37・視界
瞼を開けたら一気に思い出した。
世界がわずかに青みがかって見えた。どこに何がいる。誰が何をする。何がどこを狙ってる。ぜんぶわかる。身に迫る危険さえ。
「楓っ」
シロツキが僕の肩を掴もうとしていた。後ろを見ずにその手を摑まえる。彼女は驚いて動きを止めた。
「おい、いい加減にしろッ!」
僕らを逃がすために戦っていたファロウが、焦れた様子で歩いてくる。左肩を押される気配がしたので避けた。続いて胸倉を掴まれそうになったので一歩引く。
僕は顔をあげた。ファロウが目を見開く。
「お前、その眼……」
シロツキが僕の顔を覗き込んでくる。
彼女の深海の虹彩に移り込んだ僕の目は、負けず劣らず青かった。
「サジールを助けますっ」
僕はツリミミズの大軍に向かって走った。
「ッ、シロツキ!」
「はいっ」
「特別コード000だ! こいつを死なせんな!」
「元よりそのつもりですッ!」
僕はツリミミズの群れの中央目指して歩いた。
右から迫るツリミミズをファロウが切り裂いた。左にいる幼体は足を振れば心配ない。正面の一匹をシロツキが輪切りにする。ファロウが僕の背中を守っている。意識を正面に傾ける。
──いた。
サジールはツリミミズに呑まれて意識を失っている。
それはボールを投げたような感覚。誰かいませんかとボールを投げて、そうしたら返ってきた。投げ返す者がいた。必ずサジールはそこにいる。
意識を正面から自分の周囲へ引き戻したとき、足元に違和感を感じた。地中に潜んでいた一匹が猛スピードで近づいてくる。
「ッ……」
場所が悪すぎる。
泥に捕らわれて避けられそうにない。
「突っ込みすぎだっつの!」
ファロウが僕の腕をつかんだ。意識の外からやって来た彼に驚かされた僕は、そのまま空を飛んでいた。世界が降下していくような錯覚。
「ちっこいのはどこだ!」
「あそこです! 二番目に大きな個体の中!」
「そりゃあ愉快だな!」
ファロウがからからと笑いだした。僕もそうしたい気分だった。そこには巣と呼んで申し分ない量のツリミミズが密集していたからだ。ありていに言えばうじゃうじゃ。見ているだけで気持ちが悪い。
「おっと!」
「うわッ!?」
ツリミミズがその躰を伸ばしてきた。回避のためか、ファロウが旋回しながら僕を投げ捨てた。高さ数十メートルでだ。思わずふざけんなと口走りそうになる。足元に広がる景色が見えているだろうに。なにもこんなところで投げ出すこと!
「雑なことを……」
背中から落ちた先、シロツキが空中で僕を抱き留めた。「《
「っ、シロツキ」
「何度も失敗した私を、もう一度だけ信じてくれるか?」
耳元の声。
切実な響きを伴う懇願するようなそれ。
僕は強く頷いた。
「もちろん」
「──力を貸してくれ!」
「ああ!」
シロツキが僕の背後に回った。黒爪が全身を包み、強固な鎧と化す。ファロウがにっと笑った。投げ捨てた時点でこれをやらせるつもりだったのかも。
腕から細身の刀が現れた。剣道なんか高校の授業でやったきりだ。だけど振り方はシロツキの鎧が教えてくれる。彼女と一体化したような安心感が不思議と恐怖を殺していった。
「行こう」
シロツキが微笑み頷いた。
背後からの気配。
振り向きざまに得物を振る。体の鎧が剥がれて腕に集中した。急成長した刃がミミズを一太刀のうちに切り裂いた。刀の長さが元に戻るにつれ、再び鎧が僕の体を包む。
「私がサポートする。前を向いて行けッ」
「堅実に攻めている暇があればいいんだけど……ッ」
数体のミミズが同時に喰いかかってきた。僕は跳んだ。十メートル近い大ジャンプ。獣人のような身体能力も黒爪のおかげだろう。
ツリミミズの頭上から刀を伸ばして串刺しにしてやる。それだけじゃ絶命に至らないようで、そいつは長い体をくねらせた。
「くそっ……!」
ミミズの頭に突き刺さった刀ごと、僕らは地面に叩きつけられた。
