第二章──麓の村

19・森林地帯にて


 雪の斜面を抜けて、道が平坦になったころ、太陽はとっくに真上を過ぎていた。もう午後なのだろう。しかし道のりは順調で、いつの間にか僕らは針葉樹林に差し掛かっていた。だんだんと雪のない温暖な環境に近づいていく。


 しばらく進むとファロウが雪午車フェム・ウトを止めた。降りろ、というので驚く。


「乗っていかないんですか」

「ここからは人間と遭遇する可能性が高い。飼いならした雪午スラウフェムがミンチにされちゃたまらねぇからな」

「でも、ここに置いていったら同じことじゃ……」

「おいていかねーよ」


 ファロウが「ん」、と僕の背後を指さす。

 振り向く。知らない女性が立っている。あまりの驚きに言葉をなくす。


「……いつから」

「ずっと」


 と女性は言った。彼女の全身は枯葉色の羽毛で覆われている。

 伏し目がちにじっとこっちを見てくる。思わず目を逸らすと、彼女は勝ち誇ったように鼻を鳴らした。どうやら負け、らしい。


「よろしく頼むぜ」

「ああ」


 女性は短く答え、雪午スラウフェムを撫でる。それから雪午車フェム・ウトにまたがると、僕らが今来た道を引き返していった。


「……なんだか、申し訳ないような」

「気にすんな。監視任務の一環だ」


 監視任務。彼女も第7部隊だろうか?

 ファロウが地図を取り出して、森の中を歩き始める。僕は去っていく女性に心の中で謝罪しながら、置いていかれないよう早足で道を急いだ。






 地図に示された場所までは直線距離で十キロと少し。僕とファロウは適度に言葉を交わしながら歩いていた。会話のほとんどが方向確認だったり、雪午スラウフェムの世話の仕方についてだったり、単なる情報のやり取りに収まっていたけれど。少なくともファロウは僕に敵対感情は抱いてないように思えた。


 問題はサジールだ。彼女はずっと僕らの前を歩いていく。小川を見つけて休憩を挟む際も、露骨に距離を取られてしまった。気まずいと思う反面、「それはそうだよな」とも思う。戦争している種族と分かり合えという方が難しい。その点ファロウの方が異質だ。


 再び歩き始めたとき、見かねたファロウが声を張った。


「おおーい、ちっこいの」

「誰が『ちっこいの』だっ!」

「あんまり離れるとそこらの原生生物に食われちまうぞ」

「うるせぇ。お前こそ、よく人間なんかと仲良く歩いていられるもんだ」


 サジールはさらに歩調を速めてずんずん進んでいく。


「ずいぶん嫌われてんな、お前。なんかしたか?」

「えっと……」


 心当たりはないこともないが、どうにも曖昧だ。

 サジールはシロツキに脅されて僕を助けたと言っていた。それが原因と言えば原因かもしれない。


 というか、二人の関係はどうなっているんだろう?


 馬の獣人──ランハはシロツキを『様』づけで呼んでいた。でもサジールは素のまま呼ぶ。ファロウにも敬語を使ってないところを見るに、第3部隊と第12部隊に身分差はないのだろう。なにか、シロツキに弱みでも握られているのだろうか。自分の愛猫がそんなことをするとは考えたくないけれど。 


 サジールについてはさらに疑問が残る。どうやって僕を蘇生させたかだ。シロツキに脅されたからと言って、そう易々と行くものか。


「あの、一つ聞きたいんですけど」

「おお」


 僕は歩きながら訪ねた。


「サジールは死者を生き返らせることができるんですか」

「生き返らせるってのとはちょっと違うな。あいつのは回魂術だ」

「かい……」

回魂かいこんたましいしろに吹き込む力って言われてる。俺はよく知らねーけどな。気になるんなら本人に聞いてみろよ」


 口を聞いてもらえないのでどうしようもないのだけれど。

 そう考えていたらファロウに笑われた。浮かばない顔をしてしまったらしい。


「大丈夫だろって。子供が気になる異性につんけんした態度を取んのと一緒さ──なぁ」


 僕たちが振り向いた先には誰もいなかった。つい数メートル先を歩いていたはずのサジールは、跡形もなく姿を消していた。


「サジール……?」

「人間」


 ファロウの鋭い声が僕の足を止める。


「テリトリーに入っちまったな」


 なんのですか?

 口に出すより早く、サジールの叫び声が耳に飛び込んできた。


「ッ。サジール!」

「上だ」

「え……」


 なんだ、これ。前世の常識を捨てきれない僕の脳は遠近感を失った。


 地面に影を落とす林冠のさらに上。サジールはそこにいた。胴体を、三本の巨大な鉤爪で鷲掴みにされて。爪の先、ふしくれだった長い脚の向こうには鳥らしきシルエットがある。森にまぎれる深緑の羽。

 でも、その大きさはおよそ現実味がない。そこらの木よりもよっぽど大きい。


森帝鳥アリフメデューだ」


 誇るように、鳥は鳴いた。古い黒電話が全力で叫んでいるような声だ。血走った眼がぎょろりと獲物を睨む。まな板の上に食材を押し付けるようにサジールを組み伏せる。


「威勢がいいな」


 さっきまでのふざけた雰囲気はどこへやら。ファロウの目元は今や倒すべき原生生物だけを見ていた。


「《羽刃レアルク》」


 ジャケットを脱ぎ捨てたファロウの腕は羽になっていた。そこに黒爪こくそうがどろりと伝い、羽の表面が何層もの鋭い輝きを帯びる。


「悪く思うな。森の王さんよ」


 ファロウは跳躍した。森帝鳥アリフメデューのちょうど真上まで。身をひるがえし、羽を畳んで落下する。重力に従った加速の末にあの刃を叩きつけられたら。僕はギロチンを連想した。ちょっとぞっとする。


 ヒュッと風を切る音。


「ッ、」


 ファロウが、突如横から現れた陰に衝突された。がりがりと嫌な音が響いて二つの陰の間に火花が散る。


「ファロウ!」

「問題ねぇ。何匹も潜んでやがったか」


 再び羽を広げたファロウが宙に浮かび上がる。彼の言葉を肯定するように、森のいたるところからガサガサと音がした。


「ありがちな罠に引っかかっちまったな」

「罠?」

「サジールを囮にした罠だよ」


 少女を捕えた森帝鳥アリフメデューは口をつけることなくじっと僕らを見ている。サジールが生きている限り僕らが彼女を助けに行くことをわかっているのだ。周囲を見渡す。いつのまに群れに囲まれていた。怪鳥がじりじりと円を狭めて近づいてくる。なんて狡猾なんだろう。


「どうする、人間。逃げるか?」

「サジールを放っていくって言うんですか!?」

「はっは! 冗談だ」


 ファロウに向かって二匹の森帝鳥アリフメデューが攻撃を仕掛けた。


やすい」


 彼はその場で旋回し鉤爪を避けた。続けざまに羽を振りかざし、怪鳥の腹部を深く切り裂く。二つの影が木々の隙間へ落ちていった。


 僕の足元に影が差す。振り返ると森帝鳥アリフメデューの顔が間近にあった。生ゴミのような腐敗臭と糞の匂い。思わず腕で鼻を覆う。アリフメデューが口を開く。サメのような二列の牙がこっちへ向かってくる。


「──ッ!!」


 わけもわからずその場にしゃがんだ。まばたき一回分の時間をおいて、頭上で歯がぶつかる音がした。この体の持ち主に感謝した。それなりの反射神経を持って生まれてくれてありがとう。


