39・情報収集


「落ち着いたのか?」


しばらくしてベッドを立った僕へ、サジールは静かに尋ねてきた。


僕は頷いた。

テーブルに置かれていた水差しからグラスへ注ぎ、一息に飲み干す。


正直にいえばまだ吐き気がする。さっきの獣人の姿はあまりにも醜かった。それは単なる容姿の問題じゃない。彼女が望まない容姿を強制されていること。それを当たり前だと思っている周囲の群衆。その不調和な空気が生理的に受けつけなかった。音程の外れた音楽が脳に直接流れ込んでくるような気持ち悪さだった。目眩さえする。


「無理をするな」


シロツキがいった。


「大丈夫……もう」

「無理をするなと言ってる」


手首を掴まれる。ふと見返した僕の手は白く冷たかった。人差し指の先から体温が逃げ出したみたいだ。柔らかく僕を止めたシロツキの手を暖かく感じた。


「気づいていないだけだ。楓はいま、無理をしている」

「そんなことは」

「ないと断言するなら、お前は自分のことをわかっていない」


シロツキの目が鋭く細められる。

僕は観念して椅子に腰かけた。


「甘ちゃんだねぇ」


カーテンをぴったりと閉め切って、窓際のファロウがいった。


「こんなの当たり前の出来事だ。いちいち気を病んでたらこの先もたねぇよ」

「同感」とサジール。

「楓には当たり前じゃないんだ。前世では人と獣は仲良く暮らしていた。もちろん例外はあったけれど、でも──」


僕の代わりに応えたシロツキを手で留める。

ありがたいけど、ファロウやサジールの言う通りだ。


「これが当たり前なら慣れるべきなのは僕だから」

「……簡単に受け止められることじゃない。私だってそうだった」

「だからってここで任務を投げ出すわけにはいかないよ」

「その通り」


ファロウがにっと笑ってテーブルの向かいに腰かけた。


「わかって来たな。──で、どうする。一人で探索してみるか?」

「それはちょっと。一緒に回ってくれる人がいると助かります」

「それなら私が」

「その格好でかよ」


サジールがシロツキをとどめた。

彼女は相変わらず裸身に鎧を着ている。


「一発で獣人ってバレるぞ」

「服を買えば、なんとか」

「服を買いに行く服はどうすんだ」

「……楓とファロウが」

「男二人に女性もの買えってか? むしろ人目引くだろうが」


シロツキが口をへの字にして沈黙した。

策は尽きたらしい。


「じゃあ、けっきょくファロウとだな。あたしらはバレない程度にくつろいでるから、二人でゆっくり見て回れよ。ああそうそう、夕食を買って来てくれたらたすか──」

「わかった」


とシロツキはいった。


「え?」

「いますぐ雑貨屋に向かってくれ」


ファロウと顔を見合わせる。

彼は肩をすくめた。







「動くなよ。もごもごすんな」


ファロウが小声でいう。


「しかたないだろ狭いんだから。いたッ、おい、足に当てるな!」

「大声出すんじゃねぇ」

「二人とも静かにして」


僕の右腕の下でシロツキがいった。


「姿勢とか息とか、辛くない?」

「ああ。問題はない。我ながらいいアイデアだった」

「どこがだよ……痛っ、おいファロウ、戦争でもするか?」

「わざとじゃねぇっつの静かにしろ……!」


雑貨屋を訪ねた僕は、ファロウがくすねたお金でハンドバッグを二つ買った。言わずもがなシロツキの指示である。


彼女とサジールは猫の姿になってバッグの中に忍び込んだ。それを僕らで運べば人知れず固まって行動できるというわけだ。


知らない国の中でイザという事態に陥ったら、そしてもし位置がバラバラだったら、対処できるものも対処できなくなってしまう。固まって行動するのは大事だ。はたから見たら滑稽だろうが、僕たちは大まじめだし、必死。


「さぁてと、じゃ、まずは腹ごしらえと行きますか」


時刻は午後に差し掛かったころあいだった。太陽が真上にある。僕とファロウはできるだけ揺れない歩き方を編み出してから外に出た。


宿の周辺には酒場やレストランの類が点在していた。僕は通行人に安くておいしいお店を訪ねた。宿の裏の通りにある店がいいとのことだ。


言われた店へ向かうと、こじんまりした静かな店だった。いくにんかの男性客がコーヒーらしき飲み物を啜っている。


僕とファロウが店の一番奥へ腰かけると、店員がメニューを訪ねてきた。見たことのないメニューばかりだったが、『香辛料煮フォーレ・コニ』の文字に見覚えがあったのでそれを頼んだ。


