70・怒声渋滞
小屋の中に集まったのはシロツキ、サジール、ファロウ、僕の四人。それぞれ炉の周りに腰かける。
体を起こせない僕は、近くまで布団ごと運ばれた。
「さて、なにから聞きたい?」
問いかけるファロウの顔には、たくさんの擦り傷。戦いの顛末が真っ先に気になった。
「エルガは」
「追っ払った。──襲われたとき、イヴがいなかったろ?」
「ええ」
「巡回中の
僕が気を失う寸前に見た人影は味方のものだったということか。あのときは敵の増援かと思って肝を冷やした。それと。
僕はシロツキを見やる。
「ん?」
「……なんでもないよ」
彼女が放っていた煙のようなもやはなんだったんだろう。見間違い? それとも、目の周りに張り付いた血でそう見えただけだろうか。
「ほかに聞きたいことは?」
ファロウから問われ、思考を切り替える。
「どうしてゼスティシェにいるんです? カルヴァの方が安全なんじゃ?」
「そうでもないんだな、これが」
サジールが鍋の中身をかきまわしながら言う。
「エルガがどこの国から派遣されたのか、まだ調べがついてない。しかも《
「だからって、人間の村に?」
「この村のことを知ってんのは一部の
深い針葉樹林に囲まれたこの村は獣人の目をもってしてもそうそう見つけられないだろう。そもそも存在が知られていないなら、たしかに絶好の隠れ場所ではある。
「でも、いずれ捜索されるかも」
「安心しろ。お前の変わり身をカルヴァに運ぶふりをした」
「変わり身って……」
「ああ。お前に似た背格好の獣人を布でくるんで、国の中に搬送するふりをしたんだ。カルヴァの中にいる奴らも、外にいる奴らも、きっと騙されてる」
「面白いこと思いつくね」
「正直めちゃくちゃ面白かった」
サジールが「ひひひ」と口端を吊り上げた。
「とりあえず、あたしらはここで静かに傷を治せばいいってわけ。
温められていた鍋の中身が取り分けられる。肉と新鮮な野菜の入った煮物だ。──僕の分がない。
「お前はまだだめだ」
「お腹すいてるんだけど」
「四日間もなんも食わずに寝てたんだぞ。まずは回復食から」
「……四日も寝てたの?」
「いびき一つ立てずにな」
目が覚めてよかった。と思うくらいには、僕は死ぬことが怖くなっていた。
だからって、目の前においしそうなモノちらつかせなくたっていいのに。肉の一欠けらくらい食べさせてくれたっていいのに。
「我慢しろ」
「はぁ……わかった」
「それでよし」
「ところで、イヴは?」
僕の問いに、三人は動きを止めた。いやな沈黙が生まれて、どうしても察さずにはいられなかった。
「重症なんですか」
「……ああ」ファロウが答えた。「エルガにやられちまった。一人にしてくれっつーから、村長の家の中に村民の目に触れないスペースを用意してある」
大事なことを聞き忘れていた。
「この村の人たちに獣人だって教えたんですか」
シロツキが頷いた。
「サジールがみんなに頭を下げて、『騙していて悪かった。楓だけでも治療させてくれ』って頼んだんだ。ほとんどの村民が反対したけど、村長だけが頷いてくれた。サジールのお手柄」
「やめろや、別に、あたしは屋根がないと寝られないから……」
「マーノストんとき野宿したくせによ」
「それはそれ、これはこれ」
褒められて気恥ずかしいのか、サジールは「そういえば」と強引に話を切り替える。
「セージがお前に用があるってよ」
心臓が大きく跳ねた。もちろん緊張のせいじゃない。いや、緊張ではあるのかもしれないけど、嫌な感じの緊張だ。話の内容は目に見えている。
セージは故郷を獣人に滅ぼされた一人だ。獣人を連れてきた僕なんかは恨みの対象でもおかしくない。最悪怒鳴り散らされる可能性だってある。
謝ってすむ話じゃないけど、謝らないわけにもいかない。ほかの三人が夕食を摂るあいだ、僕は頭の中で謝罪の言葉をこねくりまわした。
薬効のある植物を粉末状にしたものを飲まされたり──焦げた落ち葉に腐った野菜を混ぜたような苦さだった──、体を濡れタオルで拭かれたり、病院らしい看病を一通り受けた。
後はもう寝るだけ、となったとき、ドアがノックされた。
シロツキとファロウが武器を構え、サジールが戸に近寄る。
「
「セージだ。楓の見舞いに来た」
振り返ったサジールが二人に武器を下ろさせる。
