65・いわゆる、「デ」から始まる三文字
《
ゼノビアたちが色々話し合っている二日目、つまり今日。
僕はメリーに呼び出されて
意図せずに視線が落ちる。フカフカとした土ばかりの地面を眺めて、まずい、と思う。彼女と視線を合わせるのだけのこと。それがどうしてこうも躊躇われるんだ。
シロツキにはあれ以来一言も口を利いていない。話さなければいけないことはいろいろあるはずなのに、まだ大丈夫だと先延ばししたまま今日になってしまった。
「来たねー。ここを背景に対面するのも久しぶりって感じ」
メリーが言う。訓練は前の戦いが終わってから実に一週間ぶりだった。そんな気にもなる。
「どう、シロツキ? 体の方は」
「サジールのおかげで健康そのものです」
「全力で動かせる?」
「ええ。もちろん」
それは嘘だった。獣人の外皮は直りが早いので勘違いしがちだが、ダメージの蓄積はそんなにすぐには治らない。特に内臓や筋肉は。
彼女が無理をしていることは、メリーの目にも明らかだったようで。
「我慢強いねー」困り顔で笑う。
「楓クンはどう? 頭つかってばっかりで、体の方はなまってるんじゃない?」
「ええ。実践訓練も久しぶりですし、感覚を忘れてます」
「シロツキもこうだから、今日は軽めにしよっか。二人ともじっくり思いだすこと」
といっても、訓練内容はハードだ。獣人基準の「軽め」はアテにならない。僕は体力作り、シロツキは黒爪の操作。汗を流しながらやっとの思いでこなした。
休憩を挟んで、メリーは自分の黒爪を展開した。僕はシロツキの前に立って、体が包まれていくのを見届ける。
「……」
違和感に似たじれったさが胸の内側を撫でた。
シロツキの動作がやけにゆっくりに感じられたのだ。久しぶりに会う級友と馴れないハイタッチをするような、行ってしまえば、距離感のある速度。僕の気のせいだろうか?
「それじゃー、やろっか」
メリーがいつも通りに触手を伸ばす。
小さな違和感など気にしてる暇はなく、僕はそれに向き直る。
おかしい。
まったくうまくいかない。
僕が右腕を振れば、シロツキが黒爪を操作して左足が回避に動く。僕が突っ込もうとすれば、シロツキが退こうとする。当然そんな状態でまともな戦いができるわけがない。
訓練を始めたころに戻ったような。いや、それよりもよっぽど悪いくらいだ。
メリーが失望の混じった目で僕らを観察しているのに焦ってしまって、さらに動きが乱れる。
「やめよっか」
そして彼女は僕らを投げ飛ばした。
「うわっ」
「っ」
シロツキが落下地点に黒爪を刺して衝撃を緩和した。するすると縮む棘に合わせて、ゆっくり着地する。
「副隊長、まだ午前ですが」
その抗議にメリーが腕を組む。
「今のまんまじゃ何時間、っていうか、何年やっても一緒だから。今日は終わりー」
「でも」
「むしろやらない方がいいくらいだよ。今みたいな状態で訓練続けたら絶対ケガする。そしたらお姉さんの監督責任になっちゃう。というわけで終了」
有無を言わさぬ口調だが言っていることは正しい。おとなしく引き下がるしかなかった。
シロツキが《
「あ、すまない」
「ううん。大丈夫」
今日の僕らはひどくちぐはぐだ。どうしてこんなに動きが会わないんだろう。
「……なんか、変です」
自分の体を見下ろして訴える。
メリーがうんうんと頷いた。さながら親身なカウンセラー。
「どんなふうに?」
「今までと違って、こう。体の動きにすごく抵抗を感じるっていうか……」
「なるほどねー。シロツキは? 何か意見ある?」
彼女は静かに考えた後、同じく抵抗を感じたといった。
「どうにも、全身が重かった。体調とは関係なく」
「ふむふむ。そっかー」
メリーはよし、と手を打った。
「二人に、私から任務を出します!」
*
「……待たせた」
「ううん、だいじょう──」
聞き慣れた声に振り向いて、見慣れない姿に言葉を失った。
そこに立つ彼女は、
前世ではたしか、スキッパーシャツワンピースと言ったか。家に届いた洋服のチラシを見て、沙那が欲しそうにしていたのを覚えてる。
なまじっか背が高いのでシロツキによく似合っている。いつも振り乱しているストレートの白髪も、ご丁寧にワンピースと同じ色のリボンで一つに結わえて。
だれ?
