49・逃走の幕切れ


体を貫いた小さな弾丸は、その大きさから想像できないほどの衝撃を生む。ふいの凶弾に襲われた少女は、躍るように半回転して雑草の中にうずもれた。


「サジールッ!」


彼女は痛みに瞼を痙攣させながら右腿を抑えた。手の隙間からこんこんと湧き出る鮮血が地面を赤く汚す。


「い、った、っ……!」


もはや走れるのかどうかすら怪しい傷だった。

いったいどこから。


振り向いた僕を大量のヘッドライトが照らした。


車体いくつ分かの距離を開け、《αアルファ》がずらり並んでいる。地下で追ってきた兵は僕らを締め出すための陽動部隊だったらしく、目の前の数は比較にならないほど多い。


『そこを動くな、卑しい獣人ども』


どこかで男がいった。


『我々はすでに狙いを定めている。おとなしく縛首輪リコールにかかれ』

「っ……いや、いやだ」


後部座席に乗った兵たちが輪を取り出した。獣人たちが一様に震えだす。いい思い出などそれにあるはずもなかった。


「どうすればいいですか」


焦りを押し殺して問う。


「逃げるのが最適だ。こいつらかばいながらこの数と戦うのは厳しい」

「サジールは」


彼女は立ち上がろうとして、そして再び倒れた。血もバランスも失っている。


「無理、っぽいな……」苦々しく笑う。「逃げらんないや、あたし」

「そんなこと……」


シロツキが目を怒らせる。


「私の黒爪で包めば! それなら──」

「楓は、どうすんだよ。あたしらだって怪しいのに、人間の速度で逃げ切れるわけないだろ」

「でもっ」


αアルファ》がゆっくり近づいてくる。


「時間なんかくれないみたいだぜ」


ファロウが眼光鋭く相手を睨んだ。サジールは冷や汗をかきながらシロツキに笑いかけた。


「レウさんに、部屋汚してごめんって、言っておいてくれ」

「やめろ、そんなことっ」

「シロツキ」


責めるような声音にハッとする。


「わかってんだろ。命がけなんだ。あたしはもう──」

「方法はあります」


僕はいった。


その場にいた全員がこっちを向く。


「ファロウ、サジールを背負ってみんなの先頭を走ることはできますか」

「できないことはねぇが、速度は落ちる。《αアルファ》からは到底──」


彼は僕を見てそっと声を引っ込めた。


「お前、まさか」


僕はそれに答えず、今度はシロツキの前に立った。サジールを抱き起こす彼女の、青い目を見下ろす。


「シロツキ」


きっと彼女は断らない。だからと言って、こんなことを頼んでいいのか。いや、迷ってる暇なんかない。


「僕と一緒に最後列で戦ってほしい。きっと危ないし、怪我もする。それでも守ってくれるって言うなら、僕はシロツキに頼るほかないから」


シロツキはサジールと僕を交互に見た。

それから息を吸い、鋭くうなずいた。


「いまさらだ。私はそのためにここにいる」

「よっしゃ。付き合うぜ、人間」


サジールを背負ったファロウが獣人みんなに耳打ちした。


──合図で逃げろ。

たったそれだけ。


作戦と呼ぶにはあまりにお粗末な。それでも土壇場でおもいついた策だった。僕とシロツキがしんがりを務める。群がる《αアルファ》を──獣人を『卑しい』呼ばわりしたこいつらを、一手に引き受ける。


今まで何度もファロウやサジールに助けられていた。でも今度は、正真正銘一人。


手も足も震えた。ここで失敗したらみんなはどうなる。沙那さなは。一人でマーノストへ残されることになる。たった一人でだ。それがどれだけ苦しいことか、僕はすでに知ってる。


失敗できない。失敗しちゃいけない。僕は──。


「っ……」


気がつくと、シロツキが僕の右手を強く握っていた。


「一緒だ」


なにが、と。

僕はもう聞かなかった。






『ただいまより拘束する。そのままで待て!』


縛首輪リコールを持った十数人の兵が後部座席から降りた。徒歩でこっちに近づいてくる。最後列に構えた僕らの眼の前まで残り十メートル。


「《過剰オーバー》」

「《視界ノック》」

「走れッ!」


三つの声が重なった。


黒爪が体を包むのを感じながら背後へ意識を走らせる。獣人たちは人間の姿を捨て、それぞれ動物の姿で森を駆けだした。先頭を行くのはファロウ。背負われたサジールは失血が相まって生気がない。間に合え。そう願う。


