72・交渉開始


 その日の朝。僕は小屋の中にみんなを集めて、村人との交渉を開始したいといった。シロツキやファロウは頷いてくれたけど、唯一サジールだけが渋り顔だ。


「反対かな?」

「いや、反対っつーかさ……」


 彼女はわずかに口ごもった。


「今みたいな、互いのことを探り合ってるような状況で、ほんとに交易なんてできんのかな?」

「わからないけどやるしかないよ。任務だし」

「……やけにポジティブだな」

「どうにも、僕はやるべきことが一つに決まってると安心して臨めるらしくって。──そういうサジールはやけにネガティブだね」

「睨まれた」

「え?」


 彼女は膝を抱えた。シルエットが縮こまる。


「前来たときに毒鼠グースの傷を治療しただろ?」

「うん」

「患者だった奴に、睨まれてさ」


 サジールらしくないな、と思う。普段の彼女だったらそんなこと意にも介さないはずだ。それこそ、「感じ悪いな、なんか文句あんのか」と食って掛かりそうなのに。


 僕の顔色を読んでか、彼女は言う。


「自分でもおかしいと思うんだけど、なんでかな。あたしが獣人だってバレても、もう少し明るく迎えてくれるもんだと思ってたからかな」


 ショックだったのかもしれない。

 彼女はそう締めくくる。


「サジールは、今日はいいよ」


 僕はいった。


「どういう意味だ?」

「今日は僕だけで交渉してみるから」

「でも、お前」

「いいから。たまにはサジールも息抜きしないと。それじゃ、いってくるから」

「気を付けて」


 シロツキが言った。サジールが何か言いかけたけど、僕はそれを待たなかった。


 小屋から村への、決して長くない道のりで村への説明を考える。同時に、サジールを遠ざけた理由を改めて想い返す。

 頭の中の冷静な部分で下した判断だった。サジールは人間の邪険な対応に傷ついていたように見えた。つまり、この村の人間に小さな信頼を抱いていたのではないだろうか。今一番恐れるべくは、その信頼が失われてしまうこと。


 サジールはカルヴァとゼスティシェをつなぐキーパーソンともいうべき存在だ。彼女が人間に対して不信感を抱いてしまったら、そもそもこの交渉は成り立たない。なぜなら、ゼスティシェから僕らへの信頼は、毒鼠の被害にあった村人たちの治療をしたというその一点でのみ支えられているから。

 この実績は僕らの武器ではある。でも決して振りかざしてはいけない。他者を脅して従わせるのはマーノストと同じだ。そんなのは嫌だった。




 村の中心の家屋に入ると、コル爺とイヴが同じ席で茶を飲んでいた。なんだかおかしな光景に見えて、思わず固まってしまう。


「ああ、楓くんか。よく来たな」

「よく来た」


 まるでここの住民かのようにふるまうイヴ。


「おはよう、ございます。えっと、二人は何を?」

「日課のお茶を飲んでおったでな。こんな早くから何か用でも?」


 気を取り直して、僕は村の人たちに話したいことがあるとコル爺に説明した。コル爺は若い男衆に村民を呼んでくるよう取り計らってくれた。


 十分もしないうちにコル爺の家は集会所の様相を成し、イヴは仕切りの後ろからこっそり様子を見守ることになった。

 人々の態度は様々で、年配の人たちは温かい。反面、若い男衆は獣人の危険性を理解しているだけあって、僕に対して警戒を解かなかった。中には常に懐のナイフの位置を気にかけている男もあった。


 下手したら刺されるのかな。

 ごくり。覚えず、つばを飲む。


「なぁ、セージはどこだ?」


 誰かが言って、僕は人々を見渡した。何度探しても藍色の髪は見当たらなかった。


「俺はいいってよ。ふてくされてたけど、なんかあったのか」


 僕は小さく息をつく。また喧嘩にならないうちに村人たちへ説明できるのは幸運なことだ。手早く済ませよう。


「皆さん」


 ゼノビアの荘厳な話し方を意識して声を張る。場の空気がそっと引き締まったような気がした。


「お話したいことがあって集まってもらいました。内容は大きく分けて三つになります。どうか、最後までお付き合いください」


 一つ目に、僕は自分の出自を話した。前世の事、生き返らせてもらったこと、それから、シロツキは仲が良かったことをことさら強調して話した。今現在、彼女は獣人となってこの村にいることも。


