46・救出再開


「なにがどうなってんだ」


ひとしきり涙を流し、再会を喜んだあと、サジールの声が僕らを現実へ引き戻した。


「あたしらには状況がさっぱりなんだが」


リェルナ第三王女の姿で、沙那さなはシロツキを撫でながらいった。


「初めまして。わたし沙那って言います。──かえでの妹です」

「妹ぉ!?」


ファロウがサジールの頭を叩いて黙らせた。さっき窓を閉めておいてよかった。危うく外にいる兵士を呼び寄せるところだ。


「痛って……。っていうか、マジなのか、それ。証拠は?」


僕は沙那を見た。


「なにか前世のことを覚えてない? 僕とシロツキも知ってる話だとなおいいんだけど」

「えーっと……」沙那は、あ、と思いついた。「ネット通販で間違えて、一メートルの麩菓子を三十本頼んだ、とか」


うん、確定だ。

そんなことしでかすのはうちの妹しかいない。


「ね、ねっと?」

「それから、えっと、焼き芋作ってたら火加減わかんなくて焦がした、とか」

「疑う余地がない」


シロツキも頷く。こういうときにマイナスなエピソードしか出てこないのが、なんとも沙那らしい。サジールはファロウと顔を見合わせ、肩をすくめた。


「そういうことらしいぞ」

「どういうこったよ」


ファロウは表情を曇らせた。


「説明を要求する」

「え~」


サジールは嫌そうな顔をした。説明できるとしたら彼女しかいない。必然自分にその役目が回ってくるとわかっていたのだ。好意的ではない態度を取りつつ、そこは面倒見の良い彼女のこと。説明の言葉がすらすらと出てきた。


サジールが言うには、僕を生き返らせた回魂術が沙那を生き返らせた要因のようだ。あのとき僕が巻き込んでしまった女性の気配こそ沙那だったのだと。しかし人間の女性の死体はカルヴァ周辺にはなかった。そういうわけで、沙那の魂は遠く離れたマーノストで肉体を得たのだ。たぶん、と小さい注釈がつくが。


「お前の妹は病気で亡くなったって言ってたろ」

「うん」

「新聞に書いてあった通りなら、リェルナって人間も病で死の淵に立たされたらしい。二人とも体が強くなかったんだ。魂と器の波長が一致しても不思議じゃない」


ま。とサジールは続けた。


「まさか王女として、しかも妹と再会するとは、あたしだって予想がつかなかったよ」

「ありがとう、サジール」

「やめろ気色悪い。偶然にもほどがあんだろ」


いったいどうやって感謝すればいい。

僕は生涯をかけてサジールに頭が上がらない。


「わたしが生き返れたのは、サジールさんのおかげってことですか」

「沙那、サジールに敬称は要らないんだ」


サジールがむっとしているので慌ててくぎを刺すと、沙那は唇を尖らせた。


「どうしてよ、恩人なのに」

「獣人の名前にはいろいろ事情があったりするからさ。そもそも役職以外の敬称は一般的じゃないみたいだし」

「そうなんですか?」


沙那の問いにファロウが頷いた。


「俺らに堅苦しい言葉遣いは不要だぜ、お嬢さん」

「それならよかった! ほんとに、ほんとーにありがとう! サジール!」

「うぅうぅあっ!? なんだ急に!?」


強引に握手する沙那へ恐怖の視線を向け、サジールは飛びのいた。しゅんとする妹をなだめて、ファロウがいう。


「悪いなお嬢さん。こいつは人間が苦手でね。決してお嬢さんが嫌いとかじゃないからそこは許してやってくれ」

「そうなんですか。でしたら、徐々に慣れてください!」


相変わらず考えナシと言うかなんというか。でもおかげで雰囲気が和らいだ。サジールにも、沙那に悪気がないことは伝わったらしい。


「沙那」


シロツキが待ちきれないという風に沙那へ抱き着いた。僕も人のことは言えないけど、二人にはかなり身長差がある。まるでシロツキが沙那を襲っているように見えた。実際は永い永い寂しさを埋めるための、温かい触れ合いだった。


