58・訓練!
椅子に座らされて、サジールに「ステイ」と指示を出される。待っていると、彼女は食堂から夕食を乗せたプレートを持ってやって来た。
「あんまりお腹すいてないんだけど」
「なんでだよ」
「訓練後だし」
「はっ!?」
サジールが椅子を倒しながら立ち上がる。
「く、訓練って、なんの!?」
「戦闘訓練だけど。……
「そりゃそうだろ、ほかの部隊の人事なんて知るかよ。ってそうじゃなくて!」
彼女がテーブルをぶったたいた。アルミ製の天板が少し歪んだ。弁償することになったらどうしよう。
「どうすんだよ……戦場に駆り出されたりしたら」
「まぁ、そういうことになるかもって話だったよ。死なないための訓練だから、突然その辺に投げ出すことはしないけどって感じ」
「お前みたいなちんちくりんが人間と戦えんのかよ?」
「ちんちくりん……?」
体がへなちょこと言う意味なら、残念だけど正しい。
「マーノストのときと違って、戦争は殺し合うのが目的だぞ? 必要なら相手を刺して、斬って、息の根を止めなきゃいけない。わかってんのか?」
「うん。だから殺さないための技術を学んでるんだよ。って言っても、今日からだけど」
「はぁ?」
サジールはおいおい大丈夫かよと言いたげに頭を掻いた。
「具体的には?」
「武器をへし折ったり、装備だけを狙って斬ったり、かな? まだ知識的なことはなにも教わってない」
「素直に教えてもらえるか?」
「その辺りは問題なさそうだったよ。メリーっていう、
「副隊長かよ!?
サジールが身を乗り出してくる。
「う、うん。やっぱり副隊長ともなると知名度はあるんだね」
「そりゃあな。めちゃくちゃに強いって噂だし」
「……うん。強かった」
今日の出来事と、帰り際にはたかれた頬の痛みを思いだして気分が沈む。甘えるなって言われたっけ。メリーの言葉が脳裏に浮かぶ。
たしかに僕は甘ちゃんだ。ファロウが常々僕にそう言っていたのは、潜在的な部分で僕の弱さを感じ取っていたからかもしれない。
思わずため息をつくと、サジールが「おい」と遠慮がちにいった。
「お前がへこんでんのはわかったって。話は聞いてやるから、食え」
「どうしても?」
「あたしに無理やり食わされんのと、点滴打たれんのと、どれがいい?」
「だったら点滴の方が──」
「食えッつの、あほ」
僕は渋々スプーンを取った。暖かい野菜スープを一口飲んで、パンをちぎって口に入れる。一口もいらないと思っていたのに、どうしてか、そういうときこそ香ばしい匂いに腹が反応してしまう。
「お腹の虫が鳴ってんじゃねぇか」
サジールが無邪気に笑った。僕はそれを見て、口に運びかけていたパンを止める。
「ねえ」
「うん?」
「サジールってかわいいね」
「んあぁッ!?」
「あ、いや、変な意味じゃなくって」
「どういう意味だよッ!? 変じゃない方もわけわからんわッ!」
椅子ごと50センチ後退する彼女。そういうところがとても分かりやすくていい。年下の子供を相手にしているような。予測不可能で、でもちょっぴりわかりやすい。なんていうか、猫らしい。まぁ彼女は猫だけど。
「ごめん、怒らせる気はなくって」
「んいやぁあたしも怒ってはないけどっ、なんだ急に?」
「思ったことをしっかり口に出すことから初めて見ようかなって」
「ぐぎぎんんん~……だからあ! なんでそんな結論に至ったのか聞いてるんだって!」
赤面する彼女。来なけりゃよかったと小さく呟く。
サジールの表情は一つ一つがとてもまっすぐだ。見ているとこっちまで感情豊かになってきそうなほど。
僕はさっきの訓練と、メリーから言われたことについて話した。
「僕はシロツキに向き合ってるつもりだったんだけど、本当は建前にしていただけだったんだよ。自分の存在価値を肯定するために、シロツキを理由にしているだけだった」
「ああ。で?」
「だからシロツキの本音を知りたいなって。シロツキが何を思ってるのか、シロツキがどういう目でこの世界を見てるのか。知ろうとしたことなかったと思ってさ」
「だからってなんで、その、か、かわいい、とか……」
「人に本心を話してほしい時には自分からって、よく言うでしょ」
「お前の前世の話は知らん」
「そっか。それはそっか」
なにか間違っているような気がしないでもないけど。それも今更だ。
「で? どうして肝心のシロツキがいないんだよ? さっきまで一緒だったんだろ?」
「ああ、えっと、寝ちゃったから」
「それって何時間前だ?」
「ちょうど一時間くらい」
「あいつの回復力ならもう起きてるだろ。いくぞ」
「えっ」
「行くぞ。あたしとしても好都合だ」
