44・アンナのたくらみ、散開
「さっそくご来客のようですね」
王城三階の廊下にて、アンナの親譲りのエメラルドグリーンの瞳が庭を見下ろす。そうして彼女はいたずら好きの子供のような残忍な笑みを浮かべた。
ふいにこちらを見上げた顔と目があいそうになり、するりと窓枠へ隠れる。アンナはそのまま身を翻し、背後に待機していた兵へ作戦開始の指示を出した。
兵は第一王女の美貌にしばし見惚れた。
やがて自らの本分を思い出し駆けていった。
「今宵の得物は……」
周囲に誰もいないことを確認してから、アンナはその頬を楽しさに染めた。豊満な唇を、蠱惑的な舌なめずりが湿らせる。すでに夕食はすんでおり、侵入者はデザート、もしくは腹ごなしのお遊び感覚である。
城に何者かが入っているというだけで大問題なのだが、彼女にはほとんど心配の色はなかった。
というのも、マーノスト城の内部には兵舎が併設されている。緊急時には身を守る盾がいくらでも湧いてくるのである。自分が怪我をするなど万に一つもないだろう。
一方的なゲーム。
余裕
終了間際のハイドアンドシーク。
ああ、なんてそそるのだろう。体の芯が熱を持つ。背筋がきゅっと疼く。
「いけません。こんな顔しちゃ」
窓に映る自分の下品な顔に気がつき、すっと表情を凍てつかせた。こんなだらしない顔、妹たちには絶対見せられない。幻滅されようものならこの先の人生をどう生きていけばいい?
──お姉さまの変態。
「んふ」
どくん、どくん。心音が甘く痺れる。
アンナはドレスに包まれた自らの肩を抱いた。
リェルナの声で脳内再生される罵倒は酒よりも甘い。ごめんね。ダメなお姉さまでごめんね。だからもっと幻滅して。
「あはっ」
蔑むような視線を想像して震えが走った。脳に直撃する明らかな快楽。
リェルナは、あの心優しい妹はきっとそんな顔しない。でも、でも、もし、したら?
「んふふふぅ……」
アンナは壁にくったりと寄り掛かった。もはや腰砕けで立っていられない。昂った体をどうにか落ち着けなくては。体を襲う痺れの波をやり過ごし、アンナは背筋を伸ばした。
それから、変態的な想像に身を捧げていたとは思えないほど毅然とした態度で地下へ向かうのだった。
*
《
生気のない気配、怒りと悲哀にまみれた気配。言うならば負の塊が地面に埋まっているかのようだ。
僕が地面を睨むのを見て気がついたらしい。
ファロウは「下か」と一言発した。
「はい。かなりの数が──」
ファロウの方を見た僕は、城を挟んだ城壁の内側に大量の兵が並んでいることがわかった。すぐさまファロウを雑草の中にしゃがませ、自分もしゃがみ、気配を消す。状況を告げると、彼は顎に手を当てた。
「規模は?」
「五十人くらい、ですか」
正確に人数を測れるほどこの力を使い慣れているわけではないのだ。
信憑性は……期待しないでほしい。けれどファロウは信用した様子で答えた。
「そりゃちっと多いな。兵がいるのは予想してたが、あまりにも準備がよすぎる。まさか毎日五十人単位で夜警を行ってるわけじゃねぇだろう」
「あらかじめ準備されてたってことでしょうか」
シロツキが問うた。
「楓がぶつかったっつー女が情報を流してたんだろ?」
対してサジールは疑わし気にいった。
僕は《
世界が夜の色を取り戻した。
「どうしましょう?」
「侵入がバレてるならすでに退路が塞がれてる可能性もある。俺らは今すぐ地下へ向かうしかねぇな」
ファロウが言い終えたとき、城の角から軍服の行進が姿を現した。カンテラの光が届く前に僕らは城の反対へ回り込む。すると月の位置がずれ、城壁の影がなくなっている。
「走るぞ」
その代わり裏手には城の影が伸びていた。
ファロウはそれを伝えというのだ。僕は彼を追って走り出した。
「動くなッ」
突然声が降り注いだ。スポットライトに似た強い光が僕の周辺を昼間のように照らし出す。眩しさに目を細める。逆光の向こうは城壁の上だ。兵士たちが鏡付きの台座を操作して僕に光を当てていた。見つかった。心拍数が跳ね上がった。
「ッ、投げろ!」
ファロウが手を出す。
僕は背負っていた木箱も、シロツキもサジールもまとめて投げ渡した。中にいる少女が「おわっ!」と声を上げる。それらはスポットライトから外れてファロウの手に収まった。荷物を抱えた彼は城の際まで飛びのいた。
彼女らを手放してすぐに重い網が降ってきた。金属製の、しなやかなワイヤーのような糸。立っていられず地面に張り付く。
「待っ……!」
「喋んな」
シロツキの叫びにファロウが鋭くいう。
地上を見回っていた兵たちが遠くから近づいてくる。話し合う猶予なんかない。バッグの隙間から悲痛な眼を向けるシロツキへ手を振った。
「行って、シロツキ」
「でもっ」
「行ってくれ」
僕の声に彼が笑った。
「やけになって死んだりすんなよ。ちょっとの辛抱だ」
ファロウは羽を生やすとその場から飛び上がった。僕を照らす光に目がくらんで、兵たちに彼の姿は見えていないようだ。
「手を頭の上で組め」
腰から銃を抜いた兵が僕の背後に迫っていた。
ああ、またか。
拘束されながら、不思議と僕は落ち着いていた。囮っていう役目は性に合ってる。何度だって言うが、僕の命は本来ないはずのモノだから。傷つくのも死ぬのも怖いけど、この方法が一番役に立てると思う。
四人がかりで金属製の網が取り外された。
立たされた僕の手に金属の枷を嵌められる。胴体を縛られ、腕の可動域を制限される。さらに目隠しもされる。カルヴァのときといい視界を奪うのが流行ってるのかと言いたくなる。
侵入者に精神的ダメージを負わせるための目隠しなら、成功だ。目が見えないとあらゆる恐怖は倍増する。正直トラウマになりそうなくらい。
「歩け」
どこかで聞いたようなセリフだった。
僕は笑いそうな、それに怖いような、複雑な感情で連行された。
階段を下った。廊下を歩いた。
ここが城内だということがわかる。
音が遠ざかっていく感覚から地下だということがわかる。この世界に来てから経験したいくつかの直観が成長を遂げていた。そう思うと、恐怖はだんだん薄れていった。
行きついた先で、僕に大量の視線が向けられるのがわかった。
まさか。そう思う。
そして目隠しが外された。
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