29・報告


「以上が麓の村に発足していた村、ゼスティシェの状況になります。現段階において、軍事レベル、思想共にカルヴァの脅威になる確率は低く、我々が意識を割く必要はないでしょう」

「そうか」


 サジールが言うべきことをすべて言い終え、女王が手書きの報告書に目を通していく。そのあいだひどく静かだった。沈黙の時間はサジールと二人でいるときより何倍も気づまりだ。


 謁見の広間にほど近い作戦室にて、女王と、その他8人が長机を囲んで座っていた。8人は珍しい生き物を見るような視線をちらちら僕に投げかけてくる。居心地がいいとは言えなかった。サジールとファロウも同じだろう。彼らは僕と一緒に入口近くで立たされ、報告に対する評価を待っていた。


「自然の恵みが豊かであること以外は、ただの小さい村か。軍に関係のない人間が独自に動いていたのは少し驚きだが……」


 女王は机に報告書を投げ出した。取り沙汰ざたする価値もない、と言いたいのかもしれない。久しぶりに目にした真っ赤な瞳は、やはりというか僕に威圧感を与えた。


「いい働きだな人間。自らのためなら同胞を売ることも止む無しか?」


 言葉の真意が読めずに黙る。女王は「皮肉の通じない奴だ」と退屈そうに言った。


「まぁいい。脅威ではないことが知れたんだ。早々に滅ぼしておこうか」

「っ、待ってください」


 僕が声を上げると、その場にいた全員が振り向いた。サジールが僕のつま先を踏むが、黙るわけにはいかなかった。


「村人たちは獣人との戦争に対して懐疑的です。それに、人間の国で行われている迫害を嫌悪している様子もありました。彼らが進んでカルヴァを──獣人を害することはありません」

「お前は未来でも見て来たのか?」


 女王が背もたれにその身を預け、指で空気を撫でるようにひじ掛けで頬杖をつく。


「そう言い切れる根拠を示せ。将来長きにわたって彼らが我らを害すことのない証拠を」

「それは……」

「ないのだろう。当たり前だ。お前の意見はすべて不確定な感情に基づいているのだから。村人たちの懐疑、嫌悪……。そんなもの、どうしてアテにできような? 彼らが明日にでも獣人を滅ぼそうと思い立つ。その可能性を否定できる者はここにはいない」


 その通りで。まったくその通りではあるのだけど。


 僕は引き下がることも反論することもできないまま、出かかった「でも」を口の中で転がす。実際に村人たちと関わった僕は、彼らが必死に生きていることを知っている。そこに戦争をする余裕がないことも。けれど女王の言う通り、明日は、一年後は、どうなっているかはわからない。論理的に彼女を打ち負かす言葉は僕の中に一つもなかった。


「ほかに言うことは?」

「滅ぼすに越したことはないでしょう」


 ロバの獣人らしき男性が言った。


「残しておく理由はなく、滅ぼしておけば未来の脅威を防ぐことができる。たったそれだけのことです」


 賛同する声がいくつも上がる。全会一致の流れに、僕はいよいよ言葉をなくした。


「ちょっと失礼」


 ファロウが手を挙げたのはその時だった。


「どうにも話の流れが悪い気がしたんで、発言の許可を求めますよっと」

「なんだ、ファロウ。お前も滅ぼすなと言うのか」

「うーん、まぁ、半分くらい」

「なんだそれは……」


 僕の隣にいたサジールが「半殺しか?」と物騒なことを言う。あるいはありえそうだ。ファロウのことだからなにか考えがあるのだろうけれど。


「俺が言いたのは、今すぐ滅ぼす必要がありますかって話ですよ」

「我々はさんざん未来のことを……」

「だから、その未来を検討したのかって話をしてんだって──失礼」


 彼は進み出ると、女王の前にあった書類を取った。パラパラとめくりながら周囲に見せる。


「現時点での人口が五十人ちょっと、軍事レベルはまだまだ原始的です。一番強い得物がいしゆみってくらいだ。加えて魔術やその他に長けた者もなし」

「何が言いたい」


 女王は周囲の獣人とは対照的に穏やかな声だった。現場を見てきた第三部隊ルートニクの言葉ともなれば、検討する気になるのかもしれない。


「例えば十年後、この村に魔動石を使った兵器がいくつできます? 人口が何人増えます? さらに聞きましょう。人口が数百人を超えようが、兵器のレベルが乏しい人間に我々が負けるとお考えですか?」

