第三章──マーノスト、あるいは姫君のこと

33・湿地へ


 数日間をカルヴァで過ごして、行動が習慣になってきた。

 朝起きたら忘れないうちにハパウの香水を体に振りかけ、その上に第十二部隊のマントを羽織る。そうしておけば人間だと気づかれにくいし、たとえ気づかれてもシロツキがなんとか話しを通してくれる。外出のたびに迷惑をかけて申し訳ないけれど、国の暮らしぶりを知るために必要なことだと割り切るしかない。


 ファロウから聞いてわかっていたことだが、カルヴァには植物性のモノがほとんどなかった。食べ物、建物、家具、道具。それらすべてを、鉱山や原生生物からとれる資源でごまかしている。道を歩く子供の獣人──あの角はおそらく鹿の獣人だった──が、母親に「サラダを食べたい」とねだっている場面にも遭遇した。母親は困ったような顔で、みんな我慢しているのだからと言い聞かせていた。


 最近ずっと考えていることがある。


 ゼスティシェとカルヴァの交易についてだ。どうにかして彼らの橋渡しをすることができないだろうか。種族にこだわらなければ。あるいは、僕が仲介役になることも、ずっと考えている。


 ノックの音がして意識を引き戻された。


「はい」

「入るぜ」


 ファロウが姿を現す。


「すっかり獣人らしい見た目だな」

「少し香水の匂いがキツイですけど」

「だな」彼は笑った。「女王への嫌がらせか?」

「そんなつもりは、」

「わかってるっつの。冗談だ」


 どうどうと僕を押しとどめる彼の手。


「もうすぐ時間だ。うちのはどこ行った?」


 第三部隊ルートニクがいうお嬢様とはシロツキのことだ。女性の最年少に親しみを込めてそう呼んでいるんだとか。


「今日はまだ見かけてませんけど」

「ったく。ふだん頼まれもしないのにお前の部屋に忍び込むくせして」

「あはは……」


 彼女が猫の姿で僕の部屋に来ていることはすっかりお見通しのようだ。

 そこへ、


「遅くなった」


 涼やかな声と共にシロツキが現れる。いつも通り裸身の上に黒爪を直に纏っていた。ただ、最近見かけていた姿と決定的に違う部分がある。


「包帯、とれたんだね」

「ああ。体の中はまだ治っていないが、皮膚の方はふさがった」


 失礼を承知で脇腹を見た。たしかに傷はふさがっている。ただ、いびつに隆起したり、紫に変色していたりはする。無理は禁物だが一応動ける、といったところか。


つらくない?」

「痛みはないな。本領を発揮するまではいかないが、最低限の戦闘はできる」

「無理しないでね」

「楓はそればかりだな」

「……心配だから」

「こっちのセリフだ」


 シロツキは一度だけ、瞳を磨くようにまばたきした。


「そろそろいいかいご両人。婚約の挨拶じゃないんだぜ」

「すみません」


 彼女はファロウに向き直り、きりと表情を変えた。僕もこれからのことを考えていま一度気を引き締めた。




     *




 今日、任務が与えられる。その通告は二日前にファロウから告げられた。僕は「わかりました」と口では答えながら、どんな準備をすればいいのかわからないでいた。


 そういえば前回の任務では自分の体力不足が気になった。そういうわけでなんとなく筋トレをしていたら、サジールに見つかった。

「なにしてんだ……」と真顔で言われた。


 また気になったのは武器のこと。


 ナイフを携帯していたサジールや、黒爪を扱うシロツキ、ファロウに比べ、僕には満足に扱える武器がない。このままでは原生生物一匹を相手に死闘をしなければならないので、支給してもらえないかと女王へ直談判する心づもりだ。ののしられるのがオチかもしれないけれど。


「失礼します」


 ファロウが扉をノックする。そこはカルヴァの国の上層。「王議室」の石板がかかった部屋の前だ。


「入れ」


 中から聞こえた女王の声はどこか遠くを見ているようだった。


 ファロウが扉を開けると、女王は奥の机に腰かけ、羊皮紙の山に囲まれていた。一枚一枚にびっしりと小さな字が並んでいる。それを読み通す女王は、大きな丸眼鏡をかけていた。


