61・雪上での戦闘──Ⅱ
地上から見ているので気が付かなかったが、カルヴァの兵もマーノスト国軍も南北に広く展開していた。どちらも相手の背後や横を取るために躍起になっているのだ。数で劣るカルヴァは不利とも言える。
《
「この近くだ。──
低い声で呼びかけると、モグラらしき男性が雪から姿を現した。
「ここだ。一人ずつで構わない。こいつから運んでやってくれ」
彼が雪をかき分けると、右の太ももに銃創のある男性が姿を現した。血管が露出するほど傷が深いが、周辺の皮膚が凍っていて出血はそこまででもない。
「捕まってください」
「お前……そうか、第三の人間か」
彼は苦笑した。
「人間に助けられるなんて、俺の爪もなまくらになっちまったか」
「違いねぇ。後衛に下がって出直して来いよ」
モグラの男性が笑った。
「頼む」
「ええ」
彼がこちらに手を伸ばした。僕は彼を抱え、即座に退く。背後から「カバー」と叫ぶ声が聞こえ、まだ動ける
一キロ近い距離を下がり、カルヴァの入口に近づく。そこには
「
「怪我人だ。みんな道を開けろ!」
人波が二つに別れ道ができる。その先に
「人間」
背後からゼノビアの声が引き留めた。
振り返るとたしかに女王その人だ。その躰を黒爪の鎧で固く覆っている。こんなところにいて大丈夫なのだろうか。
「どうして戦場に」
彼女はにっと口端を持ち上げた。
「指示を出すには近い方が都合がいい。それに口先だけの王にはなりたくない。私のポリシーだ。──それはそうと、前線はどうなっている?」
シロツキが代わりに応えた。
「《
「
僕とシロツキは同時に互いを伺った。
「まだです。僕らが見える範囲にはいませんでした」
「かなりの威力が予想される新兵器だ。投入しないはずはない……。どこかで機会をうかがっているはずだ」
「早めに《
「いや、お前の力はまだ消耗すべきじゃない。予定通り《
「三人が負傷しています」
シロツキがいうと、女王はわずかに思案し、
「わかった。
「はい」
「了解」
彼女は地図をしまい、「頼む」といった。
僕らは再び雪の中に飛び出した。
その五名が
「副隊長!」
「っ、うん!」
メリーはほこりでも払うかのように銃弾の一つをはじき、僕の方へやって来た。
「動けてるみたいだね。何か御用?」
「陛下からの指示です。一緒に
「わかった。楓クン、負荷は?」
斜面での戦闘と言うことも相まって足に負担がかかっているものの、まだ限界には及ばない。訓練のおかげだ。
「大丈夫です。おかげさまで」
「それは良かった。じゃ、さっそく──、っ。伏せて!」
突如メリーは5メートル近い跳躍をした。彼女の黒爪が何もない中空に伸ばされる。その瞬間、敵陣から黒いシルエットが飛来して引き裂かれた。
シロツキがとっさに僕を地面へ押し倒す。頭上で爆発が起こった。耳がキンとする轟音が過ぎ去った後で、メリーが着地。僕を助け起こす。
「結構な距離を飛ばしてきたね」
「……今のは?」
「単発型の
あのスピードで飛んでくる爆発物を、着地点を予想して切り裂くなど、メリーの視野の広さはいったいどうなっているんだ。呆れに近い関心を抱きつつ、僕らは再び南に走った。
「ぐぉッ!?」
メリーに胸を蹴り飛ばされた兵が数メートル吹き飛んで沈黙する。間近に見た獣人の勇士に恐れ、彼らの指揮系統は一瞬間機能しなくなる。その一瞬が勝負だった。
「《
殺さないためには。
殺さないためには、えっと──、
まずは武器を使うことを辞める!
