63・女王の懸念
カルヴァの大広間から長い廊下をたどったところに、山脈の外につながる円筒形の通用口がある。中に入って上を見上げると、鉄製の梯子と上階の屋根が見える。梯子は外気のおかげでよく冷えている。ちっとも嬉しくない。我慢して上った。
「来たか」
上階に顔を出したところで、ゼノビアがすでに待ち構えていた。
「遅くなってごめんなさい」
「構わない」
彼女は小さな花を外に向かって投げていた。束を一つ一つに分け、丁寧に宙へ落とす。いったいなにを。
「上がったらどうだ?」
「あ、ええ」
通用口から抜け出て、ゼノビアの隣に立つ。
そこは物見やぐらのような場所だった。山脈の周囲を広く見渡せる作りになっていて、昨日の戦闘地域も容易に見下ろすことができる。開放感があるっていうことは、風通しもいいってことだ。静かな雪の降る夜──つまり今みたいな時間は、とても寒い。
ぶるっと背中が震えて、女王に笑われた。
「防寒着を着ていてもだめなのか」
「寒さは、どうにも」
「難儀だな」
彼女は後ろに向けて手を振った。静かについてきていたファロウが会釈してその場からいなくなる。
「護衛役は……」
「お前にはまだ、他人を殺す勇気などないだろう?」
「……たしかに」
ゼノビアの口ぶりから察するに、やはりこの前の戦闘では、僕と人間を戦わせる気はなかったのだろう。
「今日は、何の御用で?」
「《
「あっ……」
そういえばこの前の会食で「一週間後」と言われていた。にもかかわらず、僕は二週間の訓練をして、さらに戦争と休息で一週間近く消費している。いまだカルヴァには大きな動きがみられないのはどういうわけだ。
「もしかして、中止になったんですか?」
「延期だ。お前が訓練を初めてすぐにΛの報告が上がっただろう? それで長たちの警戒心がぐっと高まってな」
「正式な日取りは」
「今度こそ一週間後だ。不測の事態が起きない限り。今度は忘れるなよ」
くぎを刺されてしまう。仕方がないだろうに。訓練がきつすぎてほかのことを考える余裕がなかったんだから。
ゼノビアはついと僕を見た。
「お前の目から見て、戦争はどうだった」
唐突な質問に言葉が詰まる。結果の話か、精神的な話か、どっちだろう。
どちらにせよ別に隠すことでもないか。正直に答えることにする。
「最悪でした」
「どんなところが」
「……人間の兵器に込められた憎悪とか。あとは、獣人に獰猛であることが求められている環境とか」
「獣人は元は獰猛ではないと、お前はそういうんだね?」
「ああ、いや、そうじゃなくて。ただ──」
ふいに、シロツキが敵の喉を裂く光景がフラッシュバックする。
「優しくあろうとすれば優しくなれる獣人が、戦争のせいで武器を振ることを強いられてるじゃないですか。シロツキもファロウもメリーも、たぶんグレア隊長も」
「ああ」
「そういう、なんていうのかな。──選択肢? あのとき、他人を殺す以外の選択肢が誰の頭からも抜け落ちてた。殺すのが当たり前、殺さなきゃ死ぬ。戦場の常識とか、空気、雰囲気。──全部ひっくるめて最悪です」
「人間がみんなお前のようなら、もっと楽に滅ぼせたのだけどな」
「……滅ぼすつもりなんですか」
「冗談だ」
ゼノビアはくつくつ笑った。
心臓に悪い。内心でため息をつく。
「逆に聞いてもいいですか。女王陛下にとって戦争がどういう風に見えているのか」
「私にか」
彼女はふいと顔を逸らして、しばらく考え込んだ。
あんまり長い間黙ってるから、ゼノビアが質問を忘れてしまったんじゃないかと心配になった。それほど間を開けて、彼女は一言。
「難しいな」といった。
「立ったまま寝ちゃったのかと思いました」
「そんなわけがあるか。いくら獣人と言えど立ったまま寝るのは一部だ」
「冗談です」
「……意趣返しのつもりか?」
「いえ、あの……軽い冗談のつもりで」
冗談が通じないのはどちらだと言いたくなったが、続けて彼女は言う。
「私に冗談を返す人間など一握りだぞ」
ふいに気が変わった。
「質問を変更しても?」
「うん?」
「友達になってください」
「は」
予想通りと言うべきか、とたんにびっくりした顔をするゼノビア。
