21・村の案内、それから回顧


 パチッと薪がはぜる音がした。寒さの中で目を開けると、もう朝が来ていた。サジールはとっくに起きて、昨日の肉の残りを焼いている。彼女の布団の傍にはリョリョの実が寂しげな影を落としていた。どうしても食べるつもりはないのだろうか。


「……おはよう」


 彼女は何も言わず、視線だけをよこした。


「焼く係、かわろうか」


 彼女は首を振る。

 手伝わせてももらえない。しかたなく、僕は炉の反対側に座った。


 肉が焼けると、サジールは自分の分だけ持って布団の方に戻っていった。こっちに背を向けて食事を摂る。見送って、僕は残った分の肉を口に運ぶ。


 食事の時間は一番気づまりだ。比較的長いあいだ無言の時間が続く。こうも音がないと、離れた位置にある村の生活音がよく聞こえる。ちょうど村の住人たちも目を覚まし始めたらしい。


 森帝鳥アリフメデューの肉は前世で食べた肉とあんまり変わりなかった。生肉はちゃんと赤で、焼けばこんがりと焦げ目がつく。臭みもほとんどない。切り分けた人の処理が上手なのだろう。というか、この味。


「……そのまま鶏肉みたいだよな」


 サジールが振り向いた。

 独り言のつもりだったのだけれど。


「お前、それやめろ」

「えっ?」

「獣人の前だぞ。殺されても文句は言えない」


 すぐに自分のしでかしたことに思い当たる。はっと口をつぐんだ時には遅く、サジールが嫌そうな顔で残りの肉を口に詰め込んだ。噛み千切り、飲み込んでから、再び僕を睨む。


「あたしも前世ではネズミを食ってた。でもカルヴァではそういう怨恨を抜きにしようって法律がある。代わりの食べ物が──原生生物がいるからだ。同時に国民は過去の食性を語るのを禁止されてる。理由は言わなくてもわかるだろ」


 サジールは一息に言って、それ以降口を閉ざした。


 僕は自分の迂闊さを呪った。食べている肉が、自分の同胞に似た味だなんて、知りたくもないに決まっている。これをファロウの前で漏らしてしまったら、きっと嫌な顔だけでは済まされない。


「……ごめん」


 サジールは答えなかった。






 しばらくすると、小屋に昨日の二人組がやってきた。少年──たしかユトだったか──は元気な声で挨拶する。少女はおずおずと。


「案内しにきたぞー!」

「案内、しにきた」

「ありがとう。よろしくお願いします」


 僕が頭を下げる。意外なことに、サジールも軽く会釈した。


 少年たちが最初に連れて行ってくれたのは農地だった。この村の半分を占める土地に、果樹と野菜が植えられている。実りは十分。土の栄養の高さがうかがえる。新たに土地を開拓しているようで、近くで木を切り倒している人もいた。


「なぁ、あのさ」


 少年が呼びにくそうにしているので、かえでとサジールだと名乗る。

 少年は頷いて話に戻った。


「楓たちはいつまでいるの?」

「いつまで、かな。でも長居はしないと思う。少ししたら新しい場所を目指して出発するよ」

「なぁんだ……それじゃ、間に合わないかな」


 少女が残念そうに言う。


「間に合わない?」

「感謝の宴!」と少年。「もうすぐ収穫できるから、そしたらみんなで豪華な食事をするんだ。好きなモノばっかりでるから楽しみ」

「ユト達は何が好きなの?」

「トゥアルのスープ!」

「ホツラのパイ。甘くておいしいよ」


 それから、それから、と。


 少年たちは聞いたことのない料理を次々に並べ立てる。僕は「そうなんだ」としか答えられず、わずかに苦い思いをしながら、次の場所へ案内された。後ろのサジールがあきれ顔をしていたのは見なかったことにする。


 次に連れていかれたのは村の東側。山の方向に近い石造りの建物だった。どうやら鍛冶かじになっている場所らしい。土を固めた鋳型いがたが棚に並んでいて、奥では熱した金属を流し込んでいる最中だった。少年たちは僕とサジールを放って夢中になっている。


