26・行方不明


 鍛冶場の入口に立った僕を見て、セージはあからさまに苦い表情を浮かべた。苦笑を返しつつ呼び掛けると、近くで作業していた男に休憩を告げてこっちにやって来た。


「昨日のことなら謝る。すまなかった」

「それを責めに来たんじゃありませんよ」

「そ、そうか」


 セージがほっとして見せた。

 話の内容が内容だから、この場で立ち話するのも都合が悪い。僕はセージを村の近くの川に誘った。鍛冶場を出るとき、彼は「ちょっと待ってろ」と言い麻袋を持ってきていた。


 昨日ファロウと話をした桟橋さんばしに腰を下ろす。なにから話そうかと考えているうちに、セージが袋を開けて女性ものの服を取り出した。この村の人々が来ている白のチュニックだ。


「ん」

「え、っと?」

「サジールってやつに渡しといてくれ。お詫びだ」

「あんまり気にしてないみたいだったから、大丈夫だと思いますけど」


 サジールが人間が作った服を着てくれるかどうかもわからないし。けれどセージは引き下がらなかった。


「俺が気にするんだよ。さすがに何の詫びもなしじゃ、さ。この辺りには毒の棘を持った原生生物もいる。衣服一枚で生死が分かれるんだ。着ておいて損はない」

「……わかりました。渡しておきます」

「よろしく頼む」


 麻袋に戻されたそれを受け取る。セージは、はぁとため息をついた。


「まさか自分が追いはぎみたいなマネしちまうとは」

「仕方ないですよ。記憶がないなんて、たしかに怪しいですし」

「にしたってだよ。どうにも、外部から来る奴らってのは信用ならないんだ」

「……」


 今更タイミングを計るのも無駄な気がして、僕はそのまま尋ねた。


「セージさん、獣人についてどう思います?」

「……なんだ急に」

「いろんな人たちの考えを聞いてるんです。その、見分を広げたくて。ほら、もしかしたら記憶も戻るかもしれないし」

「だからってなんで俺に──」


 彼は思い当たったようで、むっつりと顔をしかめた。


「コル爺か」

「ごめんなさい。勝手に聞いちゃって」

「いやいい。あの爺さんのおしゃべりと騙されやすさは今に始まったことじゃないしな」

「騙されやすさ?」

「ああ。ちょっと前に行商人がこの村に来たことがあったんだが、できの悪いカラカラの作物を『新種の果物だ』って押し売りしてくんのさ。買おうとするコル爺を村の奴らみんなで止めたよ」

「ああ……またありえそうな」


 セージが鼻で笑った。


「それで、獣人についてどう思うかだったな?」

「ええ」

かたきだよ」


 遠くに見える山脈を指さして彼は言う。


「あの山を越えてまっすぐ北東へ進んだところに、ローネって国があった。俺の生まれ故郷だ。まだガキだったころ、獣人に責め込まれて一週間足らずでなくなった」

「セージさんの家族は」

「死んだよ。ローネの地盤は優良でさ、けっこういい石材が手に入るんだ。建物はほとんど石造りで、つまり崩れたらもろかった。獣人がひと突きすれば下敷きに、ってなもんだ」


 セージは膝の上で血管が浮き上がるほど拳を握り込んだ。


「灰色の、二メートルくらいの化け物だった。そいつが俺の家族を殺した。嬉しそうに笑ってやがった」

「……どうやって逃げたんです?」

「ほとぼりが冷めるまで崩れた家の中に隠れてた。そのあとは国の中で飼育してた原生生物の糞を自分にかけたんだ。ほら、あいつら鼻が利くだろ? そうやって死体に紛れてこっそり逃げた。血の匂いも相まって生きた心地がしなかったぜ」


