28・帰還


「よし」


 小屋の中から見上げると、屋根はすっかり綺麗になっていた。蜘蛛らしき生き物の巣も取り払ったし、穴も塞いだ。大きな災害でもない限り生活に困ることはないだろう。次に使う誰かが大事に使ってくれるといいんだけど。


「サジール、もういいよ!」

「おー。ようやくか」


 屋根の上からトンとジャンプする音がした。小屋の裏手に着地したらしい彼女が、玄関へ回って中に入ってくる。その両手は屋根の修復に使った粘土で汚れていた。


「くたびれたぜ」

「お疲れ様。ありがとう」

「お前に任せといたら穴が増えそうだったからな。仕方なくだ」


 そう言いつつ腰に手をつく彼女は、屋根を見上げると満足そうに口端を持ち上げた。


素人しろうと二人にしては、って感じか」

「うん、及第点きゅうだいてんだね」

「違いない」


 ユト達を助けた日から今日まで、僕らは負傷者の手当てを進めながら、小屋の修繕も並行してやっていた。けっきょく完成は滞在の最終日になってしまったけれど、間に合って何よりだ。


「村の人たちの容態は?」

「ユトとミラ以外は安静にしてるだけでよさそうだった。あの二人はもう一回くらいホツラの葉を皮下注射する必要がある」

「……サジールがいなくなっても、できるものなのかな」


 注射なんて素人が手を出しちゃいけないような印象があるけど。


「静脈注射は難しいけど、皮下なら誰でもできるんだよ。注射器を二、三本渡しておいたし、マニュアルみたいなものも書いた。これで無理なら、もうあたしの知るところじゃない」

「そっか。治るといいんだけど」

「心配しなくても、もう治りかけみたいなものだ。あいつらコル爺にこってり怒られてたぞ」


 むしろそっちのトラウマの方が心配かな。一人考えて、思わず笑った。


「ここで昼食をとるのも今日で最後だね」

「寂しいなら残ったらどうだ。あたしは一人で帰らせてもらうけど」

「僕も帰るよ。サジールを一人にしたらファロウと気まずいだろうし」

「余計なッ、お世話だッ」


 サジールはすでに荷物を詰め終えた木箱を背負うと、外に出て行ってしまった。来るときには荷物を持っていなかった僕も、村の人たちに譲ってもらった森帝鳥アリフメデューの干し肉を袋に入れて背負った。


 村の入口に行くとコル爺だけが待っていた。ほかの村人たちには僕らが出立することを伝えていない。サジールがお見送りされるのは嫌だと言ったからだ。人間が嫌なのもあるだろうけれど、それよりも、別れを惜しまれるのが照れくさいのかもしれない。僕は勝手にそう思った。


「短いあいだでしたが、お世話になりました」

「なんの。また来るといい。ゼスティシェの入口は心優しい者みんなに開いている」


 コル爺と握手を交わして、僕は頷く。


「医者のお嬢さんもな。心配いらないとは思うが、養生していきなさい」

「ああ。この村は、悪くなかったよ」


 彼女はそう言って顔をそむけた。最大限の誉め言葉だろう。コル爺にも伝わったらしく、心底愉快そうにして笑う。


「じゃあ、そろそろ」

かえでー! 姉ちゃーん!」

「姉ちゃんじゃねぇ!」


 サジールが叫び返した先にはユトとミラが走ってきていた。二人とも症状はだいぶ収まってきているみたいだ。ミラの頬にはまだ青紫の斑点が見えるが、サジールいわく、じきに綺麗な肌に戻るとのことだった。


「っつーか、外に出んなって何回言えばわかるんだお前らッ」

「だって……二人が行っちゃうって言うから」


 僕とサジールは顔を見合わせた。


「誰に聞いたの?」

「セージおにいちゃん」

「……なんで知ってんだあいつは」

「さぁ……」


 本人は見送りに来てはくれないみたいだ。少し残念だと思う。出来事はいつも唐突だ。もしかしたらこれが今生の別れになる可能性もある。でも、彼にとって僕とサジールがいい人のまま別れることができるなら、それはそれでありかもしれない。


 ミラがサジールの腰に抱き着いた。サジールはあからさまにうろたえて、引っぺがすこともできずに頬を引きつらせる。


「な、なんだよ」

「行っちゃやだ」


 ミラが細い声で言った。


「みんな二人に助けられたの。みんな感謝してるって。だから、もっと長くここにいてよ……」


 サジールがため息で答えた。


「バカ。あたしらは放浪者だ。そんな奴らに救われるなんて、村としてまだまだなんだぞ」

「でも」

「でもじゃない」


 彼女はミラを撫でて、ようやく少女の体を引き離した。


「またな」

「……うん」


 ミラは泣きながら引き下がった。

 ユトが袋を差し出してきたので受け取ると、立派なリョリョの実が5つ入っていた。


「こんなに、いいの?」

「おう。俺んちの果樹からとってきた! 大事に食べろよ!」

「うん。ありがとう」


 僕は改めてコル爺に向き直った。


「そろそろ行きます。本当にありがとうコル爺」

「ああ」

「ちょうどよかったぜ」


 サジールはマントの中に右手を突っ込むと、上空へ向けて氷炎樹レヴィティナの花びらをぱっと散らした。濃い青の花弁が快晴の下をさらさらと揺蕩たゆたう。陽の光がそれらを透かし、ステンドグラスのごとく鮮烈な色を映す。やがて花びらは風に乗り、僕らを取り囲むように地面へ落ちた。


