14・望まぬ謁見


いくつかの呼吸の音が聞こえる。

視線の先でシロツキが愕然としているのがわかる。

ここは謁見のための場所。

さっきから僕を誘導していた声の持ち主は。

「ようこそ、人間。我らがカルヴァへ」

 ──女王。




 僕の前に誰かが立つ気配がし、目隠しが外された。光が網膜めがけて飛び込んでくる。瞼を閉じたくなるのを必死にこらえて、目が慣れるのを待っていると、目隠しを外したシロツキが不安そうな面持ちでそこにいた。


「シロツキ……」

「疲弊しているみたいだ。何があった」

「レウさんに見つかって、ロブローチっていう人たちに捕まった。ちょっと傷が開いたかもしれない」


 シロツキは小さく頷いた。


「すまない。サジールを責めないでやってくれ」

「わかってる。誰も悪くないよ。偶然だったんだ」


 レウさんがあれほどお節介だったなんて誰に予想がつくだろう。部屋主がいないのに服をクローゼットに戻そうとするくらいだ。


「それより、ここは?」

「中央広間だ。カルヴァの街の、上階に位置している」


 僕は自分が歩いてきた方を振り返った。高さ5メートルはあろうかという門がぴったりと口を閉じている。床も壁も石造りで、ほのかに白く光っていた。眩しさの原因はこれだろう。


 先ほど僕を呼んだ女王は広間の中央、巨大な柱の前の玉座に座していた。柱の周囲だけが一段高くなっていて、それを取り囲むように椅子がずらりと並ぶ。コンサートホールに似ていた。


「シロツキ。その人間と面識があるのか?」


 女王の視線が僕を射抜く。血に染められたかのような深紅の瞳。

 眼を逸らせなくなった。あまりの圧迫感に。重力が何倍にも増して絡みついているみたいだ。呼吸さえ難しくて、僕は必死に横隔膜を上下させる。


「楓」


 シロツキに軽く押され、はっとする。重力が消えた。体が一気に弛緩して、肺は新鮮な空気を勝手に取りこむ。

 玉座に深く座った女王は足を組み、寒々しく笑んでいた。明らかに好意的でない笑みだ。たったいま、僕の命は女王の情けで潰されずにいることを理解した。


 シロツキが女王に向き直る。


「発言の機会を求めます」

「いいだろう。もとより誰かに説明させる心づもりだ」

「感謝します」彼女はこちらを向いた。「楓、歩ける?」


 首肯。僕はシロツキに支えられながら、一歩、また一歩と、静かに女王に近づいて行った。周囲からの視線がまたもや突き刺さる。多くは奇異、興味、敵対を含んだ鋭いもの。


 ステージの下に、黒い装備を纏った獣人たちがそれぞれに待機している。二十人近くだろうか。羽を持つ者や、長い尾を持つ者など、全員が動物としての特徴を持っていた。


「そこで止まれ」


 腹に響くような低い声。獣人の中でひときわ体の大きい男だった。あの黄金色の鬣。ライオンの獣人で間違いないだろう。動きや言語、二足歩行であること以外は、完全に動物の姿だった。


 シロツキがその場に膝をついたので、見よう見まねで僕も従う。 静寂に口を差したのはシロツキだった。


「彼についてお話します。楓は、私の前世での飼い主です」


 獣人がわずかにどよめく。女王の目が鋭くなる。

 シロツキが、続ける。


「体はこの世界の人間の物ではありますが、魂は違います。かつて傷ついていた私を救ってくれた、命の恩人なのです」

「なるほど? それで、シロツキ。お前は私たちに何を望んでいる? この人間が善人だという主張は、何のための物だ」

「……彼が、この国で暮らす権利を望みます」


 その場に漂う失笑の気配。女王は言葉を発するのを辞めた。


「もちろん、彼についての規制は甘んじて受けます。街を歩かせるなと仰るなら、それも致し方ありません。必要な世話は全てシロツキが担当いたします。この場にいる全員。いえ、この国にいる全獣人たちへ誓って、問題は起こしません。どうか──」


 シロツキが顔を上げた時、彼女を迎えたのは女王の大笑だった。肘掛けにもたれた体が心底愉快そうに震える。肩口で真っすぐに切りそろえられた、目と同じ色の髪が、捉えどころなく振れる。口元と腹を淑やかに抑えながらも、声は酷く空々しい。


