第五章──忍び寄る影

67・出発、再び


 作戦室の扉を叩こうと手を持ち上げたとき、部屋の中から入れと涼やかな声がした。


「どうしてわかったんです」


 入室しながら問えば、ゼノビアがに、と強気に笑った。


「あまりにも遅いものだから、耳をすませていた」

「遅れてごめんなさい」

「どうして遅れた?」

「えっと」


 口ごもる僕へ、隣のシロツキが言う。


「楓が寝坊しました」

「ちょ、」

「呑気なモノだな」


 昨日のメリーとの戦闘で力を使い果たした僕は、爆睡してしまったのだ。カルヴァの国内からは太陽も見えないので、時間間隔が戻らず、そのまま遅れてしまった。ファロウが「女王に呼ばれているぞ」と告げに来たのは今日の朝十時。


 今から三十分前の出来事だった。


「……ごめんなさい。言わないでよ」

「私のせいにされてはたまらないからな」


 シロツキは口元に手を当て頬を緩めた。今日の彼女はワンピースではなく、いつもの黒爪を纏っている。


「人間、策は考え付いたか」

「ええ。割と具体的に」

「そうか。その前に、私から一点話しておきたいことがある」


 出端をくじかれた。改まってどうしたことだ。

 ゼノビアの表情を見るに、あまりいい話ではないらしい。


「リドオールを覚えているか」

「ええ。《全席獣会合セレム》でお会いしましたし」


 六名の長の中で最高齢。緊張で容姿はほとんど覚えていないが、落ち着いた物腰とゆったりした歩みが印象的なジャッカルの獣人だ。口調とは裏腹に爪や牙が鋭く、威圧を感じたのを覚えている。


「彼がどうかしました?」

「お前の護衛に兵をつかわせたいと、申し出てきた」


 シロツキが眼を丸くする。


「人間と友好的にしておこうという算段でしょうか?」

「いいや、私はむしろ逆だと考えてる」

「というと」

「リドオールの治める国パデューロが、人間の国ローネを滅ぼしたのは知っているか」


 思わずえ、と声が出た。




──あの山を越えてまっすぐ北東へ進んだところに、ローネって国があった。俺の生まれ故郷だ。まだガキだったころ、獣人に責め込まれて一週間足らずでなくなった。




 セージの故郷を滅ぼした張本人。


 悩むのは今更だった。もしかしたらそんな獣人がいてもおかしくはないと覚悟もしていた。でも、実際に聞くと背筋が震える。

 あの温厚そうな見た目の裏で。


「パデューロはかなり過激な思想が残ってる。『人間は見つけ次第すべて殺す』『女性や子供を優先して殺す』『望むなら拷問にかけてもいい』。そんな、悪習とも呼べる乱戦時代の文化をいまだに守ってるんだ。それが急に友好的な態度を取るなど」

「ありえない、と」

「ああ」

「僕を殺すつもりなんでしょうか」

「もしくは、お前をエサにしてカルヴァを脅すつもりかもな」

「どうしてカルヴァを?」

「獣人の国の中で一番大きいからだ。私たちに人間を滅ぼさせれば、自分たちに火の粉が降りかかることもない」

「……あの、単純に疑問なんですが」


 僕は言う。


「人間一人が人質にされた程度で、陛下は動きませんよね」


 ゼノビアが少し微笑んで、わかって来たな、といった。


「そうだ。たとえお前がいなくなろうと私は動くわけにはいかない。結果、お前だけが死ぬ。だから忠告の意味で話しておいた。リドオールには気をつけろ」

「はい」

「シロツキもだ。いまこの人間にとって、信用の効く護衛は、お前とファロウ、メリー、サジールしかいない。重々承知しておけ」

「了解」


 短い返答に頷き返し、彼女は一つ息をついた。


「今度はお前の番だ。話してみろ」

「はい。──共生をかなえるための第一歩として、ゼスティシェに貿易を提案できないかと考えています。僕がもう一度そこを訪れ、提案しに行く心づもりです。村長は獣人との戦争に懐疑的でしたし、あるいは受け入れてもらえると思って」