「可能性は低いな。第三部隊ルートニクの働きがあれば」

「その通りです。さて、これで『未来の脅威説』はなくなった。続いてこの村を残しておくべき理由を唱えます」


 僕とサジールは予想外の展開に顔を見合わせた。ファロウは続ける。


「ゼスティシェは自然の恵みに富んでいる。それは人間が持ち帰ってきた果実からもわかる通りです」


 手でこっちに来いと示され、僕は女王の前に立った。袋を降ろして、中からリョリョの実を取り出す。帰り際に僕とサジールで一つずつ食べたので三つに減っていた。


 丸々と太った果実を見て周囲から驚嘆の息が漏れる。驚きの表情こそなかったが、女王も果実をじっと見ていた。


「たしかに良質だな」

「後でご賞味あれ。さきほど一切れいただきましたが、絶品です」


 サジールが僕の脇腹をつついた。帰り際にこっそり実をあげたことがばれてしまった。


「村が発展すればするほど、蓄えも増えていく。人口数百人をまかなう蓄えともなれば、この国の植物性食料保有量を一時的に回復することもできるでしょう」

「なるほど」女王が静かに言った。「残しておいて、期を見て滅ぼすと、そう言いたいのだな?」

「ええ。『太らせて狩る』。これこそ頭のよいやり方というもの。やつらの発展に向かう努力をうまく活用するのです」


 言っていることは残酷そのもの。しかしゼスティシェがすぐに滅ぶ未来を回避するためには、女王にファロウの提案を飲んでもらうほかない。固唾を飲んで見守る中、女王は別の報告書をめくって何かを確認した。


「……そうだな。わかった。この件は見送りとしよう。後日、狩りの期を見極める会議を開く。ここにいる者は全員──」


 いったん口を閉じて、赤い目が僕を見る。


「人間とサジール以外は全員集うように」


 机についた8人の獣人とファロウが頷く。




 その時だった。

 ドン、という鈍い音が入口から響いた。飛び上がったサジールがすぐさま距離を取る。部屋にいた獣人たちが立ち上がり、警戒態勢を取る。女王ですら、きりと引き締まった空気をまとい、扉に意識を注いでいる。


