40・兵舎、鐘の音、夕刻


噴水のあるのどかな公園に、この国の見取り図と案内板がぽつんと立っていた。


マーノストは方角により五つに区分されている。僕たちが入国した東部。農地の豊かな西部。川に面しており、漁業の盛んな北部。数少ない鉱山資源の採れる南部。それから王城のある中央区だ。


「広いな」


ファロウが単純な感想をこぼした。


ここにきて初めて分かったことだが、マーノストは直径百キロ近くに渡る円形の国だったのだ。


「でも思ったより軍に関わる設備は少ないですね。獣人との戦争中っていうくらいですから、もっと街中兵器だらけなのかと思っていました」


軍に関係する施設は各区域に一つずつ、中央区を守る位置に存在しているという。そこだけはかなり強固だ。反面、それらの建物は城壁から遠く離れている。外部から敵が攻め込んで来たとき、出動に時間がかかるのではないだろうか。


獣人が攻め込めば、この国は──。


思考が戦いに寄っていることに気がつく。いつの間に戦争が当たり前になったんだ。原生生物との戦いで殺生に慣れている気がして少し辟易へきえきした。


「攻め込むにせよ、攻め込まれるにせよ、カルヴァとマーノストのあいだに横たわる大自然が一番の障害だからな。監視さえしっかりしときゃ、割とどうとでもなるもんなのさ」

「シロツキたちにマーノストを攻め込む任務が出たりすることはないんですか?」

「今まで一度も出たことがない」とシロツキがいった。「距離の大小こそあれ、カルヴァは四方を人間の国に囲まれている。一つの国へ傾注する余力はどうにも」

「……っていうことは、人間の国が同盟を組んだらカルヴァは危ないんじゃ?」

「ありえない話じゃないが、可能性は低いぜ。みんな狙いは魔動石の独占だ。分け合おうなんて考える甘ちゃんはどこにもいないだろうよ」

「甘ちゃんって」

「甘ちゃんだよ。分配なんて生ぬるい。利己的な奴が最後に笑うのさ」


極端な利己主義に染まった結果、獣人をモノ扱いすることだってなんとも思わないのだろうか。またさっきの光景を思い出しそうになってしまう。


考えるのをやめて、僕らは軍の施設がある場所へ向かった。







家がいくつ入るのかわからない広大な敷地の中に、宿舎や倉庫、訓練施設が一緒くたにまとまっている。そこが一つの街のようだった。


敷地外の生垣からこっそり様子を伺っていると、見覚えのある軍服に身を包んだ人々がグラウンドを走っている。灰と白を織り交ぜた積雪地帯用のそれ。


「シロツキ」


彼女を呼んで、バッグの入口を細く開ける。


声を上げて走る彼らを見たシロツキは、こくんと頷いた。


「楓の体の持ち主が着ていたものだ」

「僕になる前の誰かは、マーノストの軍隊だったってことかな」

「今は獣人のスパイ、と」

「なんていうか、悪いことしてる気分になるね」

「いいスパイなんているのか?」


言われてみればたしかにそうだ。義賊だろうが諜報員だろうが、暗躍する以上完璧な正義はありえない。僕はちょっと笑った。


「そこな方々」


兵士たちの体力づくりをじっと眺めていると、僕らの後ろに馬車が止まった。車を引いているのは馬の獣人だった。うわ、と思った。純粋な嫌悪が走ったのだ。その馬車からどんな芸能人が降りて来ようと僕は同じ反応をしただろう。


僕やファロウが警戒をあらわに立ち尽くす中、馬車を軋ませながら降りてきたのは太……ふっくらとした体形の男性だった。紺色の詰襟についたボタンが今にも飛んできそうでちょっと怖い。


「我らが兵舎に何か御用ですか」

「御用ってなほどではないですが旦那」ファロウが親しみやすい声音で言う。「この国の兵士はみんな勤勉だなぁって話をしてただけです」


男性は眉を上下に動かしながらファロウの言葉にうなずいた。


「そうでしょうとも。ですが彼らを支える兵器も相当なものです。もうご覧になられましたかな」


僕はファロウと顔を見合わせてからいった。


「失礼ですが、あなたは?」

「ああ、これは申し訳ない」彼はつまさきで石畳をノックするようにお辞儀した。「私めはこの国に兵器を卸しております。ガロンウェポン組合ギルド創始者、ガロン・ジュエルデ、そのトップです」

