60・雪上での戦闘


 一発の砲声をきっかけに戦争が始まった。


 グレアが先陣を切り、広く展開する《無音船ティファロッド》の一艘を相手どる。その他の第三部隊ルートニクたちも続々と獲物を定めていく。マーノスト軍は大量の火薬で獣人の動きを狭め、船上から中距離用の弾丸を撃ちおろす。


 僕とシロツキ、そして第十一部隊セヴォトリエは、その後ろからじわじわと前線を押し上げる。負傷者が出た場合に即座に回収するためだ。ときおり流れ弾が盾に当たり火花が散る。黒爪なら大丈夫だと思う反面、その速さにひやひやする。


「うアアッ!!」


 《無音船ティファロッド》の一つから悲鳴が上がった。見ると、グレアが跳躍し飛び乗るところだった。彼の黒爪が巨大な手の形となる。それはマストを鷲掴みにし、根元から抜き取ってしまった。風による推進力を失った船はただ浮かぶだけの棺桶だ。兵たちは希望の絶えた顔つきでグレアを撃ちまくる。


 銃声と怒号のさなか船上で爆発が起こった。船から人影が次々に飛び降り、雪にうずもれる。彼らはそのままこちらに背を向けて逃げ始めた。


「……?」

「どうした」


 ふといぶかしんだ僕にシロツキが問う。


「気になることでもあるのか」

「何か変だ」

「変?」


 考えすぎだろうか。

 ふつう兵隊は相手に背を向けない。倒すべき相手に銃を向けるならともかく、武器さえも放り投げている。ああも必死な形相で逃げ回るなんて。


 まるで──。


「獣人の強さを知らなかったみたいだ」

「……その感覚は正しい」


 シロツキが寂しそうに言う。


「どういうこと?」


 でも彼女はそれ以上答えなかった。


 再び船上で爆発が起こり、そちらに視線を向ける。焔の傍、甲板に立つグレアが操縦士らしき男を掴んでいる。胴を絞められ、足をばたつかせるその男は、口汚くグレアを罵った。

 いわく、「下級生物」「神の失敗作」。そのほか、口に出すこともはばかられる言葉を平然と並べる。


 グレアは冷ややかな目で男を見据え、






 爪で心臓の位置を貫いた。






 周りの音が消えて、僕の意識はくぎ付けになる。


「あ──」


 その声は自分のモノだっただろうか、それとも刺された彼のモノだっただろうか。


 男は力を失い、だらりと四肢をぶら下げた。


 あっけない幕切れだった。通りすがりに虫を一匹潰してしまったかのような。


 グレアが爪を抜く。

 ズッ、という音が、ここまで聞こえた。


 灰色の軍服が赤く染まって、彼のつま先からは半端に閉めた水道のごとく血が滴る。雪に落ちて凍りつく赤。


「……見るな」


 シロツキが僕の両目を覆った。

 その手が怖かった。


 思えば、彼女だって僕を貫く力を持っている。いつだって僕を殺せる。


 いったい何を思い上がっていたんだろう。仕方がないとか、人間が攻めて来るんだからとか、言い訳ばかりして。


 忘れていた。戦争って人を殺す行為だ。


 僕はとっさにシロツキの手を外した。今にもそこから棘が生えて、目を貫かれてしまう気がして怖かったから。


 でも失敗だった。その景色を見てしまった。

 グレアが爪を振り払い、操縦士だった男が雪上に落下する。まだ暖かい鮮血から湯気が漂う、その景色。


 言葉が出てこない。

 命が一つ潰えたのだ。

 なのにこうもあっけない。


 周囲で戦いは続いている。死者はどんどん増えている。


 誰もが弔ってもらえるわけではないのだ。

 それに気が付いたとき、僕は心底怖ろしいと思った。


「進めッ!」


 第十一部隊セヴォトリエの隊長が叫ぶ。体の大きいカバの獣人だ。周囲の音が戻ってきた。断続的な砲声。爆発。人々のたけり声。僕だけが世界から浮いているような気分だった。