「助けは要らなかったか」


 ファロウが次々に突進してくる森帝鳥アリフメデューほふりながら言う。余裕そうに見えるが、明らかに手が足りない。


 僕はサジールがいる木の足元へ走った。森帝鳥アリフメデューが陣形を崩さずについてくる。


「くっそ、くそが!」


 少女は鉤爪に拳を打ち付けていた。手の甲が赤く擦り切れている。僕はこの体を信じて木を上った。周囲にいた森帝鳥アリフメデューが慌てたように円を狭めてくる。まずい。そう思ったころには足元に一匹がたどり着いていて、僕の足を鉤爪で掴んだ。


「うアッ……!」


 鋭い痛みが走る。ふくらはぎの辺りだ。かッと熱くなる全身に任せて足を振り払う。鉤爪を木の幹に叩きつけて無理やり引っぺがす。アリフメデューは短く鳴いて離れた。ぐずぐずしてられない。次が来る。上り続ける。


 葉が密集している隙間から顔を出すと、目と鼻の先に森帝鳥アリフメデューの顔があった。慌てて振りかざした手がそいつの横っ面をひっぱたく。怪鳥が怒りの鳴き声を上げ、両の爪を振りかざした。


「おぉっ!? うわぁッ!?」


 サジールが宙に振り回されて甲高く叫んだ。


 左足が振り払われる。僕は木の中に身をかがめて避ける。もう一度、二度。

振り回されるたび、サジールが痛みに顔を歪める。僕は森帝鳥アリフメデューの真下に行って、足元の幹を蹴った。飛び上がる勢いのまま胴体をぶん殴ってやる。


 耳をつく高周波の鳴き声。そいつはずいぶんお怒りの様子で羽ばたくと、その巨体で木にのしかかった。とてつもない衝撃が幹を揺らす。


「くッ」


 振動で体全体が痺れる。雪で湿っていたブーツが滑る。足場が消えた。体が重力に引かれる。僕は細い枝を何本も折りながら落下した。幸いというべきか、下にはやつらが群れている。痛みは消えないが、致命傷ではない。突然のことに驚いたのか、群れは散開してすぐさまさっきの円陣を組む。


 しばらく落下の衝撃で動けずにいると、僕のすぐそばにサジールの背負っていた木箱が降ってきた。金具が破損したのか、蓋が完全に開いている。


 その中に医療メスに似た刃物を見つけた。

 とっさに手に取った。


 相変わらずファロウを攻撃対象とする無数の怪鳥。それらへ向かって石を投げる。


「獲物はこっちだぞッ!」


 腹の底から声を張り上げて気を引く。その場にいたほとんどすべての眼が僕を見ていた。サジールとファロウでさえも。


「へぇ」


 意図を察したのだろう。大声でわめき続ける僕を後目しりめに、ファロウがサジールを捕えた森帝鳥アリフメデューに攻勢を仕掛ける。彼を引きとどめていた群れも、今や僕の方に向かってきている。


 目の前に迫る巨躯。僕は振り払うように腕をぐ。ずぶ。肉に刃物が埋まって切り裂く感触。生きているモノを害する不快な感情に戸惑いながら、できる限り暴れる。


 そのうちに森帝鳥アリフメデューが殺到してきた。しまった。気を引きすぎた。大量の怪鳥にのしかかられ、視界を奪われる。積み重なった重さで肺から空気が逃げていく。酸素が吸えない。


 死んだ怪鳥の下敷きになって、僕は気を失った。




     *




 瞼を開ける。

 僕は木の根に頭を預けて横たわっていた。周辺から血の匂いがする。


 体を起こすと、森帝鳥アリフメデューの死体がそこかしこに落ちていた。たとえ人型ではなくとも、命の抜け落ちた肉塊はどこか不気味でおぞましい。僕はそっと視線を落とした。