僕は銃相手に体術で挑んだ。一発撃った直後の兵を狙って腹を突き、武器を奪い、地面へ投げ落として、一人ずつ無力化していく。
「化け物……ッ!」
「《
シロツキが僕を強制操作して回避行動をとらせる。黒爪を纏っていても銃弾は脅威だ。至近距離で食らえば薄いところが破砕するし、衝撃はとうぜん内部の体を襲う。
「ありがとう」
「まだここからだ」
斜面にスライディングをかまして敵の狙いを大幅にずらす。雪煙を立てるのはさっき
「十分だよ。怪我人を預かって退こう!」
「はい!」
「通達!」
空から声がした。
「マーノスト後衛にて魔動兵装の展開アリ! 回避行動をとれ!」
魔動兵装。
聞き慣れない単語に胸がざわつく。
「メリー」
「ちょっとまずい。走って!」
「ッ」
いつものふざけた雰囲気はどこへやら。鬼気迫る表情の彼女。僕は何かが迫っているという焦燥と怪我人を抱えて後退していった。
前線を退いて銃撃の雨から逃れた。
と。
「来るぞ──ッ!」
誰かが叫ぶ。
振り返ろうとした僕をメリーが投げ飛ばした。
逆さに転がりながら僕が見たのは、戦場を二つに裂く一本の線。熱を纏った紫色の光線だった。地表の雪を削り、岩を熱し、斜面を駆けあがるそれ。ほんの一瞬のできごと。
その中にいた獣人たちはいったいどうなったのか。光線が空へ飛び去り、遠くの雪雲に穴をあけた後。射線上には露出した岩肌といくつかの黒爪だけが落ちていた。
なんだ。何が起きた。
「止まるな、人間」
僕の抱えた獣人が苦々しく言う。
「頼むから、俺にこの光景をもう見せんな」
「楓クン」
メリーが走り出す。
混乱の中で彼女を追うことしかできない自分がいる。
今のはなんだ?
あそこに落ちている黒爪は誰のものだ?
あれの使用者は……。
「考えるな」
シロツキが耳元で囁いた。
「考えるな」
そう繰り返し、首元に回された彼女の腕はかすかに震えていた。
怪我人を後衛に引き渡してから前線に戻ると、ファロウが待ち構えていた。
「《
隣にいたメリーが僕の肩に触れる。
「落ち着いてね。きっとうまくいくから」
僕はそれを振り払った。
二人が驚いた顔をしたことも、シロツキがひっそりと息を呑むのもどうでもよかった。
「なんでそんなに平然としてるんですか」
「……楓クン」
「さっきのに巻き込まれた人たちはどうなったんです。撃ったのは人間なんですか。そもそもあれは何なんですか!?」
「落ち着けよ」
ファロウに強く掴まれた手首がずきりと痛む。言葉通り人外の力。
落ち着いていられないのは、戦場でこんなに戸惑っているのは、僕が人間だからか。人間と獣人がどうしても違う生き物だからか。
そんな考え方は嫌だ。違う生き物だと理解を拒んだら共生なんて叶いっこない。でも。
「理解できません」
しばらく二人は僕を見咎めた。こっちが引く気がないのを察すると、ファロウはため息をつく。
「お前をここに配置したのは間違いだったかもしれねぇな」
彼はそうして飛び去った。
残ったメリーが僕の胸を軽くつく。
「ね、楓クン。私たち獣人が怖い?」
「なんでそんなこと」
「いいから」
真正面から瞳を覗かれ、思わず視線を落とす。
「……少しだけ」
「私たちも人間が怖いの。力の差では有利でも、文化や戦争においてそうだとは限らないから。違うことを恐れてるのは君だけじゃない。きっとシロツキだってそうでしょう?」
背後を伺うと、彼女が耳元で頷いた。
メリーは続けた。
「でもね、私たちがここで平然としているのは、私たちが獣人だからじゃないの。そうしないと自分以外の誰かに被害が及ぶって知っているからよ」
