59・戦闘準備


 マーノスト国軍の到着が予想されるその日、僕とシロツキは上層にある作戦室に召集された。部屋に入ると、ファロウ、メリー、グレア含む、シロツキ以外の第三部隊ルートニクがすでに揃っていた。


「遅くなりました」


 シロツキが小さく頭を下げる。第三部隊ルートニクの先輩たちは気に留めた様子もなく、ゼノビアの方へ視線を向けた。女王は険しい顔つきを地図から持ち上げる。


「問題ない。敵の到着予想を考えれば、むしろ余裕のある時間だ」

「ほかの部隊の配置は」

「いつも通りだ。第一部隊ガーティアルにカルヴァの入口の守備を、第二部隊インクリューが地形に潜んだ急襲、第四コンストラから第六部隊テレアージで爆発武器の無力化、使用者の排除を任せてある。第七部隊オウロエルは山脈周辺をくまなく監視。陽動作戦が分かりしだい第三部隊ルートニクの半数が即座に排除へ当たる」


 ゼノビアが僕を見た。

 一度呼吸をし、何か言いかけた後で、唇を噤んだ。


「何を言われても大丈夫です」

「っ……」


 僕がいうと、彼女は観念したように苦笑する。さっき堪えた言葉を丁寧に取り出し、こちらへ差し出した。


「すまない」


 その四文字に含まれることは、もうわかっている。人間である僕を戦場に出すことへの謝罪だ。


「わかってくれとは言わない。ただ、お前を戦場へ出すには相応の理由がある」

「獣人から目の敵にされる可能性、でしたっけ」


 メリーからすでに話は聞いていた。


 今から起こる戦いに勝ったとしても、獣人に被害が出れば人間の印象は下がる。その時に、この国にたった一人の人間がぬくぬくと引きこもっていたんじゃ、国民の心証は良くないはずだ。

 人間と獣人の歴史を考えれば、僕を処刑することを訴える人が出てきてもおかしくないだろう。それを防ぐために、少なくとも戦場に出る必要がある。僕はこの国にとって有益な人間なのだと、カルヴァに示す必要が。


「気にしないでください。ここで死んでしまったら、どのみち獣人と人間の共生なんか達成できませんから」

「ずいぶん言うようになったものだな」

「訓練の成果ですね」

「そうか。──怪我のないことを祈らせてもらう」

「ありがとうございます、陛下」


 彼女はそっと口角を上げ、地図を示した。カルヴァの兵の中でちょうど真ん中の位置だ。


「お前とシロツキの役目は情報伝達と前衛のカバーだ。グレアたちがマーノスト国軍の主力兵器を破壊するあいだ、前衛で得た情報を後衛に回しつつ、後ろを取られないよう回り込む敵を無力化する。負傷した兵がいた場合は即座に回収して後衛に退け」

はどうしますか」


 とシロツキ。

 ゼノビアがにやっと笑う。


「グレア」

「ええ」

「前衛の陥落を確認しだい、この人間へ発動の指示を出せ」


 ライオンの獣人はちらりと僕を見、厳かに頷いた。

 ゼノビアが再び僕へ向き直る。


「人間」

「はい」

「お前の《視界》で得た情報は即座に第三部隊ルートニクへ回すんだ」

「もしも……。いえ、なんでもありません」

「なんだ? 言ってみろ」


 僕は恐る恐る喉を震わせた。


「もし、発動できなかった場合はどうなりますか。は実験段階と言うか……、正直安定していなくて」

「失敗を考えちゃだめだよー」


 メリーがぽんと僕の肩を叩いた。

 茶目っ気のあるシルバーグレイの瞳。


「時間は私たちが稼ぐから、何回でも挑戦しなね」


 ファロウが頷く。


「もし無理でも俺らのやることは変わらねぇさ。いつも通り敵の殲滅だ」


 成功したわけじゃないのに、こうして声をかけてもらえると少し安心する。僕は自然にほほ笑むことができた、と思う。自分の顔は見れないからわからないけど。


「全員、いいか」


 ゼノビアは注意を集めた。


「今回の戦闘は不確定要素が多い。マーノスト国軍の新兵装、Λラムザがどれだけ配備されているのか、現状知るすべがないからな。万全を尽くして臨め。最悪の場合は持ち場を離れて構わない。自らの命を守れ。