 とんでもなく間抜けなものを見た。そんな笑い方。


「陛下」


 シロツキが呼び掛ける。

 たっぷり笑った後で、涙目の女王は言った。


「ふふ、シロツキ。お前は本当に愉快な『お嬢様』だな。この国に人間を住まわせてくれと、そう言っているんだね?」

「その通りです」

「狂言も大概にしろ」


 一転。

 恐ろしい響きに顔を上げる。

 女王は玉座から消えていた。


「え」


 間抜けな声をあげる僕を、誰かが隣から笑った。


 シロツキが女王に頭を踏まれ、床に倒れていた。人外の速度に頭の処理が追い付かない。


「シロツキ」

「……はっ」


 踏まれている痛みすら顔に出さず、彼女は答えた。


「お前は、この私に苦しんで生きろと言うのだね? 唯一の安寧であるこの国に入ったウジ虫を、処理せずに受け入れろと言うのだね?」


 シロツキの奥歯がきりと鳴る。


「彼は、彼はウジ虫ではありません。人柄さえ知れば、きっと女王にも分かっていただけます」

「人間のことなど一ミリでも知ってたまるか」


 女王が足を振り上げたのだけは見えた。

 僕が悠長に瞬きしている間に、シロツキは大広間の入口まで吹っ飛ばされていた。打ち付けられた彼女は受身を取れず床に転がる。


「シロツキ!」


 反射的に駆け寄ろうとした。女王に胸倉をつかまれ、それができなかった。凄艶な笑みを浮かべた顔が近づく。怖かった。美しいものには大抵影の部分があるのだろう。女王は誰もが見惚れるほどの煽情的な笑みを浮かべながら、確実に僕を震わせた。


 視線だけでシロツキを伺う。驚くべきことに、彼女は起き上がった。口から一筋の血が垂れてはいるものの、傷は随分と浅いようだった。


「女王。どうか、お許しください」

「それ以上言えば、お前の飼い主の首を跳ねる」


 首筋に爪が添えられた。氷のような冷たさ。体の震えが強くなる。

 シロツキが息を呑んだ。女王は嬉しそうに語り掛けてきた。


「弱い生き物だな、人間。赤子でももう少し抗うぞ? ほら、声をあげてみろ。かつての下僕に助けを乞え」

「下僕……?」

「そうだ。呼べ、『シロツキ、助けてくれ』とな。──見せてやろう。お前を助けられず絶望するシロツキの顔を。首とお別れしたお前の胴体と共に」

「楓を離して」


 シロツキが言った。

 そこにかつての面影はなかった。牙もあらわに、青かった目は血走り、紫に変色している。獣というのにふさわしい野生の顔つき。


 液体のような柔軟さで、宵闇色の鎧がシロツキの肢体を覆っていく。彼女の右手から巨大な刃物が生まれた。背丈を超えるほどの大剣だ。


 油断なく女王を睨むその姿は、誰かを傷つけることにのみ特化している。信じられなかった。同時に理解もした。あの縁側で見たシロツキの姿はもう戻ってこないのだろう。寂しいと思った。


「グレア。貴様の部下をあしらうのは私の役目だろうか?」

「いいえ」ライオンの獣人が答えた。「代わりを務めましょう」


 グレアの巨躯を包む装備はシロツキの物とは違い、全身に広がることはなかった。その代わり分厚い石のような装甲が胸や首、足、腕を効率的に守っている。


「隊長、私はあなたと戦う気は──」

「白けることを言うものではないよ、シロツキ」女王が言った。「こうしよう。君がグレアに勝ったらそこの人間に市民権をやる。負けたら処刑だ」

「そんな……!」

「女王に牙を剥いた獣の処置としては穏当な方だとは思わないかな? そうだろう、グレア」

「ええ」


 シロツキが大剣の絵を握りなおす。


「やめてくれシロツキ。僕が出て行けばいいだけの話だろう?」

「何を言っている、害虫が」


 女王が吐き捨てた。


「ここに来た時点でお前の運命は死に足を突っ込んでいるんだ。無事で逃げられると思うな」

「彼女が戦う理由がありませんッ」

「お前だよ、人間。シロツキはお前のために戦うんだ。それ以外に、もう道は残されていない」


 僕は口を噤んだ。

 何を言えばこの状況を止められるのか、まったくわからなかった。そして、黙っている間に、


「ルールは」

「どちらかが動けなくなるまで」


 グレアが問い、女王が答えた。

 グレアの背中から変形した鎧が延び、大きな両手と化した。片腕につき三本の鋭い爪。両腕で計六本。触れただけで指が切れてしまいそうな、獰猛なそれ。


「合図、いくぞ」


 女王が愉しげに言う。

 僕は口を挟む暇もない。


 指が鳴らされた。

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