ちょうど食事が終わったタイミングで、ガッと首根っこを掴まれ、僕はシロツキの部屋まで引きずられた。廊下に出ると
「シロツキ」
ココン、ココン、とリズミカルなノック。
ドアが開いて、やつれた彼女が姿を現した。その暗く沈んだ顔といったら。サジールが「ひッ……!?」と声を漏らしたほどだ。深く、地の底を覗き込むようにうつむいていて、視線が合わない。あれだけボロボロにされたんだから当たり前か。
「あ、あの、シロツキ?」
「……ん」
「いま、大丈夫か?」
「……ん」
小さな頷き。
「入っても?」
「……ん」
もう一度。
サジールは頬を引きつらせながらお邪魔します、といった。僕も恐る恐る入室する。
部屋の中に灯りはついていない。僕がドアを閉めると、カーテンの隙間から差し込む街灯りだけが光源だ。シロツキはベッドに座って膝を抱えた。
あまりのへこみように、サジールが絶句して僕を見る。
いや、どうしろって言うんだ。
『どうしろって言うんだ』だけど、どうもしないわけにはいかない。
そこで、シロツキの前にしゃがんで視線を合わせる。三秒間、青い目がぼうっと僕を見て、ふいっと視線を逸らした。なんか寂しくなって、僕はシロツキの頭を自然に撫でていた。
ふと、彼女がとても
観察するまでもなくわかった。黒爪を身に着けず、薄いシャツ一枚でいるからだ。彼女が呼吸するたびに、さらりとした長ズボンや布団と擦れて、わずかな音が立つ。あまりにも日常的な恰好。前世で暮らしていたとき、
そうか。沙那。
沙那と比べるのが一番わかりやすい。
いったい僕は何をしていたんだろう。細く、いまにもしおれてしまいそうなこの体に、傷を肩代わりさせていたなんて。獣人とか人間とか関係ない。僕はシロツキが傷つくのが嫌なのだ。
「ごめんね。シロツキ」
痣が残る彼女の腕にそっと触れた。シロツキはきゅっと体を丸める。拒絶にも見える動作だった。
「気づけなくてごめん。シロツキは、別に僕のことを守らなくても生きていけるのに。いつのまにか守ってもらうことが当たり前のような気持ちになってた。僕は最低だ」
「ち、がう……」
か細い声。
よかった。まだ僕の声を聴いてくれる。
「違わないよ。これは僕の話だから。──これから言うこと、どうか考えてほしい」
僕はいった。
「いつか沙那を迎えに行こうと思ってるんだ。獣人と人間の共生が叶ったらか、もっと早くなるかはわからないけど。絶対に迎えに行く。そうしたら、またカルヴァに戻って一緒に暮らすよ。その時に──」
「……ときに?」
青い目がこっちを見る。
サファイアのような美しい輝き。
「その時に、シロツキが傍にいてくれたら、僕は嬉しい。家族だからとか、そういう義務だからじゃない。無条件でシロツキと一緒にいたい。きっと沙那もそう思ってる。──シロツキ、僕のことを飼い主だと思わないで。ただ今の気持ちを教えてくれ。僕と一緒に来たいかどうか」
「……」
彼女はしばらく黙った。
三人分の呼吸の音がする。とても安心する温度。風呂上がりの体から熱が去っていく、そのわずかな時間。
「──っ、一緒にいたい」
シロツキがいった。
「私はお前と一緒に生きたい。一緒の時間が好きだ。心がポカポカして、体がじわって温かくなる。この感情が、『ペットと飼い主』っていう関係に起因する物じゃないなら、私はこの感情に名前を付けることができないけれど。でも、」
腕に置いた僕の手に、シロツキが恐る恐る逆の手を重ねる。
「私はたしかに、お前の隣を歩いていたい」
胸の底から嬉しさと安堵が湧き上がる。さながら清流みたいに。こんこんと。同時に鼓動が早くなった。よかった。緊張が解き放たれる。
「言いたいことはぜんぶ言ってほしいんだ。怪我とかもぜんぶ教えてほしいし、直してほしいところも」
「ああ。でもそれはお互い様だ」
「うん。これから気をつけるよ。だから、シロツキ」
「ああ」
「明日も一緒に戦ってくれる?」
「──もちろん」
暗がりの中で彼女の輪郭がわずかに笑んだ。
「で、」
僕らの気が済んだところで、サジールが灯りをともした。机の上に新聞紙を広げる。
「これって、マーノストの? なんでサジールが?」
「
鳥頭? って、ファロウか。
彼がサジールに渡したのなら、なにか思うところがあったのだろう。
「それで、話って?」
「ここを読め」
細い指がぴっと一部分を示す。僕とシロツキは顔を寄せて目を走らせた。
◆ガロンウェポン
首元を透明な悪意に撫でられたような気配にぞっとする。
これはそのまま前世のアサルトライフルって奴じゃないのか? 世界がどれだけ違っても、けっきょく人間は兵器を生み出し続けてる。なんだそれ。ふざけてるのか。
