55・会食、のち……


「どうしてそう思う」

「人間が嫌いな獣人は会話の最中に笑ったりしません」

「偏見だ。演技で笑うことだってできるだろう」

「演技してるんですか?」

「……」


ゼノビアは黙り込む。僕はキャンドルの火の向こうにある彼女の顔を見つめた。


しばらく無言が続いて、


「たとえばお前の言う通りだとして、どうしてそれを聞こうと思ったんだ」

「気になっただけです。どうして人間嫌いのふりをするのか。それ以上のことはなにも」

「なら私がここで口を噤もうと構わないな」

「ええ。話したくないのであれば」


話してばかりで喉が渇く。

飲み物を探すとワインしかなかったので、仕方なくそれを口に含んだ。甘ったるいアルコールがつんと鼻に抜けた。うわ、と顔をしかめる。


ゼノビアが愉快そうに笑った。


「お子様な舌だな」

「お酒はちょっと……むしろよく飲めますね」

「この国において数少ない娯楽の一つだ。慣れないと損をする」


僕は手近にあった名前のわからない肉料理で口直しをした。それを皮きりに、ゼノビアも食べ物に手を付けた。


黙々と料理を楽しんでいると、

「有利だからだ」

陛下は唐突にいった。


「人間が嫌いなふりをしていた方が、国を治めるのに有利だからだ」

「……そんなこと」

「あるんだよ。自分で言うのも悔しいが、私のような若い王を全面的に信頼してくれる国民はごく一部。ほとんどが疑念のこもった目で、常に政治を監視している」


表情がわずかに陰る。


「私が王でいられるのは、ひとえに『人間を殺す』という強い求心力があってこそ。私が人間に対して強気な王でいる限り、国民は世代交代を求めたりはしないだろう」

「じゃあ、どうして僕を殺さないんですか」


人間への敵対を求心力にしている彼女と、共生を訴える僕。まるで正反対だ。生かしておく理由が見当たらない。


「カルヴァは変わる必要がある」ゼノビアがいった。「このまま人間に対して反発を続けていても、食料難は好転しない。それどころか、人間たちが作る新たな兵器に追い詰められていく。どんなに小さくとも、変化を起こさなければ、この国はやがて滅ぶ。それを防ぐために、お前を受け入れてみるのもどうかと思ったんだ」

「……気が重い話ですね」

「当たり前だ。国一つがかかっているんだからな。私の肩には、常に二十万近い命がのしかかってる」


つらくないんですか。


そう聞こうとしてやめた。つらくないわけがない。自分の決定が多くの命を左右するのだ。その重さをどうやってはかることができよう。


「ゼノビア陛下は、その」

「ん?」

「友達を作るべき、かもしれません」


彼女はキョトンとした。年相応の驚きがそこにあった。豊かな感情のこもったその表情が、「女王」の顔で覆い隠されていく。乾いた砂が水を吸い込んでいく様に似ていた。


「これこそ偏見ですけど、きっと本心を見せる相手がいなかったんじゃないかと思うんです。だから、対等な立場で『苦しい』とか『疲れた』とか言い合える関係が必要ですよ」

「それは、また人間らしい意見だな」

「そうやって『女王』ぶらないでください」

「なっ……」


また『ゼノビア』の顔が現れる。


「そんなことを言われても。私は現に女王で……」

「忘れてください」

「はあ?」

「言うべきこととか、するべきこととか、全部忘れてください。たとえば、そうですね」


僕は机の上を示した。


「ここに色々な料理が並んでるじゃないですか。『これはすべてあなたのものです』って言われたら、どれを食べます?」

「……別に、私の好物など聞いてどうする」

「いいから答えてください」

「……」


彼女はしぶしぶといった様子で、僕の側にあった肉料理を指さした。


「これ、ですか」

「ああ。それがなんだっていうんだ」

「お皿貸してください」


僕はゼノビアから受け取った皿に、一人分をはるかに超える量の肉を盛りつけた。彼女の傍へ行って差し出す。


「どうぞ」

「どうぞじゃない、戻せ! 私は余りものでいい」

「食べたいのはこれって言ったじゃないですか」

「私以外に食べる奴らがいるんだ。一人で一品を独占するべきじゃ──」


彼女はふと言葉を止めた。


「……私が、自分の心を殺していると言いたいのか?」

「はい」


大きなため息が僕を迎えた。


「あいにく慣れっこだ。こんなものは日常の一部。王の娘に生まれた時点でな」

「僕は人間ですから、陛下の求心力とか日常とかどうでもいいんですよ。ただ、僕の働きを認めてくれた『ゼノビア』っていう一人の獣人が苦しい思いをしているのが嫌なんです」


ゼノビアはぶすっと頬杖をついた。


「私の苦痛の解決策が、大量の肉か」

「まぁ、これは例えばです」

「ずいぶん不躾ぶしつけな人間を招いてしまったものだな」


言われてみれば強引な物言いだ。一国の主を前に失礼極まりない。


でも、意見したくなった。たった五歳しか歳が違わないのに、彼女はどこにも苦痛を吐き出せないなんて、なんか嫌だ。大人だろうが子供だろうが、ため込んだらいつか破裂する。僕の目にはゼノビア陛下が危うく見えた。


仏頂面をそっと崩して、彼女は仕方ないなといった。


「──人間、お前の皿をここに持ってこい」

「え?」


女王はちょっと笑って、

「半分でいい。ほかにも料理はあるんだから」


折衷案、というわけだろうか。僕も笑いながら料理を分け合った。








皿が空になったころに、部屋の扉が開いて、顔を真っ赤にしたシロツキと第三部隊ルートニクの面々が集まった。流れるように隣へ座る愛猫へ大丈夫かと尋ねれば、別に、というつれない返事が戻ってくるのだった。




