64・《全席獣会合》


 《全席獣会合セレム》が近づくにつれ、カルヴァの街に活気が出てきた。

 よその国からくる獣人にへこんだところは見せられない。そんな、健全ともいえる対抗意識があるのかもしれなかった。




 シロツキがようやく歩けるくらいになったころ、当日がやって来た。遠方から訪れた6名の獣人の長が大広間に集い、カルヴァ国民を前に穏やかな挨拶を述べた。


 そのうちの一人。老齢のジャッカルの男性は、ぐるりと聴衆を見渡していう。


「ここは良いところです。統治に優れた女王がおり、なにより屈強な兵と国を愛する国民がいる。前来た時よりも少し豊かになったのではないでしょうか。──いやはや、移住したいくらいだ」


 彼の言葉は拍手で迎えられ、無事に長を迎える式は終わった。






 問題なのはむしろ、この後の行事だ。

 式が終わって二時間後、ゼノビアを含む長たちはカルヴァ上層の客間に集まった。円卓一つ置かれた狭い空間で、護衛のグレアが部屋の入口を守る中、全員が席に座る。式とは打って変わって全員の表情が厳しかった。


「……嗅いだことねぇ匂いがすんぜ」


 ゼノビアの後ろに立つ僕へ、円卓に座ったヘビの獣人が振り向く。頬に緑色の鱗がてらてら光っていた。


「お前、なんの獣人だ?」

「えっと……」


 しゃべりかけた僕をゼノビアが睨んだ。

 前日の打ち合わせを思いだす。


 ──何を尋ねられても、私がいいと言うまで喋るな。


 いわく、この場は情報の戦争らしい。下手に軍や国内の情勢を漏らせば、それだけでゼノビアの首が飛ぶ可能性があるという。いったい何がどうなって? 聞きたかったけれど、陛下はそれ以上教えてくれなかった。たぶん国同士の暗躍なり、しがらみなり、色々あるのだろう。黒爪よりよっぽどおっかない。


「失礼ながら、発言を禁止されていますので」

「そうかよ。それにしてもずいぶん美味そうな匂いだ」


 二股の長い舌が、彼の唇からぺろりと飛び出した。

 僕はエサじゃないのだけれど。


「恐縮、です……?」

「はっは。面白れぇな、お前」


 彼は上機嫌で体を元に戻す。


 しかしまぁ、《全席獣会合セレム》というのはよく言ったものだ。円卓には、ゼノビアの左隣に鶴、その隣にキリン、ジャッカル、サル、ヘビの順だ。六人の長たち。見事に獣人しかいない。わかってはいたけど。


