71・イヴと訓練


 三日間の安静期間を終えて、なんとか歩けるようになった。サジールが木を削り出して杖を作ってくれた。それがないとまだ危なっかしいけど、彼女は「回復の一歩だな」と笑ってくれる。


 ファロウとシロツキは村周辺の危険を監視していた。女王からの指示が新しく届くまで身動きが取れないらしく、できることを探してるみたいだ。




 その日、簡単な朝ごはんを食べた後で、僕はイヴへ会いに行くことにした。重症と診断された彼女に、前の戦闘でのお礼を言いたかったのだ。思えば、彼女は僕と行動を共にすることを義務付けられてるわけじゃないのだから。


 重い体をひきずるようにして歩いていくと、村の人たちが水路で水を汲んでいた。


「おはようございます」


 僕の存在に気づき、彼らは一様に視線を逸らした。水がほとんど入っていないかめを手に持ち、そそくさと逃げていく。

 獣人と当たり前のように生活する僕は恐怖の対象なのかもしれない。サジールはともかく、シロツキもファロウも悪い人ではないのに。どうしたら誤解を解けるだろう。




 村の中心の家を尋ねると、コル爺がお茶を飲んでいて、奥に簡易的な仕切りが置かれていた。ひっそりと静まり返ってはいるが、人の気配がする。


「イヴは奥ですか」


 コル爺が眉をしかめた。


「口を利いてもらえんでな。楓くんのお仲間が来た時もだんまりで……」


 頷いて、仕切りを軽くノックする。返答はなかった。


「イヴ」


 名前を呼ぶと、呼吸の音だけが帰ってくる。

 僕は意を決して仕切りをずらした。中に入って一息に彼女を見る。


「……」


 うつろな目がこっちを見返した。


 その惨状を前にして、僕はもう驚かない。驚くことは無意味だと思うし、何よりイブは他人に憐れまれることを望んでないと思ったから。獣人はきっと、人間に下手な優しさを見せられるのは好きじゃないのだ。


「動ける?」と僕は聞く。


 静かにうなずく彼女の、左の肩がほとんどかけていた。

 一見しただけじゃわからないけど、太い糸が腕と肩をつなぎとめている。縫合の痕が腕周りを半分ほど覆っていた。その危うい気配が、できの悪いぬいぐるみを連想させる。ほとんど反応を示さないイヴ自身のせいもあるのだろう。


 もう一度飛べる?

 そう尋ねようとして、やめた。いかに残酷な問いか、それくらいわかるつもりだ。


 かわりに「少し歩かない?」と問う。

 意外にも彼女は頷いた。部屋にこもりっぱなしで嫌気がさしていたのかもしれなかった。




 村長の家を出て、小屋の方向へ森を歩いた。辺りの針葉樹が乾いた香りを振りまいている。空は淡い青色で、静かな風が吹いていた。気晴らしの散歩にはちょうどいい天気だ。


 杖をついた僕の足取りは遅くて、それでもイヴは抜かさない。僕より遅いスピードで歩いている。肩を気遣ってるのだろう。


「痛くない?」


 そう聞くと、彼女は首を左右に振った。

 やはり顔色は優れない。鳥類の獣人にとって、飛行能力が失われることがどれほどの意味を持つのか、僕にはわからない。でも、第七部隊オウロエルからすれば痛手以外の何物でもないはずだ。彼女らはその機動性と監視の目に兵としての価値があるわけで。


 じゃあ、もしも飛べなくなったら?

 それはたぶん、シロツキが黒爪を奪われたり、サジールが医療技術を失くしたり、僕が《視界ノック》を使えなくなるのと似ている。何らかの覚悟が伴った力の、喪失。心が痛まないはずがあろうか。