 拡大された赤い瞳がつとこちらを向く。


「お前たちか」


 疲れのにじんだ声がいった。


「もうそんなに時間が経っていたとは」

「忙しいところすいませんね」

「構わない。むしろ優先権はこちらにあるだろう」

「これらの書類は?」

「《全席獣会合セレム》に関わる長たちの書簡と、それに合わせた警備の提案、および長たちが滞在しているあいだの宿の手配、国民たちの賛否の声、その他だ」

「とても忙しいってのがよくわかりました」


 ……猫の手も借りたい。

 ふと思いつきを呟くと、シロツキは顔を真っ赤にして顔をそむけた。咳ばらいで笑っているのをごまかしている。女王が疑問の表情でシロツキを見た。少し冗談に走りすぎた。


「任務を受け取りに来ました」


 一歩踏み出して僕はいう。

 途端に表情を凍てつかせ、女王が腕を組む。


「わざわざご足労だった。人間の足には遠かったろう」

「いえ、そこまででは」

「口の減らん」

「こいつは冗談が通じない奴なんです」


 ファロウがくっくっと笑う。女王はつまらなそうに机の引き出しを開けると、中から一枚の羊皮紙を取り出す。差し出されたそれを受け取って、三人で書面を眺めた。



◆特別偵察任務

 カルヴァ西方、人間の国マーノストにて獣人の解放を主目的とする。国家間での攻撃とみなされないよう、あくまで秘密裏に救助、帰還されたし。



 僕は視線をもちあげた。


「バレないように獣人たちを助ける、ということですか」

「ああ」

「……人数は」

「問わん」

「え」


 シロツキとファロウも意外そうに女王を見た。

 彼女は眼鏡をはずして机の上にそっと置くところだった。


「獣人たちはマーノスト王城の地下に幽閉されていると聞く。厳重に管理されているんだ。人間が頼もうが、容易に檻を開けてくれるとは思えん。一人助けるのでさえ至難は必須。──そんな不可能な任務に高望みしてどうする」

「一人でも救出できたら、それで構わないのでしょうか」


 シロツキが尋ねる。


「あくまで隠密にだが」

「理解しました」


 シロツキは意気込んで頷く。

 赤い目を細めて、女王が渋い顔をした。


「ファロウ。お前たちのお嬢様が空回りして問題を起こさぬようしっかり見張っていてくれ」

「もちろんです。じゃじゃ馬ならぬじゃじゃ猫ですが、きっちり制御しますよ」

「頼んだ。──人間」

「はい」

「私の望む結果を返してくれるのだったな?」


 明らかな挑発。お前には無理だという言外の意思表示。

 ここまで来て引き下がれるか。僕は強く頷いた。


「はい」

「っは。期待せずに待つとしよう。次に届く報告が訃報でないと良いのだがな」


 武器を頼もうと思っていたのにどうにもそんな雰囲気ではなくなってしまった。内心困っていると、背後からノックが聞こえた。女王が入れと促す。そこに立っていたのはサジールだった。


「え」「え」


 僕とシロツキ、サジールの声が重なる。

 女王は何でもないことのようにいった。


「万が一獣人を解放できたのなら、サジールに治療を任せる」


 その一言で状況をすべて察したらしいサジールは、頬を引きつらせた。


「あの、あたしの処罰は前回の件で不問になったはずじゃ……」

「ああ。だが、旅に慣れた医療部隊は有能だ。それほどの人材を放っておくわけにはいかないだろう? 今回は処罰ではない。正式な医療任務をお前に預ける」

「……あたし以外にも、もっと腕のいいのが」

「人間と旅をしたい者がその中にいると思うのか、サジール?」


 威圧的に名前を呼ばれて黒マントが縮こまる。けっきょく彼女は悔しそうに「はい」といった。


 案の定、王議室を出てからサジールは悔しそうに地団太を踏んだ。




     *




「開けてくれ」


 ファロウの声で門が開く。ここに集合するのも二回目だ。木箱を背負うサジールや、果実を持ったファロウはこの前と同じ。違うのは、僕が四人分の食料を背負っていること、それからいろいろの荷物を持ったシロツキが隣にいることだ。