「なんで人間と」
「人間だからですよ。獣人たちはみんな陛下のことを敬っているじゃないですか。よくよく考えたら対等に意見を言えるのって──」
「自分くらいだと? 思い上がりも甚だしいぞ」
あきれた様子で手を振る。いかにも高圧的に。
「お前が一度でも対等に喋ったことがあるか。常に敬語で、呼び方は陛下。敬いが含まれてるのはお前も同じだ。そもそも友達などいらん。対等な立場は決断の邪魔になる」
「まぁ、決断に口を挟まれるのはたしかにデメリットかもしれませんけど」
戦争の多いこの国は、だから王政なのだ。いざと言うとき瞬時に判断を下せるように。
「それにしたって、冗談を言い合う友達がいないっていうのは、あまりにも味気ないような」
「女王の職務に味気はいらん」
「じゃあいつになったらゼノビアは幸せになるんですか」
国を治めるのに終わりはない。たとえば人間が滅んでからも、今度は獣人同士で資源の分配が始まるだろう。
もし輪廻転生というモノがもう一度僕に起きるとして、王様にだけはなりたくないな。
「やりたいことをやる時間はないんですか。大切な人と過ごす時間は?」
「趣味も恋愛もいらない。そんなものは、王になるときすべて捨てた」
それでも、手すりに腕をつき、彼女はくしゃりと髪を漉いた。いらない記憶をもみ消すかのようなしぐさだ。僕は隣で、同じように手すりへもたれかかる。
「息が詰まりませんか。ずっとこの国の中にいて」
「詰まる息も吸い尽くした。国の外は深海と同じだ。人間から逃げ続けなければ、やがて呼吸が止まる」
「それって、国の中にいても、外にいても息ができないってことなんじゃ」
「……忘れろ」
忘れられるはずがない。それが彼女の本音なのだろうと思う。女王じゃなくて、ゼノビアの本音。
「こんな話をしに来たんじゃない」
ゼノビアはふと息をついた。
「今回の戦いは、タイミングが悪かった。国内でもいくつかお前を処分するべきと言う意見がある」
「反論材料ありますか?」
「そこは心配しなくていい。お前のアレが数十人の命を救っている」
《
「だが、一度
少し考えて、それから言う。
「どちらかが滅ぶまで戦争を繰り返すより、よっぽどいいと思います」
「具体的な策を示せと何度も言ってるだろうに」
「はい。一週間後までに考えておきます」
「ん」
一つ風が吹いた。冷たい。防寒着が凍り付かないのが不思議なくらいに。
ゼノビアは何食わぬ顔で立っている。こういう時、獣人と人間の違いを強く自覚する。
「もしも」と彼女はいった。
「もしもお前の夢が叶ったら。お前はシロツキと一緒になるのか」
「そうなれればって思います。沙那も──妹も迎えに行って、三人でカルヴァに暮らせたらって。どうしてまた?」
Ifの話が出てくるなんて新鮮だ。
「いいや。人間と獣人の間に生まれる子供は、どんなだろうと思ってな」
「……あの、僕とシロツキが結婚する前提なんですか」
「違うのか?」
「シロツキだって好きな人の一人や二人いるでしょうし」
「お前だ」
「獣人で、ですよ」
「頬にキスまでしたくせにな」
カウンターが決まって耳がかっと血が上る。
「あれは、その……」
女王は頬を緩めると、ファロウにそうしたように手を振った。
「話は終わりだ。一週間後にまた呼ぶ。そのつもりでいろ」
「……はい」
いいようにあしらわれたのがなんか悔しい。けれど反論もなくて、僕は梯子に足をかけた。ゼノビアが戻る気配はない。
「風邪ひかないように気を付けてくださいね」
「こっちのセリフだ」
そう言って、昨日の戦場の方を見下ろす彼女。
さっき花を投げていた理由が分かった。葬送のためだ。それに気がついたとき、自分の不躾な言動がいかに場違いだったか思い知らされる。
謝ろうとして、やっぱりやめた。誰も望んでいないだろうから。
梯子を降り切ると、ファロウが待っていた。
「逢瀬はいかがでした? 王様」
「違うから」
あからさまな冗談に、僕らは忍び笑いをこぼしたのだった。
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