「よしよし」

「ッ……沙那ッ」


シロツキの瞳に涙が光った。

サジールとファロウが同時に驚いた顔をする。


「泣くんだな。こいつも」

「うちんとこのお嬢様は無表情がデフォルトだからな。レアだぜ」


二人の勝手なやり取りも耳に入らず、二人は久しぶりの温みを楽しんでいる。


と、沙那がいった。


「楓には撫でてもらった?」

「楓は、なかなか撫でてくれないんだ」

「えっ」


どうして、と視線が責めてくる。


「いや、えっと……」

「私が人間の姿なのがいけないらしい」

「そ、そうは言ってないよ」

「へ~、照れてるんだ~」


沙那がにやにやと小突いてくる。

また始まった。こいつはどうして、すぐ色恋沙汰に持っていきたがるんだ。


「照れてない」

「じゃあ撫でてくれるか」

「それは……」

「ほら! 本人が望んでるんだから」


ここで拒んだらまたからかわれるのが目に見えてる。僕はシロツキの頭に手を伸ばした。指先が少し震えてるのも、どんな顔をすればいいのかわからないのも、心臓が大きな音を立てているのも。ぜんぶ気のせいだ。たぶん。


人差し指がさらりと前髪に触れる。百年間誰も触れることのなかった水を掬うような、神秘的ともいえる手触りだった。そのままそっと手を動かす。手のひらに伝わる体温。


「楓」


名前を呼ばれた。僕は目を逸らしていたことに気がついて、そっと彼女の顔を見る。


「赤くなってる」


シロツキがあどけない笑みで僕を迎えた。いたずらっぽいその表情。白い肌に咲く淡い頬、桜色の唇。心拍は否応なく速さを増していく。


「気のせいだよ」


僕は自分に言い聞かせる。

背後にいるファロウに笑われてしまった。






「リェルナ!」


廊下から聞き覚えのある声が響いたのはその時だった。


最初に反応したファロウは部屋の奥へ走り、窓を開け飛び出す。サジールがそれに続く。シロツキが手首を掴み、僕を引き寄せ抱えると、そのまま窓の外へ飛び出した。風が吹き寄せる。ひやりと浮遊感が襲ったのもつかの間。彼女は持ち前の黒爪を城の外壁に突き刺して足場を作った。難なく着地し、僕の背中を壁に押しつける。眼前には彼女の顔がある。隠れるためとはいえ、あまりよくない体勢だ。


それでも声を上げるわけにはいかない。頭上の窓からはドアの開く音が聞こえてきた。


「リェルナ! 怪我はない!?」

「え、ええ。アンナお姉さま。どうしましたの?」

「地下から賊が逃げ出したのです! あの男! きっと躊躇いなく人を殺す罪人に違いありません!」

「お、落ち着いてください。お姉さまらしくありませんわ」

「ああ、リェルナ。そうね、少し焦ってしまったわ。もしアンナが連れ去られてしまったら、わたくし──!」

「深呼吸、ですよ。お姉さま」

 

沙那ふんするリェルナに言われ、アンナは深呼吸を繰り返した。

やがて落ち着いたらしい彼女はふぅと息を吐く。


「ありがとうリェルナ。さすがわたくしの妹!」

「お姉さま、苦しい」


抱きしめられているみたいだ。


「獣人を見かけたりはしていないわね?」

「はい。こんなところにいるわけがないではありませんか。それに、いるならぜひともお友達になりたいです」

「またそんなことを言って。獣人はあなたが気をかける価値もないとあれほど……、」


アンナははっと言葉を止めた。


「いけない、指揮をとらなくては」

「これから何か用事が?」

「ええ。先ほど城の内部へ入りこんだ賊がどこかに隠れていることでしょう。第一城壁と第二城壁内部をくまなく捜索する見込みなの。それからマーノスト国内に捜索範囲を拡大するわ」