「こちら、クリュの香辛料煮フォーレ・コニになります」


出てきたのは魚を甘辛いタレで煮たものだった。肉料理を頼んだファロウと一緒に、僕は食事を始めた。


すると、バッグの中からぐぅと音がした。

ファロウがじっとりと視線を向ける。


「……おい」

「仕方ねぇだろ、生理現象なんだから」


どうやらサジールのお腹が鳴ったらしい。ファロウは周囲の客や店員の動向を確認すると、バッグの入口を狭く開けて肉を差し出した。サジールの猫の手がそれを掴んだ。


「ありがとよ、くそ。──うまっ」

「シロツキも食べる?」

「くれるのか?」

「うん。おいしいよ」


魚の切り身をバッグへ差し出す。真っ白な猫毛の手がそれを受け取った。不良が学校に連れ込んだ動物へ餌付けするみたいだ。


「会計頼むぜ」


レジの方から声がして振り返る。窓際でコーヒーを飲んでいた男が新聞を棚に戻していた。この店で貸し出しているのかも。


「ちょうどいい」


ファロウが素早く新聞を取った。

次を狙っていたらしい男がちっと舌打ちした。


「失礼」


優雅に戻ってきた彼は新聞を開き、すぐに眉をしかめた。


「……『戦勝』? どういうこった」

「どうしたんです」

「この前の戦いが人間側の勝利になってやがる」

「獣人と人間の」

「ああ」

「士気を保つためでしょうか」

「そうかもな。この国の市民が豊かに暮らしてんのは、負け続きの現状を知らないからかもしれねぇ。生活の質を落としたくない一部の奴らが、間違った情報を意図的に流してんだろう」

「……カルヴァの場合は?」

「女王陛下は嘘なんかつかねぇよ。そこだけは俺も信用してる。そもそも、嘘を流せる新聞なんて、大量に刷れないしな」


あの真っ赤な瞳を思い出す。ゼノビア女王のこと。人間に対しては高圧的だが、ファロウの意見に対しては柔軟に考え方を変えていた。誠実な印象がそこにはある。たしかに嘘などつきそうにない。


裏側から新聞を眺めていると、小さな記事に目が留まった。


「『リェルナ第三王女……病から生還』……」

「ん?」

「あ、いえ、そこに」

「ああ」


ファロウが新聞を裏返して、テーブルに広げた。




『長らく原因不明の病に冒されていたリェルナ第三王女。一時は生命の危機に瀕するほどの衰弱を見せ昏睡状態にあったが、このたび生還。王城は喜びの声に包まれた。市民からも喜びの声が多数上がっている』




「この国の王女……っつっても第三か。いてもいなくても問題にはならねぇお嬢様だろ。俺らには関係なさそうな話だぜ」


きっと会う機会すらないだろう。王女に謁見するとしたら、それは僕らが任務をしくじって、何かの手違いで処刑が見学される時くらいか。会わないことを願うばかり。


「ほかになんか書いてないのかよ」


バッグの中からサジールがいった。肉を食べ終えたみたいだ。


「『西部農場、今期の作物が豊作』『北部にて、孤児が発見。保護されたが親は見つからず』。それから」


ファロウは顔をしかめた。


「……『獣人の自殺が二件』だ」


シロツキとサジールは重い沈黙の中にそれを受け止めた。


店員がやってきて、僕らのグラスに水を注いで去っていくまで、誰も口を開かなかった。


読まなくても、言わなくてもわかる。『商品』として扱われていた彼らを見れば、自殺の理由くらい。


「ほかには」


シロツキが沈黙を打ち破る。

ファロウは新聞を閉じた。


「情報なし。そもそも『戦勝』なんて嘘をつくような国だ。新聞なんか信用できるか。──兵器とかを視察すんなら軍に向かうのが手っ取り早い。獣人を探すなら女王の言っていたように王城の地下。どっちがいい」


彼の目がまっすぐに僕を見た。バッグの中を伺うとシロツキも僕を見返していた。決めろ、と言うことだろう。


「王城の地下に行く方法がありますか」

「ないな。今のところ」

「それじゃあ、軍の施設……があるかどうかわからないですけど、そこへ」

「了解」


ファロウはそういってバッグを持ち上げた。


「ぅギャッ! いたいっつの!?」

「静かにしろ」


お代を置いて、サジールを入りのリュックごと彼らは出ていった。


「持ち上げるよ」

「ああ。大丈夫だ」


やっぱり滑稽かな。

そんなことを思いながら、シロツキ入りのリュックを持って外へ向かった。

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