「すごい温度だ」

「こればっかりはあたしらの国の勝ちだな」


 サジールは得意げに胸を張った。


黒爪こくそうもこうやって作るの?」

「あほが。そんなわけあるか」

「ごめん」


 彼女は腕を組んだ。


「黒爪ってのは、魔法と冶金術やきんじゅつの組み合わせでできる。溶けた状態の魔動石に、黒爪を扱う獣人の生命力を正しく注ぎ込むんだ。分量が繊細だし、ミスると爆ぜる」

代物しろものってことか」

「わかったような口ききやがって。見たことないくせに」

「でも、それを大量に作れたら、人間なんかすぐに倒せるんじゃ?」

「大量生産はできないんだよ」


 サジールは面倒そうにしつつ、律義に教えてくれた。


「生命力には波長がある。たとえば、それは心臓の鼓動だったり、血液型だったり、呼吸の速さ深さだったり、そういうところに影響を及ぼしてるんだが……まぁ、それはどうでもいい。とにかく、限られたものしか黒爪は使えない」

「シロツキは?」

「生まれながらに適性があった。戦うすべを望んだんだろ。誰かのせいでな」


 僕はうつむく。


「ごめん」

「あたしに謝ってどうすんだよ」


 もっともだった。

 僕らは少年たちが戻ってくるまで金属が固まっていくのを見ていた。すると、


「……」


 作業をしている彼らの奥で、藍色の髪を持つ一人の青年が僕らを見ている。

 その視線には神経質な警戒が滲んでいた。見知らぬ相手に対して排他的な人もいるのだろう。軽く会釈すると、彼は裏口から外へ出ていった。






 その後、僕らは少年たちと村中を歩いた。機織はたおりの家、食物を干して保管する倉庫、水路、飲み水を確保する貯水用の池、上流で魚を捕るための川にも行った。


 見れば見るほど、自然的な恵みに富んでいる。コル爺が「恵まれた土地」と言っていたのはこれのことだろう。食料も十分で、災害になりそうな要素も少ない。このまま村が育っていけば、そのうちに国になるんじゃないだろうか。


「カルヴァと交易すればいいのに」


 僕の呟きに、サジールは表情を歪めた。それが答えらしい。残念なことに。


 ユト達と別れて小屋に戻ると、サジールが木箱を漁ってごわついた紙とペンを取り出した。細く加工したすみのペンだ。さらさらと書き綴られていく文字は、どうやら今日のことを報告するために記録をとっている。

 あれ。日本語じゃない。それなのに。


「どうして読めるんだ」


 思えばヒルノートも、アルファベットらしくて、そうではない文字だった。なのに僕の頭の中には「Kvhill gnote」というスペルが確立している。


 サジールが顔を上げた。


「この大陸の公用語だ。読めない方がおかしい」

「僕はこの世界の人間じゃないのに」

「お前の体はこの世界のモノだろ。しみついた知識の一つが残っていても不思議じゃない」


 この体が読めていた文字、話していた言語はわかるということか。


「じゃあ記憶は?」

「質問の多い奴だな」


 サジールが黒のボブカットをがりがりと掻いて、やっぱり答えてくれる。


「魂は独立した自我を守る働きを備えてんだよ。忘れたくないと願えば、魂はおのずと自らを守る。言語は知識。記憶は積み重ね。記憶の底にある言語は残って、自我を守るために記憶は消えた。そう考えるしかねぇだろ」


 たしかに忘れたくなかった。家族を亡くす苦しみを繰り返さないためにも。

 それにしても彼女の知識量に救われる。が。


「サジールでもわからないことがあるの」

「あたしだって魔法の全部を知ってるわけじゃねぇんだ。詳細に聞こうと思うな。言ったろ? えーと……」

「『理解できないことの一つや二つ、これからいくらでも起きる』」

「それだ」


 サジールは物書きに戻った。謎が解けて、あるいは謎のままなのが分かってすっきりした僕に、もう一つ疑問が舞い込んできた。


「サジール」

「ん」

「一度死んでから、僕は魂がいっぱい集まった場所にいたんです」

貪暗ヴローブ


 手を止めずに彼女は言った。


「そう呼ばれてる。生きる気力のない魂の集う場所」

「そこで、誰かがずっと傍にいてくれたような気がするんです。僕はその人のことを知ってるような気がして、でもわからなくて」

「……お前の魂の波長と、その誰かの波長がかみ合ったんだろ。珍しいことじゃない。そういう相手と巡り合うと、時に親友になったり、時に恋人になったりする」

「そう、なんだ」


 そういえば、この世界に来るときも一緒だった。空間に空いた穴にもろとも吸い込まれたような気がしたのだけど。彼女はどうなった?


