41・王城前にて


明くる朝、僕たちは王城見学に向かった。昨日と同じようにシロツキとサジールはハンドバッグの中だ。出かける前にサジールが「ファロウに担がれるのはうんざりだ」とごねたのは言うまでもない。


宿から中央区まではかなりの距離だ。徒歩で向かうと片道三時間以上かかる。心の中で深く謝罪しながら、僕らは獣人の引く送迎馬車に乗ることにした。乗っているあいだは無言だった。楽しそうに風を切る運転手の後ろで、みんな視線を落としていたからだ。


「ほれ、見えて来たぞ」


運転手がいった。


道の向こうから尖塔が顔を出し始めている。真白な石材をふんだんに使った豪奢な壁に、深い青で着色された瓦の屋根が目に鮮やかだ。城の足元をぐるりと囲む城郭にはマーノスト国旗がつるされ、その傍を何人もの兵士たちが巡回していた。全員銃を持っており、装備にも油断がない。


「城壁は並以上だな」


ファロウが構造だけを見ていった。獣人からすれば兵士たちはさしたる問題ではないのだろう。


「監視も手厚い。こそこそすんのは骨が折れそうだ」


そうこうしているうちに城の目前で馬車が止まった。


「こっからは入場者制限がある。歩いていきな」

「ああ。助かったぜ」


僕らはお代を払ってその場に降りた。


城の正門を見ると、一般の入場者も多いようだ。というのも、城の一角に教会が併設されているからである。お祈りを捧げに訪れた者が兵士の手荷物検査を受けるため、長蛇の列を作っていた。


「どうする」とシロツキが言い、


「どうしようね」と僕が答え、


「あたしらを持ったまま特攻して見るか?」とサジールがうそぶいて、


「楓、ちょっと持っとけ」

「ギャッ!」


ファロウがサジール入りのバッグをこっちに投げ渡した。危うく落とすところだ。


サジールが文句を言いかけたとき、ファロウはすでに城の列に並んでいた。単独で中を見てくるから持ってろ。そういう意味だ。


「あいつ、くそ野郎っ」

「たしかにちょっと雑だったね」

「どこが『ちょっと』だ。危うく飛び出すとこだっただろうが」


シャーっと牙をむきだしにする彼女。


「戻ってきたら一発ぶったたいてやる」

「落ち着いてよ」

「撫でんなッ!」


子供のような物言いに、気づいたら頭に手を沿わしていた。

慌てて引き戻す。


「ごめん」

「……ふん」


じろりと睨まれて苦々しく笑う。

助けを求めようとシロツキの方をのぞき込めば、彼女は彼女で恨みがましい視線をこちらに向けていて。なにがなにやら。


「どうしたの」

「べつに」


ぷいっとそっぽを向かれてしまった。


ふと今の状況を俯瞰した。はたから見たら、バッグに向かって話しかけるおかしな人だ。少なくとも往来のど真ん中ですることじゃなかった。僕は一本道をそれた路地の壁に背中を預け、ファロウが戻ってくるのを待った。







「遅い」


しばらくたって、サジールがいった。


「あたしらはいつまで待ってればいいんだ」

「列はかなり長かった。仕方がない」

「暇だ」

「のどかともいう」

「言い換えただけだろ」

「捉え方次第だ」

「知ってるかシロツキ。言葉遊びじゃ時間は消えないんだ」

「こうしているあいだにも秒針が十より多く進んでいる」

「あと何回繰り返せって言うんだよ」


言い合いに介入する余地もなく、僕は路地に切り取られた縦長の空を見上げていた。澄み渡った青の中を、なぞれるほど輪郭のはっきりした雲が泳いでいく。任務もなくこうして過ごせたらどれだけ幸せだろう。


「そういえば」とサジールがいった。「あたしはいつになったら人間のお守りから解放されるんだよ」

「旅は嫌いか?」

「そういうことをいってんじゃねー」


彼女は巻き込まれたにすぎない。本来であればこれは僕だけに与えられた任務のはずだ。そう考えると確かにかわいそうに思える。第十二部隊ヒルノートの友達もサジールを心配しているだろう。


「カルヴァに戻ったら、僕から女王に頼んでみるよ」

「……なんて言うつもりだ」

「サジールとはそりが合わないので、かな」

「面白がって一生コンビ組まされたらどうすんだよ」

「私がそんなことにはさせない」

「そういう話をしてんじゃ──」


サジールがいいかけたときだった。


「っわ!」

「え、ッ!」


路地に駆け込んできた小さな影と衝突した。体が押され、半回転して転びそうになる。その拍子にシロツキの入ったバッグが手元を離れた。しまった。


サジールの入ったバッグをその場に下ろして落下地点に飛び込む。空中でバッグをキャッチする。間一髪どちらが見られる事態を防げた。そう思ったのもつかの間。僕は背中から石畳に落下した。肩甲骨が削られるように痛んで、うめく。


「楓ッ!?」


バッグの中でシロツキがいった。ごそごそとうごめいて、顔を出そうとしている。出るな、と言おうとしたがもう遅かった。シロツキはひょっこりと姿を現した。


「申し訳ございませ……」


言いかけていた声が止まる。ハッと振り向けば、華美なワンピースに身を包んだ女の子が立っていた。あどけないながらも成長に向かう面影がある。ウェーブのかかった髪は金細工のようなきらめきを放っている。その下の表情は思った通り驚愕に染まっていて。


シロツキと彼女の視線がばっちりと交差していた。


「あの」


僕はとっさにシロツキを隠した。


「すいません」

「……いえ」


彼女はどうにかそれだけを言うと、立ち上がった僕を軽く見上げた。


「そちらの猫さんは」


つぎに驚くことになったのは僕だった。


猫『さん』!?

獣人に敬称をつける人間がこの国にもいるなんて!


外国で日本人に巡り合ったような嬉しさがこみあげてくる。まばたき一回の時間でいろいろな想像が脳裏をよぎった。彼女は特別猫だけ好きな人種なのかもとか。猫だけを信奉している特殊な宗教の人──例えば猫真理教の会員なのかもとか。


それでも一抹の希望を込めて僕は問うた。


「もしかして、なんですけど」

「……ええ」

「獣人がお好きで……?」


彼女は控えめにこくんと頷いた。


「戦争とかは……?」

「断固反対です」


その決意に満ちたまなざしを見たときの喜びをどうたとえよう。

彼女は危なっかしくも澄んだ瞳でしゃんと立っている。


「あなたは」

「同じく」


そう答えると、ぱっと花が咲くような笑顔が僕を迎えた。信用に足る証拠はそれだけでよかった。放置されたサジールがバッグの隙間からやめろやめろと訴えかけているようにも見えたが、このときの僕には全く見えていなかった。


「えっと、わたし──」


彼女が言いかけて、通りの方からあわただしい足音が聞こえてきた。


「いけない。急いでいますの。またどこかで会う機会があったのなら、必ず」


彼女は僕の手を強引に取って握手した。


それから名前を聞く間もなく路地の奥へ駆けていく。その後ろ姿は陽の落ちる表通りへ身を翻して、やがて消えた。


「……なにやってんだよバカッ」


サジールが待ってましたとばかりに悪態をつく。


あざ笑うかのように、鐘の音が八つ。

マーノストへ降り注いだ。

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