「だとよ。どうする楓」
「うん。入れてもらっていいかな」
サジールが少し躊躇ってから扉を開ける。そこに立つ藍色の髪は前と同じだった。ただ、その下の怒気をはらんだ顔つきをのぞいて。
「よお」
「久しぶり、ですね」
「思ったより元気そうだな」
「はい……みんなのおかげで──」
途端に胸倉を掴まれた。強引に体を起こされる。脇腹の強い痛みにぞっとした。傷が開いてしまう。僕の恐怖なんかつゆ知らず、目の前にセージの真っ赤な顔が迫る。
「おいっ、やめろセージ!」
「気やすく呼ぶな! お前も獣人だったくせに」
サジールはむっと口を噤んだ。
「なあ、楓。みんなってのは、この獣人どもの話か……!?」
「っ、」
「楓を離して」
見ると、シロツキが刀を生み出してセージの喉元へ突き付けている。対する彼は静かにそれを睨んでいた。
「思った通りの野蛮さだな、獣人」
「怪我人の胸倉を掴んでいるお前が言えることではない」
「やめ、て、シロツキ」
彼を力技で止めようとするのはたぶん逆効果で。それに、後ろめたいことをしていたのは僕の方。謝るべくは当然なんだ。
切っ先がわずかに下がった。でもまだ刀を戻さない。どちらかが痺れを切らしてしまうのが怖くて、僕は先に口を開いた。
「騙していてごめんなさい。でも、この村を壊そうとか、
「悪気はなかったって言いたいのか? それとも、悪いと思っててなお獣人を俺の前に連れて来たのか!? ふざけるなよ。俺の故郷が誰のせいでぶっ壊れたのか忘れたなんて言わせねぇぞッ!」
頬に強かな衝撃が走る。
頭の反対側にまで痛みが響いた。
「楓!」
ぐらり。バランスを失って、小屋の床にすっころぶ。体が立ち方を忘れてしまったみたいだった。転倒の衝撃はハンマーでぶん殴るような痛みに変わって僕の脇腹を打つ。痛い、という言葉すらおこがましい。声にならない。
「いったい何のつもりでこいつらを連れてきやがった!? どんな気持ちで俺の前にもう一度現れた!?」
ドタドタ床を踏み荒らす音がした。視線を向ければ、シロツキがセージを床に組み伏せている。今にも振り下ろされそうな右手の刀。
「待って!」
「でも」
「シロツキっ」
叱責の声を上げると、彼女はわずかに怯んだようだった。下敷きになったセージが鼻で笑う。
「殺してみろよ獣人。暴力しか能がねぇ畜生が。いま俺を殺さねぇなら、こっちから楓を殺しちまうぞ!」
「いい加減にしろお前!」
サジールがセージの頬をはたいた。もちろん全力ではないと思う。あくまで気付けだ。
「お前に何があったのかは知らねぇけどな、あたしらが一度でもお前を傷つけたかよ!? お前の故郷をぶっ壊したのはあたしらじゃない!」
「獣人なんかどいつもこいつも一緒だろうがッ!」
「そんなこと──」
サジールが言いかけて、
「なら、てめぇら人間も同じだな」
ファロウが口を挟んだ。
セージが睨みつける。
「同じだと? そりゃそうだ。俺らはみんな獣人の被害者にすぎねぇんだから」
「そうだな。同時に加害者だ。種族の違いを理由に強制労働させて、メスだとわかったら性処理に使って、挙句の果てに趣味の悪ぃ首輪で獣人の誇りを奪う。そんな下衆どもとお前は同類だ」
「何が悪い。そうされても文句が言えねぇことをしたのはお前らだろッ!?」
「あ?」
「俺の故郷を、ローネを破壊した蛮族どもはテメェらだろって言ってんだよッ!」
「口に気をつけろよ、クソガキが」
初めて聞く氷点下の声音に背筋が震える。僕に向けられた言葉でもないのに。ファロウがセージを睨み返していた。
「覚えとけ、人間。俺らの国カルヴァは、自分から人間の国を破壊したことなど一度もねぇ。歴史上たったの一度もだ。国の防衛に兵力を割いていて侵攻ができねぇってのも理由ではあるがな。それ以上に、お前ら人間どもの命なんかいくつ奪ってもこっちは満たされやしねぇんだよ」
「どの口がッ……!」
セージの腕が床に突っ張って立ち上がろうと躍起になるが、シロツキはそれを許さない。彼女が放そうものならすぐに殴り合いが始まってしまいそうだ。
何を言えば止められるのか、まったく見当もつかなかった。ただ
「取り込み中だ!」
セージが苛立って叫ぶ。
「そりゃあすまなんだな。バカタレが」
聞き覚えのある声が返ってきた。