 冗談めかした口調だが、実際はもっと過酷でつらかったはずだ。力の入って白くなった指先がそれを物語っている。


「どこをどう通ったとか、詳細な道のりは思いだせない。なんせ必死だったからな。森にいる虫とか、果物を食いながら必死に歩いて、最後にはコル爺に拾われたんだ」

「だから僕たちのことを警戒してたんですね」

「ああ。獣人はたとえ少人数でもあなどれない。一人でも忍び込まれたら、こんな村すぐに壊されちまう」


 なぁ、と彼は言った。


「お前も覚えとけ。獣人に会ったら逃げること。これを守れなきゃ明日にでも死ぬぞ」


 シロツキやサジール、ファロウの顔が脳裏に浮かぶ。僕は言葉に詰まった。考えても答えが出ない。取りつくろうように頷くしかなかった。


 シロツキやファロウも国を襲うのだろうか。何の罪もない子供を数多あまたの不幸に追いやっているのだろうか。そうであってほしくないと思うのは、僕が彼女らに好意的な感情を持っているからか。


 僕はひどく曖昧な立場にいる。人間が獣人を不遇に扱うと聞けば憤り、獣人が人間を不幸にすると聞けば言いようのない不安を抱える。どうしたいのだろう。


「お前はどう思うんだよ」


 測ったかのようなタイミングでセージが問う。


「人間を楽しそうに殺すあいつらのこと。奪った国の資源を嬉々として再利用するハイエナどものこと」

「……わかりません。でも、戦わずに済むならそれが一番だとは思います」

「いずれわかるよ。そんなの絶対に無理だって。俺らとあいつらの壁はなくならない。元から違う生き物なんだから」


 彼はこっちを向かずに言った。


「いつか、和解のチャンスが来たら?」

「そんなもの来るはずない。来たとしても、俺は騙し討ちを疑う。そんで、それは十中八九正解だ」

「1パーセントでも」


 可能性があれば。


 ──いや、これは僕の理想論だ。つらい経験にふちどられた彼の考え方をどうして否定できる? 何も知らない僕は、言葉通り何も知らない。この世界に生きる人々が持つ異種族への恨みも。想像こそすれ、理解はできない。


 川の流れに反射する光にオレンジの色がうっすらと混ざり始めている。前世の感覚で言えば三時くらいだろうか。ずいぶん長いあいだ話をしていた気がする。


「話してくれて、ありがとうございます」

「おう。さっき言ったこと忘れんなよ」


 どちらからともなく立ち上がった時だった。

 村の方向から鐘を打ち鳴らす音が聞こえ、セージがはっと表情を強張らせた。


「これって」

「何か異常が起きてる。すぐに戻るぞ」

「っ、はい」


 走り出した彼を追って村に戻ると、大人たちが村の中央に集まっていた。それぞれが武器を持ち寄っていて、険悪な表情で言葉を交わしている。さっきまでの話が頭の中にこびりついているせいで、嫌でも戦争という言葉が思い浮かぶ。