「すげーな」誰かが言った。「生き返った魂の実物は初めて見るぜ」


 回魂術について理解があるようで、彼の言葉が僕が生き返った経緯を補強してくれた。そのおかげで、突拍子もない話だと一蹴されることはなかった。ただ、好意的な反応かと言われればそうでもない。


 あ、そう。それで?

 そんな感じ。


「それじゃあ、これを踏まえて二つ目の話をします。僕が記憶喪失を装ってこの村へ訪れたわけです」


 一部からささやく声が上がった。シロツキやファロウは、このことは話さなかったのだろう。


「まだ疑いを持っている人もいると思うので、はっきりさせておきます。──僕は記憶喪失ではないし、サジールたちが獣人だと理解したうえで一緒に行動しています」

「騙してたってわけか」


 ガタイの大きな男が言った。傍にいた彼の娘らしき女性がそっと押しとどめるが、止まらない。相対して、正直に答える。


「はい」

毒鼠グースから俺らを助けたのも、何か理由があってのことか?」

「そっちは違います。あの時助けようと思ったのは、自分で言うのも違うかもしれませんけど、百パーセント善意です。サジールだって同じはず」

「どうやって信じりゃあいいっつーんだよ」

「これから何を質問されてもわかることは答えます。わからないならわからないって返します。それを信じてもらうしかありません」


 すると彼は黙った。コル爺が続きを促す。


 僕は初めてゼスティシェへ来た時の状況を話した。カルヴァから任務を与えられてこの村の監視に来ていたと。それを聞いた村の人々は少しだけ顔色を悪くしたが、カルヴァが攻め込むことはないと知るとほっと息を吐いた。


「最後に、三つ目です。今までのは前置き。これが本題になります」


 じっくりと全員を見回して、一人も聞き逃していないことを確認してから、僕は言った。


「カルヴァと、獣人の国と交易を始めませんか?」










「大丈夫か?」


 顔をあげると、シロツキが水の入った器を差し出してくれる。僕はそれを受け取って、中身を煽った。


「怪我はないよ。だけど、ちょっと疲れた」

「こっちの小屋まで声が聞こえていた」


 交易を始めないか。そういうと、ゼスティシェの村民たちは反発の声をあらわにした。中には怒声交じりに罵る声もあって、コル爺の静止も聞かずにそれぞれが意見を言う物だから、集会所は騒音の発生源となり果てた。


「わかってはいたんだけどね」

「何がだ?」

「こんなに虫のいい話はないって。一度騙しておいて、今度はこっちを信じて交易してほしいだなんてさ。ゼスティシェの人たちから見れば、僕は詐欺師に他ならないよ」

「害する気はなかったと言っても、ダメだったのか?」

「うん。こういうのは心象の問題だし、いまさら悪意はなかったなんて信じてもらえないかも」

「イヴはどうした?」

「村長の家でほかの人たちの質問に答えてる」


 男たちの反発は強くて、僕が胸倉を掴まれるまでに至った。それを助けてくれたのが仕切りの奥に潜んでいたイヴだった。村民たちは彼女を見るなり声を潜めて、動きを止めた。その隙に外へ逃がしてくれたのだ。


