20・ゼスティシェ


 サジールの表情が強張こわばっている。無理もない。自分以外は人間で、しかも腕っぷしの強そうな大人の男性ばかりだ。加えて全員が刃物やいしゆみできっちり武装している。生きた心地がしないだろう。僕だってそうなのだから。


 彼らの装備はかなり高等なものに見える。対照的に、衣服は質素なものだった。色合いも地味で、カルヴァのような絢爛けんらんな印象は受けなかった。


 きっと、それを着ている彼らの顔がサジールと同じように強張っていたからだろう。明らかに警戒を滲ませて、男たちは僕らの前にやって来た。先頭に立っていた三十代ほどの男が言う。


「何者だ」喉の奥で押し固めたような固い声。「ここで何をしている」


 サジールが何も言わないので僕が答えた。


「こんにちは。僕たちは、その……旅をしていて、今しがた森帝鳥アリフメデューに襲われて、退治していたところです」

「どこから来た」

「……ごめんなさい。おぼえていなくって」


 男が目を細める。

 露骨すぎたか。考えてみれば出生をぼかしているなんて怪しい。でもそれ以外にどう答えればいい? 緊張感に耐え切れず視線を逸らすと、サジールがようやく口を開いた。


「あたしは医者だ。この患者の記憶を取り戻すために、記憶へ刺激を与えそうな場所を巡ってる」

「どこの生まれだ」

「ヘルシラ」


 国の名前だろうか。サジールがそう言うと、男たちはふっと表情をやわらげて武器を降ろす。若葉さえ押し固めそうだった緊張が緩んだ。


「そうか。俺たちの村を攻めに来たわけではないんだな」

「村があるんですか?」


 先頭の男が頷いた。


「つい最近できたばかりだがな。俺たちはそこに住んでる」

「そう、なんですか……えっと」


 どうしよう。これ以上どうやって踏み込めばいいんだろう。

 考えているうちにサジールが僕の足を踏んだ。たぶんわざとだ。僕は焦って口を開く。


「あの、よければその村へ案内してくれませんか」

「構わないが、滞在できる家があったかどうか……」


 別の男が「なぁ」、と言った。


「誰も使ってない外れの小屋があったろ。そこじゃダメなのか?」

「でも、あそこは整備が……」

「今から帰ってやりゃあいいだろ。いつか人口が増えたら家も必要になるんだ。治しといて損はない」


 男は無精ひげの生えた顎を撫でて、「一理あるが……」とこぼす。


「だが、歓迎らしい歓迎は期待しないでくれ。俺たちも豊かに暮らしてるってわけじゃ」


 彼はそこで言葉を止めた。視線が僕らの背後にくぎ付けになっている。そこにあるのはいくつもの森帝鳥アリフメデューの死体。


 まさか。

 苦い感情がこみ上げるのを感じつつ、僕は恐る恐る次の言葉を待った。やがて男は、


「歓迎、できそうだな」

 と言った。





 村に着くころには日は傾き、紅茶のように澄んだ空気がそこらじゅうを取り巻いていた。


 平坦な道を進んでいくと、枝と葉に阻まれた視界の先に物見櫓ものみやぐらが見えた。そのまま進むと、柵も城壁もない素のままの家々が現れる。


「ひでぇ出来だな」


 サジールがぼそりと呟く。さすがに看過するわけにもいかず、唇へ人差し指を当てて制した。


 でも彼女の言いたいこともわかる。その村は発展途上という言葉をそのまま地面へ張り付けたかのようだった。立ち並ぶ家々は装飾も建材もバラバラな小さいモノで、およそ統一感がない。かろうじて生活圏内の道は舗装してあるし、樹木も取り払ってあるが、それにしても森の中になじんでいる。城壁や柵と言った、村の内外を仕切る設備はまるで見当たらない。


 でも、悪いところばかりじゃない。村の中心には水路が通っていて、山脈から流れ出た雪解け水が清らかに流れている。獣人の国カルヴァにはなかった広い農地が設けられていて、余すところなく作物が育っている。この世界の農業がどうなっているかわからないけれど、もうすぐ収穫できそうに見える。


 森帝鳥アリフメデューを担いだ男たちは中央の広場のような場所へおもむき、さっそく肉の解体を始めた。太い刃が肉をぶつぶつと断っていく。見ていられなくて思わず目を背ける。サジールが「弱虫」と軽蔑の視線を送ってきた。医療に関わる彼女は血や肉の香りに慣れているのだろう。同じにしないでほしい。僕は少し前までケンカすら知らずに生きていたんだから。


