66・関門突破


 慣れそうにないなぁ、と思いながら、僕は原生生物の肉が入った野菜煮シチューを頬張った。向かいに座るシロツキは、髪の一房を静かにおさえてスプーンを口へ運ぶ。服装や髪形が変わるだけでこうも雰囲気が変わるのか。


「……そんなに気になるか。この見た目」

「ごめん。なんか新鮮でさ」


 ワンピースの袖口やボタンを一瞥する彼女。


「まあ、今日以外に着ることはないだろうけれど」

「その服ってメリーの?」

「いいや、わざわざ買ってきた新品だ」

「そうなんだ。なら、捨てちゃうのももったいないんじゃない? とっておくのは自由だと思うし。それによく似合ってるよ」


 シロツキが黒爪以外を着ているのを見るのは、思えばこれが初めてだ。普段着と呼べるものを持ってないのだろうか。もしかしたらメリーが善意で服の一つでもと買ってくれたのかもしれない。


「まぁ……そう言うなら」


 彼女は頬を赤らめてうつむいた。

 僕らのあいだにしばらく沈黙が横たわる。ランチタイムを過ぎた飲食店の二階席は静かだ。ほかの客がいないこともないが、みんな小声で喋っている。


「いい雰囲気のお店だね」

「……ん」

「バーカウンターとか、置いたら似合うかも」

「……ん」


 つれない返事。

 シロツキがスプーンを置く。その顔に小さな不安が浮かんでいた。


「どうしたの?」

「今日の訓練のことを考えていた」

「あー……」

「少し、苦言をこぼしてもいいか?」


 珍しいことだ。ともすれば初めてのことでもある。

 奥歯を軽く噛んで身構えた。


「どうぞ」

「今日のお前の動きは攻撃的だった。多少無理をしてでも自分の攻撃を相手に届かせるための動きだ。怪我をいとわないような。──どうして急に?」

「……その、自分でもよくわからないんだ。今日の僕ってそんなだった?」

「ああ。いつもだったら退くタイミングで前進するんだ」


 なんでだろう。

 覚えず、思いだしたのは、シロツキが人間を切り裂くあの動きだった。人間は銃を持っていて、僕らは刀剣の類しか使えなくて。必然間合いに踏み込む必要があった。


 人が命を落とす衝撃的な場面だったから、無意識に覚えていて、再現しようとしてしまっていたのかも。それだけじゃない。


「守ってばかりじゃどうにもならないって知ったからかも」


 《無音船ティファロッド》の放つ魔動兵装を無力化するには、敵の最後列に控える船を落とすか、回避するしかない。《視遠ハザット》で発動を予期するのも確実な手段とは言えなくて、なら、相手の動きを予見できる僕が戦うのが一番いい。それができるかどうかは別として。


「怪我を覚悟で突っ込むのは控えてくれないと困る」シロツキがいった。「私と違って、楓の体はそこまで治癒が早くない」

「違わないよ」


 僕はシロツキのお腹を指さした。正確には、その向こうにあるだろう背中の傷を。


「たしかに表皮の傷は塞がってる。これは獣人の体表面に生命力の多くが集中してるから。でも内臓の傷の修復は人間よりちょっと早い程度なんでしょ?」

「……誰に聞いた?」

「サジール」


 目を覚ました直後のシロツキに面会する前、「二つだけ知っとけ」と言われ、教えてもらったことの一つ目だ。獣人が黒爪を操作できるのも、体表面に集まった力を柔軟に動かせる結果だとか。


 シロツキがため息をついた。


「あとでお灸をすえておく必要があるな」

「隠すつもりでいたの?」

「……そうしないと、いざと言うときお前の傍にいられない。特に《視界》の有用性がカルヴァ全体に知れ渡った今となっては」


 前回の戦争で、魔動兵装の放った二発目の攻撃は被害ゼロで避けることができた。これから戦場に呼ばれるようになるかもしれない。全く嬉しくないけれど、予期しておかなければいけないことだ。


「話を戻そう」彼女は続ける。「今日動きが合わなかった理由はおおむねわかった」

「どうして」

「前回の戦争の反省を踏まえて、私が回避中心の戦い方にシフトしたからだ」

「それまた、どうして?」

「殺さないため」


 しんとした声が耳に届く。

 でも、シロツキが次に出した声は、悲壮の漂うものだった。


「楓……どうして私を責めてくれない? 私がいままで何人もの人間をほふっていたこと、もう察しはついているんだろう? 今回の戦争だけじゃない。お前を生き返らせるまでに私は──」


 僕が遮った。




「547人の人間を殺して、そこにサジールの回魂術を使った」




 目を見開く彼女に、続ける。


「知らない人間が547人生き返った。彼らはみんな人間の国へ送り届けられた」


 これが二つ目。

 サジールが僕に教えてくれた、僕が知っておくべきこと。戦争が終わってから、僕とシロツキが上手く言葉を交わせなかった理由のほとんどは、ここに集約される。


 サジールが何年もかけて僕の転生を手伝っていたのは、好奇心4割、シロツキへの心配6割だったらしい。シロツキが復活を望む飼い主はどんな奴なんだろうと。実際に生き返った僕がネガティブな根暗で、当初はがっかりしたとか。どうりで当たりがキツかった。


「何度も言おうと思ったんだ」


 シロツキが顔を伏せる。とたんに涙が落ちた。


「何度も言おうと思って、でも」

「シロツキ」

「聞いてくれ、頼むから」

「……」

「私は楓以外の命がどうでもよかったんじゃない。ただ、お前とまた同じ時間を過ごすことが最優先だった。一人で生まれ変わったこの世界はひどく無機質で、お前がいなかった。もちろん、それだけの理由で人間を殺したんじゃない。攻め込んでくる兵たちを前にしては、自衛の策として殺すしかなかった。──だが、なあ、楓。聞いてほしい」

「うん」

「私は、望んで人を殺したことは一回もない。だから何だという話だが、それだけは疑わないでくれ。本当なんだ」

「その中で僕を生き返らせようとしたんだね」

「ああ。はじめは思いつきだったけど、しだいに熱が入っていった。回数を重ねるごとに怖くなったけど、それでも」


 そして、548人目で僕になった。あのときの喜びようはすさまじかった。サジールの人目もはばからずに抱き着いてくるんだから。


 シロツキは少し間を置いた。

 野菜煮シチューから立っていた湯気もどこかへ行ってしまった。


「生き返らせたことは後悔していない」彼女はいう。「私はいま幸せだ。手を伸ばせば届く距離に楓がいる。頑張れば沙那にだって会える。いまこの世界は幸福の可能性に満ちてる。だからこそ怖いんだ」


 白い手が肩を抱く。


「私の幸福の足元を、547人の死体が支えている。いつかその報いを受けて楓や沙那を奪われたとき、私は……抗うことが叶わない気がして」


 そして長い静寂が生まれた。

 客は減り、飲み物のグラスから結露が垂れ、僕らはただ呼吸を続けていた。


 シロツキはずっと抱えていたのだろうか。人間と暮らしていた前世の記憶が残っているばっかりに、彼女は残酷になり切れずにいる。自分が奪った命の価値を考え続け、報いを進んで受けようとしている。


 つらいな、と。単純な感想が心を毒した。

 殺すことの重みは、いつか背負うのが怖いほどに。


 どうすれば彼女の罪を清算できるのだろう。清算できなくとも、どうすれば苦しみを柔らげることができるだろう。たとえ何人を殺していようと、僕にとって彼女は恩人で。


「すまない、私は先に──」


 立ち上がりかけた彼女の腕をつかむ。


「座って」


 何か言いかける彼女を、いいからと留める。悩んだ様子を見せてからもう一度腰を下ろした。



「生き返らせてくれてありがとう」


 シロツキが目をむく。まさかお礼を言われるとは思っていなかったのだろう。


「どうして今になって……」

「そういえば直接お礼を言うのを忘れてたなって思って。話を進めるけど、シロツキが抱えてることのほとんどって、僕にも背負う責任があるものばっかりじゃないかと思うんだ」

「でも、これはぜんぶ私が勝手にやったことで」

「背負うべきと言うより、シロツキ一人に背負わせたくないっていう僕の勝手な意見なんだけど……」


 話の着地点が見えずに彼女は首をかしげる。


「これから先、シロツキが『人殺し』だって糾弾されるなら、僕も隣に並んでその罵倒を受け取るよ。義務とか関係なく、僕がそうしたいからだ。シロツキがそうしたくて僕を生き返らせたのと同じように」

「……えっと、すまない、つまり?」

「隠さなくていいってこと」


 じっくりと思考を巡らせて、彼女は言う。


「……547の死体は戦場から持ってきたものだ。それ以外に、私はこの手で直接百人以上を殺している」

「自分が傷つかないために必死だったんでしょ? それが悪いことだなんて思わない」

「私はまごうことなき人殺しだ」

「そんなシロツキに傍にいてほしいと願う僕は共犯だね」


 自分で口走った単語がやけにピンときた。


「そうだよ。共犯だ。僕はこれから人間と戦うだろうし、もしかしたら獣人と対立することもあるかもしれない。その時に、不安と罪悪を分け合える共犯になってほしい。シロツキがこれまで抱えていたものを知りたいし、僕がこれから抱えるだろう不安を知ってほしい」