「ああッ! 俺があげたやつ!」

「あたしは物持ちが悪いんだ。それに、こういうのは別れ際に一瞬で散らせるのが、文字通り華ってもんだろ?」


 じゃあな。

 サジールはそう言って歩き始めた。ほがらかに笑うコル爺と、泣き顔のミラと、納得いかない顔のユト。彼らを残して、僕はサジールを追った。




 森の方へ進んでしばらく行くと、セージが立っていた。


「尾行でもしてたのか?」


 サジールに睨まれて、彼は首をぶんぶんと横に振った。


「あんたらを待ってたんだ。別れ際に一言もないんじゃ薄情ってもんだろ」

「マントを剥ぎ取るのは気にならないらしいが」

「……頼むから許してくれよ」


 がくりとうなだれるセージだった。ちょっとかわいそうだ。


「お世話になりました」

「ああ。今度は腰を据えて話をしたいな。村の行く先とか、戦争のこととか。ここには情勢に関心がある奴が少なくて、話し相手が少ないんだ」

「だからいつも一人なんだな、お前」

「うるさいな」


 言いすぎだろ。と詰められ、サジールも失敬と答えた。


「今回の件で、うちの村に足りないものの多さに気づかされたよ。小さい村だからって慢心してたけど、専門的な医療の心得がないのは、どうにもこれから不安だ」

「いい医者が見つかるといいですね」

「ああ」

「あたしのレベルが最低限だぞ?」

「それは、見つかるかどうか……」


 なんやかんだセージは彼女の腕を認めているらしい。サジールは満足げに胸を張った。


「ま、がんばれよ。あたしの知ったことじゃないけど」

「ああ。勝手にやらせてもらう。──それじゃあな」


 軽く会釈する。セージは村の方へ歩いて行った。見えなくなるまで一度も振り返ることはなかった。


「サジール」

「ん?」

「この村、どうなるかな? これからもみんな無事に暮らせると良いんだけど」

「言ったろ。あたしらが決めることじゃねぇよ」

「……そっか」


 しばらく別れの寂しさにひたっていた。サジールは根気強く待ってくれた。やがて僕が進むべき方向に振り向いて、


「帰ろうぜ」と彼女は言った。






 僕らは村から遠く離れた位置でぐるりと迂回し、カルヴァへ進路を取った。山脈が見える位置につくまでおよそ二時間ほどかかった。


 麓にはファロウが待機していて、来るときと同じ雪午車フェム・ウトが傍らにあった。


「お疲れさん。ちっこいの」

「わざわざお出迎えご苦労だな、クソ鳥」


 仲悪いなぁ。と思いながら苦笑する。

 僕たちが車に乗り込むと、ファロウが発進させた。

 荷台に持っていた袋を降ろす。疲れがどっと襲ってきた。一日くらい暖かい布団で横になっていたい。眠気と疲労と気だるさ。


「疲れた」

「軟弱者」とサジール。

「牢屋の固いベッドに寝かされて、連日長時間の移動と、知らない土地で知らない生き物と戦うなんて、後にも先にもこれっきりでいいよ」

「……女王がそれを許してくれると良いけどな」

「心配してくれてるの?」

「っは、誰が」


 サジールがそっぽを向いた。僕はさっきユトから貰った袋からリョリョの実を取り出す。


「食べる? さっきユトがくれたやつ」

「……一個だけ」

「はい」

「ん」


 彼女は果実にかじりついた。

 ほろが開く。前部座席からファロウが顔を覗かせた。


「果実もいいけど、そっちの袋からもっとうまそうな香りがする」

森帝鳥アリフメデューの干し肉です。よかったら──」


 差し出そうとした袋をサジールが奪った。


「お前の分はねーよ。これはあたしと楓の働きに対する報酬なんだから」

「ケチケチすんなよ。誰が迎えに来てやったと思ってるんだ?」

「どうせ女王からの任務だろ。従わなかったら処罰を受けるのはお前だ」

「ったく」


 ファロウは操縦に戻りながら聞こえよがしに言った。


「仲良く名前なんか呼び合っちまって。出発前の硬派なサジールさんはどこへ?」

「なっ……!」


 サジールが耳まで真っ赤になって荷台を殴った。


「関係改善しろっつったのはお前だろうがッ。それに仲良くなんかもないッ、ただの協力者だ!」

「はいはい。俺がいるからって仲たがいしてるふりしなくてもいいぞー」

「ッ、殺す!」

「うわ待てっ! 運転中だぞ!」


 ごとごとと揺れを立てながら雪午車フェム・ウトが進む。迷惑そうに雪午スラウフェムが鳴いた。なんだかんだ仲がいいのはサジールとファロウの方なんじゃないだろうか。

 サジールは後部座席に戻ってくると、後ろを向いて座り込んだ。


「これであたしとお前の関係は終了だからな」

「……うん。サジールがいてくれて助かった。ありがとう」

「だー、うるさい」


 そう言って彼女がすっぽりと頭を覆ったのは、セージがくれた村のチュニックだった。

 また数時間の行軍の末に、深い雪の中を進んでいく。山に入ってからは誰も喋らなくなった。その静けさにうとうとしているうちに長い時間がたった。目を覚まして、幌の隙間から前方を覗く。


 カルヴァの国の入口となる洞窟が、遠くにうっすらと現れたところだった。

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