会食は楽しいものだった。


第三部隊ルートニクの獣人たちはお酒が入るつれて口数が増え、寝たり騒いだり自由な様相だ。その中で陽気に歌を歌っていた羊の獣人の女性が、唐突に肩を組んできた。お酒臭い。


「ねぇねぇ、シロツキのどういうとこが好きー?」

「どこって……」

「キスしたんでしょ?」


ワインを飲んでいたシロツキがごふっとせき込んだ。


テンションが上がって、いわゆるやっちまった的ノリのキスが後を引いて僕の顔を熱くする。どうして女性は、こと恋愛沙汰にこれまで敏感な気配を感じ取るんだろう。


「どこっていうか、その、大切な家族ですから」

「きゃー! かわいい! 私も家族にしてほしいなー!」

「だ、ダメです!」。

「なんでーシロツキ。わたしのほうが先輩だよ」

「プライベートに先輩も後輩もありませんっ」

「プライベートだって! うわー初々しい!」


シロツキは肌が白いので、赤面するとかなり目立つ。本人も自覚しているに違いない。彼女は恥じらうときに肩を丸めてうつむく癖がある。


「メリー。あんまりいじめてやるなよ」


顔色一つ変えずにワインをぐびぐび飲んでいたファロウが、ここにきてフォローしてくれる。助かった。


「で、我らがお嬢さんのどこが好きなんだ?」


助かってなかった。

そのあとも前世のことについて質問責めに会いながら、シロツキに話を振ったり、サジールの話をしたり、ファロウの話でごまかしたりして、とんでもない努力の末に、僕はなんとか会食から逃げ切った。






一夜明けて次の日。


第十二部隊ヒルノートの寄宿舎で目を覚ますと、ベッドの脇から褐色肌の顔が生えている。なんのことはない、きのう絡んできた羊の獣人メリーだ。


「どうやって入ったんです?」

「ふっふーん。この部屋の鍵の管理は第三部隊ルートニクに任されているのだ」


プライベートと言うものが僕にはないらしい。人間だから仕方がないのだろうけど、ひどい話だ。


ところで、


「わかるよわかるよ、『メリーお姉さんどうしてここにいるの?』って聞きたそうな顔してるもん」

「まぁ……、はい。侵入されたら誰でもそう思うんじゃないでしょうか……」

「実を言うとだね、私は任務を受け取ってここに来たのだ。教えてほしい?」

「もったいぶるような内容なんですか?」

「ううん。そーでもない」


ならさっさと教えてほしい。


「あっはは、君はけっこう感情が顔に出るタイプだなー。いいよ、教えてあげるからついておいで」

「まだ着替えてもないんですけど、急ぎますか?」

「ううん、そーでもない」


なんなんだ。


「じゃあ、あの、待っててください」

「はーい。座って待ってます」

「できれば外で」

「ちぇ」


メリーがドアを開けると、たったいま僕の部屋にノックしようとしていたシロツキがそこにいた。


困惑の表情を浮かべている。それはそうだ。朝っぱらにも関わらず男子の部屋から女性が出て来たんだから。


羊の獣人は横長の瞳孔をきらりと光らせた。


「昨夜は中々激しかったね、楓クン」

「ッ、どっ、なんッ、ぅ、どういうことだ!」

「くだらない嘘つかないでくださいッ!」

「あっはははーっ」


甲高く鳴くように笑って、メリーは廊下に出ていった。


ばたん、と扉が閉まった。

シロツキが僕をまっすぐ睨む。


「あんまりこういうことは言いたくないが」

「……うん」

「メリー副隊長を彼女にすることはお勧めしない」

「誤解だから」


思わずがっくりと肩を落とす。

っていうか、あの人副隊長なのか。あんなおちゃらけた人に務まるんだろうか?


「楓、なんで副隊長がここに?」

「任務を預かって来たんだって。これから内容を聞きに行くところ」

「……私もついていく」

「言うと思ったよ」


とりあえずシロツキも廊下に出て貰って、僕は服を着替えたのだった。







隙あらば冗談と恋バナを放り投げてくるメリーに閉口しながら、案内されたのはカルヴァの中心街。上層へ向かう《水力昇降機ボニー・ヴィータ》のほど近くに位置する場所だ。凱旋式の影響か、街はお祝いムードで盛り上がっている。


「腹ごしらえでもしよっか。シロツキたち、何か食べる? おごってあげるよ」

「いえ、私は」

「遠慮しないの。さっきから魚の焼き物に目がくらんでるくせに」

「うっ……、じゃあ、それで」

「はいはーい。楓クンは?」

「同じものを。ありがとうございます」

「どういたしまーして」


丸々と太った魚の串焼きを頬張りながら、さらに足を進めた。


路地を進むごとに人波が減っていく。カルヴァの北側の地区は軍に関わる施設が主で、居住区は少ないんだとか。


「さ、ついたよ」


メリーが小さなお城のような建物を指さした。二つの塔をつなぐように建築された三階建てだ。


第三部隊ルートニク寄宿舎へようこそ。シロツキはもちろん知ってるだろうけど」

「ええ。ここで何を?」

「訓練」

「え」

「訓練だよ、訓練」


シロツキがぽかんとする。


「誰の、ですか」

「決まってるじゃん」


メリーがふふんと自慢げにいった。


「シロツキと楓クン、二人のだよ」


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