「巻き込んだらどうなるんです」

「あ?」

「蘇生するときに、巻き込んでしまって、彼女はどうなるのかなって」

しろがあれば生き返るかもな。この世界のどこに魂が降ったかわからんが」

「その人、女の人だったんです。男性になったりもするんですか?」

「ならん。波長が適合しない。お前、何の苦労もせずに体が動かせるだろ? それは魂と依り代の一致率が高いからだ。その女の魂は、どっかの女として生まれ変わるか、死んだ直後の体として復活するはずだ」

「会えるといいな」

「諦めろ。どうせ獣人嫌いに教育されてる。お前みたいな、一部の変人にはならない。ってやつか」


 突然小屋の戸から物音がした。


 驚いて振り向くと、濃い藍色の髪が目に入る。鍛冶場にいたあの青年がそこに立っていた。


「邪魔するぞ」


 僕とサジールはとっさに目配せし、立った。


「ええ、どうぞ」

「ちょっと聞かせてくれ。あんたらほんとに旅人か?」


 心臓が大きく跳ねる。背中に嫌な汗が伝った。どこか疑わせるようなそぶりを見せてしまっただろうか。いや、そんなはずない。覚えている限りでは自然にふるまっていたと思うのだけど。だけど青年が向けるまなざしは『お前らは怪しい』と告げている。


「……そうですけど」

「その割に軽装なんだ。特にお前、楓だったか?」

「はい」

「村の大人たちが言ってた。あんたらが大量の森帝鳥アリフメデューを狩ったって。どうやったんだ?」

「その、この医者が持ってたメスで、急所を、ずばりと」

「メスで」

「ええ」


 青年が目を細める。


「どうメスを使えばあんなでかい切り傷を作れるんだ? 死んでた森帝鳥アリフメデューはどれも、一撃でぶった切られていたぞ」


 指先が、さっと冷える。表情を保つだけで精いっぱいだ。スパイなんかやるもんじゃないな。ほんとうに。森帝鳥アリフメデューのことは言いようがない。だってほとんどがファロウの手柄だ。


 二の句を告げない僕に代わって、サジールが言った。


「あたしが、そこに落ちてた斧を使ったんだ。偶然にもほどがあるって感じだけど、助かったよ」

「その斧はどこにある?」

「さぁね。誰かが持ってったんじゃないか?」

「うちの男衆の武器は増えていなかった」

「じゃあ捨てたんじゃないか? もしくは、さっきみたいに溶かして別のモノに再利用したか」

「俺は昨日からずっと鍛冶場にいた。知らない斧はなかった」

「じゃあ捨てたんだろ?」

「そうは思えない」

「……何が言いたいんだよ」


 サジールの表情が硬くなる。口をもごもごして、疑いの視線を逃れようとしている。


「あの、昨日コル爺にもあいさつしましたし……」

「コル爺は人を信じすぎる。村の奴らもな。だけど俺にはお前らが怪しく見える」


 なあ。

 彼は一歩サジールに近づく。


「お前、なんでずっとマントを羽織ってんだ」

「ここら辺は少し冷えるからだ。医者として体調管理しなきゃな」

「一秒で構わない、マントを開けろ」


 あの下は獣人の肉体だ。


 いよいよまずいことになった。固唾かたずを飲んで頭を巡らせる。なにを言えば彼は引き下がってくれるだろう? サジールは病にかかっていて、いや、これはすぐにばれそうだ。じゃあ、えっと──。


「なんで何も言わねぇんだ」


 青年がさらに一歩踏み込んだ。右手がサジールのマントを掴む。そして。

 僕はとっさに彼の腕を掴んだ。至近距離で睨まれる。


「何か文句があるのか?」

「その……落ち着いてほしいと思って」

「十分冷静だ。落ち着いてお前らを観察したうえで、怪しいと言っている」

「だからって人のマントに手をかけるのは」

「隠し事でもない限り問題ないだろっ?」


 青年は大声で言い、僕を振り払う。そのままマントをはぎ取った。

 するとサジールは裸だった。



 人間の。



 ん?

