18・へんな生き物に揺られて


 僕はファロウに渡された防寒具を着込んで、ファロウはさっきと同じ姿で、サジールは医療用具が入っているらしい木箱を背負って──再集合した。


 謁見の間へつながる回廊の最奥に、分厚い鉄の門があった。ファロウの合図で近くに立っていた獣人が鍵を開ける。すると肌を切るような冷気が流れ出てきた。厚い上着やブーツさえ貫通してくる。


「この程度で震えやがって」


 裸足のまま、サジールが言う。


「サジールは平気なの」

「この世界に来た時からここで暮らしてんだ。なん十年もいれば誰でも慣れる。あたしには毛皮もあるし」


 この世界に来た時から。


「サジールの前世って」

「……」


 話す気はないのだろう。少女はマントをきつく体に巻き付けて、門の向こうへ歩いていく。


「ふられたな」


 ファロウがくっくっと笑った。




 門の向こうは過酷な洞窟だった。道は舗装されていないし、壁はごつごつと岩が突き出ている。人の手が入っていないらしい。一歩一歩足の置き場を考えなければいけない。


 息が上がっていく僕とは対照的に、二人の獣人はすいすい進んでいく。サジールは小柄な体でぴょんぴょんと跳ねながら、ファロウは言わずもがな空を飛んで。


 ときおり二人は僕の方に振り向く。できる限り早く追いついて、ごめんと言う。それを何回か繰り返すうちに、風の音が聞こえ始めた。


「もうすぐだぜ」


 ファロウが励ますように言った。きっと手を貸すつもりはないのだろう。僕は微笑んで頷いて見せた。


 やがて縦穴に出た。やけに明るいな、と思ったら、外の光が差し込んでいる。ただし、五メートル以上も上の方で。目の前にそびえる岩壁を上らなければならない。これは骨が折れそうだ。


「お先に」


 ファロウが洞窟内の砂埃を吹き飛ばしながら優雅に飛んだ。サジールは恨みがましい顔でそれを見送り、僕の方を見た。


「登れんのか」

「……どうだろう。やってみるよ」


 ロッククライミングの経験なんてない。プロ選手の解説をテレビで見たことがある程度だ。僕は手袋を外して、ポケットに入れた。『手と足を交互に動かすといい』と言っていたような気がする。見よう見まねで足場を探して、上った。


 サジールは僕が上るのに合わせて先へ進む。さりげなく次に進むべき道を示してくれているのだ。憎まれ口をたたかれることもあるけど、僕は彼女に悪い印象を抱くことができなかった。


 三メートルくらい上ったとき。


「っ……!」


 右手で掴んだ岩が突然崩れた。支えを失った体が壁から離れる。浮遊感が襲う。


「バカが」


 手首をつかまれた。落下が止まる。見上げると、サジールが呆れた様子でこっちを見下ろしていた。


「ありがとう」

「さっさと上れ」


 言われた通り、安全な位置まで移動する。重ねて感謝しようとしたが、サジールは先に行ってしまった。僕は気をつけてその先の岩場を上り切った。




 縦穴の入口に立つと、外は一面雪だった。強い風が吹きつけて、目を開けることも難しい。獣人の速度で移動されたら、追いつけずにはぐれてしまいそうだ。


「ずいぶんな天気だな」


 羽を畳んで、彼は言う。


「ここからどうやって移動するんです?」

「あれだ」


 ファロウが指さした先に、ほろで覆われた馬車のようなものがあった。どこぞのプリンセスが乗っていそうな代物だ。ただし、車を引くのは馬ではなく、見たことがない生き物だった。


「あれは……?」


 全身がモコモコした毛皮で覆われている。一見白いラクダのように見えなくもないが、大きな鼻は僕が知っているなんの動物にも似ていない。

 これが原生生物というものだろうか。


 ファロウが正解を言った。


雪午スラウフェム。雪国に住む原生生物だ。雑食なんだが、見ての通りこの辺りにゃエサになるものがほとんどない。エサをやるから、代わりに乗せて運んでもらう。winうぃんwinうぃんの関係ってやつだ」


 ファロウはそう言って、ポケットから青い果実を取り出した。雪午スラウフェムが体躯に似合わない高い声で鳴き、それを食べた。


「こいつを使った乗り物を雪午車フェム・ウトって言ったりするんだが、ま、それはどうでもいい。──乗れよ」


 ファロウが前部座席──というべきか──に座る。操縦士の席以外はないみたいだ。僕とサジールは荷台で離れて座った。前後左右が幌に覆われているおかげで風がない。体に強風を当てずに済むのがとてもありがたかった。僕はさっき外した手袋を今更つけ直した。


 幌の隙間から前を覗く。ファロウが雪午スラウフェムの背を二度叩くところだった。


 何だろうと思っていると、車全体が大きく揺れた。


「うわっ!」

「ん? ぎゃあっ!」


 後ろに倒れ込んだ拍子にサジールを巻き込んでしまう。起き上がった彼女は頭を押さえながら「この恩知らずが、くそ!」と吐き捨てる。

 必死に謝っているうちに、いつのまにかは雪午車フェム・ウトは進んでいる。雪午スラウフェムの軽快な四足歩行。雪の景色が背後に流れていく。




 サジールの機嫌が直ったころ、風景に変化が現れた。吹雪が止んで、冷たい雪煙ゆきけむりが晴れていく。すると、開けた視界の先に若草色の森林が姿を現したのだ。僕は寒さも忘れて幌を開けた。


 雪原の向こう、遠くに望む神秘の色合い。青空の下で陽を照り返す植物たち。その煌めきに胸を締め付けられる。かたわらに川の流れる場所があって、湖もあって、色がどこまでも広がっている。深く、深く。


 前世のどこを探しても、こんな景色には出会えなかっただろう。人間の手が及ばない大自然に圧倒される。


「ずいぶん嬉しそうだな」


 ファロウが僕の顔を見てからかうように言う。

 僕は心臓の高鳴りを抑えずに答えた。


「景色が綺麗だったので」

「人間でもそう思うのか」

「自然を楽しむのに種族は関係ないですよ」

「ありがちなこと言いやがる。まぁ、違いねぇだろうけど」


 気をよくしたのか、ファロウはうきうきした様子で雪午スラウフェムの背中を強く叩く。加速した馬車に揺られながら、僕はいつまでも景色を眺めていた。吹き付ける風の中に芳醇ほうじゅんな葉の香りが混ざるまで。

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