48・地下道、α


忌々いまいましい小娘が」


ガロンは王城二階の一室から地上を見下ろした。中庭ではアンナ第一王女が矢継ぎ早に指示を出している。集められた兵たちは律義に従い、城壁の内外を捜索し始めたところだ。


侵入者の一匹や数匹どうしたという。

気持ちよく寝ていたところを呼び出され、ガロンは心中穏やかでない。


「アンナ王女のわがままにも困ったものですね」


近くにいた兵があくび交じりにいった。


「まったくだ。自分に守られる価値があると信じて疑っていない。こういう奴が、将来妙なプライドを振りかざす。敵の捕虜となり、慰み者になる」

「あの美貌を抱けるものならそうしたいもんですが」

「罵倒の言葉ばかり吐いて適わんだろう。あいつなどは獣人の群れに投げ込んでやるのが一番いい」


叶いもしない願望を口走る兵士へ持論を展開しながら、ガロンは鼻を鳴らす。自分の部下が同じくアンナへ否定的であることを知れて満足した。


とはいえ、侵入者がいたなら対応すべきなのもまた事実。マーノストのためではない。金のために。賊が兵器を一つか二つぶっ壊してくれたのなら、王はそれを補填するためガロンへ金を払う。あらゆる犯罪者が彼にとってはビジネスパートナーなのだ。


ただ、姿が見えないのを見るに、侵入者とやらは逃げ帰ったのだろう。ガロンの出る幕もなかった。あとの顛末は時間の流れるに任せ、自分はもう一度ベッドへ……。


そう思っていた矢先、鍵を保管している棚に開けた形跡を発見した。中身を確認すると、地下牢の鍵の一束がごっそりなくなっている。


「……なるほど」


金の匂いがする。


ピンときたガロンは王城地下へ向かう。

カンテラを手に辺りを照らせば、そこはいつも通りこの世の最底辺。人間ではない生き物が、醜い外見を檻の中に晒している。ああはなりたくないものだとガロンは思う。


鍵の状態を細かくチェックして、彼はほくそ笑んだ。二つの鍵が閉まっている。これはおかしい。簡単にピッキングできないよう、ここには細工をしてあった。片方を常に解錠しておくのだ。すると、侵入者はどちらもピッキングするから、おのずと鍵が一つ閉まる。兵にも片方あけるよう言い渡してある。つまり、どちらかは開いていないとおかしいのだ。


さらに思考を走らせ、ガロンは牢の最奥に向かった。

ベッドの下に手を差し込み、指先で木板をなぞる。


埃がついてない。誰かがここを通ったのは明白だ。


「はっ」

思わず笑みがこぼれた。


すぐさまガロンは地上へ赴き、兵舎へ馬を走らせた。






     *






その通路を見て、僕は高校時代にぼうっと眺めていた社会科の教科書を思いだした。都心に設けられた地下水道にそっくりだったからだ。幅広の太い柱がいくつも並び、高い天井を支えている。《視界ノック》では知覚できないほどの奥行きがある。