「姑息な」


僕の眼前に迫っていた兵が忌々しそうにいった。そして腰から剣を抜き、残った僕らに向ける。そのころにはシロツキも準備が終わっていた。


僕は右腕を振った。伸長した黒爪が剣を折った。


まさか取り残された一人が戦いに秀でているなど誰も考えていなかったのだろう。《αアルファ》に搭乗した兵たちの顔色が変わる。縛首輪リコールを持った兵たちはすぐさま自分の機体に戻り、後部座席に座っていた兵たちは僕に銃口を向ける。そのまま加速し、こっちを取り囲んでぐるぐると円を描く。


「行こう」

「ああ」


地面を踏み抉る。前傾姿勢で射線をかいくぐる。破裂音が遅れて耳を打った。眼前に迫る一台の《αアルファ》。


ヘッドライトを左手で殴る。マシュマロみたいにひしゃげた。右手の刀で車体の軸をたたっきる。背後から射撃の気配。空へ跳んだ。一回転して狙いをずらしながら着地する。シロツキの身体能力のおかげだ。


「クソッたれ!」


斬られた《αアルファ》に乗っていた男が僕へ向けて見たことのない兵器を構えていた。太い砲身から放たれた拳大の弾が放物線を描く。軌道が読めないわけじゃない。避けられる。


「楓ッ!」


シロツキが黒爪を操る。僕の体を強制的に後ろへ退かせる。その速度に全身の筋肉が悲鳴を上げる。


そして目の前で爆発が起きた。膨れ上がった火の玉。高熱の手が僕の全身を舐める。はじけ飛んできた鉄片が黒爪の鎧にぶち当たって弾ける。


──爆弾グレネード


じりじりと焦げる肌。鎧がなかったら丸焼けになっていたところだ。


「怪我は!?」

「っ、問題ない、動く!」


攻撃の手は止まらない。銃弾が絶え間なく注がれる。左右にステップを踏み直撃を避けるが、カーテンのような弾幕ぜんぶを避けるには限界がある。


右足、左腕。意識が向かないところへ弾が掠った。鉄鋼を打つドリルに似た音を立てて鎧が削れる。僕を抱きしめるシロツキの腕に力が入った。


どれくらい時間が経った!?


まだ五分も経ってないのか、それとも一時間はこうしてよけ続けているのか。時間の感覚はとうになくなってる。


鎧の中で息が上がる。休みなく動かしていた足が限界だと訴えかける。


「楓! 退こう!」


銃声の合間を縫って、シロツキの声が耳に届いた。


「もう充分だ!」


助かった!

声を出そうにも喉が張りついて息が通らない。代わりに頷いて、僕らを包囲する《αアルファ》の頭上を飛び越えた。向かう先はカルヴァ。木々のあいだを縫うように走る。いくつもの敵意が後ろから追ってくる。


でもこのままいけたら──。





バチン。

そんな音が聞こえた。





「ッ、ぎッ、アぁッ!!」

「楓ッ!」


目の中に膨らんだ風船が弾けた。それにあわせて目も爆ぜてしまったような。突き刺すほどの痛み。


「っ、あ、ぁあ、」


景色が消えた。テレビの電源を落としたみたいに。

何も見えない。《視界ノック》が閉じた。何度集中しても使えない。周囲の状況が何もわからない。何も見えない。何も!


「ッ、耐えろッ」


シロツキが叫ぶ。


僕の体はいまどうなってる?

もはや地面を蹴ってる感覚さえ曖昧だ。ただ全身に当たる強い風で加速していることを知った。シロツキが僕を動かしてる。


「頼む、頼むからっ」


彼女は泣きながら黒爪を操った。もはや痛みの渦中で瞼さえ開けられない僕を強制的に走らせた。そうしなければいけないことはわかってる。でもあまりの苦痛に涙が止まらなかった。痛い。目も足も。


「クソッ! なんでっ」

「見せろ!」


シロツキが鎧の一部をはがして身を乗り出す。両目をのぞき込む彼女の気配。


「っ、赤い……。なんで……っ?」






 ──魔法の原理はほとんど解明されてねぇんだ。ただ、無尽蔵に使えるわけがねぇってのはわかるだろ? ナニカをするためには、それに見合った対価が必要だ。






ファロウの言葉を思い出す。


これが対価? これが!?

