47・別れたとして。あるいは地下牢にて


「そいつを連れてったらいよいよ国同士の騙し合いを疑われちまう。俺らがいなくなった後のマーノストには昨日と同じ日常が必要だ。そのために、俺らはあくまでコソ泥じゃなきゃいけねえのさ」


第三王女を攫ったりなんかしたら、いよいよ国を挙げての捜索、犯人探しが始まるだろう。


戦争中のカルヴァはきっと疑われるだろうし、それはゼノビア女王から与えられた任務にことごとく反する。


理屈で言えば簡単だ。

沙那を連れて行ってはならない。


でも。


「どうにか……ッ」


いやだ。せっかく再会できたのに。彼女から離れてどうしてまた一人に戻らなくちゃいけないんだ。


「聞き分けろよ、楓」


反論の気配を察してか、彼は鋭く僕を睨んだ。


「任務ってやつはそういうモンだ。ゼスティシェのときはいろいろ見逃してたけどな、今回は事情が違う。国同士の厄介ごとが絡んでる」

「そんなもの、楓と沙那は無関係で……」


シロツキが食いつく。

ファロウは首を振った。


「ああ、そうだろうな。でも誰がわかってくれる? たとえどんな事情があれ、お前らはいま、『第三王女』と『獣人のスパイ』だ。お前ら二人が獣人カルヴァ人間マーノストを敵に回したいなら別だが、それぞれのあるべき場所へ帰るために堪えなきゃいけない部分がある」


ここにきて、どうして。せめて考える時間が欲しい。それなのに、窓の外を観察していたサジールが非常にも現状を告げる。


「おい、さっさとしなきゃやべーぞ。どんどん人が集まってる!」

「楓」


決めろと促すその声に答えらなかった。

シロツキも唇を噛んでその場に立ち尽くすだけだ。


いっそこの瞬間にマーノストが滅んでしまえばいい。そうすれば沙那を連れていくことができるのだから。けれど、都合よく国一つ滅ぶはずもない。永久に答えが出せそうにない中で、沙那がうんとうなずいた。


「わかりました」

「沙那?」


シロツキから不安げな視線を向けられながら、彼女は毅然といった。


「わたしはここに残ります」

「でも」

「楓、それにシロツキも、そんな顔しないの。今生の別れになるわけじゃないでしょ?」


どうして気丈でいられるんだ。一度はあっけなく命を落としたくせに。これが最後の別れになるはずない、そんな言葉、いくらでも吐ける。でも実際に死は唐突なんだ。


「だから、ほらっ」


心の中にずらりと並ぶ言い訳を、沙那が僕の背中を叩いて吹き飛ばした。


「ちゃんと顔上げてよ。今できることを精いっぱいしなきゃ。お母さんとお父さんに怒られちゃう」

「……沙那」

「いろいろ話したいことはあるけど、また今度。次は甘いモノでも食べながら、恋バナでもしよう」

「それはちょっと……」

「頷くとこじゃんかー!」


晴れやかに笑う沙那。それを見て一息にふんぎりがついた。感情が理屈を通りこして、きっと今度は大丈夫だと大声でいう。僕らはもう一度無事に再開する。そのためにもいまは。


