60・雪上での戦闘
一発の砲声をきっかけに戦争が始まった。
グレアが先陣を切り、広く展開する《
僕とシロツキ、そして
「うアアッ!!」
《
銃声と怒号のさなか船上で爆発が起こった。船から人影が次々に飛び降り、雪にうずもれる。彼らはそのままこちらに背を向けて逃げ始めた。
「……?」
「どうした」
ふと
「気になることでもあるのか」
「何か変だ」
「変?」
考えすぎだろうか。
ふつう兵隊は相手に背を向けない。倒すべき相手に銃を向けるならともかく、武器さえも放り投げている。ああも必死な形相で逃げ回るなんて。
まるで──。
「獣人の強さを知らなかったみたいだ」
「……その感覚は正しい」
シロツキが寂しそうに言う。
「どういうこと?」
でも彼女はそれ以上答えなかった。
再び船上で爆発が起こり、そちらに視線を向ける。焔の傍、甲板に立つグレアが操縦士らしき男を掴んでいる。胴を絞められ、足をばたつかせるその男は、口汚くグレアを罵った。
いわく、「下級生物」「神の失敗作」。そのほか、口に出すことも
グレアは冷ややかな目で男を見据え、
爪で心臓の位置を貫いた。
周りの音が消えて、僕の意識はくぎ付けになる。
「あ──」
その声は自分のモノだっただろうか、それとも刺された彼のモノだっただろうか。
男は力を失い、だらりと四肢をぶら下げた。
あっけない幕切れだった。通りすがりに虫を一匹潰してしまったかのような。
グレアが爪を抜く。
ズッ、という音が、ここまで聞こえた。
灰色の軍服が赤く染まって、彼のつま先からは半端に閉めた水道のごとく血が滴る。雪に落ちて凍りつく赤。
「……見るな」
シロツキが僕の両目を覆った。
その手が怖かった。
思えば、彼女だって僕を貫く力を持っている。いつだって僕を殺せる。
いったい何を思い上がっていたんだろう。仕方がないとか、人間が攻めて来るんだからとか、言い訳ばかりして。
忘れていた。戦争って人を殺す行為だ。
僕はとっさにシロツキの手を外した。今にもそこから棘が生えて、目を貫かれてしまう気がして怖かったから。
でも失敗だった。その景色を見てしまった。
グレアが爪を振り払い、操縦士だった男が雪上に落下する。まだ暖かい鮮血から湯気が漂う、その景色。
言葉が出てこない。
命が一つ潰えたのだ。
なのにこうもあっけない。
周囲で戦いは続いている。死者はどんどん増えている。
誰もが弔ってもらえるわけではないのだ。
それに気が付いたとき、僕は心底怖ろしいと思った。
「進めッ!」
ほら、また音だけが脳を打つ。
「南方十一時の方向から隊と分裂する歩兵あり!」
「陽動の可能性があります! 後列へ報告を!」
「北方二時にも同じ影があるぞ! 敵が包囲を狙ってる!
「了解!」
「
「そろそろ交代だ! 第三部隊の半数をここに呼ぶ!」
「後列より伝令! 後方四時の方角から二艘の敵影を発見しました!」
「
「了解!」
進め、退け、十時、陽動、第三、船、人間、殺せ、突破しろ、守れ、前衛、散開、爆音、黒爪、血、群れ、火花、また血。
「楓っ」
「
「楓ッ!」
「ッ、痛い」
「前だ。歩くぞ」
耳元で叫ばれ、僕はようやく意識を取り戻した。グレアはとっくにほかの《《
休んでいる兵の中にメリーもいた。険しい顔で返り血を拭っている。
「メリー……」
彼女は僕に気が付くと、慌てて血を隠し、明るい顔をした。
「ああ、楓クン。怪我はない?」
「……はい」
「そ。もうちょっとで《
笑顔の彼女とは裏腹に、頬を持ち上げる気力もそがれた僕は、俯くことしかできなかった。すると、メリーにパチンと頬を張られた。
「副隊ちょ──」
「思いだして」
シロツキの抗議の声を遮り、一言だけ言い残すと、彼女は再び前線に戻っていった。
「……」
「、大丈夫か」
「うん」
思いだして、か。そういえば前にもこうやってはたかれた。
──戦場を広く見ることができない兵は、自分か、もしくは仲間が死ぬまでそのことに気がつかない。もっと言えば、死んでからも気がつかない。覚えておいてね。お姉さんからの教えその一。
結局「その二」以降は教えてもらっていない。今の僕には必要ないからかもしれない。
ふいに考えた。どうしてゼノビアは僕らを前線にしなかったんだろう。すぐ死んでしまうからか? たしかにそれもあるけど、いや違う。別の理由があった。
ゼノビアは僕が人間を殺せないと知っていたのだろう。だからこの位置。危険ではあるが、戦闘のリスクが低い
「九時方向、
「ッ、楓」
「わかってる。僕たちの出番だ」
獣人が人を殺す現場を見て、絶望する。
この状況はすべて御膳立てされたものだ。ゼノビアという脚本家によって生み出された一つの物語だ。そうして彼女は僕という登場人物を精神的に鍛えようとしている。ただ、決して心を折るようなことはしない。しっかりと立ち直れるように。僕がまだ、カルヴァの役に立つように。なんて優しさに満ちているんだろう。そして同じくらい狡猾だ。
ゼノビアは自分のずる賢さに気づいていただろう。でも国の長として僕を戦場に出すしかなかった。たとえ僕がここで死んだにしろ、彼女はその先のカルヴァを導かなければいけないんだから。
──我らが魂に夜明けの訪れんことを。
応えなきゃならない。
自らの残虐性に気がついた策士の祈りに。
「止まってごめん。行こう!」
シロツキがうなずいた。
盾を飛び出した僕らは、赤く染まり出した雪上を走った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます