62・


 戦いはあっけなく終わりを迎えた。


 グレアの黒爪に対して効果を見いだせないΛラムザは威力不足だと認定されたらしく、マーノストの兵たちは退いていった。

 状況だけ見ればカルヴァの防衛成功ではあったけれど、敵を数百名単位で逃がしてしまったことは、ゼノビアが女王となってから初めての出来事だという。引き分け。その四文字は獣人にとってあまり名誉ではないようだった。


 シロツキは背中に計三発の銃弾を受け、失血により意識が曖昧になっていた。即座に第十二部隊ヒルノートの寄宿舎へ運ばれ、治療を受けることになった。サジールが自ら名乗り出て手術を担当したらしい。

 彼女以外にも怪我人が大勢運び込まれて、一時期国の中が慌ただしかった。


 シロツキがいないあいだ、ファロウとメリーがかわるがわる僕の護衛を担当してくれることになった。戦争後のカルヴァにはデリケートな空気が漂っている。人間が一人で獣人に混じるにはリスクが高い。例えば寝首を掻かれたり、そういうことが起こりかねない。


 戦いのあと三日間、僕はずっと部屋の中で過ごした。

 食事はサジールが運んでくれた。お風呂には時間をずらして入った。外界の情報はほとんど入ってこなかった。


 息が詰まって、自分だけがなにも知らされてないような気がして。


 メリーとファロウが交代する短い隙をついて、僕はとうとう、深夜に寄宿舎を抜け出した。







 誰もいない暗い路地を歩いて、カルヴァの冷えた空気の中を散歩した。表通りは静まり返っている。すれ違う人も少ない。そのほとんどが僕という人間に気がつかない。


 でたらめに歩いていくと、やがて小さな公園にたどり着いた。

 小さな広場にブランコが二つだけ。簡素なものだ。それでも興味が引かれた。この国にも公園ががあったのかと。

 僕は吸い込まれるようにブランコへ乗って、やけになって漕いだ。


 きぃ、と金具が嫌な音を立てている。

 黒爪に掠る銃弾を連想した。


「子供じみたことをする」


 頭上から声がして、見上げると、ブランコの柱にフクロウのシルエットが立っていた。


「イヴ……」

「ブランコがそんなに気に入ったか」

「そういうわけじゃないんだけど」


 彼女は地上へ降り立ち、僕の隣へ座った。


「お前を探すよう言われた」

「誰に?」

「メリー副隊長」

「……怒られちゃうね」

「笑って許してくれるだろう。そんなに厳しい人でもなし」


 イヴがブランコを漕ぐ。ほっそりした足がタイミングよく折り曲がって、伸びて、勢いをつける。子供みたいだ。


「どうして逃げ出したんだ?」


 僕はいう。


「怖くなった」

「獣人と一緒にいることが、か」

「ううん。あ、いや、もしかしたらそれもあるかもしれないけど。いろいろ」


 そう、いろいろだ。

 戦争中に見聞きしたもの。ぜんぶ。


 人が死ぬのをこの目で見て、獣人が死ぬのも見て、シロツキが人を殺すのを見た。脳に叩き込まれたいろいろな情報を受け止めるには時間と落ち着ける場所が必要だった。


「考えても仕方ないってわかってはいるんだけどね」

「人間は不思議な生き物だと、私は思う」

「……どうして?」

「お前は迷っているような口ぶりだが、そのくせ魂はぶれていない。自分がやるべきことにまっすぐ向いている」

「まっすぐ、ですか」

「ああ。まっすぐだ。脆くも綺麗な直線」


 なんだか美しい言葉だ。脆くて綺麗、だなんて。


「詩的ですね」

「そうだろうか」

「ええ」


 僕らはそれからしばらく黙った。

 イヴがブランコを漕いで、僕はそれをマネした。でも顔に吹き付ける風が冷たくてすぐにやめてしまう。止まった僕の隣で、彼女は無表情のまま漕ぎ続けていた。


「……戻らなきゃ」


 僕はいった。


「なんか、何も解決してないけど、ちょっとすっきりしました。こうしてイヴに話をきいてもらえてよかった」


 彼女はこくんと頷いた。


 何も考えずに放浪していたので帰り道がわからない。僕はイヴが先導してくれる夜道をたどっていった。誰かが示してくれる道は、こんなにもわかりやすくて安心に包まれている。

 でも残念ながら、この世界で獣人と人間の共生を目指す誰かを、僕は僕以外に知らない。








「どこへ行ってたの!」


 寄宿舎に戻るとメリーが腰に手をついて怒った。何が笑って許してくれる、だ。僕は内心苦笑しながら頭を下げる。


「ごめんなさい」

「イヴも、やけに時間がかかったね。どこで道草食ってたの?」

「楓がずいぶん遠くにいたもので、探すのに手間取りました」

「嘘です。僕と一緒にブランコ漕いでました」


 メリーがイブを睨み、イヴが僕を睨む。


「許さなんだ」

「許さないのはこっちだよ。まったく」


 言葉とは裏腹に、彼女はふふっと笑った。


「あんまり勝手にしないでね。国民に味方として認知されてるとはいえ、反感がないわけじゃないんだよ?」

「はい、気を付けます」

「まあ、ちょっと表情が晴れてるからよしとしてあげる」

「それじゃあ、私はここで」


 どさくさに紛れてイヴが言う。


「待ちなさいー? イヴー? お小言の時間よ?」

「私はここで」

「イヴ」

「ごめんなさい」


 冷ややかなメリーの一声に彼女はすぐさま首をすくめた。

 いたずらがバレて先生に叱られる小学生、って感じだ。獣人たちのこういう側面を見ると、途端に僕は安心する。笑いながらそれを眺めていると、イヴが親の仇でも見るような目で僕を睨み、


「許さなんだ」

 ぼそりと呟いた。







 次の日。

 シロツキが目を覚ましたので、昼は彼女の下へお見舞いに行った。でもほとんど口を利かなかった。お互いに何を話せばいいのかわからなかったのだ。

 彼女は僕の目の前で人間を惨殺したし、僕はいまだに心の整理がつかないでいたから。


 ただ、すまないと頭を下げる彼女に首を振る余裕を、僕は取り戻していた。


 あらゆる死が過去になる。怖いことだ。前世で両親や沙那が死んだことも、いつかただの記憶に成り下がってしまう。シロツキが殺した誰かの命も、これから、もしかしたら僕が殺すことになってしまう誰かの命も。

 心を殺すなんてこと、きっと僕にはできない。そんな気がした。


 シロツキはまだ安静を保つ必要があるらしく、食事の世話は第十二部隊ヒルノートの獣人がしていた。サジールが言うには、今回の戦争の被害はかなり軽い方らしい。人間との戦争が始まった当初は病院がいっぱいになることもあったのだとか。それに立ち会わなくてよかった。他人の不幸さえ見たくはない。僕ってけっこうわがままだな。




 その日の深夜、僕は女王に呼び出された。

 言伝ことづてを預かったファロウが「防寒着を着て来いだってよ」と興味深げに言う。


「外に出る予定でもあんのか?」

「さあ……なんでしょう?」


 僕らはそうして城の上層へ赴いた。

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