「おい」


 振り向くと、建物の陰からこっちを伺うサジールがいた。僕の隣にいる青年を見て一瞬顔をしかめたが、すぐに何事もなかったかのような真顔になった。


「サジール、なにが起きてるの?」

「あの子供たちがいなくなったらしい」

「ユトたちが?」


 彼女は頷いた。


「父親に森に出掛けるって言ったきり、三十分も戻ってきてないんだと」

「帰りが遅れているだけじゃないのか?」と青年。「あいつらは遊び始めると見境みさかいがなくなるし、いつものことなんじゃ……」

「父親が探しに行ったけど、元の場所にいなかったって」


 サジールの言葉を受け、セージは顔色を変えた。群衆の方へ向かい、事情を聴き始める。


「僕らも探そう」

「待て」きびすを返しかけて、サジールに服の裾を掴まれた。「『問題がないってわかるまで小屋で待ってろ』。さっきリーダーらしい奴に言われたよ。いま動くと人目に付く」

「でも」


 言いかけたところで、


「誰か心当たりがある奴はいないのかっ!? なんでもいい!」


 ユトの行き先のことだ。答える声はなかった。

 向かった方向すらわからないまま、うかうかしていたら陽が暮れる。すでに太陽はその色を濃くし始めている。快晴が徐々に夕方へ移ろっている。


 太陽と空の色彩に、僕は一つ思い当たる手がかりをつける。




──赤と青。




「あ、おい!」


 サジールが止めるのも振り切って、僕は人だかりの前に歩いて行った。弩を持った男が僕の姿を認めて眉をしかめる。


「今は人を探している最中だ。何か用があるならあとに──」

「赤と青って、なんのことですか」

「なに?」

「赤と青です。赤と青ならどっちがいいかって、ユトと一緒にいた女の子に聞かれたんです。楽しみにしていてくれとも言われました。なんのことかわかりませんか?」


 男は珍妙ななぞなぞを前にしたかのように、顎に手を当てて唸る。そのあいだに別の男が言った。


「……もしかして、レヴィティナのことか?」

「れび?」

氷炎樹レヴィティナ。一つの水辺に一本だけ生える珍しい木だ。赤と青、両方の花をつけるからこう呼んでる。──でも、なんでだ? 収穫の宴にはまだ早いのに」


 宴。ピンときた。僕とサジールは無関係ではない。


「おい、満月まであとちょっとだぞ、もしかして」


 月の満ち欠けが何か関係するのか。村人たちはみんながみんな青い顔をしていた。


「危険があるんですか」

「満月が近くなって、発情期に入った原生生物は普段よりも狂暴になる。夜行性の奴らも昼に行動するくらいだ。エサが豊富なレヴィティナの周辺ともなれば……」


 もはや言葉にするまでもない、と言うことか。

 大人たちはいっせいに声を掛け合い、村の南側に走っていく。僕は慌てて追いかけた。


「おいッ!」


 背後からサジールもついてきていた。


「どういうことだよ!?」

「ユト達は僕らのために花を取りにいったんだと思う」

「なんだって花なんか」

「わからない。宴に使う装飾か何かかも。でも今は関係ない。ユト達が危ない」

「あたしらが行ったって何もできないだろうが……」

「行かなきゃわからないよ」


 群衆との距離をぴたりと詰めて僕らは走る。

 そのうちに、サジールがくんと鼻を動かした。


「いやな匂いがする」


 赤い液体を連想した僕に、「血じゃねぇけど」と彼女。


「生き物の匂いだ。けっこうやばい感じの」

「それって」

「もしかしたら……ッ、楓っ」

「ッ……!」


 サジールが服の裾を強く引かれる。えりに首を絞められながら立ち止る。村人たちはどんどん森の奥へ向かっていく。何をするんだと問い詰めたくなったけど、彼女の緊迫した表情を見て苦言は引っ込んだ。


「どうしたの」

「あたしらと並走してる生き物がいる」


 僕は周囲を見回した。それらしき影は見えない。精巧に身を隠す原生生物がいても、もう驚かなかった。だって森帝鳥アリフメデューはあんなに狡猾だったんだから。


「尾行されてるってこと?」

「それならまだいいんだけど、どうも囲まれてるみたいだぞ。このまま向かわせるのはまずい」

「でも、とまらないよあの人たち」

「おぉい!」


 背後から大声がした。振り向くとセージが弩を持って駆けてくるところだった。


「準備で出遅れちまった。ユトは!?」

「ユトよりも、あいつらの方が危ない。あんだけ足音を立ててんだ。原生生物をいくらおびき寄せても不思議じゃないぜ」

「じゃあ助けに──」

「待って」


 セージを引き留める。


「いざって時に彼らの退路を確保できるよう、僕らは後ろをついていった方がいいかもしれない。彼らを囲む原生生物の、その後ろを取ろう」

「お前ら、得物は? 俺の弓一つか?」

「弓とナイフ二本、だ」


 サジールはマントに隠した両手で短刀を引き出した。


「いつのまに、そんなもの」

「自衛のやいばってのは日々進化させないとなまくらになっちまうからな」


 森帝鳥アリフメデューとの戦いで思い知ったということか。

 彼女はそのうちの一本を僕に渡した。


「このままあいつらを追うぞ」


 サジールの言葉に僕らは頷き、息を潜めながらも走る。

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