 言い終えると、彼女は机の上に置いた手に力を入れた。


「……辛かった」

「うん」

「いつ再会できるかもわからないお前の魂をもう一度願うのは、本当に」

「遅くなってごめん」


 ずっとあの縁側で座り込んでいたせいだ。誰かに会いに行くのだって、足がなまっていてはかなわない。


「あのさ、シロツキ。ちょっと提案があるんだ」

「うん?」

「訓練の話に戻るんだけど──」


 ずいぶん脱線してしまった。いま僕らに必要なのは、メリーの訓練をまともに受ける方法だ。まあそれももう解決したに等しい。


 原因は思考と動きの祖語。

 二人で戦う僕らには作戦ってやつが必要で。


 僕の提案を聞き、彼女は少し驚いたようだった。はじめは否定的だったけれど、時間をかけて説得すると、ようやく応じてくれた。







 翌日。つまりは《全席獣会合セレム》に呼ばれた二日後。

 僕らはメリーに訓練をお願いした。


「いいよー。なんか吹っ切れた顔してるし。昨日のデートは楽しかった?」


 人が気にしないようにしていることをぬけぬけと。今に見てろよ、と歯噛みしながら、僕らはストレッチした。


 いつも通り、基礎訓練が終わってから実戦へ入る。

 空中へ広がった黒爪の触手を眺め、僕は短く息を吐いた。


「行くよ」

「ああ」


 シロツキが僕の首に手を回した。


 全方位から襲い来る殴打にステップを踏む。訓練を繰り返すごとにメリーは僕らの癖を把握した。もはや回避にさえ工夫が必要なありさまだ。


 でもそれは僕らも同じこと。


 メリーの攻撃には波がある。タタタ、タタタ、と、一定間隔で連続攻撃を仕掛けたのち、一秒に満たない間が開く。触手を再度攻撃のために引き戻す時間だ。ちょうど人間が指を波打たせる癖に似ている。


 猶予は非情に短い。

 でも獣人の脚力なら。


「今日は慎重だねー」


 笑ってられるのも今のうちだ。運動中で上気した脳が攻撃的に思考する。


 連撃の雨がわずかに止んだ。シロツキが僕の首を二度ノックする。後ろは任せろの合図。僕は安心して地を蹴った。メリーの目の前まで接近することが叶った。


 シロツキの遠慮ない身体強化が莫大な加速と負荷を生む。これに堪え切れたのは普段の筋トレのおかげだ。問題は──。


「へえ」


 メリーがにっと口端を吊り上げる。

 羊とは思えない獰猛な笑み。

 ここからのインファイト。


 《踊猛エテル・チェテル》が再び降り注いだ。右手の刀を目いっぱいの速度で振り乱し弾く。遠心力で手のひらの血液が飛んでいきそうだ。


 とん、と。

 首筋にシロツキからの合図。


「──《過剰・変爪オーバーラム》」


 刀が二つに割れ、それぞれが一本の短刀となる。手数の多いメリーに追いつくための策だ。遠距離攻撃をどうにか生み出そうとしたシロツキの努力の副産物。


 《視界ノック》の知覚範囲内、無数の攻撃に優先順位をつけてさばいてゆく。この至近距離では一切の躊躇が許されなかった。考えずにただ得物を振る。


 そして待ち望んだ時が来る。

 第二波が止んだ。


 右手を引く。僕からシロツキへの合図。

 第三の攻撃の波が始まる。

 潜れ。当たるな。祈りながらのスライディング。


「ッ」


 メリーの脇をすり抜けた僕は、


「《過剰・解躰オーバーコード》」


 次の瞬間、メリーの真上を飛んで、振り返る姿を見下ろしていた。彼女の視線の先には、黒爪を纏ったシロツキがいる。左手に一本のナイフ。


 メリーは触手を動かしてそれを防ごうとする。二人の攻撃が衝突するその時、僕はすでにメリーの背後へ着地、その眼前へナイフを突きつけていた。



 ぴたり。

 時が止まったかのような錯覚を抱く。


 こちらをまっすぐ見つめるライトグレー。

 三者三様の息遣い。


「……驚いた。まさか生身になるなんて」


 これが僕の作戦だった。メリーの死角を取り、黒爪の鎧から抜け出て、さらに死角を取る。だけどシロツキはその場に残るから、メリーの目には敵がその場にいるように見える。実際は背後へ回っていた僕の追撃が行われる。そういう作戦。

 《過剰・解躰オーバーコード》というのは黒爪の瞬間着脱のことだ。


 問題だらけの作戦だった。

 僕が鎧から抜け出る以上、一対一にしか使えない。敵が複数いたら僕が殺されて終わりだ。相手の死角を取るためには相応の移動速度が必要で、獣人の加速度を借りなきゃいけないから継続戦闘にも向かない。事実僕の体はすでに震えている。


「あっは」


 メリーが笑い、武装を解いた。


「関門突破おめでと」


 その言葉を聞いた僕とシロツキは、ほとんど同時に膝をつくのだった。



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