サジールの打ち込んだ注射が利いてきたのか、捉えられていた獣人たちの足取りは次第に軽くなっていった。この調子ならシロツキのスピードにもなんとかついて行けるだろう。


問題は僕が人間であること。走っているとすぐに息が上がってしまうので、先頭のサジールが適度に休憩を挟んでくれた。後でお礼を言っておこうと思う。


「出血してるやつはいないか?」


獣人たちは首を振る。互いを伺って大丈夫だと頷く。


「一応傷がないのは確認済みだけど、なにか異常があったらすぐに言ってくれ」

「ありがとう」


小さな男の子がいった。


「別に、任務だからな」


サジールは照れたようにそっぽを向いた。シロツキがくすりと笑った。


休憩を終えて再び走り出す。

しばらく進んでいると、背後から地鳴りに似た低音が追ってきた。


「ファロウ」

「ああ、気づいてる。こりゃ一雨来るな」


地下で雨なんか降るはずもない。その言葉がさす意味は明らかだった。


「サジール!」ファロウが呼んだ。

「おお!」

「お前が先頭だ。シロツキは最後列に来い!」

「なんだよ! どうして急に──」


ごおっと風が吹いた。地下でだ。つまり、どこかに風が吹く隙間が生まれたということ。たとえば出入り口とか。


サジールはそれで追手の気配を察したらしい。それ以上文句を言わず走り出した。

一番後ろに来たシロツキが表情を渋くする。


「ファロウ、彼らは逃げ切れるでしょうか」

「さぁな」

「たとえ地上に出れたとして、その先は──」

「お前も甘ちゃんだな」


ファロウが息をついた。


「無理だと思うのか? なら今すぐ一人で逃げろ。迷いながら戦う獣人より、楓の方がよっぽど役に立つぜ」

「……どうも」

「褒めてねぇよ」


彼はくつくつ笑った。

人間を引き合いに出して批判されたシロツキはむっとする。


「不安になるのは悪いことではないはずです。グレア隊長もそう言ってました」

「対処できない不安をいくつ抱えても迷いが生じるだけだ。一瞬の判断を逃したら、お前の手が届く範囲で楓も死んじまうぞ? くだらないこと考えなさんな。──沙那だっけか、あいつも言ってたろ、『顔をあげて、今できることを精いっぱい』ってな。人間にしてはいいこと言うぜ。ちっと退屈なお説教だけどな」

「沙那を批判しないでください」

「はっ、こっちは褒めてんだろうが」


ファロウはふっと口元を緩めた。


「なんにせよ俺らができんのは敵を排除することだけだ。黒爪だけじゃあんな風にはできない。誰かに生きる希望を抱かせることはできない」


彼は僕を見、「だろ?」といった。

僕はうなずく。



そのとき。


断裂的な火薬の音が辺りに響いた。

獣人の何人かが悲鳴を上げる。その声は反響した。

ファロウが舌打ちする。


「位置がバレた。そろそろ接敵するぞ」


彼の言う通り、背後からがりがりとモーターの音が迫っている。

ファロウがそこで止まった。


「行けるか」

「はい」


背後へ振り向く。サジールは大声を気付け薬に獣人たちの混乱を治めていた。もう一度走り出していく。できるだけ遠くへ。


「《過剰オーバー》」


すでに気配を察していた僕は体を差し出した。三度目ともなれば慣れたものだ。黒爪の膜が背中から広がり、指先までを包む。二人分の体温。


モーター音が大きくなる。自動車のヘッドライトに似た光が向こうから現れた。地面を駆る二輪車の音色が、少なく見積もっても十台以上。その速さは獣人の脚力に匹敵する。


高機動戦術自動車両ノーブル──《αアルファ》。

二人乗りの兵器だ。


彼らは僕らの姿を見つけるなり後部座席の重火器を持ち出した。《視界ノック》を通してわかる。たくさんの射線がこっちを向いている。


「総数十六、迎え撃て。あくまで殺すなよ。大事になるからな」

「了解」


シロツキが短く答えた。


敵が接近と共に引き金を引く。僕とファロウは左右に散開して弾を避ける。


マーノスト軍の銃器は単発。一発撃ったら装填に時間がかかるはずだ。それを信じて急接近を仕掛けた僕の方へ、二発目の砲口がすでに狙いを定めていた。


「ッ」


とっさに左足を踏み切る。

それでも肩に痛みが走った。


「楓!」

「かすっただけだ! 問題ない」


そのあともほとんど隙のないまま銃口が僕らを狙う。どういうことだ。マーノストの兵舎で見た訓練じゃ、こんなに。


いや、彼らは二列になっている。もしかして。


「──《視界ノック》」


僕は意識的に知覚の範囲を広げた。眼球にぴりっとした痛みが走る。一瞬まずいかと思ったが、気のせいだと思えるくらいの時間だった。


αアルファ》にまたがったマーノスト兵は前衛と後衛に別れていた。各四台のチームを四つ組んで、切れ目なく弾丸を注いでいるのだ。わざと時間をずらして射撃することで、装填の短い隙がさらに補われている。