 やがてドアがノックされ、給仕の獣人──リスらしき小柄な女性だ──が六人分のグラスを置き、ワインを注いだ。サルの長がにやにやしながらそれを見届ける。


「いいねぇ。やっぱり女王が綺麗な国には美人が集まるのかねぇ? ね、給仕さん」

「お褒めに預かり光栄です」

「俺の国に来ない? めちゃくちゃ優遇してあげるよ?」

「まあ。きっと全国民の嫉妬を買ってしまいます」

「そんなことないよぉ」


 サルの獣人はきひひと不気味に笑った。


 ゼノビアいわく、彼は南東に位置する国の長。若くして王を殺し、自らの首とすげかえた、いわば武の王であるという。


「はしたない」


 鶴の獣人が神経質に顔をしかめた。グラスを受け取って給仕の女性へ振り向く。


「すまない」


 女性はにっこり笑った。


「お気遣い感謝します。お二方とも、きっと国民に愛される長なのでしょう」

「おぉ、嬉しいこと言ってくれるじゃん」

「いい加減にしておけ、サル」

「アカヒは気にしぃなんだよなぁ」

横柄おうへいな態度を貫禄かんろくと言い張るより幾分かマシだ」


 ゼノビアいわく、アカヒと呼ばれた彼は、南に位置する国の長。この六名の中ではゼノビアに次いで若く、カルヴァに最も友好的であるとか。


 給仕の女性が部屋を辞し、アカヒは言う。


「さすがだな。嫌悪を顔にも出さず仕事を完遂した彼女に、あとで賞賛を」

「ええ。彼女もきっと喜びます」ゼノビアが微笑む。「それから、リット王」


 呼んだのはサルの獣人の名前だ。


「国民をスカウトするなら、私を通してくださらないと困ります」

「ごめんごめん。あんまりにも美人だったから。いい国民がいるね」

「どうも。──それでは、皆様お揃いです。今歴の《全席獣会合セレム》を始めましょう」


 ゼノビアの宣言で獣人たちは表情を変えた。他者の隙を伺う捕食者の目だ。グレアを前にした時と同じ威圧が、この部屋中を満たしている。胃が痛くなるほどの圧。


「今回の報告会手短にさせていただきます。後がつかえているので」


 ゼノビアが僕をちらと見た。


「前歴に対して何か変化のあった国はございますか」

「俺のとこは犯罪歴が減少したくらいだ。人間に対しての対応に変化なし」


 西方。マーノストのさらに西にある国の長、ヘビの獣人、ニギシャ。


 ここで言う「変化なし」というのは、「前年と変わりなく、攻めてくる人間は残らず殺す」ということだ。


「変わりなし」


 南西。亜熱帯にある国の長。キリンの獣人、ハオ。


「私のところも同じくです」


 そして北東。かつて人間の国ローネがあった地域の向こう側の長。ジャッカルの獣人、リドオール。六名の中では最高齢となる。


 それから、サルのリット、鶴のアカヒと国の報告が続き、それはどれも前歴と変わりなしとのことだった。


 ゼノビアは頷いた。


「それでは本題に入りましょう」

「おいちょっと待て」


 ヘビの長が言った。


「お前んとこの人間への対応はどうなった?」

「それがこの会議における本題です」


 女王をのぞいた五名の目がさっと集中する。


「まさか、」

「ええ。私の国カルヴァでは、人間への対応を変えます。──前へ」


 呼ばれた僕は一歩踏み出す。


「名乗れ」

「楓と言います。カルヴァに匿っていただいている人間です」

「うっは!? マジで!?」


 サルのリット王が興奮気味に机を叩く。ほかの獣人たちは露骨に警戒心を高め、僕を睨んだ。


「どうりで美味そうな匂いがしたわけだ」ヘビが言う。「なぁゼノビア陛下。こいつ食ってもいいか?」


 え。この流れで?


「手出しは控えてください。カルヴァの内部にいる以上、この人間は私の所有物です。傷つけようというのであれば、戦争の意志とみなして──」

「冗談だっつの」

「……失礼」


 こほん、と咳ばらいを一つ。


「皆さま方、各自言いたいことはございましょう。しかしながら、まずはこちらの言い分をお聞きください」


 ゼノビアが僕にアイコンタクトを送る。


「あ、改めて、お初にお目にかかります。各国の、長の皆さま方とお会いでき、光栄です」


 覚えさせられた挨拶だ。


「これより、わたくしがこの国に匿ってもらうに至った経緯と、これからの方針についてお話します」




 たっぷり十分かけて、僕はシロツキのことや人間と獣人の共生について語った。長たちは口を挟まず、かといって賛成も一切せず、震える僕の声に耳を傾けていた。反応がないのが不安だけど、遮られないだけマシかもしれない。




