにいる誰もが、指示の意味がわからず互いの顔色を窺っているのだ。
「俺らは今すぐ帰還する。それだけだ。わかったら体を動かせ」
ファロウが柏手を打つ。
それを合図に、僕らはすぐさま準備を始めた。
山の麓には
それに乗って、数時間。
無言の旅を終えた僕らはカルヴァへ戻った。
到着しても終わりじゃない。疲労した体を引きずって作戦室へ急ぐ。
「
「入れ」
部屋の中には各部隊の隊長と思しき獣人が十二人並んでいた。その光景は、戦争という言葉を連想するにあまりに容易い。ぞっとして立ちすくむ。
「ほかの者は下がっていい。今言った指示をそれぞれ守るように」
「了解」
隊長たちが部屋を辞すと、途端に広くなったように感ぜられる。
ゼノビア陛下は天を仰ぎ、わずかに息をついた。疲労の色が濃い。僕らなんかよりずっと。
「陛下」
「ああ、ファロウ。わかってる」
「申し訳ありません」
「お前が謝ることではないよ」
呼吸一つ分の間をおいて、ゼノビアは言った。
「二つ話す。そのうえで、お前たちがそれぞれに判断してくれ」
厳しい声。深紅の目が僕らの顔を一巡する。シロツキもサジールも、おそらく僕も、みんな硬い表情で向き合っていた。
「一つ目だ。マーノストに動きがあった。一週間の時間をおいて、再び戦争になる」
「前の戦いからほとんど経ってないのに」
「人間はつくづくしつこい連中だな」
皮肉に笑うことができず、僕はただ頭を下げた。
「顔をあげろ。お前を責めているんじゃないって、そのくらいはわかるだろう?」
そっと姿勢を戻す。それでいい、と彼女は言う。
「諜報の報告によれば、
「はい。覚悟はできてます」
「これを聞いても、その覚悟は揺るがないか?」
ゼノビアが試すように僕を睨んだ。
「二つ目。──マーノストへ獣人が襲撃をかけた」
「はっ?」
声を上げたのはサジールだった。
「どういうこと、ですか。まさか、カルヴァから自発的に?」
「私たちではない。第三者による、予告なしの攻撃だよ。おおかたリドオールの差し金だろう。相も変わらずタイミングが卑怯だ。──しかも、人間にとっては獣人などみんな同じ。憎悪はすべてカルヴァに向くだろう」
「襲撃の目標は?」
シロツキが尋ね、ゼノビアが再び僕を見る。
この世界に来てから一番の震えが手先を包んだ。
嫌な予感がして、それは、ことさらに的中した。
「──第三王女が攫われた」
一瞬言葉の意味を測りかねた。
第三王女? 第三王女って?
いま話してるのは何のことだ。カルヴァでないことはわかる。この国で王女の話しは聞いたことがないし。だとしたら、マーノスト。マーノストの第三王女って、それは。
「っ、あ、あぁ……」
初めて聞くシロツキの絶望が、僕の集中の焦点を素早く絞る。情報の理解に対して追いつかない心を、強引に引き上げる。
沙那。
沙那が攫われた。
足元から世界が沈没していくような感覚にとらわれた。戦いの覚悟も何もかも、一瞬で持っていかれてしまう。
「な、んで」
「どうしてあいつが!?」
使い物にならない僕の喉。
代わりにサジールが叫んだ。
「関係ねーだろッ。なんでこいつの妹がピンポイントで攫われなきゃなんねーんだよッ!」
「慎めッ」
ファロウの怒声に彼女はハッと声を潜めた。
「……だって、こんな」
「すまないな、サジール。第三王女リェルナ──いまは『沙那』といったか──が攫われた理由に関しては、確定的な情報はない。推測がいくつか立つくらいで」
「いや……あたしこそ、ごめんなさい」
「いい。不安なのは同じだ。それで──」
ゼノビアが再三僕を見据えた。
「今からマーノストへ向かうというなら、私は止めない。無論、シロツキの助けがあれば静止を振り切ることもできるだろう。──だが、目下カルヴァの脅威は一週間後の戦争。私の役目は《
ただひたすらに呼吸するだけの数秒が過ぎた。頭が回らない。幸福の対極に位置する不幸を、何度も空想しては打ち砕いた。
沙那が獣人に攫われた。
攫われた。攫われた。
バグを起こしたパソコンみたいにエラーメッセージが吐き出され続ける。
まずい。
危ない。
キケン。
──殺される。沙那が死ぬ。
ようやく脳が理解する。
選択肢なんかあるわけない。
僕は頬の内側を噛み切った。震えを痛みに変えて問う。
「沙那の行き先は」
「不明だ。追跡していたはずの
なら一つだけ心当たりがある。
僕はもう一度軽く頭を下げた。
「ごめんなさい、陛下」
「ああ。──九割がた予想はついていた」
「シロツキと一緒に行きます」
「楓……」
シロツキは瞑目し、背筋を伸ばした。全身の不安をかき集めて潰すように。
「護衛は」ゼノビアが問う。
「つける余裕がありますか」
「兵はいくらいても足りないな」
「それなら」
「あたしも行く」
後ろから服の裾を引かれた。
「サジール、でも」
「お前ら二人だけじゃ、いざってとき不安すぎるからな。──陛下、お願いします」
「これまでで最も危険な旅になる。理解しているのか?」
「理解なんか後ででいいんです。とにかく、ほっといちゃいけない奴らが今ここにいるんだから」
ゼノビアが薄く笑った。
「ファロウ。お前はどうする」
「どう、とは」
「この者たちと一緒に行くか?」
「……俺が守るべくはこの国ですから」
「でも、僕らのお目付け役は……」
「どうせ逃げねぇだろ? お前は」
ごりっと頭を撫でられた。
ファロウは来ないらしい。正真正銘、僕らだけでの旅になるということだ。不安じゃないわけがなかった。かかっているのは僕の命だけじゃないのだから。
「いいか」ゼノビアが僕らに向き直った。
「人間。この二人への指揮権をお前に預ける。どちらの命も落とさず無事に帰還しろ」
指揮権。その重みに心臓が竦む。
でもそれを必要としているのはほかならぬ僕だ。
覚悟を決めろ。
「──はい」
「次にサジール、この人間の判断を精査し、本当に正しいのか、いつだって疑え。この任務を完遂させるために。ひいてはお前自身のために」
「了解」
「最後に、シロツキ」
「ええ」
「
「了解」
「全員無事で帰還しろ」
それぞれが頷き、
「行け」
ゼノビアの一声が体をはじいた。
僕らはすぐさま準備に取り掛かる。必要な装備を二、三背負い、そのままカルヴァを飛び出た。国の出口では、さっき
麓へと頼み、一路。
二度目のマーノストへ向かった。
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