 ──以上だ。我らが魂に夜明けの訪れんことを」


 その場にいた全員が深く瞑目し、やがて眼を開けた。






 数時間後の接敵に備え、寄宿舎に戻って装備を確認する。僕はブーツの靴紐を締め、防寒具の前をきつく結びなおした。


 不思議だ。あんまり恐怖を感じていない自分がいる。味方の強さを知っているからだろうか。それとも実感がわいていないだけなのか。


 柔軟をしながら僕は尋ねた。


「さっきゼノビア陛下が言ってた『我らが~』っていうのはどういう意味?」

「『我らが魂に夜明けの訪れんことを』」

「うん。それ」

「戦争前の祝詞のりとのようなものだ。いっさいの陰りなく、誇り高く命を見つめ続けられるように。簡単に言えばグッドラックだな」

「へえ……。なんか、すごく暖かい響きの言葉だね」

「温かい?」


 黒爪を伸長させ調子を確認していたシロツキが首をかしげた。


「うん。震えが止まるっていうか、こう、気を引き締められるっていうか」

「……楓は獣人として生まれ変わるべきだったかもしれないな」

「そう?」


 僕は笑った。

 振り返ると、彼女は複雑な顔をしている。


「私はこの言葉が怖いんだ。『逃げるな』『戦って死ね』と言われているみたいで。たとえ真っ暗な人生だろうが、夜明けの来ない心だろうが、私は生きていたい」


 自身の手を見下ろす彼女。


 ああ、そうか。これが普通なんだ。戦いなんか、命のやり取りなんか嫌なはずなんだ。僕はやっぱりどこかおかしいのかもしれない。


「……シロツキは僕よりよっぽど人間らしいよ」

「楓、少しだけ──」

「っ」


 正面から抱きすくめられた。分厚い防寒具越しにじわりと体温が滲んでくる。腕を回し返す。彼女の白い背中に指先が沈んだ。血管がとくん、とくん、と脈打つ。


「……びっくりしたよ」

「少し、イラついてきた」

「え、なんで?」

「だって」


 シロツキが間近から僕を見据える。

 瞳の中に自分の赤い顔が見えるほどの距離だ。


「私がいくら守ると言っても、楓は自分から危険に飛び込んでいくんだ」

「やりたいことができたからだよ。沙那を迎えに行くことを──、将来三人で暮らすことを考えたら、メリーじゃないけど、『やってやんぞ』って気持ちになる」

「沙那のためにも、まだ死ねないな」

「もちろん」


 シロツキはもう一度自分の手を見、それから僕を解放した。


「ありがとう。少しマシになった」

「うん。よかった」




 僕らは寄宿舎を後にし、《水力昇降機ボニー・ヴィータ》でカルヴァ上層へ向かう。回廊には兵たちがごった返していて、それぞれが武器を持っている。人間の僕はやっぱり白い目で見られがちだ。

 仕方ない。これからとうの人間と戦うんだから。


「あっ」


 向こうで女性が声を上げた、第十二部隊ヒルノートのマントを羽織った女性だった。見ると、昨日転んだところを助けたコアラの女性だ。こちらへ駆け寄ってきて、マントのフードを外した。


「武運を祈っています。どうか、ご無事で」


 ほかの第十二部隊ヒルノートからも次々に声を掛けられる。白い目に冷やされた心が熱を取り戻す。スポーツ選手がホームグラウンドで試合をするときと同じ感情なんじゃないかと思う。


 十二部隊ヒルノートの最後に、彼女が待ち構えていた。背が低いので人だかりの中じゃ気が付かなかったのだ。


「よ……」

「サジール」

「うぉ、なんだよ」


 シロツキがぎゅっと抱擁する。

 サジールは戸惑いながらシロツキの背を優しくなでた。


「なんだ、大丈夫だよ。なんたってお前は第三部隊ルートニクなんだから」

「……ん」

「怪我には気をつけろよ。それでも傷を負っちゃったら、あたしがいくらでも直してやる」

「ん。サジール」

「うん?」



「大好き」

「……」


 彼女はちょっぴり微笑んで、「あたしもだよ」といった。



 それから僕を指さす。


「おいこら楓、怪我すんなよ。シロツキを悲しませたらあたしがお前を殺すからな」


 それって本末転倒なんじゃないのか。

 思ったけど言わない。


「うん。気をつけるよ」

「気を付けるだけじゃダメなんだよ、ばか。ちゃんと無事に帰ってこい」

「あはは、けなされてるのか心配されてるのかわからないよ」

「心配してやってるんだ。感謝しろ!」

「うん。ありがとう」

「素直かよ」




 僕らは第十二部隊ヒルノートと別れて、流れ始めた人波に乗った。


 洞窟を通って山の表面に出ると、相変わらずの銀世界が広がっていた。空は快晴。明るい日差しが、斜面をおおう厚い雪を煌めかせている。

 ふと辺りを見回す。身を隠せそうな遮蔽物は針葉樹くらいしかない。障害物の少ない場所で戦闘するのは、はたして有利なのか、不利なのか。

 どちらにせよ、吹雪いてないことが唯一の救いだ。


 突如、わずかに気配がした。


「こんにちは」

「楓? どうし──」


 振り返ったシロツキがひゅっと息を吐く。


「……」


 そこに立っていたのは、いつも雪午車フェム・ウトを管理してくれるフクロウの獣人だった。自らの体を分厚い羽根ですっぽりと包んでいる。顔意外はかなり獣の特徴が残っていて、足には立派なかぎづめがあった。