「創始者っていうと、最高権力者みたいなものですか」

「ええ、ええ。その解釈で間違いありませんとも。事実、私めは意思決定のほとんどを担っているのでね」


自分で言うな。

出かかったツッコみをごくりと飲み込む。


「事実、ちまたには豪商ごうしょうと呼ぶ者もいるくらいです」


さらに自分で言うな、だ。


「そりゃあすごい。どんな商品を取り扱っているのか、ぜひ見学したいものですが……」


ファロウはちらりと兵舎を振りむいた。


「きっと俺らみたいな一般人は入れないでしょうね。旦那みたいに、地位も器も人格も、加えて貫禄かんろくも備わってないと。警備に弾かれちまいそうだ」

「そう見えるでしょうか? いやはや、そう見えますな」

「自分でいってんじゃねー」


ついにサジールが吐き捨てた。

ファロウがバッグを叩いて黙らせた。


「どうしても見せてと頼むのであれば、私めが力になれそうですな」

「本当ですか」僕は大袈裟に驚いて見せた。「僕らみたいな凡人を招き入れてくれるなんて。神様もびっくりのふところの広さですね」


演技がザルなのは見逃してほしい。

ちなみに、神への冒涜もだ。


僕は家族を亡くしていらい神様なんて微塵みじんも信じていない。あんなの、たまたま訪れた幸・不幸を押し付けるための便利な偶像だ。


男性は気をよくしたらしく、顎髭を手ぐしで何度も整えた。頬がだらしなく緩み切っている。


「それでは一緒に行きましょう。ささ、こちらですとも」


男性は施設の入口に向かって歩き始めた。

ファロウが小声で「ちょろいな」といった。







兵舎の説明は割愛させてほしい。


ガロンが長々とひけらかすように喋るので、もはやいちいち話など聞いていられなかったのだ。彼の言葉を右から左へ受け流す代わりに、僕らは軍の倉庫にしまわれてあったいくつかの兵器に目星をつけた。


「これはなんです?」


鉄板で構成された台の上に展示されているそれ。


僕は車とバイクの中間のような、二人乗り用の自動車を指さす。前の席にはハンドル、丸いスイッチ、ブレーキが付いており、後部座席には武器入れがあった。


「おお。いい目利きの洞察眼をお持ちで。そちらは高機動戦術ノーブル。αアルファです」

「……すいません。ノーブルとは?」

「なんと! ノーブルをご存じない!?」


ここからまたガロンの長ったらしい説明が始まる。


簡単にいうと、魔動石の放つエネルギーを利用した自動走行車両というわけだ。


「高機動戦術って言うと、相手は獣人ですか」


ファロウが尋ねた。


「ええ。あの卑しい獣たちは逃げ足だけはとんでもないのです。戦場から敗走していく獣人を狩るための兵器として、つい二週間前に開発した代物となります」

「そりゃすごい。スピードはどれほど?」

「並の獣には負けません。つい先日、縛首輪リコールをつけない状態で犬っころを走らせてみました。結果は上々と言えましょう」

「攻撃はどのように?」

「後方に乗車した兵士が遠近の武器を使い分けるのです。適性のある兵士が少ないのが現状ですがね。うまく使えたら十分な主力兵装になるはずです」

「なるほど」


ファロウがじっと考え込む。その瞳の色を見るに、ガロンの言葉はハッタリではないようだった。


カルヴァとマーノストでは国の大きさがずいぶん違う。マーノストの方が食料も兵も抱負だろう。彼らがみんな《αアルファ》に乗って、獣人へ襲撃を仕掛けたら、きっと大混乱になる。


「シロツキ」

「ん?」


ガロンが意気揚々と解説する中、僕は小声で尋ねた。


「これと戦うことになったら勝てる?」

「わからない。一騎打ちでは負けないかもしれないが、混戦状態に持ち込まれたら戦況は厳しいだろう」

「勝てないこともあるかもしれないってこと?」


シロツキは強気に笑った。


「だけど勝つんだ。そうしなければみんな死ぬ」


静かな水面を打つようなその声。僕はちょっと反省する。そうだ。負けることを了承して戦う奴なんてどこにもいない。いろんな漫画や映画が証明してる。


「ごめん。馬鹿なこと聞いて」

「ちっともバカじゃない。少なくとも楓は平和を盲信していないんだから」




「日本はいい国だったね」

「ああ。お前と私にとっては、きっと」




そのあとも兵の訓練をいくつか見学した。


兵士たちは見学者である僕とファロウを物珍しそうに眺めながら、数十メートル先の的へ向かって銃を撃った。単発で、フルオートじゃないとはいえ、こんな武器があることがちょっとショックだった。どこの世界でも人間ってやつは。