「どうする、楓」

「相手をサジールたちから引き離そう」


僕は王城のほうへ急旋回した。《αアルファ》が隊列を崩さず、慌てて追いかけてくる。意図を察したらしいファロウが同じように反転。帰りざまに羽に纏わせた黒爪でタイヤを切り破った。


車体がバランスをなくし、乗っていた二人はぽんと投げ出された。うまい手だ。殺さないままに相手の機動力を奪うことができる。


僕はそれをマネしてさらに方向を切り返す。右腕から刀を生み、こちらを追う先頭の一台のタイヤへ振った。ツリミミズよりは固い感触がした。先頭の一台はフレームを地下道の床へこすりつけ、火花を散らしながら横転。後ろにいた三台を巻き添えに倒れた。


かなりのスピードを出していたせいか、兵たちは完全に沈黙する。残ったのは十一台。ファロウが空を飛びながら銃弾の雨をかいくぐる。そちらに気を取られている隙に背後から忍び寄り、一つずつパンクさせていった。


αアルファ》は確かに速かった。黒爪をまとう僕らに追いつくほどだ。でも、その機動力は融通が利かない。百八十の反転には速度を落とすしかないのだ。


「クソッたれッ!」


誰かが叫んだ。

今度は僕らが標的になる。


いくつか向く銃口。《視界ノック》で着弾地点を測り、それを回避する。そのあいだにファロウが急降下、前部座席と後部座席の中間を真っ二つに切り裂いた。


ファロウの背後を狙う一台をシロツキの黒爪で貫く。


ほとんどを廃車にした後で、判断力の残った数台が逃走を開始した。僕らは深追いせず、逃げ遅れた一台に目を留める。乗っていた二人の人間をファロウが強引に投げ捨てるのを見届けた。降ろされた兵たちはバイクが去っていった方へ走った。


「乗れ」

「運転できるんですか」

「やり方はさっき見てた。魔動石にエネルギーさえ残ってれば」


胴体部のレバーを引くとタイヤが空転した。


「行ける。それから楓、《視界ノック》と《過剰オーバー》を解け」


服を脱ぐような感覚の後に、シロツキが背後へ降り立った。僕はヘッドライトを頼りに後部座席へまたがる。ファロウ、僕、シロツキの順だ。


そうして加速する。先へ行ったサジールたちを追う。頬に風が当たるのを感じながら、真っ暗闇に思考だけが働いている。


人間への敵対行為すら僕は躊躇いなく行った。これは正しいことなのだろうか。獣人の味方であることは僕にとって正しいことなのだろうか。考えても仕方がないことばかり堂々巡りしてしまう。体の輪郭さえ曖昧な暗闇で、僕を背後から包むシロツキの体温は確かだった。沙那と再会した喜びだってそうだ。僕は、これをなくさないために生きていくしかないのだ。おそらく、きっと。




どれくらいたっただろう。自分たちの居場所を確かめるべく《視界ノック》を展開すると、サジールたちが先に待ち構えているのがわかった。


「もうすぐです」

「おう」


やがてヘッドライトの中にサジールたちが姿を現す。


「無事だったか」

「おおよ。簡単には負けてやらないっつの」

「これは」


シロツキがサジールの奥にある梯子を見る。地下通路はそこで終わっていて、あとは地上へ続く道が一本残されていた。


「登るしかない。ここで行き止まりだ」

「そういえば、通路がどこにつながってるのか聞き忘れてたね」

「今更だろ。行くしかねぇよ」

「なんか、任務ごとにサジールが頼もしくなってる気がする」

「度胸がつかなきゃやってられねぇんだよ、クソ。誰のせいだと思ってんだ」


彼女はふんとそっぽを向いた。


「最初の通り、あたしが先に行く。それからシロツキだ。いいか?」

「ああ」


彼女らが上り、次に捕まっていた獣人たちが上った。最後に僕とファロウだ。


そうして長い梯子を上り切ると、そこにあったのは天井ではなく空だった。月が明るく辺りの木々を照らしている。


「出た」


誰かが言った。

獣人たちは周囲の環境を見て涙を流していた。


「まだ終わったわけじゃないぞ」


サジールが笑って、





銃声が鳴った。


とん、と。

押されたように、サジールの体が吹っ飛んだ。

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