 脳が停止する。


 現れたのは、想像だにしていなかった綺麗な肌色。

 丸みを帯びた肩や、控えめな胸。


 ぎょっとする青年。

 ぎょっとする僕。

 腰に手を当て、惜しげもなく自身を晒すサジール。


「怪しくて悪かったな」

「あの、ご、ごめ」


 青年は明らかにうろたえた。いまや彼の方が怪しいほどに。


「隠し事はないが、隠すものはあるんだよ」

「ごめんなさいッ!」

「マント返せ。そんで立ち去れ。さもなくばお前の眼を潰してやる」


 彼はその場にマントを置くと、すごい勢いで柱にぶつかりながら走り去った。いたそうだ。


 僕はそれを拾い上げて、視線を逸らしつつ差し出す。サジールはふんと言ってはじくように受け取った。再びマントが身に着けられる。


「あの、どうやったの」

「獣人っていうのは、人間にも動物にもなれるんだ」

「……知らなかった」

「わざわざ教えることでもないだろうが」

「じゃあ、どうしてずっとマントなの?」


 サジールはまた嫌そうな顔をした。


「二足歩行が便利だからこの体でいるんだ。そうでなきゃ、誰が嫌いな種族の真似事をするかよ。変身すんのはエネルギーも使うし、精神的にも最悪だ」

「……ごめん。もう少し僕が強く言えたら」

「……お前さ」彼女がうんざりした態度で言う。「ことあるごとに『ごめん』『ありがとう』って、馬鹿の一つ覚えみたいに言うんじゃねぇよ」


 馬鹿の一つ覚え。それは少し心外だった。この世界に来てから言った『ごめん』にも、『ありがとう』にもちゃんと心を込めたつもりでいる。


「思ったことしか言ってないつもりなんだけど」


 サジールが開きっぱなしの戸口を見た。


「さっきの奴はあたしのマントを剥ぐまで帰らないつもりだった。ならこういうのもやむなしだろ。そこにお前の責任はない。それとも、あれか?」


 嘲るように続ける。


「身の周りで起きた出来事はぜんぶなんとかできるとでも思ってんのか?」


 なんでここまで言われなきゃいけないんだ。むしろサジールは感謝すらしてくれないのか。それを目的で助けようとしたわけではないけれど、さすがの態度にイライラが募る。


「それが違うってんなら、小さな獣人を助けてやろうとでも思ってたか? あいにくあたしは自衛のすべを持ってんだよ。昨日のことだって、お前がこなくてもちょっと時間があれば自分で抜け出せてた」


 うそぶく彼女。

 気づいたら僕は唇を噛んでた。


「あたしは獣人。お前は人間。それだけが変えようのない事実だ。わかったら今後あたしを助けようとはするな。そもそも、お前みたいなちっぽけな奴にはなにも──」


 丸ごと無能だと否定されている気分だった。


 唐突にあの縁側の光景がフラッシュバックする。夏の暑さ。仏壇。倒れた沙那。動けずにいたこと。理不尽。

 腹の底がじわりと熱を持つ。血が上る。胸が憎しみを自覚する。驚くほどの黒い感情が、制御をなくして吹きあがる。


「黙れよ」

 血が上り切った。


 サジールがはっとする。僕は構わずに彼女の肩を押す。抵抗さえなく、彼女の背中が壁につく。瞳の中に怯えの色が浮かぶ。


「知ってるにきまってるだろ。自分がちっぽけなことも、どうしようもないことがあるってことも」


 声が意図せず震えていく。


「僕みたいなちっぽけな人間にはなにも助けられない。何も変えられない。そんなの最初から知ってる。一度諦めた僕にはこれ以上の人生を望む資格さえない」


 でも。口が勝手に続きを喋る。怒りで心が裏返る。自分さえ知らなかった内側が、情けなくも外に晒される。いやだと思った。ごちゃごちゃだ。混乱していて、なにを言いたいのかさえも定まらない。それなのに言葉がさらさらと滑り出る。


「この命を使えば誰かが助けられるかもしれない。可能性はゼロじゃない。だったらそれを望んだっていいだろ! お前、知ってるのかよッ」


 僕は言う。


「どうしようもないことばっかりで、誰も恨めずに、何もかも失くしたんだ。心をどこに向ければいいのかすらわからないままみんないなくなるんだ! 生きてることすら恨んだんだ! もう一回貰ったチャンスに縋るくらいいいだろッ!」


 拳を壁に叩きつける。

 大きな音さえ気にならない。


 自分が何を言っているのかわからなかった。体の中心にはまだ冷静な自分がいて、前世を彼女へ訴えるのは的外れだと叫んでいる。彼女の眼を見てみろ、とも。


 毅然きぜんとした態度をよそおって、サジールは震えていた。涙が浮かんだ目で懸命に僕を睨み返す。はっとする。そうだ。前世があるのは彼女も同じ。


 その顔を見たらすっと溜飲りゅういんがさがった。血が冷える。自分がしたことの愚かさを自覚する。フラストレーションをためにためて、八つ当たりしただけだ。中学生だってこうも怒りをあらわにはしないだろう。


 後悔した。

 僕は彼女から離れた。

 彼女は体勢を立て直し、ふいと顔を逸らす。


 ごめん、とも言えず、僕は小屋を出た。

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