一瞬出かけた言葉をぐっと飲み込んだ。
脳が彼女を理解するまでに、たっぷり三秒を必要とした。
「あの、え? シロツキだよね?」
「ああ……。これは、その、だな。メリーに着せられて……」
恥ずかしそうに顔を背ける彼女。
頬の赤と瞳の青。コントラストが美しい。
彼女を着飾らせた
「見すぎだ」
「いや、ごめん」
「今からでも、着替えなおしてきた方がいいだろうか」
「それは禁止事項……」
「そうだった。忌々しい……」
メリーから与えられた任務はおよそ任務と呼べるものではなかった。カルヴァの街へ、今度の訓練で使う色々なものを買い物に行けというんだから。それはむしろお使いと呼ぶべきだ。
お使いには様々な禁止事項が設定されている。そのうちの一つに『シロツキの着替えは禁止』という項目があった。なぜ彼女が街中で着替えるんだと思ったが、なるほどこういうわけか。
ちなみに、禁止事項を破ったら大変なことになる。金輪際僕らの訓練は行わない、メリーがそう脅してきた。
「私たちに何をさせたいんだろう」
「さあ……、お使いじゃないかな? 何か意味がある、って信じたいけど」
振り向くごとにはらりとそよぐワンピースの裾。上に視線を向ければふだんは隠れているシロツキのうなじ。見ないようにと意識すればするほど、視線がすいすい宙を泳ぐ。
「あの、じゃあ、行こうか」
「あ、ああ」
一メートルの距離を開けて街を歩いた。
カルヴァ唯一の人間である僕は言わずもがな、シロツキは
そんなにおめかししてどこへ?
綺麗ですね!
知らない人かと思いましたよ。
話しかけてくる気丈な獣人たちへ、シロツキは、「罰ゲームなんだ」「頼むからこのことは即刻忘れてくれ」「メリー副隊長のお遊びで」と言い訳を募らせている。
そんなに恥ずかしいだろうか。
布面積という意味ではいつもの方が──。
いや、忘れよう。おそらく考えてはいけない領域に踏み込もうとしている。踏みとどまれ僕。
いや、しかし。
それにしても。
シロツキは綺麗だった。恥じらいさえも一つのアクセサリーとして着こなしていた。兵隊として無意識に気遣っているのか、その背筋はピンと伸び、整った体の稜線をワンピースが演出する。
──拾ったころの小さい君が嘘みたいだ。
女性と言うべき彼女。
「楓、目的地は?」
「うん」
ポケットを漁る。僕らはメリーから渡された羊皮紙──任務の内容が記載されている──に従い街を南下した。
商店街の一角に目的の雑貨屋があった。石造りの店内に並ぶのは食器から、毛織物から、様々だ。
店員はシロツキを見るなり「まぁ」と驚いて見せる。
「シロツキ様……とってもお綺麗です。どうされたんですか?」
「これは、だな、あー……、メリー副隊長の嫌がらせと言うか……」
そのとき店員と僕の目がばっちりあった。
「あら」
「え」
「そういうことですか……!?」
「ま、待ってくれ」シロツキがワタワタと手を振る。「妙な勘違いをしているようだから、訂正させてほしい。いま何を考えた?」
「いえいえ、なんでもありませんよぉ」
店員は、「んふふ」と笑ってカウンターの内側に退く。移動の際に、僕の方へ「がんばってくださいね」なんて言葉まで残して。
ああ、そう見えるのか。人間とか関係なく、着飾った男女が一緒に歩いていたらそう見えてしまうのか。カルヴァは思ったより平和ですね。
心の片隅で皮肉を吐きつつ、内心はほとんどパニックだった。男女二人。どうしても「デ」から始まる三文字の単語が思い浮かぶ。やめろやめろ、そういうのはシロツキに失礼だ。
「困ったな」
気を持ちなおそうとしていたのに、彼女の苦笑の美しさに心臓が跳ねた。あなただって本意ではないのでしょう。そう問いたげな、どこか甘えるような瞼のほころび。
「楓?」
「え、あ、うん」
「どうした?」
「……ううん。その、早く行こうか」
「ああ」
その雑貨屋で、原生生物の油から作った
またカルヴァの街を歩く。相変わらずの注目を受けながら、羊皮紙に従って商店街の隅へ向かう。そこには鉄鋼加工用の工房があった。大きな煙突が、そのまま国の天井に延びている。
ふと山脈の麓にある人間の村、ゼスティシェを思いだした。サジールの身ぐるみを剥いだ青年=セージは元気だろうか。
その工房で薄い鉄板を五枚買いつけた。届くのは二日後になるとのことだった。何の訓練に使うんだろう。
店を出たら、ちょうど一時ごろ。
僕らは少し遅い昼食を取ることにした。
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