「ファロウが女王に報告してる。もしかしたらカルヴァにも兵力見直しがあるかもしれない。そうなったら、楓。お前も縄張りの外でお座りってわけにはいかないぞ」
「な、縄張り?」
「前世で言う『
とシロツキの補足。助かる。
つまり、僕も知らんぷりはしてられないと。どのみち見て見ぬふりはしないと決めた。
「僕らにできることってなにかあるかな?」
「それは……知らんけどさ」
サジールが頬を掻く。
「一応伝えといた方がいいかと思って」
「サジールは楓が心配なんだ」
「バッ、カか。そうじゃねぇよ、別に」
「ありがとう。サジール」
「そうじゃねぇって……ただ、お前ら二人に死なれたら寝覚めが……」
もごもごと口ごもる彼女を置いて、僕らは顔を見合わせて笑った。
次の日から、訓練の毎日が始まった。
まだまだ生傷が絶えないし、動きを考えるあまり体がついていかないことも多い。けど、するべきことが明確になって気力だけは湧いてくる。メリーの教え方もうまいのか、疲労が次の日に残ることはほとんどなかった。それでも直後にぶっ倒れることに変わりはないけれど。
シロツキを守ることを覚えた僕は、三百六十度に《
一週間を超えたころ、僕とシロツキは初めてメリーの攻撃をかいくぐった。
「ッ!」
あの驚いた顔!
サジールにも見せてあげたい。
まあ、いままで回避ばかりで、攻撃の手段をほとんど知らない僕らは、その直後にめった打ちにされたのだが。それにしたって進歩である。
「惜しかったね。お姉さんびっくりしたよー」
訓練直後、メリーが屈託なく笑う。シロツキは地面へ倒れたまま、すんっとすまし顔で胸を張った。
「これでも
「あっはは、言うねー」
早く二人の仲が改善することを祈るばかりだ。
訓練が二週間を超えると、僕の体にも変化があらわれる。
「あれ……」
朝、鏡の前に立って、腕が少し太くなっていることに気がつく。寝間着のチュニックを脱ぐと、胸板や腹筋が目に見えて割れている。そういえば、だんだん黒爪を使える時間が長くなってるような……。
単純だけど、なんか自信がついてきた。
成長したのは筋肉だけじゃない。
寄宿舎の廊下で、すれ違いざまに獣人が転んだ。僕は左手で彼女が放り投げた点滴のパックをキャッチ。もう片方の手で彼女を抱き留めた。意図的に助けたというより、「あ、できちゃった」という感覚だった。
「えっと……大丈夫ですか?」
コアラの獣人らしい彼女は腕の中で小さくなってこくこくと頷く。人間と関わりたくなかっただろうに、怖い思いをさせてしまって申し訳ない。
と思ったら、次の日にお礼を言われた。しかも食堂で。周りの獣人が何事かと僕らを観察していた。それと、一緒に食事していたシロツキがむっとするのに、コアラの彼女は気づいていなかった。猫が嫉妬深いってけっこう正しいかも。その日の訓練はあんまり調子が出なかった。
なんやかんや噂は広まるもので、寄宿舎のなかでよく話しかけられるようになった。基本あいさつだ。
よう。おはよう。おはよ。行ってらっしゃい。
やっほー。こんにちは。人間! 人間さん。
調子はどうよ? なぁなぁ。げんきー?
おかえり。お疲れ。おやすみ。じゃあな。
また明日。
これが、信じられないくらい嬉しい。蒸したてのジャガイモみたいに胸の中がホクホクする。前世で得られなかったあまりにも尊い日常。きっとすべての人間は、これを味わうために生きているのだ。そう信じて疑わないくらい嬉しい。とにかく嬉しかった。
「楓クン最近気合入ってるねー」
メリーが言う。
「なんかこう、かましてやんぞ! って顔してるよ」
「あはは、ちょっと嬉しいことがありまして」
「えーなになに。お姉さんにも教えてよ」
訓練前の穏やかな時間は一分後に消え去るのだけど、こうしてメリーへ報告できるのもなんだか楽しかった。
「最近、よく笑うようになったな」
僕の部屋に戻って、久しぶりに食卓を二人で囲んでいると、シロツキがいった。
「そんなに?」
「ああ。やっぱり、明るい顔をしている方がいい」
とん、と彼女は僕の肩に頭を乗せた。
僕は彼女の頭を撫でる。こうして努力を始めたんだから、自分からシロツキに触れることもちょっとは許されると思う。
「もう拒否されない」
シロツキはふっと笑った。
二週間と三日後。
その日マーノスト国軍の動きが
新兵装=
サジールの予想通り、カルヴァでは部隊構成に見直しがなされ。
僕とシロツキは戦場へ出ることとなった。
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