「城内の警備はどのように?」

「いつもどおりよ。人を見逃さないよう言いつけてはあるのだけど、彼ら、怠けていないかしら? ああ、そうそう、必要ならリェルナの部屋を厳重に守らせるけれど」

「い、いえ、こっちもいつも通りで構いません。賊の求める物はこの部屋にはありませんから」

「あら、そんなことないわ、だってこんなにも愛らしくて黄金のような──」

「あ、あの、お姉さま、行かなくていいのですか?」

「ああ! すぐに行くわ。終わったら夜語りしに戻ってくるわ、それじゃあ」


アンナの気配が去る。ファロウが部屋の中を確認し、壁に張り付いている僕らに戻って来いと手で合図した。


部屋の中に戻ると沙那が顔を青くした。


「ねえ、どうしよう楓。くまなく探すって……!」

「落ち着け沙那。深呼吸だ」

「マネしないでよ……」


それでも律義に深呼吸をするのだからなんだか可笑しい。


「僕らはカルヴァの女王から任務を仰せつかってる。それを達成しないまま逃げかえるわけにはいかないんだ」

「任務って?」

「最低一人は獣人の捕虜を解放して連れ帰ること」

「わたし協力するよ」


沙那は強く頷いた。ファロウとサジールが驚いて見せた。


「獣人の人たちがひどい扱いを受けてる。目が覚めてからずっと見てることしかできなかったんだ。わたしじゃ、彼らを連れ出しても匿うことすらできない。──でも、みんながいれば何とかなりそう。でしょ?」


シロツキが背筋を伸ばした。


「私たちが必ずなんとかする」

「うん。それじゃ、さっそく地下に」

「ちょっと待った」


ファロウがいった。


「沙那っつったな。協力感謝する。だが、あんたが公に動くとアンナってやつに見つかりかねない。そこでだ、よければ牢屋と縛首輪リコールの鍵のありかを教えてほしい」

「構いません。でも、わたしも一緒に行けばいざというときにアンナ姉さまを止める抑止力になりませんか? そういう漫画読んだことあります!」

「マンガ……、が何かはとりあえず置いておくとして、だな」


言葉を引き継いで僕は言う。


「ファロウたちに任せていい。みんな精鋭なんだ」

「そう、それじゃあ。──二階の西廊下、階段から数えて三つ目の部屋です。そこに牢と縛首輪リコール共通の鍵があります」

「監視はどれくらいだ?」

「この時間だと、二人か、三人かと」

「わかった。言ってくるぜ」

「えっ、もうですか!?」


沙那の驚愕の声を聴く間もなくファロウは飛び出す。




そして、カギを持って戻ってくる。五分もかからずにだ。いったいどんな手品を使ったのかと思ったら、ファロウはマーノスト軍の隊服を着ている。古典的だ。古典的で、有効な手段だ。


「まじかよ」

「さっき楓連れていかれたときにロッカーを見つけてな、もしやと思ってたんだ」


それにしても、兵の服装だけでファロウを見逃すとは。この城の兵の杜撰ずさんさはなんだ? アンナのやる気に対して全然かみ合っていない。


どこか不協和音のような違和感を覚えた。


「鍵が手に入ったんなら、あとは目的へ直行だな」


サジールがいう。

僕は脳裏に革のボールを思い出した。


──《視界ノック》。


小さく呟くことで、あの感覚がイメージしやすくなる。


「大量の気配が地下にあります。彼らを解放したとして、どうやって連れ出しましょう?」

「あ、だったらさ!」


沙那がいった。


「緊急用の脱出経路は?」


彼女が言うには、王城まで国外の敵が侵攻してきたときのために国の外部へ逃げるための通路があるらしい。渡りに船とはこのことか。


「それがいい、っていうか、それしかねーな」


サジールがにっと笑った。

シロツキも頷く。


「行こう。沙那も一緒にカルヴァへ──」

「それは無理だ」


ファロウがいった。

僕らはしんと黙ってその通告を受け止めなくてはいけなかった。

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