もう見えないのだろうか。なにも、なにも。


光をなくす絶望に怯えていた僕を、ぼんやりとした景色が救った。まだ見えないわけじゃない。輪郭はぼやけていて、ピントがずれてるけど、たしかに視力は戻り始めてる。


「見えるか! 楓!」

「ッ、少し、だけなら」


息も絶え絶えにいった。


背後から雑草を踏み潰す走行音が轟いている。まだ追われているのが《視界ノック》なんか使わなくてもわかる。


満身創痍の僕らは走り続けた。




やがて森を抜け、湿地にたどり着いた。泥を踏み越えて走る。跳躍に次ぐ跳躍。足が引きちぎれるくらいに。それでも《αアルファ》は追ってきた。道がなくてもお構いなしだ。


「ッ、っは、クッ」


シロツキが歯を食いしばる。時折苦しそうに呻いては浅い呼吸をする。地下から始まって、何十分も黒爪をフル稼働させてるのだ。彼女も限界が近い。


もう少しでいいから持ちこたえてくれ。満足に体すら動かせない僕は祈ることしかできない。


頼む。頼む。

でも。


「っ、」


湿地のど真ん中に来た時、シロツキからふっと力が抜けた。その瞬間に黒爪がはがれた。僕らは川べりに投げ出される。


「ぅあッ!」


ほとんど水面に顔を突っ込む形になる。だめだ。もう動けない。全身の筋肉が一気にダメージを自覚した。ずきずき痛んで顔が歪む。


モーターの音が近づいてくる。《αアルファ》だ。もう逃げることなどできないだろう。やっぱり、だめか。


シロツキ。


かすれた声で呼ぶ。彼女はそう遠くない位置で倒れている。青白い顔が僕を見ていた。腕を伸ばしたら、彼女も右手を差しだす。僕はそれを握る。泥に横たわったまま、体を動かして彼女の傍へ。最後かもしれない。だけどあらゆる可能性を諦めるわけにはいかなかった。


──今できることを精いっぱい。


沙那と約束したのだから。

奇跡が起こる確率は何億分の一だ?

それでも僕は縋る。シロツキと一緒に、這いつくばってでも川を越えようとする。


背後から何人かがやって来た。みんな銃を持っていた。


「おしまいだ。クソガキども」


ずいぶん口が悪いな。


「さっさと諦めればよかったものを」


いやだ。今だってまだ諦めてないんだから。


「……どうやらいっぺん死なねぇとわからないらしい」


あいにく、一回死んでるんだ。


「おい、動くな!」


誰が従うか。



僕はシロツキを見た。真っ赤に染まった視界の中で、泥だらけの彼女の微笑みは、この世界の何より美しかった。


──楓。


唇が動く。


──最後まで一緒だ。


僕はうなずいた。

最後にもう一度だけ月を見たい。シロツキの名前となった真っ白なそれを。


「ッ」


顔をあげた。

川の水底を見た僕の脳裏に電流が走った。


すり鉢状に盛り上がった泥。それがいくつもいくつも……。







──どういう水の流れがあればこうなるんだ?







ああ、サジール!

僕は手直にあった石を掴み、祈った。


頼む、神さま。もしも不幸と幸福が万人に等しいのなら、僕はもう少し幸福に恵まれてもいいはずだ。だから。


「頼む」


僕は川に向かって石を投げた。

ぽちゃん。水面に波紋が立つ。


 地面が揺れた。

 突如目の前に木が生えた。

 川から飛び出してきたのは見上げるほど大きなみき

 影が立ち上がる。

 月明かりをさえぎる塔のような。


──ツリミミズ。


ツリミミズが大きく鳴いた。あたりにいたマーノスト兵たちが驚きの声をあげる。彼らは一目散に《αアルファ》へまたがると、僕らを捕えることも忘れて逃げ出した。一匹が叫んだのをきっかけに地中から何匹もツリミミズが飛び出してくる。まさかこの地獄の光景を二度も見ることになるなんて。