「いい天気だね」

 彼女はうなずいた。


「少し冷えるけど」

 彼女は首をふった。

 寒くはない、と言うことだろうか。


「食事はとってる?」

 うなずく。


「よかった。──お互い手負いだね」

 うなずく。


 お礼を言うタイミングが見つからない。エルガとの戦いの話を掘り返していいものか。

 回りくどいなと自分でも思う。反対に、獣人とのあいだには必要なコミュニケーションではないかとも思う。これは無害の証明だ。そんな言い訳。


 しかし、村長は世話焼きだから不自由しないだろうとか、そんなどうでもいい話を展開しているうちに、イヴの方から言われてしまう。


「そんな話を、しに来たのか?」

「……違う、ね」


 それきり彼女は黙る。僕は沈黙に背を押されて口を開いた。


「ありがとうって、言いに来たんだ」

「もう、何度も言われたが」

「それだけ何度も助けられてる。その都度言葉にするのはいけないことかな」

「そうは言わない。ただ、それは必要なことなのか」

「僕はずるい人間だから、すぐに助ける側の苦労を忘れちゃうんだ」

「知らなくてもいい痛みだってある」


 イヴは右の羽一枚で自らの体を包んだ。僕の言葉から身を守ろうとしているかのようだった。でも左の羽はほとんど動いていない。

 自分の体なのに動かせない。どれだけもどかしいんだろうか。


「知るべき痛みだってある」


 僕が言うと、イヴは静かに目を閉じた。

 体を投げ出すような──たとえば乗用車のやってくる道路に──そのしぐさにどきりとしながら、僕は左の羽を撫でた。


 イヴは体を震わせ、一歩後ろへ下がる。


「なんだ」

「大丈夫かと思って」

「触れる必要があったか」

「……ごめんなさい。羽毛が気持ちよさそうだと思って触りました」


 ふわふわでさらさら。そんな感じだった。


「触られる感覚はあるんだね」

「……ああ」

「それなら、回復の見込みはあると思っていいのかな?」


 少なくとも神経はつながってるっていうことだ。麻痺だって起こしていない。僕の内臓と同じように、時間はかかるだろうけど塞がる傷。


「そうだと、いいが」


 イヴがわずかに俯いた。

 僕はもう一度羽に触れる。彼女はもう逃げはしなかった。

 撫でながら、僕は再び口を開いた。


「聞いてもいいかな?」

「ん」

「どうして黙りこくっていたの? イヴの《視覗術》なら、コル爺が悪人じゃないのもわかっていたはずなのに」


 彼女の魔法は人の魂の色を見ることができる。コル爺が悪人でないのは一目見ただけでわかるはずだ。


「お前は一つ勘違いをしている」

「っていうと?」

「魂の色を見れるからと言って、それがぜんぶではない。人には人の、他者と歩み寄る歩幅がある。私のペースが村長とかみ合わないうちは、無理に話すことは──」

「えっと、つまり緊張してたってことなんじゃ──いたっ」


 右の羽が僕を叩いた。


「ごめん。──シロツキたちとも話さなかったって、コル爺が言っていたけど、それは?」

「聞こえないよう文筆をしていた。村長たちは確かにいい人のようだが、それでもカルヴァ内部の情報を話し合うわけにはいかない」

「そっか、それで」


 よかった。羽のけがで元気がなくなって心を閉ざしてしまったんだと思っていた。


「エルガの話を聞いても?」


 僕が問うと、彼女はうなずく。


「今のところ、どこの国から送られた獣人なのかはわかってない。野盗の可能性もあるくらいだ。まあ、あの強さを見るに、その可能性は低いが」

「メリーより強い圧を感じたよ。よく訓練された兵なのかな?」

「ああ。戦闘を楽しんでいた。あいつにとって、もはや趣味のようなものなのかもしれない」


 殺し合いが?


「それは、なんというか」

「いずれにせよ、とても手ごわい敵だ。私たち四人がかりで勝てなかった」

「なにか対策が必要だね。新しい武器か、技術か、あるいは魔法かな? エルガだけを倒すための魔法」


 イヴは真顔で僕を見た。

 冗談のつもりだったのだ。どうか許してほしい。


「その線で行こう」

「え」


 と思ったら、つまらない冗談を咎められているわけではなかったようだ。


「どういうこと?」

「《視覗術》を強化する」

「《視界ノック》を?」

「ああ。──そうと決まれば、さっそく女王に書簡を出そう。文献を取り寄せてもらわないと」

「ちょ、ちょっと待って」


 意味がわからない。僕の《視界ノック》は目で見えないものを知覚する力だ。いくら認知できる範囲を広げて、精度を高めても、それが何の役に立つというんだろう。


「強化したからって……」

「意味はある」


 イヴは断言した。


「なぜなら、《視覗術》の真骨頂はからだ」






     *






「で、なんであたしが呼ばれたんだよ」


 《視覗術》を訓練するにあたって、イヴは小屋の中で夕食を作っていたサジールに声をかけた。困り顔の彼女を差し置いて、イヴは言う。


「まずは説明だ」

「無視かよ」

「私は長いあいだ《視覗術》と付き合って暮らしてきた。だから文献も多数呼んだのだが、その中に興味深い項目がある」

「というと」

「《視覗術》の知覚できる範囲についてだ。──楓、前を向いたまま立っていろ」


 イヴは僕の後ろへ歩いていく。


「私はどこにいる? 《視界ノック》で探せ」

「えっと」


 すぐに眼を開く。背後、三メートル弱、七時の方向。

 それを告げると、イヴは頷き、「空間的な広がり」と言った。


「それなら、楓。私がこれから何をするかわかるか?」

「え」


 するとイヴが石を投げてきた。

 危うく脇腹に当たりそうだ。すぐさま避ける。


「わかりっこないですよ」

「わかるはずだ。これまでの任務の報告を見る限り、お前はすでに何度か経験しているはずなのだから」


 経験しているはずって言われても。

 イヴがもう一度石を放る。同時に八つも。


「おい! お前ら怪我人だろうが! やめろ!」


 サジールが慌てて止めに入った。中止だ。


「それで、イヴは何がいいたかったの?」

「まじかよ」


 サジールが驚いた声を出す。

 同じくまじかよ、だ。


「空間的な範囲と時間的な範囲の知覚。これができるのが《視覗術》らしい」

「イヴはいつも未来を見てるの?」

「そんなわけないだろう。私はできない。何年かけてもできなかった。もしかしたら向いていないのかもしれない。でも、楓の視覗術は少し方向性が違う」


 魔法に方向性も何も考えたことがなかったのだけど。


「まぁ、そこについては省こう。私がお前に教えられるのは二つの可能性だ」


 一つは知識による未来視。

 とイヴは言う。


「相手の体内をめぐる血液。それから筋肉の動きを逐一観察して、次の行動を予測する。──この方法は慣れが必要だし、もしかしたら相手がフェイントをかける可能性だってある。それに、獣人の素早さに追いつく思考力が必要だ」


 もう一つは直観による未来視。

 とイヴは続ける。


「知覚範囲を時間的に広げることを指す。魔法によってただ未来を見る。──相手がフェイントをかけようが、どんなに素早かろうが、結果自体が見えていれば攻撃を予測することはたやすい。挑戦してできるなら、やって損はない」

「おい楓、やれよ。めちゃくちゃつえーじゃん」

「やってできるならとっくにやってるよ……」


 未来を見るだなんて、そんなバカげた話。


「で、いよいよあたしはなんで呼ばれたんだ?」


 サジールが首をかしげる。


「サジールには、今から楓をたたいてもらう」

「え」「え」

「楓はそれを予測して受け止める。もしくは避ける」

「おいおい、そんな簡単なことで発現すんのか?」

「『できなければ痛みを受ける』と言うのが大事なんだ。こうした魔法は、おおむね火事場で花が開いたりする。開花の条件を今のうちから整えておくのは、悪いことではない」


 イヴが神妙な顔つきで僕らを見る。

 たしかにそう言われればそんな気もしてくる。来るべきいつかのために、今から種をまいておけと言うこと。ちらと伺えば、サジールもやる気になってるらしい。


「って、なんでサジールが眼を輝かせてるの?」

「未来が見えるなんてめちゃくちゃ気になるだろ。どんな感覚なのかあたしに教えてくれよ」

「できるとも決まったわけじゃないのに」

「たあっ!」

「ゔッ!」


 胸を突かれた。いたい。


「なにすんの……」

「未来予知失敗だな」

「急にやることないのに」

「敵はいつも唐突だからな」

「言いたい放題だね」


 さ、構えろ。

 サジールが手刀を振りかぶる。


 その下で白刃取りの姿勢を取りつつ、僕は考えた。


 なんだこれ。

 視覗術を鍛えるっていう動機はともかく、やり方が根本的に間違っているような気がしないでもない。僕一人が苦痛を受けるだけじゃないのかな、これ。

 っていうか、なんでサジールはそんなに楽しそうなの。何か嫌われるようなことでもしたのかな、僕。そしてなんでイヴはそんな真面目な顔で見てられるの。




 まもなく脳天に刀が振り下ろされた。




 残像も見えないほどの速度だ。

 脳が揺れる。僕はぶっ倒れた。







 そのあと、サジールとイヴがシロツキに正座させられたのは言うまでもない。ファロウが「なんだアレ?」と尋ねてくるので、「知りません」と答えておいた。




     *




 女王の書簡が届いたのは翌日だった。


 内容は僕らの任務とか、その他について。

 カルヴァに戻るのはリスクが伴う。加えて、エルガの捜索は国の兵が行うという話で、予定通りゼスティシェとの交流を深めることが目下僕らの役目として与えられた。

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