幕間・代償の話


「しっかし、驚いたぜ」


木々の隙間から降り注ぐ月光のもと。昆虫に話しかけるほど小さい声で、鷹の獣人はいった。焚火を見下ろす彼の目はオレンジの炎を鮮やかに映している。


火の向こう側、倒木に腰かけた猫の少女が薪の位置をいじりながら顔をあげた。


「なにが」

かえでの野郎、あんな力を隠してやがったとは」


火の傍に横たわる二つの寝袋を見る。


楓とシロツキがぴったり寄り添って寝ていた。さっき見たときは二人のあいだに距離があったのだが、ふと見たら添い寝している。睡眠中にも関わらず無意識に引き合っているのか。


磁鉄鉱じてっこうかよ。とファロウは内心ツッコむ。


向かいに座るサジールの反応がないので視線を向けると、少女はくしゃみの直後のように顔をしかめている。なるほど。


「お前も知ってやがったな?」

「あー、と。なにが?」

「いまさらとぼけんなよ。こいつの魔法についてだ」


サジールは諦めたようにため息をついた。

それから薪をつついていた枝を折って、火に投げ入れた。


「誰にも言うなって教えたのに」

「そんなことを気にしてられる状況でもなかったしな」

「……あたしのせいじゃん」


楓は明らかに魔法を行使していた。彼自身を守るシロツキとファロウの動きを正確に把握し、さらには目視できないサジールの居場所まで見破ったのだ。


おそらく気配を察知するたぐいの能力。


ツリミミズの大軍に突っ込もうとしていたのを思い返すに、まだ範囲も精度も並以下といえる。


だが、充分驚異的だ。

戦闘において相手の動きを予見できるなど。


「お前はいつから知ってたんだ」

「前の任務の時から」と彼女は答えた。「毒鼠グースと対峙したとき、この人間やけにいい動きするなって思ったら目が真っ青だった」

「窮地に追い込まれて発現したのか、」ファロウは顎に手を添えた。「それとも、俺らに隠しておくつもりだったのか……」

「こいつに限ってそんなこと考えるか?」


サジールは寝ている楓の顔をのぞき込んだ。


「隠し事なんか一等苦手そうだぞ。しかも獣人と一緒にぐっすり眠ってるし」

「ずいぶん肩入れするんだな。気に入ってんのか?」

「んなっ……!?」


ファロウがくつくつと肩を揺らす。

サジールはわずかに頬を赤らめて彼を睨んだ。


「そんなわけねぇだろッ。ただ個人の感想を言ったまでだ!」

「大声出すなって。原生生物を呼び寄せたらどうする」

「っ……」


いいようにあしらわれて歯噛みする彼女だったが、あたりを機敏な動作で警戒する。


そこは森の中。ツリミミズの湿地を抜けた先には草原があり、そこから少し歩いたところだった。周囲は暗い木々のシルエットに囲まれており、焚火だけが唯一の光源となっている。


この暗さ、人間であればなにかが襲ってくるような想像を掻き立てられてしまうが、彼女らは獣人。周囲に気配がないことは本能的に理解している。


それでも確認してしまうサジール。

再びツリミミズに飲み込まれるのだけはぜったいに嫌なのだ。


「こんだけ大声出してりゃ、起きても不思議じゃねぇのに」


ファロウはいった。


獣人の聴力をもってすれば睡眠中でも他人の話し声を聞き取ることができる。楓は言わずもがな、しかしシロツキにも起きる気配はない。昼間の戦闘がだいぶこたえたのだと見受けられる。


「うちのお嬢様も、いつの間にあんな能力身に着けたんだ」

「あんな能力?」


サジールは気を失っていたので知らないのだ。


「自分ごと楓の体を黒爪で覆っちまったんだよ。それだけじゃない。そこからさらに刀を伸ばして戦わせたんだ。楓の動きに合わせて獣人の身体能力も与えてたっけ」

「……できんのか、そんなこと」


少女は黒爪のなんたるかを知っている。だからこそファロウのいうことが信じられなかった。だが現にシロツキが力を使い果たした様子を見るに、冗談ではないのだ。直前に大きなエネルギーを消費したものとみて間違いない。


「こりゃあ、いよいよシロツキの特質を見直さねぇといけないかもな」

「……《過剰オーバー》か」

「ああ」


黒爪には一人一人の質というモノがある。それはファロウであれば羽の一枚一枚を武器に変える力──《羽刃レアルク》であるし、隊長グレアであればその硬度を極度に増す力だ。シロツキの《過剰オーバー》は、もっぱら伸縮性、柔軟性が特質であるとされていた。


「自分の生命力で他人を守る特質なんて聞いたことないぞ」

「むろん俺もだ。だが、それ以外にどう考える」

「……わかんないよ、あたしには」

「もしかしたら、シロツキでさえ知らない特質が潜んでんのかもな」


なにはともあれ、とサジールがいった。


「怖いのは二人が自分の力を自覚したときだ。『戦う力がある』って気づいた奴は、自分から危険に突っ込むようになっちまう」

「得た力に対して精神が追い付かねぇって話か?」

「ああ」

「それで言やぁ、二人が抱えてる代償も心配なところだぜ」

「……特に人間の方は、な」

「ああ。そもそも黒爪は、獣人の身体能力を前提にした兵装だ。今日みてぇな激しい戦闘を続ければ、いずれ楓の体がぶっ壊れちまうだろうよ」


事実、戦闘後の彼は一歩だって歩けなかった。

それはシロツキも同様で、体を覆っていた黒爪を元の形に戻すのに長い時間がかかった。


「あとは魔法もだな」とサジール。「楓の魔法が、体の中でなにを燃料にしてるか未確定だ。それがわかるまでは使用を控えさせるべきだろうな」

「ああ。こいつら二人が組み合わさればたしかに強い。でも反動がでかすぎる。なんらかの後遺症が残らないとも限らねぇんだ。誰かがしっかり管理してやんねぇとな」

「それがお前の役目だろ」

「俺か? 違うだろ。俺は監視兼、いざというときの処刑役さ」

「どうせこいつらを処刑することにはならねぇよ」


寝ている二人を見下ろす少女の目には、どこか確信めいた色があった。


しばらく火の爆ぜる音が続いていた。

そして人の声は止んだ。



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