23・前世と名前
あたしはある王国の生まれだった。国の名前はエンリ。海に面した、水産資源が豊かな国だ。エンリは長らく戦争してた。領土を奪い合うくだらない戦いだよ。相手もこっちもかなり大きな国だったから、たくさん被害が出た。人間が
それで、不運なことに、相手の国の国旗にはトラが
もうわかるだろ、それが原因であたしが不遇な扱いを受けたこと。
王族の飼い猫だったんだ、あたし。笑えるだろ。普通に生まれていれば幸せに生きて死ぬことができたはず。でも、たまたま変異種として生まれちゃった。両親はどっちも黒猫なのに、生まれつきあたしのお腹の毛はトラ模様でさ。
王様は怒り狂ってあたしの両親を殺した。それから、あたしは国民の見世物になった。敵国の象徴として王国の広場に晒された。逃げ場のない檻に入れられて、水に沈められたり、何日もエサをもらえなかったりした。空腹で死ぬかと思った。けど、あたしのことを
……なんて顔してんの。別にお前がしたことじゃないだろ。『ごめん』じゃないんだよ。お前に謝られても、あたしは一ミリも嬉しくなんかない。
……どこまで話したっけ。ああ──そうそう。
エンリの国王は徹底的にあたしを痛めつけた。あたしは耐えるしかなかった。檻の中じゃどこにも逃げられないし、逆らったら水責めだ。
そのうち、多分飽きたんだろうけど、国王はぱったりあたしにかまわなくなった。かわりに現れたのが国王の息子。あたしをちゃんと飼いたいとか言い出してんの。びっくりしたよ。
王子はあたしを部屋に連れて帰って、ちゃんとした食事と温かい寝床を用意してくれた。声がでないほど嬉しくてさ、あたしは……まぁ、その、王子になついた、っていうか、その……うるさい。ここは話には関係ないところだ。飛ばすぞ。
そんなことがあって、安全な居場所が手に入った。あたしは安心しきってた。
でも、そのころ戦争の状況が
なんで知ってるかって?
王子が懇切丁寧に「こういうことがあった」ってあたしに報告するんだよ。身分が高いせいで友達いなかったし。あたしが唯一の話相手だったんじゃないか?
……まぁ、あたしを見る目は、だんだん……敵を、見る目に……なってったけど。
…………続けるぞ。
ここまで話したんだから、最後まで吐き出させろ。
国民が降伏を望む中、エンリの王様は徹底抗戦の構えを見せた。もちろん敵は国内に踏み込んできた。王宮もろとも、火の海と化したよ。大多数の人が死んだ。国王は最後まで横柄な態度を崩さなかった。最後は自分の兵に背後から突き刺さされて死んだ。「お前のせいだ」って言われてたっけな。
それで、さ。
王子だけは助かるといいなって、あたしは思ってたんだ。あ、それからネズミをくれた女の子もな。でも、親を殺された子供が復讐心を抱かないはずがない、って誰かが言った。王子はその場で殺されることになった。
これでさよならかなって思ったら、違った。王子は檻の中に入ったあたしを連れて逃げ出したんだ。国の地下水路をどんどん、どんどん下ってって、ついには川に出た。真っ暗な夜だったよ。遠くで国が
王子は檻を開けた。逃がしてくれるのかなって思った。
でも違った。王子は懐からナイフを取り出して、あたしの後ろ脚を切り落としたんだ。
……なんでお前が泣くんだ。やめろってば……。
……王子は、王子は、あたしの四肢と尻尾をぜんぶ切り落としてから、言った。
『人の親を殺して、満足か!? 幸せな国を一つ滅ぼして満足か!? おい、クソ猫が!!』
まぁ、つまりは八つ当たりだよ。クソはどっちだって話。
あたしは動けない体を何度もよじったよ。痛くて、熱くて、悲しくて、悔しかった。王子はあたしが失血死するまでなんども小さな針を刺した。なかなか死ねなくて、発狂するほど痛かった。
で、思ったんだ。「誰が好き好んでトラ模様に生まれるんだ」ってさ。あたしはただエンリに生まれただけ。……そうだよ、生まれただけだったんだ。あたしは誓って王子の家族になんにもしてない。そこにいるだけで憎まれたんだ。
ふざけんなって思った。殺してやるって。そう思った。
あたしを勝手に敵国の象徴にしやがった連中も、この王子も、くだらない戦争を仕掛ける奴らも全員、殺してやる、何度だって殺してやる、あたしと同じようにその四肢を切り取って体を何度も貫いてやる。
そう思ってたおかげで、この世界に生まれ変わったとき、あたしは
でも動機が最低だったせいかな。力は不完全だった。あたしの回魂術はさ、『生きることを諦めた魂』にしか作用しないんだ。ちょうどお前みたいな、な。
あの王子たちは
この力はあるだけ無駄になっちまったってことさ。
うるさいな。いまさら感謝されても、嬉しくない。
……だから、なんでお前が泣くんだよ。
*
僕は布団から体を起こした。服の袖口を目元にあてがったまま動けなかった。次から次に涙があふれ出てくる。しゃべろうにも、
「……おい、ひきつけ起こして死んだりしないだろうな」
