16・ファロウ


 しばらくして、僕とシロツキを包む鎧にヒビが入った。驚いて声を上げると同時に鎧はボロボロとはがれ落ちた。シロツキの腕がするりと背後に消える。振り向くと、裸体を晒した彼女が倒れていた。鮮血に染まったレースの肌はこの世のモノとは思えないほど白かった。


 虚ろな目が見える。寝ているようだった。体に穴が開いていた。


「し、ろ……」

「捕えろ」


 女王の一声で、僕は再び拘束された。獣人たちが一言二言、何か言葉を交わして、シロツキを抱きかかえて運んでいく。彼女が広間の門をくぐって視界から消えていくのが、なんだかひどく悲しかった。これでお別れかと思うとあっけないものだ。


 ──さよなら。


 心の中でつぶやいた。再び目隠しがかぶせられ、僕はどこかへ運ばれていった。




     *




 一時間ほど乗り物に乗せられていた。そのうち三十分間はその場で止まったままだった。つまり僕は、動かない乗り物の上に放置されていたのだ。人間一人を処刑するためにそんな準備が必要なのだろうか。


 そしてようやく目隠しが外された。僕はこの世界で二度目に目を覚ました牢の中にいた。あの石造りの地下牢だ。壁についている拘束用の鎖もベッドも、何一つ同じ。唯一違うものと言えば、シロツキとサジールがいないことか。


 その代わりに、鉄柵の外には男の獣人が立っていた。


「久しぶりの光はどうだい。まあ地下だけどな」


 さきほどの広間で王女に謁見していたうちの一人だった。黒のタイトパンツを履き、深緑のジャケットを羽織っている。


「……えっと」

「状況が読めないだろう。説明してやるよ。──とにかく座れ」


 鳥の特徴を持つその獣人は、左の羽を持ち上げてベッドを指さした。同時に、右の羽で掴んでいた椅子を檻の前に置き、そこに腰かけて足を組んだ。

 檻の中には椅子がないので、僕はベッドに座る。


「ずいぶんと強運だな、あんた。人間の身でありながらあの女王と謁見して、しかもまだ生きてる」

「……僕は処刑されるんじゃないんですか?」

「どうにも違うらしいぜ。状況が変わった」


 彼はニッとはにかんだ。そのしぐさに強い違和感を抱いて、僕は尋ねる。


「えっと、あなたは」

「ファロウだ」

「ファロウさんは、人間が嫌いじゃないんですか?」

「嫌いかどうかって聞かれれば……ま、嫌いだな」

「はあ……」

「けど、おとこは嫌いじゃない」


 おとこ? と繰り返せば、彼はああ、と頷く。


「さっきのは痺れたぜ。『自分を殺した後で構わないからシロツキを治療してくれ』だっけ?」


 落ち着いた後で指摘されると頬が熱くなってしまう。よくも映画のようなセリフを吐いたものだ。


「さっきは、ああいうしかなくて」

「わかってる。だがよ、『そうするしかない』状況で、『そうすることができる』やつは多くない。だろ?」

「……そうなんでしょうか」

「ずいぶん自信のない顔してやがるな。さっきのイケメンはどこへ行った?」


 まあいい。

 ファロウさんはそう言って、右の羽を一度はためかせた。強い風が起こり埃が舞う。じっくりと観察していると、「気になるか?」と彼が言った。


「俺はたかの獣人でね」

「飛べるんですか」

「そりゃあもちろん。鷹だぜ? ただし、走るのは苦手だ。羽が邪魔になっちまう」


 ふぁ、と彼はあくびした。


「それで──、ああ、そうそう。かえで、だったか?」

「はい」

「シロツキとあんたの処罰について、変更がなされた」

「変更」


 ファロウさんは腕を組んだ。いつの間に羽は消えていて、人間の腕になっていた。


「シロツキの処罰はあいつが目を覚ますまで保留。あんたの処罰は明日正式な決定がなされる、っていう運びになった。さっき、待たされてたろ? 女王と第三部隊で会議してたんだ。二人をどうするかって言ってな」


 どうして、と言おうとして、僕はシロツキの鎧に包まれた温もりを思い出した。あの場にいる全員が驚いた顔をしていた。


「シロツキのこく、そう? ってやつと何か関係があるんですね?」

「黒爪。俺たち獣人が扱う変形戦装だ」


 ファロウさんが左手をまっすぐ横に延ばす。ジャケットの袖口からどろりと黒い液体が流れ出たかと思うと、それは短刀ナイフの形になって硬質化した。


「獣人ってのはかなり純度の高い生命力を持っててな。それを流し込むと、この武器は自在に形を変えられんだ」

「生命力を流す……?」


 なんとか理解しようとして、似たような物質の記憶を探してみるが、どうにも見当たりそうにない。前の世界ではまず遭遇しえなかった現象だ。


「ようは魔法だな。魔法」


 見かねたファロウさんが助け舟を出した。その言い方なら、なるほど、概念としてわかりやすい。少なくとも僕一人の理解が及ぶ現象じゃないのだ。


「で、なんで俺たちが驚いてたかっていうとだな、簡単に言や、シロツキの黒爪が異常だったからだ」


 彼は顎に手を当てて唸る。


「黒爪っていうのはよ、本来他人にまとわせることなんかできるはずがねぇんだ。表面積を広げれば広げるほど硬度の維持に必要な生命力が増える。にもかかわらず」

「……シロツキはそれをした、と」

That’s rightそのとおり


 妙にネイティブに言う。


「それは、わかりましたけど。どうして僕を殺さないことにつながるんです?」

「もちろんそれだけが理由じゃない。俺たち獣人が人間と戦争をしてんのは知ってるか?」

「いえ、まったく」

「なんだよ。シロツキは教えてくれなかったのか?」

「言いたくなさそうでした。こっちから聞くのもどうかと思って」


 ふむ、とファロウさんがほくそ笑む。


「お前はあれだな、優しいんじゃなくて控えめなんだな。ふつうは詰め寄ってでも尋ねるだろ」

「え?」

「まぁそれもどうでもいい。とにかく、お前を生かしておく価値があると、俺たち獣人は考えたわけだ。明日の報告を追って待とうぜ。期待してるよ、人間」


 彼は立ち上がって、じゃあなと手を振る。僕は慌てて鉄柵につかみかかった。


「あのっ、シロツキは?」

「獣人の生命力は強いって言ったろ。武器に纏わせる余裕があるほどにな。今は手術中だが、おそらく大丈夫だ」


 わかったら、お前も休め。

 ファロウさんは手をひらひらと振って、歩いて行った。


「そんなこと言われても……」


 牢に一人残され、やることもなくなった僕は、仕方なくベッドに体を横たえる。眼が冴えて眠れそうにない。当然だ。魂を吹き込まれて、かつての愛猫と再会して、獣人と人間の戦争? よくわからないままに一回は処刑されそうになった。一日で体験したことだとは思えないほど濃い時間を過ごした。


 サジールが協力者だということはバレてないだろうか。彼女とファロウさんは、きっと悪い人ではないのだろうと思う。僕がいることで迷惑が掛からないといいのだけど。


 気づくと僕はまどろんでいた。地下牢には窓がない。時間がわからないし、『一日』というのは僕の体感でしかない。もしかしたら予想よりもあっという間に明日が来るかもしれない。


 休むべきだ。それ以外にできることは何もないのだから。


 僕はそっと目を閉じた。

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