54・会食



凱旋式で発表された内容は羊皮紙に刷られ、すぐにカルヴァへ広まっていった。かえで沙那さな。二人の人間のことを知らない獣人たちは大いに驚いたことだろう。


サジールが言うに、人間の在住が正式に認められたのはカルヴァ史上初めてだとか。


「外を歩いても、もう何も言われないかな」

「そんなはずあるかよ」


第十二部隊ヒルノートのマントを羽織りフードをかぶっている僕は、サジールやシロツキと一緒に裏路地を縫っている。


「人間に嫌悪感を持つ獣人の方が多いだろうし、姿を見せないに越したことはない。お前が女王から勲章を受け取ったって事実は保険程度の価値だ」

「人間に好意的な獣人って、シロツキとサジール以外にいるのかな」

「あたしを含めんじゃねー! あたしが認めてんのはお前だけだッ!」

「そっか。それは、その、ありがとう」

「はっ……!?」


サジールは花瓶を割ってしまった小学生のような表情で顔を伏せた。華奢な体からぐるぐると唸る声が聞こえる。


「……はめられた」

「自爆したくせに」


シロツキがくすっと笑い、それから僕に向き直る。


「今まで通り、外出するなら私が同行する」

「わかった。用があったら声をかけるよ」

「ああ。──サジール、いつまでマーノスト国旗みたいになっているの」

「誰の顔が真っ赤かッ!」


そう言って顔をあげた彼女はやっぱり真っ赤だった。






寄宿舎で時間を潰して、時刻は夜の八時ごろ。


僕とシロツキが再び大広間の前に行くと、薄暗闇の回廊にゼノビアが一人で立っていた。黒を基調に、白いラインをあしらったドレスに身を包む彼女は、その美貌で人を惑わす神出鬼没の妖精のように見えた。