「なるほど」鶴の獣人が言う。「して、そのシロツキという兵の処遇は?」

「今までと変わらず、目付け役に鷹の獣人をつけています。この人間ともども反乱の動きがあれば、即座に排除できます」

「んくははは。すっげぇなそれ」


 リットが腹を抱えて言う。


「いっつも殺される前提で生きてんの? いったいどんな罰ゲームだよ」

「リット王、お言葉を慎まれよ」

「ごめんってリドオール長老。あんまりにも愉快でさ」


 ひとしきり彼が笑い終わって、客間は静寂に沈んだ。


 ゼノビアが口を開こうとして、遮るようにキリンの長、ハオが言った。


「理解に苦しむ。なにゆえ我々にそのような方針を聞かせたのか。人間と獣人の共存など、迫害の歴史を持つ我らが許すと考えているのか」

「だからこそです。ハオ王」

「どういうことだ」

「あなた方にこのことを告げず、万に一つ人間との交流が叶ったら、きっと要らぬ勘違いを招いたでしょう」

「そりゃ、『カルヴァが人間と手を組んだ』って思うわな」


 ヘビの獣人が言う。


「でも、いまそれを告白されてもどうだい。憎い人間どもの恩恵を受けるには違いないんじゃないか? なぁ、女王」

「違いありません。ですが、すべてはここにいる六名の、心象の問題。私はこの件に関して誠実でいたいのです。この人間の策が芽を吹けば、カルヴァは人間と交流を開始します。そのとき、皆様方はカルヴァを敵とみなしますか」


 つまり、カルヴァと戦う意志があるか。

 再び静寂の幕が下りた。


「その問いはずりーぜ」


 リットがにやにやしながら言うが、誰も答えなかった。

 ジャッカルの獣人、リドオールが口を開いた。


「いやはや、衝撃的な告白でしたな。私なんぞの老体にはひどく刺激の強い話です。して、カルヴァは今後どのように動くつもりで?」


 来た。具体的にどうするのかってやつだ。


「それについては──」

「まだ未定です」


 ゼノビアが言った。どうして。

 訂正する暇もなく、彼女は続ける。


「この人間に具体的に考えさせます。一週間もすれば何か動きがみられるでしょう。一週間あいて動きがないようであれば、行き詰っているものとお考え下さい」


 机の下、彼女は人差し指をちょんと曲げた。


 下がれ、もしくは黙れの合図。

 従って一歩下がる。


「よく飼いならされてんね」


 彼女の隣、ヘビの獣人がくすっと笑んだ。







 そのあとの会話はほとんどなく、三十分後に給仕の女性が休憩を告げに来た。

 重苦しい空気から逃れた僕は、部屋から出て存分に息を吸う。


「人間」


 ゼノビアが僕を呼んだ。誰もいない作戦室に二人でこもる。


「上々だ。よく情報を漏らさなかった」


 事前の打ち合わせで封じられていたせいだ。にしても。


「沙那のこととか、言わなくてもよかったんですか?」


 マーノストに人間の理解者がいることは、どの国にとってもアドバンテージになりそうだが。彼女は首を振る。


「マーノストには各国の獣人が捕らえられている。もしお前の妹のことがバレたら、人質として奪い合いになるぞ。それでもいいなら話すといい」

「遠慮します。すごい空気でしたね」

「ああ。いつもこんなものだ」

「あ、あと、どうして具体的な策を言わせなかったんです? 必死に考えたのに」

「先回りされて、潰される可能性があるからだ」

「え」

「さっきの話し合いで、人間をよく思わない国がほとんどだと気がついたろう。中には過激な考えの持ち主もいるからな」


 ヘビのニギシャとかかな。人間に対して食っていいか聞いていたし。


「今後、お前が得た情報、思いついた作戦はまず私に回せ」

「ファロウを通して、ですか」

「いいや、直接だ」

「もしかして、ファロウが敵のスパイの可能性を疑ってます?」

「そんなことはない。と、そう思いたいからこそだ。誰にも回すな。いいな?」

「……はい」


 ものすごく単純な感想だけど、国を治めるってやっぱり大変だ。


「この後の会議はどうなるんです?」

「もうお前の出る幕はない。下がっていい」


 彼女はそう言って、さっさと作戦室を出ていった。




 僕は言われた通り寄宿舎に戻った。急に予定が空いてすることがないので、シロツキのお見舞いに向かった。



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