彼女はまだ数の残るマーノスト軍へ向き直った。
「知りたいなら教えてあげる。さっきのは魔動兵装=
「消滅……でも僕なら」
「立ち向かえると思わないで。あれ自体が高熱を纏ってるの。人間の場合は大やけどを負うわ」
「それを知ってて、」
「ええ。嘆く時間は戦闘後にいくらでも取ってあげる。いまはできることをしましょう。お互いに──」
メリーがそっと右手を差し出す。
遠い。ずっと遠い。
いくつ心を殺せば彼女のようになれるんだろう。いくつの戦場を経験すれば。ああ、くそ。自分への悪態ばかりが毒になって体を熱くする。メリーを殺さないことができるようになるのは、ずっと先だ。
それでも僕は安堵している。怖いのが自分だけじゃないことが。言外に同じだと言われたことが。
手を握り返した。
「大丈夫」
彼女がいった。
じわり。景色が傾ぐ。
微笑んで立ち去ろうとするメリーを僕は引き留めた。
使うなら今かもしれない。
もう《
両目を閉じて唱える。
「──《
知覚が空を駆ける。
俯瞰したまま数百メートルの距離を進む。
上空ではファロウが弾丸を避けている。
意識はさらに進む。
そこにいるのは。まだ大量の人間。
手に持ってる。なにを?
あれは──。
人間の列の先に二艘の《
そのうち一艘の、楕円形の先端がこちらに向けて開かれた。透き通った巨大な石が金属の柱に磔にされている。そこに紫の光が集まって……。
「ッ!」
両目が弾けるほど痛んだ。
知覚は急速に回帰を始めた。
今来た道を戻るように。
《
シロツキやゼノビアにはアレと呼ばれていた。
それにしても、今見たモノはなんだ。
あの紫色の光って、さっきの──。
震えが走った。
ほとんど反射的に僕は叫ぶ。
「
背後のシロツキが息を呑む。メリーが顔色を変える。盾を形成していた
「何言ってんだ、一回の戦闘で二発も打ち込まれたことは歴史上ねぇんだぞ!?
もしもその「経験」を獣人たちが信じているなら。
僕は咄嗟に背後へ振り向いた。不幸なことに予想通りだ。カルヴァの兵たちが反撃のために押しかけている。
「メリー!」
シロツキが訴えるように叫ぶと、彼女は高く指笛を吹いた。そこにいた全員が振り向く。
「
獣人たちはまだ腑に落ちぬ顔で、それでも続々と動き始めた。
時を同じくして空からファロウが戻ってくる。指笛は彼を呼ぶ合図だったのだろう。
「どうした、副隊長」
「楓クンが
「了解!」
去り際のファロウが僕の頭をぐしゃりと撫でた。
よくやった。そう言われた気がした。
「シロツキ!」メリーが続けて叫ぶ。
「はい!」
「
「っ、了解」
「お願い!」
僕らは間もなく動き始めた。さっき怪我人を助けた一件で
「楓、私たちも退くぞ」
「わかっ──」
高い金属音が耳元で響いた。振り返ると十名単位の歩兵部隊がこちらに銃器を向けている。慌てて跳躍し続く二発目を回避。すると斜面の中に狙いをつけた兵を見つける。
《
「《
空中の僕らは半回転した。
「シロツキ──、っ」
砲声。衝撃が僕らを押す。
黒爪の薄い背面には鉛玉一つ分の穴が開き、その下にあるシロツキの柔らかな背中を打ち抜いた。血しぶきが舞う。鉄と硝煙の香り。
体を覆っていた鎧が液体のように溶けて、僕らは宙に投げ出される。
急いで彼女を抱き寄せ、背中から落下した。
声にならない息が肺から押し出される。
「お前っ……人間かッ!?」
「どうして、」
「まさか裏切ったんじゃ──」
間近で銃を構えたマーノスト国軍の兵たちはそこで声を止めた。
不思議に思って視線をあげた僕は余りの光景に絶句する。
一番近くに立っていた男の首が裂かれ、大量の血があふれ出していた。