「だい、じょうぶ」
「だといいな」
サジールがあきれ声で言った。それから、ごそごそと立ち上がる気配がした。
僕は目元をごしごし
「明日の朝、目元が腫れてたら村人の奴らに突っ込まれるぞ」
彼女はそういうと、マントからハンカチを取り出し、僕に投げ渡した。
「……ありがとう」
「返す時は洗え。洗濯が面倒だから対価として使わせてやるだけだ」
サジールは自分の布団の上に戻って、膝を抱えて座った。ハンカチは洗濯が必要ないほどに真っ白だった。
僕の方は嗚咽も収まってきて、ずっと聞きたかったことを尋ねる余裕も生まれていた。
「あのさ」
「ああ」
「
「聞いてどうすんだよ」
「いや、もう少しサジールのことを知りたいなと思って。嫌ならいいけど」
彼女はため息をついた。視線がふいと
「『嫌われ者』」
「誰がつけたの」
思わず責めるような口調になってしまった。
サジールは「王様だよ」と答えた。
体の模様だけで迫害され、
「どうして、この世界に来てからも同じ名前でいるの」
「名前に負けたくないだけだよ。良く言えば、自己の証明。悪く言えば意地張ってるだけ」
「……サジールって呼びたくなくなった」
「呼べよ。それがあたしの名前だ。昔は嫌だったけど、いまは気に入ってる。シロツキとか、医療部隊の友達とか、みんなが馴染んでくれる名前だ」
すると、彼女は微笑んだ。
唇がかすかに弧を描く。目元は何もかもを受け入れそうなほど柔らかい空気を帯びる。長く連れ添った戦友を労わるようなそれ。嫌みの
出会って以来初めて見るその表情に思わず
サジールは言った。
「嫌われ者の名前を背負って幸せになれたら、もう怖いものなんかない。そう思うんだ、あたしは」
「……そっか」
それは不思議な価値観のように思えた。僕だったら、そんな名前すぐにでも変えたいと思うだろう。でもサジールの目はキラキラと光っていて、妙な説得力があった。彼女が自分の名を大切にする理由も、『さん』とつけてはいけない理由もわかった。『嫌われ者さん』なんて、皮肉以外の何ものでもない。
「シロツキは、なんで『シロツキ』なんだ」
彼女が問い、僕が答える。
「僕がシロツキを拾ったとき雨が降ってたんだ。彼女を家に連れ帰った途端雨が止んでさ、雲が晴れて、大きな満月が出てきた。
「単純な理由だな」
僕は笑った。
「うん。そうかもしれない。でも、シロツキのおかげで、僕は少し満月が楽しみになった」
「お前の妹は……」
「病気で亡くなったよ。僕が前世で死ぬ半年前に」
長い沈黙が生まれた。
小屋の中で薪が爆ぜる音が一回して、それから無音は続いた。月の光が音を吸い込んでしまったかのように、美しい静寂だったと思う。
「そうか」サジールが言った。「悪い」
「ううん、大丈夫。知ってたから。幸せなんか来ないって」
「お前にはまだシロツキがいるだろ」
苦笑する。
「そうなんだろうけど……」
「けど?」
「実は、あんまりピンと来てないんだ。あれがシロツキですって言われても、僕にとっては猫の
「形が違って戸惑ってるって感じか」
「戸惑ってる……うん、そうだね。人間の女性の姿になったシロツキに、どう接していいのかわからないんだ。僕は彼女に何を求めてるのか、どう接して欲しいのか」
「少なくとも、死んで欲しくはないんだろ? ファロウに聞いたぞ、グレア隊長の前に立ちふさがったって。命をかけるくらい大事ではある、ってことだ」
「……そうなのかな」
ほんとうに?
どちらかと言えば、僕はシロツキを守って死ぬつもりでいた。
僕の命は彼女の努力で蘇生された。本来なかったはずのモノだ。それならば、いつか彼女らに訪れる危険から守る盾となって、命を散らすべきではないのか?
僕は知ってる。命は消耗品だ。あっという間にいなくなるんだから。使えるうちに、この命を誰かのために使いたい。
「ほら、今度はお前の前世も聞かせろよ」
僕は体験してきたことのすべてを話した。サジールの話とは苦しみのベクトルが違う。僕に恨む相手はいない。あるいは、自分が生きていることを恨むしかない。
サジールはため息をついた。
「『これで手打ち』って、さっき言っちまったからなぁ」
「謝るつもりだったの?」
「だって……」
彼女は髪を掻いた。
「人間はみんなのうのうと生きてるもんだと思ってた」
「サジールたちと比べればそうかもしれない。でも、不幸がそこらへんに転がっているのは一緒なんだ。それをふいに拾い上げてしまう可能性もね」
しばらく考え込む様子を見せてから、サジールは頷いた。
「……寝ようぜ。
「うん。明日から、またよろしく。できるだけ迷惑かけないように頑張るから」
「おお。せいぜいやってみろ」
僕らはそれぞれ布団に潜り込んだ。
「おやすみ、サジール」
「……おやすみ」
彼女はぽつりとつぶやいた。
「──
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