「重くはないか?」

「重いけど、いい運動だよ。体力をつけとかないとこの先不安だし、持たせて」

「わかった」


 僕らは門をくぐった。洞窟を抜けて、縦穴を上った。

 これも二回目だから足の踏み場や手の置きどころはわかっている。前回のような姿態をさらすこともなかった。


 雪の降り積もる外へ出て、ファロウが雪午スラウフェムを呼んだ。積雪を踏み分けて現れる雪午車フェム・ウト。僕たちは順番に乗り込んで荷台に座った。山脈を下りきるまでの数時間、サジールが恨みがましい視線を絶えず僕らに注いでいた。


 麓にたどり着き、車を降りると、やはり背後にフクロウの獣人が立っていた。彼女は僕のことをじっと見つめてくる。抑揚のない声がいった。


「まさか、二度目があるとは、思わなんだ」


 その古めかしい口調。無表情なのに意外そうなことが伝わってくる。僕は笑いかけた。


「お世話になります」

「ああ。お世話になられる」

「気をつけて」

「ああ、気をつけられる」


 それは微妙に違うんじゃないか。言おうと思ったけど彼女が真顔なので控えておいた。きっとこれ以上の会話は彼女も望んでいないはずだ。行きましょうとファロウに持ち掛けて、僕らは森へ向かう。その背後で、


「三度目があるといいな」


 そんな励ましがぽつりと聞こえた。皮肉も嫌みもない言葉だった。

 驚いて振り向く。

 彼女はすでにこちらに背中を向けていた。

 雪午車フェム・ウトに乗って去るところだった。


「……」


 ほのかに温かい感情が体を温めた。

 心の中で感謝の言葉を告げ、僕は三人を追った。






 徒歩での移動は裁縫針より進みが遅いくらいだった。ゼスティシェの村人に見つからないよう、数キロ離れた迂回路を取る必要があったからだ。それに、原生生物の住処を避けて通ったり、道なき道を切り開いたりすることもある。飛んでいるファロウは優雅に宙へ寝そべり、あくびなんかをこぼしている。お決まりのようにサジールが歯噛みしていた。


「いっそのこと黒爪で切り開いてしまおうか」


 我慢強さを見せていたシロツキがとうとう大真面目にいった。が、それは危険なことだとサジールが押しとどめる。


「森の中に旅人か商人がいたらどうすんだ。姿を見られたら殺すしかなくなるだろうが」

「気絶ではだめだろうか」

「獣人の存在が知られることには違いない。隠密だって言われたろ」


 たとえ面倒でも地道に進むしかない。あの女王の難しい課題に応えるには、生半可なことは許されないのだ。


「ゆっくり行こう。今回は期日も決められてないから」

「……二人がそう言うなら」


 シロツキはしぶしぶと出しかけていた剣を収め、刃渡りの小さなナイフに持ち替えた。




 森を十キロ進むのにさらに数時間が経過した。すでに太陽は空の頂点を過ぎた位置にある。


 僕たちは川沿いで休憩をとった。持ち運んでいた干し肉で腹を満たす。森帝鳥アリフメデューのモノではない。見たこともない黒い肉だった。噛んでみると非常に固い。それに野生くさい。……食べて大丈夫なのだろうか。


 ふと顔をあげれば、シロツキもサジールもファロウも、ぐにぐに、もごもご、と一様に咀嚼している。


「相変わらずカルヴァの支給食は固いな」

「あのさ、サジール」

「ん?」

「人間が食べても大丈夫、これ?」

「胃が丈夫なら」


 それは大丈夫ではないのでは。


 言いかけたが、これ以外に食料はない。僕は歯が削れそうなほど力を込めて肉を食べた。国史ナルニ・トリエの本によると、原生生物も魚も不漁の時、カルヴァの人々はこれを食べるらしい。どうにも豊かとはいいがたいように思う。


 食事を終えて、顎の痛みをこらえて先へ進んだ。


 また十数キロくらい進んだ。そのころには日が沈みかけていて、今日は野営をすることになった。僕らは再び干し肉を食べ、火を囲んで寝袋に入った。


 次の日。僕らはようやく森を抜けた。

 目の前に広がるのは一面泥だらけの湿地帯だった。

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