「あ……ぁ」
意味をなさない声が漏れる。
彼の前に立つシロツキの手には一本の刀剣が握られていて、切っ先に生暖かい血が張り付いていた。彼女は横目で僕へ振りむくと、
「すまない」
そう言って、男たちを皆殺しにした。銃弾のすべてを機敏な動作で避け、伸長する刀が敵の四肢を切り裂く。音を置き去りにする左右の動き。人間を屠るための悪夢のステップ。
やがて生存者が僕たち以外にいなくなった。シロツキは返り血にまみれたまま僕の前に膝をつく。
「私に人を一方的に殺す力が潜んでいること。後でいくらでも罵ってくれ」
僕は唇を噛む。あらゆる感情を殺して、「ありがとう」を言った。僕が振るべきだった刃を代わりに振ってくれてありがとう。助けてくれてありがとう。
シロツキは悲し気に笑った後、再び僕の背中に戻って互いを包んだ。
「ほかの部隊は逃げ切ったかな」
「わからない。少なくとも被害は減らせたはずだ。今は私たちの方が危ない」
頷いて、前線を退く。
そこに潜む人々は首をすくめてそれを眺めていた。
「あそこ、さっきまで俺らがいた位置も入ってるぜ」
「……ずいぶん恵まれたモンだな」
「そりゃ運にか?」
「ま、それもあるが。なぁ?」
モグラの獣人が僕の肩を叩く。
「味方にも、ってもんさ」
「違いない」
「ナイスだ。人間」
「ええ。シロツキのおかげです」
メリーを動かしたのはシロツキの呼びかけだった。あれがなければ指示は飛ばなかっただろう。それに、
空を割くシルエットが降下してきた。
見ると、覚えのあるフクロウだ。
「イヴ!」
「ここで会うとは、思わなんだ」
「そんなことより、どうしてここに」
「
前より早口で彼女は言う。
「敵の最後列にある二艘の《
「わかった」
「
「了解」
口々に言って、彼らは再び雪の斜面へ舞い戻った。
イヴはやはり知らないうちに飛び去っていた。
そういえば、メリーは無事だっただろうか。ファロウたちは。中央を走っていた獣人たちは。探しに行きたい欲求をぐっとこらえ、僕は元の持ち場に踵を返す。
「見つけたぜ」
背後から男の声がした。
振り返る間もなく火薬が連続で爆ぜる。シロツキが僕の耐えられる限界速度を超えたスピードで回避する。銃声は止むことを知らず、回避もとめどない。歯を食いしばる。耐えろ。
《
前衛と後衛の交代で持久力が増すのは獣人だけじゃない。彼らも交代で銃を撃ち、僕らから息をつく暇を奪っている。まさか地形の厳しい方向から回り込んでくるなど予想外だった。攻勢に転じる時間がない。回避の速度に目が回る。
「ッ、アっ、」
「楓ッ!?」
けほ、と咳をしたら唾液に血が滲んでいた。
「止まるなッ!」
シロツキに指示を出す。
避けながら退け。
早く。早く。
けれど。
どど、と二発の衝撃が体を襲った。
シロツキが呻く。
ぞっと血の気が引く。
こいつら──。
「殺されてぇのか……ッ!」
僕一人が立ち向かったところでどうにもならない。それをわかっても、なお耐えられなかった。シロツキがお前らに何をした。クソ、クソッ。
一撃だ。僕の体に銃弾が数十の穴をあけるまでには、一撃切り込む時間しかない。刺し違えてでもいい。こいつら全員の首を飛ばすッ。
「《
全身をまとう黒爪を刀に変換し、振った瞬間、僕とマーノスト国軍のあいだに巨大な壁ができた。全力を込めた刀さえ、連発する
顔をあげた。そこにライオンの顔があった。
「グレア、隊長」
「お前の隊長ではない」
彼はそう言って、敵に向き直った。
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