 大きな目がじっと僕を見る。


「気づかれるとは、思わなんだ」


 ややゆったりした静かな喋りくち。


「気配にさとくなったのも、訓練のおかげだろうか」

「ええ」

「そうか。しばらく見ないうちに、ずいぶん色が変わった」

「色?」


 彼女はこくんと頷く。


「お前の魂が、まとう色。前は、守らなければ消えてしまいそうな、水色だった。今は、やや赤みがかったオレンジ、といったところか。色が濃くなっている。つまり、活力があるということ」


 ──魂。

 その言葉に思い浮かんだのはサジールの回魂かいこん術だった。僕の《視界ノック》と同じように、彼女も何かしらの魔法が使えるということだろうか。


「魂の色を見るとどんなことがわかるんです?」

「いろいろだ。嘘つき、正直、素直、偏屈、明るい、暗い、綺麗、醜い──、生きる、そして死ぬ」

「だからですか」

「ん?」


 彼女が眉を持ち上げて疑問を示す。

 僕はいった。


「魂の色で人の善悪を判断してるから、人間の僕を助けてくれたんですか」

「……そういうことになる」


 彼女は寂しげにうつむく。


「気を悪くしたなら、すまない。内心を覗かれていい気はしないだろう」

「いえ。それがきっかけで助けられたんですから、まったく気にしてません。どころか、お礼を言おうと思ってたんです。この前は本当にありがとう」

「……任務だからな」

「それでもです」

「そうか。言葉通りに受け取っておく」


 彼女は眠るように瞼を閉じ、それからぱっと開けた。独特なまばたきだ。


「訓練の話がでたから、一つ言っておこう。私の魔法とお前の魔法は、共に《視覗しし術》という系統に属している。もしもお前が望むなら、少しくらいはアドバイスできるかもしれない」

「助かります!」


 思わず身を乗り出してしまう。フクロウの彼女がわずかに身を引いた。申し訳ない。


 僕のテンションがここまで上がるのもわけがある。というのも、ここ二週間視界《ノック》の訓練がもっとも行き詰まっていたのだ。なんとか独学で技──シロツキたちがと呼んでいた技──を編み出したのだが、どうにも難しい。先輩がいればどれだけいいだろうと何度考えたか知れない。


「シロツキ、人間!」


 キツネの獣人が僕らを呼ぶ。第三部隊ルートニクの先輩兵だ。前衛の兵たちは移動を始めていた。カルヴァから離れて地形へのダメージを減らすためである。


「ごめんなさい。もう行かなきゃいけません」

「そうか」

「はい──、ところで、名前は?」

第七部隊オウロエル所属、イヴという」

「イヴ。この戦いが終わったら、いろいろ教えてくださいね!」


 右手を差し出す。馴れ馴れしいかなと思ったけど、彼女はわずかに躊躇って、羽で応えた。さらっとした感触が指を撫でてくすぐったい。


「それじゃあ」

「ああ」


 僕とシロツキが少し進んで振り返ると、すでに彼女は空へ飛び去っていた。


「シロツキ、どうしたの?」

「何がだ」

「ずいぶん静かだったけど」


 白い肌を赤く染めて彼女はいう。


「……内心を覗かれていると思うと、少し恥ずかしい。イヴは苦手だ」

「毛嫌いしちゃだめだよ。助けてもらったんだから」

「まあ、そうだが」


 シロツキをなだめて第三部隊ルートニクについていくと、すでにファロウとメリーが雪原の中央で待ち構えていた。


「よ。自由に話すのは久しぶりだな」

「はい。マーノスト以来ですか」

「おう。ちったぁ強くなったか?」

「どうでしょう。一応長続きはするようになりましたけど」

「上々だ。人間相手の戦闘なら黒爪に包まれときゃまず間違いねぇ」


 メリーが頷く。


「楓クン戦争は初めてでしょ? 終わりが見えなくて焦っちゃうかもしれないけど、落ち着いてね。それから自分の体力には人一倍気を配ること! いいね」

「気を付けます」

「うん! シロツキもね。楓クンに一番近い位置にいるのは君なんだから。互いのことをしっかり見ること」


 肯定的な言葉だったのが意外だからか、シロツキは目を瞬かせながら頷いた。


「さて、第七が言ってた時刻はもうすぐのはずなんだが……」


 ファロウが目を凝らし、顔つきを変えた。


「来たか」


 遠方に雪煙が立っている。

 その中から巨大な帆船が姿を現した。

 宙に浮かんでいる!


「《無音船ティファロッド》だ。あの中に人間がわんさか乗ってる」

「それを落とすのが私たちの役目ってこと。お姉さんたちの活躍、ちゃんと見ててね」


 ファロウとメリーがそれぞれに体をほぐし、敵に対して向き直る。


 いつの間にか僕とシロツキの周囲に見たことのない獣人たちが黒爪の盾を構えている。第十一部隊セヴォトリエの獣人たちだ。作戦書に共に動くことになると書いてあった。


 後方にもすでに隊列が出来上がっている。迎撃の準備は万端。


 音もなく、箱舟は滑るように接近してくる。

 やがて訪れる開戦に向け、僕はシロツキの黒爪をまとった。


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