数台の《αアルファ》がなすすべなく飲み込まれる。乗り捨てた兵は間一髪逃げたようだが。


問題は僕たちだ。もう動く力は残っていなかった。


ツリミミズが月を背景に僕たちを狙っている。トンネルのような口が迫ってくる。


それなのに、不思議と穏やかだった。頑張ったけどダメだった。そういうことだ。やりきることができたからだ。


「最後だな」


シロツキがいった。


「うん。そうみたいだ」


彼女は僕の真横へ転がってくると、正面から抱きついてきた。


「……少し怖い」

「シロツキも、死ぬのは怖いんだね」

「当たり前だ」

「ごめん」

「ううん」

「前世で巻き込んだこともそうだよ」

「いいんだ。こうして私の言葉をお前に伝えられた。それだけで、私は」


シロツキが笑んだ。


「楓」

「うん」

「許してくれ」




そう言って、彼女は僕の頬にキスをした。




「っ」


柔らかな唇の感触が過ぎ去ったあとで、青い瞳の、涙だけが脳裏に焼き付いた。それは鮮烈な色彩。わけもわからずこの世界に生まれ変わった僕が最後に見る、確かな鮮やかさ。


そう思った。


「また来世で」

「うん。またね」


ツリミミズが迫る。














「勝手に終わらすな」


聞き覚えのある声がした。


目を見張るほど鋭利な矢が何本も飛来し、ツリミミズを貫いた。倒れた巨躯の向こうに、宙を飛ぶ羽のシルエット!

「もしかして……」


僕は思わず笑いだした。


雪午車フェム・ウトの管理者だとばかり思っていたフクロウの獣人が、そこにいた。


思えば彼女も第七部隊。兵に属している以上戦闘能力を持っていてもおかしくないのだ。でも、どうしてここに。

内心を読んだかのように彼女はいう。


「ファロウからの救援を受け取った。迎えに来たぞ、人間」

「ッ……ありがとう!」


僕は泣き笑いした。しまった。これじゃ沙那を笑えない。

フクロウの獣人はツリミミズをかいくぐって近くへ着地。僕らを羽の中に抱え、ふわりと飛び上がった。








 動けない僕たちの、つかの間の空の旅が終わる。

 山脈の麓には雪午車フェム・ウトが待っていた。ファロウやサジール、ほかの獣人たちも手を振っている。降下した僕たちを荷台に乗せつつ、ファロウは大声で笑い出した。


「生きてやがったか!」

「なんとか! サジールも、大丈夫?」

「ああ。いてーけど……」


彼女の腿にはさっそく包帯が巻かれている。近くにピンセットと摘出した弾丸がある。まさか自分でとったのだろうか。


僕はシロツキの方を振り向いた。生還できてさぞ喜んでいるかと思ったが、彼女は耳まで真っ赤になってうつむいていた。


「シロツキ?」

「……やめろ、頼むから、ちょっと一人にしてくれ」

「え、なんで」

「これで終わってしまうと思ったから……したのに。だって、だって」


周りの獣人がいぶかしむ中、僕も唇の感触を思いだして顔が熱くなる。今生の別れかと思ったセリフが、まさか恥ずかしい口上に早変わりしてしまうとは。


まぁでも、許されるはずだ。

だってこんなにうまくいった。結果オーライ。


まさかの事態にいささかテンションが上がった僕は、自分でも信じられないことをした。


お返しとばかりにシロツキの頬へキスをしてやったのだ。


「おわっ!?」とサジール。

「お」とファロウ。

どよめく獣人たち。


自分でやっておいてなんだけど、けっこう恥ずかしい。


シロツキは満足に動かない体を丸めると、顔を隠し、荷台の中でバタバタ足を振った。


「お、っと」


その振動を勘違いした雪午スラウフェムが歩き始め、ほろの上に乗ったフクロウの彼女がため息をつく。


「暴れるな」

「~~~ッ」


シロツキは聞いちゃいない。


「よかったな」


ファロウがにぃっと意地の悪い笑みを浮かべ、シロツキを除いて僕らは笑う。




進み出した荷馬車の中で、血と泥にまみれながら、

──こうして、僕らの二つ目の任務が終わった。

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