地面に接する瞬間、シロツキは刀を消しその全てを鎧に変換した。おかげでほとんどダメージはない。振動が内臓を揺らした程度だ。
僕は再び現れた刀を掴む。
「ありがとう」
「ああ、」
そう答えるシロツキの息は荒い。この操作で体力をかなり削られているようだ。今のような戦い方をすれば、彼女が先に力尽きてしまうだろう。
──短期決戦だ。
僕はミミズたちの攻撃を脚力任せにかいくぐる。
跳んで。着地。ステップ。
たまに刀を振る。再び跳ぶ。
空中で身動きが取れないあいだはファロウがミミズを狩ってくれる。
このあたりで距離は充分だ。僕は着地に備えた。
地に足がつくと同時に前傾姿勢を取る。地面を蹴った。景色が後ろに吹っ飛んだ。サジール入りのツリミミズが眼前に飛び込んでくる。泥の中へ潜ろうと身をよじっている。でももう遅い。
僕は刀を真横に振りぬいた。
シロツキの集中に合わせて刃先が三つに別れた。
「ファロウ!」
彼は空中で難なくキャッチした。
サジールの体はぐったりしている。しかし生きていることに変わりはない。
「まだ終わってねぇぞ!」
僕はとっさに右へ飛んだ。
足元から新たなツリミミズが生えた。
危うく丸呑みされるところだ。
「脱出だ! そのまま走れ!」
僕はファロウがいいというまで湿原を疾走した。エサを求めて暴れ狂うミミズの隙間を縫って、およそ数十キロの湿原を跳ぶように駆けた。
乾いた草地にたどり着いて地面の色が豊かな新緑に代わるころ、限界が来た。
「う、っぁ」
「かえ、──っ!」
僕は無様につまづいた。シロツキと二人転倒する。
その拍子に黒爪が剥がれた。ガラクタのように地面に散らばっていった。
ほとんど裸同然のシロツキと、雑草を枕に大の字になる。
息が苦しかった。一息ごとに胸が大きく膨らむ。疲労が体に押し寄せていて、でも妙な達成感がある。やってやったという、心からの喜び。
どうして? わからない。けど嬉しい。
「……っは」
シロツキがこっちを見て口端を綻ばせる。同じ表情を返すしかない。僕らは理由なく笑った。理由なく声をあげた。
「もう、一歩も歩けそうにないね」
「私も同じく」
「奇遇だね」
「どうにもそうだな」
飛来したファロウがサジールを地面に下ろした。
穏やかな寝息を立てていた。
「人の気も知らねーで」
仕方ねぇな、と彼は羽を畳んだ。代わりにサジールの頬を叩く。
「おい、起きろ」
「んぉあッ!」
彼女は謎の鳴き声をあげて飛び起きた。
ぜんぜん猫らしくない。
「ミミズッ、ミミズがッ!」
「もう湿原は抜けたよ。大丈夫」
「ミミズ──、は? いつの間に?」
サジールは辺りに散らばる黒爪と、
「……不本意だが、あたしが迷惑かけたことだけはわかる」
「無事でよかったね」僕はいった。「痛いところはない?」
「ない」
「悪い。あたしのせいだろ、この状況」
「違う」今度はシロツキが言った。「サジールの『せい』じゃない。サジールの『ため』」
「言い方の問題だろ」
「助けた側の気持ちの問題だ。私も楓もファロウも、サジールを心から助けたいと思ってそうした。気に止む必要はない」
サジールは「うーーーーん……」と唸った。
唸った。
また唸った。
唸り続けた。
それからようやく、意を決して顔を上げると、
「……ありがとう」
といった。
それがなによりの報酬だ。
胸の底から温かい喜びがにじみ出て全身がぽかぽかした。
「どういたしまして」ファロウがいった。
「私も同じく」
「僕も、同じく」
「……おう」
サジールは僕らに背を向ける。その耳は真っ赤だった。
「……あ」
「え?」
彼女は唐突に地平の向こうを指さした。
僕は地面に寝転がったまま視線だけを動かす。
「いよいよ、ついたな」
ファロウがくーっと伸びをした。
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