「一人ですか?」

「ああ」

「護衛もつけず?」

「そうだ」

「こんなところで……」

「何が言いたい?」


さっきのサジールみたいに真っ赤な瞳が僕を睨んだ。


「なんか、不用心な気がして」


するとゼノビアはため息をついた。


「お前のような非力な人間に殺されるのであれば、私はとっくに女王の座から滑り落ちている」


その言葉が示すところはすぐにわかった。女王と言えど戦う力がないわけではないということだ。


そういえば初めて会ったとき、ゼノビアはシロツキを蹴り飛ばした。並以上の戦闘能力を持っているのだろう。相手が複数で来ない限り自衛は充分かもしれない。


ゼノビアはつと踵を返した。


「ついてこい。会食だ」

「会食?」


慌てて後を追いながら訪ねる。


「人間を招いてですか」

「お前をねぎらうべきではないかと、いくつかの部隊から声が上がっている」


僕とシロツキは顔を見合わせた。女王は続ける。


「もともとこの国では、相応の働きをした者に料理をふるまうしきたりがある。それを適用する相手がたまたま人間だっただけだ」

「あの、ありがとうございます」

「なぜ私に礼をいう」


ゼノビアは正面を向いたままいった。


「最も意思を表明していたのは第七部隊の女性監視官だな。お礼はそいつにでも言ってやれ」


脳裏に浮かんだのは雪午車フェム・ウトを引くフクロウの獣人だった。そうか、あの人が。


回廊を静かに歩いていく。角を曲がると、向かう先に黒爪を纏った獣人たちが整列していた。第三部隊ルートニクの面々だ。ファロウもいる。


「招集に応じてくれたこと、礼を言う。それぞれ席に着くといい」

「それなんですが」誰かがいった。「ちょっと確認したいことがあるんで、女王と人間は先に席についていてください」

「確認したいこと?」


ゼノビアがいぶかしむ。


「まぁまぁ、先に入って入って」

「ん、おい」


獣人の一人がドアを開けた。陛下と僕は背を押され、荷物のように部屋に押し込まれる。背後でドアが閉じた。


「なんなんだ、まったく」


ゼノビアはちらと僕を見て敵意とも不満ともとれる顔をすると、


「まぁいい。席に座れ」といった。


部屋の中には二十人ほど座れそうな長机が置かれていて。その上に火のついたキャンドルと、豪勢な料理が並んでいる。


ゼノビアがいわゆるに座ったので、僕はその反対側に座った。五メートル近い距離を開けても、彼女の眼光は正確に僕の心臓を委縮させる。


部屋の外からは賑わった会話の音が聞こえてくるばかりで、シロツキや第三部隊ルートニクが入ってくる気配はない。


「人間と食卓を囲むとはな」


女王はまずそうにワインを飲んだ。


「席、外しましょうか」

「何のための会食だと思ってる。私に恥をかかせる気か」

「ごめんなさい」

「軽々しい謝罪だな」


ゼノビアはもう一口ワインを飲んだ。食事には一つも手を付けない。それは僕も同じだった。


「どうした。腹が減っていないのか」

「ああ、いえ、なんか緊張して……」

「はぁ……なら、先に話を済ませよう」


グラスを置くと、彼女は僕をまっすぐ見た。


「獣人と人間の共生を目指す、と言ったな」

「……はい」

「具体的には、まず何をするつもりだ?」

「まだ何も考えてないです。ただそうしたいって思っただけで」

「一手目を考えろ」

「え?」

「一週間後の《全席獣会合セレム》までに具体的な策を立てろ。それが次の任務だ」


驚いて、女王の顔をまじまじ見つめてしまう。


「そんなに意外か?」

「はい。けっこう。人間の提案を受け入れてもらえるとは思ってませんでした」

「国の利になる可能性を考慮しただけだ。獣人か人間かは関係ない」

「ゼノビア陛下って、けっこう──」


慌てて口を噤んだ。言おうとしたことが失礼なものだと気づいたからだ。

けれど彼女の方から、

「変に気を遣うな。人間など不遜な生き物だと理解している」

と先手を打たれてしまう。


僕はおずおずと口を開く羽目になる。


「陛下はけっこう理性的なんですねって、言おうとしました。ごめんなさい」

「相手が人間ならすべてを殺すわけではないさ。私はあくまでカルヴァの維持と繁栄を第一に考えている」

「ほら、初めて会ったとき真っ先に殺そうとしたから」

「初対面で相手の価値は測れないだろう? お前が人間である以上、生かしておくリスクの方が高かった。あの時は」

「今は違うと?」

「言わせたいのか?」


形の整った唇が繊細に笑んだ。


「いまだから指摘するが、お前はどうにも、自信がないのに大きなことを言う癖があるらしい」

「……そうかもしれません」

「かもしれないではなく、これは事実だ。第三者から見てもまごうことなきものだ。世界を知らずに人間と獣人の中立に座し、戦うすべもないのに獣人を解放しに行った。あらゆる能力と任務が見合っていない」


ゼノビアはワインを飲もうとして、やっぱりやめた。


「にも関わらず、どうしてこうも結果をだせるのだろう」

「……偶然、だと思います」

「もちろんそれもあるだろう。けれど、それでは説明のつかない部分も大きい。どうしてお前の行く先にはいつも味方がいる? あるいは、味方ができる?」


ゼスティシェに行った時のサジールやファロウ、村長。マーノストへ行った時の沙那。言われてみればたしかにそうだ。


「ひとえに、楓という人間の性格がそれを可能にしているのか、そうでないなら……」


考え込むゼノビアを見て、思わず笑みがこぼれた。


「どうした」

「いえ、初めて名前呼んでもらえたなって思って」

「お前……」


ゼノビアは言ったことを取り消すようにワインをぐいと飲みほした。


「たかが名前を呼ばれるのがそんなに嬉しいか」

「けっこう嬉しいですよ」

「のんきなものだな」


陛下は空気がわずかに動く程度に笑った。

それからふいに真面目な顔に戻って、じっと僕を見る。


「……」

「……どうしました?」

「お前は、なんなんだろうな」

「人間、じゃダメですか」

「もはやそういったで判断するのはおこがましいような気がしている。人間のくせに、獣人を助けて」


自分が何か。

生まれ変わった僕のことだ。実は一つ答えを考えてある。


「命じゃないでしょうか」

「命?」

「ええ。獣人と仲良くできたらなっていう思想を持つ、一つの命です」

「……ありきたりだな。──でも」


なにかを考え込むような姿勢で、彼女はじっとしていた。


すると部屋の外から「ひゅーひゅー」という声が聞こえてくる。いったい何を話しているのか。聞き耳を立ててみると、どうやら僕がシロツキの頬にキスをしたのが噂されているらしい。顔が熱くなる。


ゼノビアが鼻を鳴らした。


「お前は、獣人を恋愛対象にできるか」

「えっ……!?」


唐突な質問にびっくりする。


「たとえばシロツキでなくてもいい。そうだな……サジールや、第七部隊のあの監視役なんかでもいい。たとえ異種族であっても、特別な感情は抱けるものなのか? 個人的な興味だ」

「……まぁ、ちょっとは」

「獣人や人間の違いは気にならないのか?」

「気にならないわけじゃないですけど、けっきょく大切な存在なので……」

「ふむ」


すると彼女の目にいたずらな光が宿った。


「人間の目で見たら、私はアリか?」

「なっ……!」

「5,4、3」


わざとらしいゆったりしたカウントダウン。慌てた僕の口から言葉が滑り出る。


「アリ、ですけど……」

「まったく嬉しくないな」

「言わせたのそっちじゃないですか」


失礼を承知で反論すると、ゼノビアは声をあげて笑った。今度はやけに晴れやかな、学校でクラスメートとかわすような笑み。


「冗談だ。女王とはいえ、自分の容姿も少しは気になるものだからな」

「ゼノビア陛下と結婚したいという獣人は多いんじゃないですか?」


仕返しとばかりに質問を投げかける。彼女は嫌そうな顔をした。


「ああ。贅沢な暮らし目当てで婿むこになりたいというバカな奴は多い。国を治めるということがどれだけ心労になるかも理解していないバカがな」

「それは、なんというか……」

「そもそも私はプライベートのことに口を出されるのは嫌いなんだ。どうして他人を夫にして、対等な立場に引き上げなければいけない?」

「ずいぶん正直に言いますね」

「アルコールを含んだせいだろうな」


そういう彼女の顔は、全く赤くない。それでも会話してくれるということは、少しは僕のことを認めてくれたと思ってもいいんだろうか。


僕は意をけっして、ずっと気になっていたことを訪ねた。


「あの、陛下」

「ん?」


挑発的な視線を正面から見据える。






「陛下って、本当は人間が嫌いなわけではないですよね」






重い沈黙が部屋を満たした。

そして彼女は口を開く。

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