 ほら、また音だけが脳を打つ。


「南方十一時の方向から隊と分裂する歩兵あり!」

「陽動の可能性があります! 後列へ報告を!」

「北方二時にも同じ影があるぞ! 敵が包囲を狙ってる! 第六部隊テレアージを呼べ!」

「了解!」

第三部隊ルートニクが《無音船ティファロッド》の半数を撃破! 第一陣の瓦解は近いぞ!」

「そろそろ交代だ! 第三部隊の半数をここに呼ぶ!」

「後列より伝令! 後方四時の方角から二艘の敵影を発見しました!」

第四部隊コンストラに阻ませてくれ! すぐに第三を向かわせる!」

「了解!」


 進め、退け、十時、陽動、第三、船、人間、殺せ、突破しろ、守れ、前衛、散開、爆音、黒爪、血、群れ、火花、また血。


「楓っ」

第十一部隊セヴォトリエ、総員前進! 十時方向に注意!」

「楓ッ!」

「ッ、痛い」

「前だ。歩くぞ」


 耳元で叫ばれ、僕はようやく意識を取り戻した。グレアはとっくにほかの《《無音船ティファロッド》に移っていて、鮮血の湯気も消えている。僕は歩いて盾についていった。


 第十一部隊セヴォトリエが作り出す盾の中には第三部隊ルートニクの幾人かがいて、先の戦闘で使った体力を回復しているところだった。兵の数で劣るカルヴァは前衛と後衛の交替を繰り返すことで持久戦を可能にしているのだ。そうサジールが言っていたっけ。


 休んでいる兵の中にメリーもいた。険しい顔で返り血を拭っている。


「メリー……」


 彼女は僕に気が付くと、慌てて血を隠し、明るい顔をした。


「ああ、楓クン。怪我はない?」

「……はい」

「そ。もうちょっとで《無音船ティファロッド》をぜんぶ落とせるから、発動の準備をしておいてね。ほら、深呼吸」


 笑顔の彼女とは裏腹に、頬を持ち上げる気力もそがれた僕は、俯くことしかできなかった。すると、メリーにパチンと頬を張られた。


「副隊ちょ──」

「思いだして」


 シロツキの抗議の声を遮り、一言だけ言い残すと、彼女は再び前線に戻っていった。


「……」

「、大丈夫か」

「うん」


 思いだして、か。そういえば前にもこうやってはたかれた。




──戦場を広く見ることができない兵は、自分か、もしくは仲間が死ぬまでそのことに気がつかない。もっと言えば、死んでからも気がつかない。覚えておいてね。お姉さんからの教えその一。




 結局「その二」以降は教えてもらっていない。今の僕には必要ないからかもしれない。


 ふいに考えた。どうしてゼノビアは僕らを前線にしなかったんだろう。すぐ死んでしまうからか? たしかにそれもあるけど、いや違う。別の理由があった。


 ゼノビアは僕が人間を殺せないと知っていたのだろう。だからこの位置。危険ではあるが、戦闘のリスクが低い第三部隊ルートニクの後衛。なんてことだ。まったく。


「九時方向、第二部隊インクリュー三名負傷! 手の空いている奴は回収に向かえ!」

「ッ、楓」

「わかってる。僕たちの出番だ」


 獣人が人を殺す現場を見て、絶望する。

 この状況はすべて御膳立てされたものだ。ゼノビアという脚本家によって生み出された一つの物語だ。そうして彼女は僕という登場人物を精神的に鍛えようとしている。ただ、決して心を折るようなことはしない。しっかりと立ち直れるように。僕がまだ、カルヴァの役に立つように。なんて優しさに満ちているんだろう。そして同じくらい狡猾だ。


 ゼノビアは自分のずる賢さに気づいていただろう。でも国の長として僕を戦場に出すしかなかった。たとえ僕がここで死んだにしろ、彼女はその先のカルヴァを導かなければいけないんだから。




──我らが魂に夜明けの訪れんことを。




 応えなきゃならない。

 自らの残虐性に気がついた策士の祈りに。


「止まってごめん。行こう!」


 シロツキがうなずいた。

 盾を飛び出した僕らは、赤く染まり出した雪上を走った。


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