戸が鋭く開く。そこにコル爺が立っていた。深いしわの向こうから、小さな目がセージをねめつけている。
「コル爺、なにしに来やがった! ここは危険だ!」
「危険なことがあるものか。一度は村を救ってくれた恩人に、お前はなんて失礼を」
「相手は獣人だ! 失礼もクソも──」
「黙れ!」
雷のような声が低く轟いた。
僕は──というか、そこにいる全員が体を震わせた。
「赤ん坊でもあるまい! お前にはこの者たちが深く傷ついているのが見えんのか。相手の言い分も聞かずに暴れて、しまいには命を落として満足か? 危険なのは獣人でも彼らでもない。今のお前だ!」
セージは怒号に気おされてわずかにたじろいだ。コル爺の言葉が的を射ているのも効いたのかもしれない。
しばらく小屋の中に静寂が訪れた。
コル爺は出ていけ、と一声かけた。シロツキが力を緩めると、セージは床を一度ぶったたいて外へ駆けて行った。
僕とサジールは並んで深く頭を下げた。
「ありがとうございます、コル爺」
彼は目をぱちくりと瞬かせる。
「おお、目が覚めたか。恥ずかしいところを見せてしまった」
「おかげで考える時間をもらえました。必ず後で和解します」
「そうか」
コル爺はしゃがんで、僕に視線を合わせた。
「あの、何か」
「お前さん、少し変わったな」
「変わった?」
「そうだとも。いまだ真っ暗で、何も見つけられん闇に潜んでるが、それでも小さな灯りを手に入れたような、そんな顔でな」
「自分じゃあ気がつきませんが」
メリーとの訓練や筋トレで顔つきが変わったせいではないか? あるいは大けがのせいで顔色が悪くなって、それが良く見えているだけとか。
「表面的な話では片づけられんよ。本当に、少し変わった」
しわだらけの手が僕の頭を撫でた。
この世界に来てからのことを一挙に思いだして、それが認められた気がして、思わず涙腺が緩む。おかしいな。どうしてこんなことで。
「そんなことありません。でも、ありがとうございます」
コル爺はにっこり笑った。
「それで、村長さん。村民の様子はどうだい?」
ファロウの問いに頷いて、彼は言う。
「戸惑っている者が大半と言ったところでな。楓くんとサジールちゃんが恩人だと知っていても、どうにも心の壁は取り払えんものだろうて」
「お、おい。ちゃんはやめろって」
サジールを差し置いて尋ねる。
「村の人たちに僕らのことを?」
「ああ。もう話した。だが、受け入れるには時間がかかるだろうに。みんな怖気づいている。獣人はいわば、わしらにとって禁忌のようなものでな。急に触れ合ってしまって心の整理がつかんのだろう」
「時間が経てばどうにかなるのかな」
「あたしらは一度会ってるからな。もしかしたら受け入れてもらえるかも。でも」
サジールがファロウとシロツキへ振り向く。
「この二人はどうかな。セージに強く当たっちまったし、もしかしたら変な噂流されるかも……」
それは困る。元々ゼスティシェと貿易を始めるのが僕らの役目なんだから。
「ま、それよりも怪我を治すのが先だけどな」
「うっ……」
サジールに押され、僕はあっけなく後ろへ倒れる。シロツキに柔らかく受け止められ、そのままベッドへ運ばれた。情けなさすぎる。
「ひどい扱い」
「安静が最優先だ」
押し倒されたんですが。文句は言えないんですか。
そんなことを考えている間に、シロツキは布団の脇にじっと座った。
「私が動かないよう監視している」
「ちゃっかりしてんな。──あたしらはちょっと話してくるから」
サジールとファロウはコル爺と一緒に小屋を出ていった。
戸が閉まって、二人で取り残される。
「なんか、不安だね」
「きっとみんなそう思ってる」
ふいに指先が温かくなる。シロツキが陶器のような指先を絡めていた。安心する温度だと思った。サジールに頭を撫でられたときみたいに。他人の温度って、やっぱり安心するのかも。
一人で残されたらきっと睡魔なんてやってこなかった。頭の奥の方から靄がかかっていく。
しだいに瞼が重くなって体がとろんと重くなった。
「おやすみ」
シロツキの安らかな声にとどめを刺されて、僕は再び眠りの世界へ落ちていった。
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