 手負いの私の方が、きっと意見を聞けるだろう。

 彼女は率先して面倒な役どころを引き受けてくれた。


 それから小屋へ戻ってきて十分足らずだ。


「サジールとファロウは?」

森帝鳥アリフメデューの大軍を見かけたから、村に来ないよう監視している」

「そっか」


 覚えず、ため息が零れた。


「どうすればいいと思う?」

「さあ。人間の関係を再構築するなんて、第三部隊ルートニクの任務にはこれまでなかったことだ」

「違いないね」


 シロツキが微笑むので、微笑み返す。


「ゼノビア陛下は楓にすべて任せてくれたのだろうか」



──いいか、相手が人間である以上、お前の方が心理を理解できる。



 陛下はそう言ってくれた。


「たぶん」

「なら、がんばってみる価値はある。少し残忍なところもあるが、女王の采配はたしかだ。きっと楓ならうまくいくと思っているはず」


 そっか、と僕はまた言った。

 期待してくれてるのだとしたら、嬉しいかもしれない。じゃあ、もう少し頑張りますか。




 次の日から僕は、コル爺を通して具体的な交易の提案をした。カルヴァからは質のいい鉱山資源を、その代わり、ゼスティシェからは植物資源をめぐんでほしいと。ゼスティシェを「国」と呼ぶかはともかく、国交の初心者である者同士、互いの利益を追求することを伝えてもらった。


 問題は、ゼスティシェが鉱山資源を必要とするかどうか。正直言って、これはけっこう微妙なところだ。貴金属の類がなくとも、この村の生活に支障が出ているようには見えない。鉄鋼物は「あれば便利」と言う風なのだ。無理してでも手に入れる価値が、彼らにはない。


「どうしようかな」


 魔動石の使い方を説明してみるか。それとも新しい品を取引の場に提示してみるか。そうなると、女王に許可も取らなきゃいけない。書簡を飛ばしてみようか。でもこんなことで連絡を取って国内の情勢は問題ないのか。


 頭の中をぐるぐる考えが巡る。


「疲れてんな」

「わ」


 頬に冷たい何かがあてがわれた。

 見ると、サジールが氷の塊を持っていた。


「なにそれ」

「いいだろ。カルヴァから流れてる川の上流から採ってきた」

「何に使うの?」

「別に。暇だからさ」


 そう言って、彼女は氷をガリっと噛んだ。


「うまくもまずくもねーけど、すっきりするぞ。一つどうだ?」

「じゃあ、貰おうかな」


 ぽりぽりと、氷を噛みながら小休止。

 僕は炉の傍に横たわった。脇腹の痛みはだんだん治まってきている。このままいけば筋肉もくっつくらしい。一安心だ。


「ね、サジール」

「んー?」

「この村が求めてるモノって何だと思う?」

「医者」

「……それ以外で」


 さすがに交易の代わりにサジールを差し出すわけにはいかない。


「人手、食料、家、水道……上げたらキリがねーぞ」

「その中でカルヴァから提供できそうなものは何だと思う?」

「うーん……」


 しばらく考えて、彼女は言う。


「武力? もしくは情報、とかか? この村、ほかの人間の国からも離れてんだろ? だからそういうのも大事なんじゃねぇの?」

「……」


 悪くないかもしれない。


 彼らに獣人と対抗できるだけの武力を与えることで、強引に立場を対等にする。そして武器を作るために鉱山資源が必要になるから──。


 でも、それってなんか詐欺師みたいだ。現状必要ないものを、強引に必要とさせるなんて。

 やっぱり却下。


「どうしよう」

「なあ」

「うん?」

「やっぱりあたしからもみんなに頼んでみる」

「でも」

「元はと言えば、それが理由であたしを斡旋したんだろ? 遅かれ早かれこうなってたよ」

「そっか」


 サジールが人間を嫌わないでくれると嬉しいなと思う。ファロウもシロツキもイヴもそうだ。この村の人たちは単に怖がってしまっているだけで、僕らに悪意があるわけじゃなくて。


 でも、そんなことみんな知ってるか。僕だけが杞憂を抱えてるだけなのかもしれない。こうやって僕らを村に滞在させてくれているだけでも、かなり好意的にとらえていいのかな。


「じゃあ、明日またみんなを集めてもらおうか」

「おう」


 サジールが緊張した面持ちで胸を張った。


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