「今日の見学はいかがでしたかな」


一通り施設を見終わって、そろそろ日が暮れそうなころ。

ようやく僕らは解説地獄から解放された。


「貴重な体験をさせていただきました。なんとお礼を言えばいいか」

「いえいえこちらこそ。平和を守る武器を知っていただくことは大切ですからな」


ファロウとガロンは握手を交わした。


「それでは、私めは仕事が残っております。またいつか」

「ええ。また」


ガロンは施設の中に戻っていった。

ファロウが握手した手を僕の背中にこすりつけた。


「拭かないでください」

「手汗がひどかった」

「知りたくなかったです」


疲れ果てた僕らがきびすを返すと、通りにコォンと金の音が響いた。何回も連続で打ち鳴らされて、それはちょうど八回目で止んだ。


「なんでしょう」

「時報、じゃないよな。──うるわしいお嬢さん、ちょっといいかい」


ファロウがすれ違った女性に話しかける。日傘をさしていた彼女がそっと振り返り、「まぁ、私? よろこんで」と快く応じてくれた。


「つい先日この国を訪れたんでわからないんだが、今の鐘は?」

「鐘……、ああ、さっきの。王室広報の方々が鳴らしているのよ」

「はぁ、広報。なにか問題が」

「そうね、さっきのは八回鳴って、あれは王女様の誰かが城を抜け出したっていう合図なのよ。彼女らお転婆だから」


城を抜け出すって。いったいどこの桃色のお姫様だ。いや、あのキャラクターは攫われてるだけだけど。


「はっは、そいつはまた愉快な姫様だな。国民皆さま方慣れてんのかい? お嬢さんも動じていないみてぇだ」

「ええ。八回の鐘は数年前にぱったり止んだの。ほら、第三王女が病だったから。元気になってやんちゃを再開したなんて喜ばしいことだとは思わなくって?」

「お目付け役は大迷惑だろうな」

「仕事がなくならずに済んで歓喜の踊りを舞っているかもしれませんわ」

「俺も喜びに踊ってみたいもんだがね。ときに美しいお嬢さん。あんたがいれば感動もひとしおだとも思うわけだ」

「お上手な誘い文句ですね。育ちのよい花々に嫉妬されてしまいます」


受け流しつつも彼女はまんざらでないようだった。白いイブニングドレスに包まれた手を口元にあてがい、くすくすと笑う。その頬がわずかに赤い。


ファロウは親指で僕を示した。


「ま、いまは連れがいるわけなんであんたを連れ出せずじまいだ。──それでは、お嬢さん」

「ええ。よい夜を」

「よい夜を」


彼女が道の向こうに去っていくのを見送って、ファロウが僕にウィンクした。


「どうだ。けっこうモテるだろ」

「そうみたいですね」


あんな歯の浮くセリフ。僕だったら赤面なしでは吐けない。


「すっげぇ頭悪そうだったぜ」


サジールがバッグの中からいって、ファロウが外から叩いた。

人通りの減った夕刻の通りで二人はぎゃあぎゃあと文句を言い合う。

賑やかで楽しくて。僕は笑った。


「また始まった」

「楓も将来誰かを口説くのか?」


不意にシロツキが問う。


「……もしかしたらね。天地がひっくり返ったら」

「そのときお前は幸せだろうか」

「きっと」

「なら私が天変地異だって起こしてみせよう」

「僕は自分よりも、シロツキに興味があるけれど」

「え……っと、それは、どういう」

「シロツキはどんな人を好きになるのかなって。意外にグレア隊長みたいな強い男性が好みだったり?」

「……」


途端に彼女はため息をついた。


「どうしたの」

「楓がばかだからだ」


夕食の時間まで、斜めになった彼女の機嫌はなかなかの角度だった。

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