 先ほど隊列を率いていた男が僕らの傍にやって来た。


「待たせた。集会所へ挨拶に行くぞ」


 彼に連れられて、村の中で一番大きな建物に向かう。

 引き戸を開けると二十人は入れそうな一間ひとま。木板の床に荒いゴザのような敷物が引かれている。奥に男が座っていた。


「コル爺。お客さんを連れてきたぞ」

「こんにちは」


 挨拶をすると、男は立ち上がった。顔に深いしわの刻まれた、温厚そうな白髪の男性だった。穏やかな眼がこちらを見て、軽く頭を下げる。


「初めまして、楓と言います。こっちは医者のサジールです」

「ああ初めまして」ひどくゆったりした調子で老人は言う。「私はコルジウ。この村の村長をやらせてもらっている者だ。お前さんがた、今日はどんな要件で?」


 僕が口を開く代わりに、さっきの男性が答えた。


「楓は記憶喪失なんだそうだ。それを取り戻すために各地を巡っているんだと」

「はぁ、記憶を」


 やや灰色交じりの眼が、しわの向こうから僕を見る。


「それはさぞ不安だったろうに。当てのない旅ほど地に足がつかぬものもそうないだろうて」

「いえ、まぁ……」


 サジールにかかとを踏まれる。言外に伝わる「黙れ」の命令。


「それでだ」男が続けた。「この村の外れに誰も使ってない家があるだろ。そこを楓たちに使ってもらおうかと思ってるんだ。いいか?」

「ああ。何を拒むことがある。こんな村でよければしばし休んでいくと良い」


 彼は穏やかに頷いて僕らに笑いかけた。サジールがきゅっと唇を噤んで数ミリ後ずさる。代わりに僕が受け答えた。


「ありがとうございます。本当に助かりました、コルジウさん」

「コル爺で構わん。恵まれた土地──ゼスティシェへようこそ。ゆるりとしていけ」




 改めて感謝を告げて集会所を出ると、男が立っていた。両手に袋をぶら下げていて、そこから強い血の香りが漂っている。アリフメデューの肉だろう。


「ほら、あんたらの分だ」


 うわ。と思いながら、できるだけ笑顔を作る。うまく笑えているだろうか。


「ありがとうございます」

「生のまま食うと腹を下すぜ。小屋の中に炉があるからよく焼けよ?」


 知らない世界の肉を食するのはけっこう勇気がいるな。でも昨日から何も食べていないのも事実。これからのことも考えるに、慣れなくちゃいけない。


 案内されて村の外れに向かう。整備の行き届いていない道の先、小屋があった。扉も壁も屋根もガタガタで埃をかぶっている。建物の機能としては不安が残るけれど、これだけ離れていればサジールとの会話を聞かれる心配もない。


 中は八畳ほどの広さだった。部屋の中央に灰がたまった炉がある。トイレらしいものは見当たらないが、土をこねて焼き固めた風呂のようなものがあった。体は洗えるみたいだ。不自由は見当たらない。たった一週間潜むだけなら贅沢とすらいえる。それどころか、部屋の中に敷かれた二組の布団は新品のように見える。


「これって」

「ああ、布団か? 村で使ってなかった予備を持ちだしたんだ。寝心地は知らんが、温かさは保障するぜ」

「何から何まで本当にありがとうございます」

「いいって。わからないことがあればその辺の奴を捕まえて聞いてくれ。それでもわからなきゃコル爺のところだ」


 それじゃあな。ゆっくり休め。

 彼はそう言っていなくなった。サジールと二人残されて、気づまりな沈黙がやってくる。僕は防寒着の類を布団の上に下ろした。サジールはもう一つの布団をひきずって、炉を挟んだ反対側に移動させた。仲良くできることを期待してたわけじゃない。けどそこまで拒絶されるとさすがに、すこし。


 あまり気にしないよう努めて口を開いた。


「みんないい人そうだったね」

「人間にとってはな」

「……うん」


 木箱を降ろしたサジールが暇そうに中身を整理する。僕は村民に森帝鳥アリフメデューの焼き方を聞こうかと考えていた。


 コンコンとノックの音がして、答える間もなく二人の子供が入ってきた。片方は利発そうな少年。もう片方はおっとりした感じの女の子だった。


「こんちはー。コル爺様の言っていたお客様か?」

「こんにちは」

「えっと、こんにちは。少しの間ここで厄介になります」

「こんちは言う人はいい人だ。よろしくな」

「うん」


 少年が右手を差し出す。それを握り返す。警戒も距離も感じさせないそんなやり取り。いつぶりだろう。僕はちょっと感動して、しばらく二人の顔をじっと見つめていた。


「それで、なにか用かな?」

「これ、あげる」


 少女が緑色の楕円の果実を差し出した。大人の拳より一回り大きいくらいで、持ってみるとずっしり重い。


「これは?」

「リョリョの実。村の果樹からとってきたの」

「わざわざ、そんな」

「みんな歓迎してるから。その気持ち。お肉の前に食べてね。食欲増進と、消化促進の効果があるの」

「……わかった。ほんとに至れり尽くせりだね」

「いたれりつくせり」


 少年は胸を張った。少女に「ユトの手柄じゃない」と突っ込まれた。


「それじゃ、またな。もし明日予定がないなら俺が案内してやるぞー」

「お願いしようかな。ありがとう」

「おー。また明日」

「また明日」


 二人は簡単に挨拶して帰っていった。左右の手に一つづつ残された実。僕は部屋の隅で背を向けるサジールの傍に片方を置いた。


「いらない」


 それならばと回収しようとするが、二人の子供たちの純粋なまなざしを思いだした。


「彼らは僕とサジールにくれたんだよ」


 種族がどうのこうの、彼らは知らないし、考えてもいないだろう。これはサジールが受け取るべきだ。


 村の人々は外部の僕らをすんなり受け入れてくれた。この分なら、当初の目的である偵察任務もすんなり進むだろう。もしかしたらそのころには帰りたくなくなっているかもしれない。やはり、カルヴァにいるのは僕にとって精神的負担なのだと思い知らされる。周囲に自分と同じ種族がいないというのは。


 でも、それをいうならサジールもそうだ。できることなら協力していきたいところだが、彼女がそれを望んでいないことを、僕は知っている。


とにもかくにも、村の人々へは今日一日でいくつありがとうを数えても足りない。


 僕はサジールの布団の上にリョリョの実を残して、肉の焼き方を聞き忘れたことに気がつく。どうにも締まらないけれど、もう一度村へ足を運んだ。

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