「すまない」


シロツキが涙ぐんで沙那と抱き合う。長いようで短い抱擁を終え、彼女らは互いの額を合わせた。


「シロツキたちのこれからが、うまくいきますように」

「……ん」

「さ、行って。──これ以上は、わたしの涙腺がもたないからさ」


ファロウとサジールが部屋の外の様子を伺っている。あとは僕らだけだ。


「行ってきます」シロツキがいう。

「またな、沙那」


頭に手を置き、撫でる。

そうして僕らは部屋を出た。


背後から一度だけ聞こえた「またね」は震えていた。振り返ったら感情が決壊する。それがわかっていたから、僕は決して後ろを向きはしなかった。






兵の出払った人気のない廊下を通り、階段を下っていくと、二階の廊下から怒鳴り声が聞こえてきた。その剣幕に足を止める。


「あのクソ女ッ、俺の兵をなんだと思ってんだ! くだらない捕り物に百人も動かしやがって!」


僕とファロウは思わず顔を見合わせた。その声に聞き覚えがあったからだ。廊下の角から様子を伺うと、衛兵を相手に顔を赤くしているガロンの姿が見えた。


俺の兵。どういうことだ。


「社長、しかし第一王女のご命令となります」

「国のトップにいるのは実質マーノスト王ただ一人だ。あんな小娘一人の命令を無視しようと問題ない!」


なんて変わりようだろうか。昨日僕らが見た彼の姿は完全に営業用だったのだ。


「それでは、警備要請を拒否すると?」

「ああ。それよりも西方の国境地帯はどうだ」

「さきほど通信使からおおむね良好との連絡がありました。このままいけば小競り合いは収束。戦争が一つ終わるはずです」


喜ばしいはずの報告にガロンは目を怒らせた。


「すぐに攻勢を緩めるよう書簡を送れ!」

「は、な、なぜです!?」

「戦争を止めるな。俺の大事な取引先を一つ潰す気か!?」


兵はぐっと言葉に詰まると、


「……すぐに」

「それから、《αアルファ》を早く実践に投入しろ」

「ですが熟練度の追いつく兵が少なく、とても……」

「それで構わん。壊して壊して壊しまくれ! その分俺の会社がいくらでも供給してやる!」


いいな。

言い残したガロンが廊下の奥へ歩いて行った。兵は両の拳を軋むほど握りしめ、怒りをこらえているようすで、すぐに、と呟いた。


彼らが去ってから、サジールがまじめな顔でいった。


「軍部と政治が独立してんだ。そりゃ警備も真面目にやんないわけだよ」

「どういうこと?」

「兵たちは軒並みガロンの手下ってわけさ。この国では、王がまつりごと、軍がいくさ、っていうふうに、切り離されてる。だから第一王女の指示だろうが聞きやしないんだ。直属の上司は別にいるから」

「戦争を止めるな、と言っていた」


シロツキの視線が鋭く宙を切り裂いた。


「ガロンと呼ばれていたあの男は、カルヴァの資源など眼中にないみたいだ」

「あるいは、王に戦争の許可をもらうための口実だったのかもな。なんにせよ思わぬ収穫だぜ。忍びこんだかいがあった」

「彼らを止めなくちゃ……」

「待て、楓」


ファロウが僕を引き留めた。


「それは俺らの仕事じゃねぇよ。まずは生きてこの情報を届けるんだ。そのためには──もうわかるだろ?」

「ええ」


引き続き警戒を続けながら階下へ下った。


石を削り出した階段を踏み鳴らし、地下牢にたどり着く。左右の牢屋を横目に進むが誰もいない。最奥には鉄の扉があり、カギがかかっていた。


「さてと」


ファロウがポケットから取り出したのはいくつもの鍵がぶら下がった鉄の輪だった。その中からいくつかをあてがい、四つ目で扉が開いた。


「いくぞ」

「はい」


ファロウが扉を開けると、その先はほとんど真っ暗だった。僕はとっさに《視界ノック》を使い、そして後悔した。


わかっていたことだが、そこには数百人単位の獣人が同じ牢の中に押し込まれていた。うつむいている者、顔をあげる者、震えだす者、動かない者──反応は様々だ。異臭がした。腐った食事と排泄物、それから薄い血の匂い。


サジールがギリっと奥歯を鳴らす。ファロウに手を差し出し、「鍵!」と一声。その眼は久しぶりに純粋な怒りを滲ませている。


彼女は檻を開け、手近にいた一人に声をかけた。


「おい、動けるか」

「……誰」


座り込み、自らの膝の間に頭を項垂れた女性。肌寒い空気に溶けるような、輪郭の乏しい言葉が返ってくる。


「助けに来たんだ。ここから出よう」

「どこ……どこへ行けばいいの?」

「これから外に、──ッ!」


彼女は顔をあげた。サジールの顔から血の気が引いていく。檻の外にいた僕らもほとんど同じ反応だった。彼女の左の眼窩がんかには目がなかったから。


ファロウが呼び掛ける。


「サジール」

「……わかってるよ、選べっていうんだろ? くそったれ」


この中の全員を助けることなど到底できない。僕らは助けられそうな獣人を選別する必要があった。いざその場面に直面すると、心を黒い感情が蝕む。良心の呵責なんて言う生易しいモノじゃない。黒々と心臓を染める悪心。


それでも僕らは選んだ。選ぶしかなかった。まだ元気の残っている獣人を二十人選別した。サジールが必要な処置を施して、走れるくらいの状態になんとか持ち込んだ。治療の中にはアドレナリンの放出を促す、いわばその場しのぎの治療もあった。それくらいギリギリだった。


そして僕らは沙那に聞いた脱出口へ走る。ファロウが鍵を取りに行っているあいだあらかじめ聞いていた場所へ。


地下の最奥。誰もいない個室の牢屋の中の、ベッドの下。


そこに木板が嵌められていて、スライドさせると梯子が下へ伸びている。


まずシロツキとサジール、次に僕と獣人たち。縛首輪リコールも外して元の身体能力を取り戻した彼らのあとに、ファロウが飛び降りてきた。


広い通路が奥へ伸びている。

相変わらず真っ暗で、僕はいっときも《視界ノック》を解けない。


そのまま奥へ走った。


背後からいつか追手が来るんじゃないか。

そんな予感に震えながら。

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