「あ」


 さっき切り裂かれたふくらはぎに包帯が巻かれていた。木から落ちたときに打ち付けた背中には、なにやらごわごわした葉っぱが張り付けられている。ちくちくして気持ち悪い。


「取るなよ」


 振り返ると、木を挟んで向こう側にサジールがいた。


「これって」

「打撲に効く薬草」

「……ありがとう」

「ファロウの奴が『治療くらいしてやれ』ってうるさいからだ」


 サジールは腕を組んで木の上を見上げた。そこではファロウが優雅に寝そべっている。


「お前、どうして人間に馴れ馴れしいんだ」


 少女の問いに、彼は鼻歌交じりに答えた。


「面白いだろ、この人間」

「はぁ?」

「あの女王に謁見して、生き永らえて、さらに任務を与えられた人間だぜ? それどころか原生生物に捕らわれたお嬢ちゃんを自ら助けるような奴。どこまで行くのか、見てみたいだろ。純粋な興味だ。お嬢ちゃんこそ──」

「次にその呼び方をしたら殺す」


 自身の戦闘能力などかえりみない、まっすぐな殺意。ファロウは気にも留めない様子で「失敬」と言い、続けた。


「サジールこそ、どうしてその人間を嫌う。なにか理由があるんじゃないのか」


 彼女はしばらく答えなかった。その瞳孔をわずかに振るわせて、一度きゅっと瞼を閉じた。


 風が二度、周囲の木立をざわめかせて、そのあとでようやく小さな声が言った。


「たくさん知ってんだ」


 ファロウが目だけでサジールを見下ろした。


「こいつみたいな、無害を装った本当の悪意をたくさん知ってる。くそみたいな人間を、あたしはッ……」

「お前さんが前世でどんな人間を見ていようが」ファロウが木から飛び降りて、僕の肩を叩いた。「こいつを一度でも見たことはないだろうよ」

「同じ人間だ。感情で生き物を選び、なぶるる、殺す。見るに値しない」

「んなこと言ったって、同じ任務を与えられている以上は運命共同体だぜ? 口を聞くくらい許してやれよ」


 医療用具を乱雑に投げ込んで、サジールは木箱を背負った。


「必要ないだろ」

「いいや、あるね」


 ファロウが立ちふさがる。


「これから人間の前へ行くのに、『人間』って呼び続けるつもりか?」

「お前こそッ」

「俺はあくまで案内と監視役だ。こいつ以外の人間と関わるつもりは一切ねぇ。つまり、『人間』呼びも問題ねぇ」


 サジールがギリと歯を噛みしめる。一触即発の空気。

 僕は言う。


「別に無理しなくても」

「じゃあどうすんだよ」ファロウがさえぎった。「現実的に考えろ。お前らどうやってスパイをやるつもりだ。このまま仲たがいしながら、遭難者ですって言い張るのか? かたや『人間』って呼びながら?」

「それは……」


 言う通りだった。僕はこの世界について何も知らないのだ。理解者の協力がなければとてもやっていけないだろう。任務を甘く見すぎだと言われても反論できない。


 サジールは耳まで真っ赤にして歯の間から声を絞り出した。


「おい、人間」

「……うん」

「名前は」

「……かえでだよ」

「最低限だ。いいな?」

「わかってる。つきあわせてごめん」

「謝るんじゃねぇよ、くそっ」


 サジールはそう言ってうつむく。

 ファロウにやりすぎだと視線を送るが、本人は何食わぬ顔だ。仕方なく、僕が話を引っ張ってみる。


「あのさ、記憶をなくした人間って設定で行こうと思うんだ。実際僕はこの世界のことを何も知らないし」

「……おお」

「サジールは……たまたま行き会った医者?」

「うっそだろお前」ファロウが噴き出す。「どこの世界にたまたま行き会う医者がいんだよ」


 難しいな。腕を組んで考えていると、サジールが。


「お前の記憶を取り戻すために各地を巡らせてる医者でいいだろ」

「いいのかよ」

「細かく考える頭脳はこいつにはねぇ」

「うん。アバウトな設定だと助かるよ。あとは適当に話を合わせて──」




 足音がした。

 いくつも。それに合わせて金属の揺れる音もする。


「がんばれよ」


 ファロウはそう言って上空に飛んだ。

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