「そんなことだろうと思ったが……。こちらからは何を提供する?」

「魔動石や鉄鋼などの鉱山資源、それから原生生物の肉などです」

「ゼスティシェに利点はあるのか」

「ええ。向こうには鍛冶技術がありますが、資源自体は不足しています。反面、果樹とか野菜の生産は豊富でした」


 陛下はわずかに考え、それから言う。


「敵に塩を送ることにはならないか? 例えば、ゼスティシェが魔動石を横流ししたり、鉄鋼で武器を作ってマーノストへ売ったり」

「さっきも言った通り、村長はマーノストの状況に否定的です。いまさら争いを加速させるようなこと──」

「彼らがマーノストに脅されたとして、ひるがえらない可能性は何パーセントだ?」

「それは……わかりません」

「それなら、警戒して動け」

「はい──、え?」


 思わずガクッと膝が折れた。


「『裏切られる可能性がゼロじゃないんだからこの案はダメだ』って言いたいのではなく?」

「何を言ってる。可能性の段階で否定していたら身動きが取れないだろう」


 僕が生まれ変わった当初、可能性を理由に僕を殺そうとしたのは誰だったか。

 ゼノビアが一つ咳ばらいをする。


「お前を殺そうとしたのは、お前が有用な存在になるなど考えもつかなかったからだ」

「僕が考えてることよくわかりましたね」

「顔に出ていたからな。お前はサジールと同じくわかりやすい。──いいか、相手が人間である以上、お前の方が心理を理解できる。ゆえに裏切られぬよう手を尽くすのもお前の役目だ。それで、人間にはどうやって切り出す?」

「まずは相手が獣人だと明かさず交易を始めようかと」

「それには賛成だ。そもそも相手が鉱山資源に益を感じるかも不明だからな。──わかった。明日にでも動こう」

「明日、ですか」


 シロツキがわずかに驚いた声を出す。


「そんな急に」

「リドオールに行動を予測させないためだ。早ければ早いほどいい。──人間、雪午車フェム・ウトの乗り手には誰を斡旋する。信用のおける者はいるか?」


「でしたら、第七部隊オウロエルのイヴをお願いします」

「わかった。明日国の入口へ招集する。ほかに人員は?」

「サジールをお願いします。前回ゼスティシェに行ったとき、彼女のおかげで助かった村人が大勢いるんです。交渉になったとき、少し有利にできるかもしれない」

「以外に生々しいことを思いつくんだな……」


 ぼそっと言うシロツキ。

 ゼノビアは笑った。


「手配しよう。いつも通り目付け役にファロウもつける。構わないな」

「はい。心強いです」

「ん。──それと、あー……」

「どうされました?」


 少し間をおいて、


「気をつけろ。リドオールと言い、戦争後のマーノストと言い、動きが少なくてどうにも怪しい」

「重々警戒しておきます」

「ああ。──頼んだぞシロツキ」


 とんと背中を叩く。

 やられた側のシロツキが、驚愕に目を見開いた。


「陛下」

「ん?」

「悪いモノでも食べましたか」

「はあ……?」

「なんだか、その……幼い少女のような、無垢で優しい笑みを浮かべていらしたので」

「な」


 女王は頬を染め、

 仰々しくわざとらしいため息をついた。


「バカなことを言っていないで準備をしろ。訓練をつけたメリーにも挨拶をしておけよ」


 虫を追い払うように手を振られてしまう。

 僕らは笑いながら一礼し、作戦室を後にした。








 メリーに挨拶したり、保存食を手配してもらったり、前回の戦闘で破れた防寒着を繕ったりしているうちに、次の日はすぐにやって来た。


 シロツキやサジール、ファロウと共に洞窟を抜けて、山脈の表面に出ると、そこにはもうイヴが待っていた。一言二言挨拶を交わし、雪午車フェム・ウトに乗りこむ。


 やがて発進した車の荷台で、僕らはどうでもいいことを色々話した。

 たとえば、グレア隊長が将来結婚するならどんな相手か、とか。


「結婚できなかったりして」


 サジールがボソッと呟いたのを。


「言ってやろ」

 とファロウが捕らえる。


「やめろ──ッ!」

「しーらね」

「サジール、暴れないで」

「揺れるから、ちょっと」


 前部座席で雪午スラウフェムを操っていたイヴが「うるさいな」と困り顔だった。


「そんなに乗るのが嫌なら、下ろす」

「やめてくれー……」


 暴れ疲れたサジールがのっそりと言い、イヴが正面に視線を戻した。




 ドン、と強い衝撃が走る。




 車が左に傾いた。


「掴まれッ!」


 ファロウが叫び、サジールを抱えて跳ぶ。

 シロツキがこっちに手を伸ばし、黒爪で僕を覆う。

 荷台から飛び出る。

 横転する車に巻き込まれ、雪午スラウフェムが縄に絡まって動きを止めた。


 ──なにが起きた?


 《視界ノック》を広げる。

 気配は真上。


「《過剰オーバー》!」


 シロツキの生み出す刀を掴み薙ぐ。

 鋭くも重い攻撃。

 耐え切れず刃が折れ砕けた。


「始めるか」

 は言った。


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