「な、なんだ」


 サジールが言う。そして扉が開いた。さっきの音とは裏腹、とても丁寧に。


「あ」


 薄明に眩しい月のような長髪。ゆっくりと部屋を見渡す青の瞳。体を覆う黒爪の下には血のにじむ包帯。そこにはシロツキが立っていた。


「シロツキ」


 呟くと、目があった。途端に彼女は唇を噛んで頭を下げた。


「会合中失礼します。急ぐあまり扉に衝突してしまいました」

「あほか」


 サジールが安堵して力を抜く。ほかの面々も息をつき、再び着席した。


「招集した覚えはないのだが?」

「楓が安全な人間であると主張し、この国へ連れ込んだのは私です。彼の行動に責任を持つため、傍にいるべきだと判断しました」

「屁理屈を」

「申し訳ありません」


 シロツキは僕の隣に立つと、もう一度頭を下げた。


「……今日の会合はこれで終了だ。用のない者は各自の業務に戻ってくれ」


 女王の一声で、その場にいた獣人たちが席を立った。部屋に残されたのは僕とシロツキ、サジールとファロウ、そして女王だった。


「さて、お前たちの処遇も決めねばなるまい」

「そのことですが」


 僕は言った。


人間の国マーノストへ行きたいと考えています。なにか、それに適った任務をください」

「っ、だめ、楓」


 シロツキが僕の腕を強く引いた。


「わざわざ危険に飛び込むなんて。どうして。簡単に行けるほど近くもない。戦う力だってないのに……」

「シロツキの言う通りだ、人間」と女王。「なぜ我々がお前を逃がす手伝いをしなければならない?」

「逃げるつもりはありません」

「口先で言葉を弄することは子供にだってできる」


 ことさらに子供というところを強調されてむっとする。


「失礼ですが、陛下も僕とそんなに変わらない年齢では?」


 背後でサジールとファロウがぎょっとする。シロツキは驚いた眼で僕を見る。女王は明らかな敵意を漂わせた。


「そうだな。お前のような無頼漢ぶらいかんが私と数年しか変わらないこと、純粋に驚きだ」

「無知も恥も承知の上で頼ませていただきます。僕にチャンスをください」

「いったい何のチャンスだ。生きるための機会ならお前はいくらでも逃しているというのに」

「戦争に携わっている人間の、本心を知るチャンスです」


 ゼスティシェの村長がそうであったように、この世界の人間全員が獣人との戦いを望んでいるわけじゃない。種族の違いがそのまま戦意につながっているわけではないということだ。カルヴァの山脈にある資源──魔動石を求めるにしても、別の鉱脈を探す方がよっぽど効率的な気がする。人間側が戦いを望むのはなにか恣意的な理由があるからではないだろうか。僕はそんな仮説を立てた。


「それで、そのチャンスの見返りにお前は我々に何を与える?」

「女王陛下の望むことを」


 我ながら大口を叩いたものだ。それでも女王を納得させるには並大抵の対価では足りない。言葉通り御心のままに、お眼鏡にかなうものが必要だった。

 彼女はかすかに目を丸くした。


「その言葉に虚偽は?」

「ありません」


 シロツキが不安げに僕の服を掴む。僕はそれをあえて無視した。

 女王と向かい合ったまま、数秒が立った。


「……ファロウ」

「はい」

「損な役回りを任せてすまない。お前に再びこの人間の監視を言い渡す」

「ええ。わかっていましたとも」

「この者が意に反する行動を取ったら、その時は殺せ」

「仰せのままに」

「人間。後日任務を与える。それまではつかの間の休息に身を移せ」


 僕は頷いた。


「人生最後の休息にならないことを祈れ」

「はい」


 女王が手を振り、去れと示した。

 僕らは連れたって部屋を出た。




 会議室をでると、回廊には第十二部隊ヒルノートのマントを羽織った獣人が待ち構えていた。治療中のシロツキを探しに来ていたらしい彼らは、シロツキを連れてサジールの部屋があった建物に戻るという。ほかに当てもない僕はついていくことにした。そもそも部屋がそこにあるサジールと、監視役のファロウも一緒だ。


 サジールの部屋に入るなり、シロツキは僕の体をまじまじと観察してきた。


「な、なに?」

「大事はなかったか?」

「……それって、どちらかと言うと僕のセリフなんだけど」


 シロツキの包帯に黒くこびりついた血液が生々しい。


「ごめん。僕のせいで怪我を負わせて」

「謝らないでくれ。私が望んだことだ」

「でも」

「人の部屋でいちゃいちゃすんな」


 サジールがうんざりした様子でベッドに倒れ込んだ。獣人の体力があるとはいえ、慣れない土地での生活はさすがに堪えたのだろう。僕もそうだ。正直今すぐにでも寝たい。


「そんで、楓はどこで休むんだよ。まさかあたしの部屋を使うとか言わないでくれよ?」

?」


 シロツキがむっとしてサジールを睨んだ。


「いつの間に仲良くなったの」

「仲良くなってねぇッ! 最低限必要だったんだよ!」

「本当だろうか」

「本当だッ」

「……ならいい」


 ファロウが「人気者は大変だねぇ」とのんきにあくびした。


「楓とシロツキのために部屋を用意させた。今日はもう遅いし、ゆっくり休めよ」

「ありがとうござます」


 連れられるまま第十二部隊ヒルノートの寄宿舎を歩くと、階段を挟んでサジールの部屋と正反対の位置に二部屋空きがとってあった。奥まった位置にあるのは、できるだけ獣人の眼につかないようにと言う配慮だろう。


 家具はほとんどサジールの部屋と一緒だった。僕は部屋の奥にあるカーテンをぴったりと閉めて、そのままベッドに倒れ込む。


 疲れた。と心で一言唱えるうちに、意識はすでに瞼の裏からいなくなっている。

 物を考える暇もない。

 限界を超えた疲労が睡眠を引き寄せたのだった。

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