13・失敗


「サジールー?」

 ぎくりとする。部屋のドアが開く音。

「……服片付けろって言ったのに、もう」

 レウさんと呼ばれた獣人の声だった。彼女の足音がベッドに近づく。大量のマントを抱えるのがクローゼット越しに見えた気がした。


 金属の擦れる音がして、戸が──開いた。




 見上げる僕と、見下ろすレウさんの視線がばっちりと交差する。そのまま固まって二秒間、レウさんは口をぽかんと開けたまま言った。


「え……っと。どちらさま?」

「あの……」


 僕の方からも何か言わなきゃと思うのだけど、言葉が出てこない。とりあえず両手を軽く振って無害を証明する。


「事情があって、その、シロツキ──様にここで待っていてくれと……」

「……へぇ、あのシロツキが」


 レウさんが疑わし気に目を細める。


「とりあえずそこはクローゼットなんだ」


 彼女はマントをベッドに戻すと、僕の襟首をつかんだ。


「どいてもらうよ」

「わッ!」


 片手で軽々と持ち上げられ、その場に立たされる。突然襲った浮遊感に思わず手足をばたつかせる。その拍子に、


 ──パチン。

 留め具が外れて、マントがはだけた。


「え……」


 レウさんが愕然がくぜんとする。自分の体を見下ろした僕は、人間の軍服があらわになっていることに気が付く。

 まずい。そう思ったのもつかの間、僕の体は宙を舞った。部屋の奥の壁にしたたか背中を打ち付ける。肺の空気が一挙に抜けると同時に、彼女に投げられたのだと気が付いた。


「人間がいる! 誰かッ! 誰か、警吏を呼んでください!」


 レウさんは廊下に出て叫んだ。

 獣人たちが部屋から顔を出したのだろう。バタバタと騒がしい音が聞こえる。



『人間を国に連れ込むことは重罪』



 逃げなきゃ。捕まったらシロツキたちが犯罪者になってしまう。たとえかつての面影はなくとも、彼女に責任を負わせたいはずがあるか。


「っァ、くそ……」


 投げられた衝撃で傷が開いたのか、わき腹の傷口が信じられないほど痛む。それでも何とか立ち上がると、部屋の入口に獣人たちが殺到していた。正面にいるレウさんはおぞましいものを見るような目で、小さいナイフを構えている。そこにいる全員が同じ様相だった。僕を異物として見ている。


 廊下には出られない。刃物に立ち向かった経験などないし、そうでなくても、とてもじゃないが今の僕に突破する体力はない。どうする。


 僕は背後に振りむいた。

 窓を大きく開け放つ、この国カルヴァの街並みが眼下に広がる。ここは四階。その高さにぞっとする。でもやるしかないだろ。


 窓枠に足をかけたとき、背後から引き倒された。


「ゥアァッ……!」


 焼けつくような痛みにのたうつ。それでも立ち上がろうとして、それができなかった。僕の左肩に棒状のものが押し当てられていた。


「どこへ行く? 人間」


 紺青こんじょうの詰襟を着た獣人が僕を見下ろす。その高圧的な視線と、実際に感じる威圧感。万が一にも逃げられないだろう。

 詰襟の男は僕の肩から鉄柱をどかす。僕がそれ以上抵抗しないでいると、


「捕えろ」


 彼の後ろから出てきた二人組が、僕の手首を後ろ手に回し、手錠で拘束した。動きを奪われるだけにとどまらず、アイマスクのような目隠しもつけられた。


「歩け」


 周囲から突き刺さる、危険物を伺うような視線。それを一身に受けながら、僕は建物の外に連れ出された。




     *




「我々に捕まってよかったな」


 何か、台車のようなものに座らされた。その直後に男は言った。


「一般の獣人には人間が特別嫌いという輩がいる。そいつらに捕まれば、全身の骨を砕かれ、生きたままバラバラにされていたかもしれない」


 考えるだにおぞましい。口の中がカラカラに乾いた。


「出せ」


 男の声に合わせ、なにか動物の鳴き声がした。金属の硬質的な軋みが聞こえ、動き出す。突然のことだったので後ろに転びそうになったが、誰かの手が荒く服を引っぱり、僕を元の場所に戻した。


「逃げようと思うな。地の利も、身体の利も、我々にある」


 別の男が言った。


 それからしばらく無言の旅が続いた。

 どこに向かっているのか。移動中の僕はありとあらゆる恐怖の想像で胸が締め付けられた。おそらく穏便に済まされることはないだろう。拷問、処刑。この先に待ち構えている痛みを予想するだけで、気が狂いそうだ。


 どうにかそこから逃れたくて、どうにか行き先を知りたくて、


「あの」


 僕は口を開いた。周囲からわずかに驚いた気配が伝わってくる。


「僕は、どこに向かってるんです」

「……知る必要はない」


 さっき僕を見下ろした男の声だった。


「殺されるんですか」

「どうだろうな」

「それとも……」

「拷問、と言いたいのか? ずいぶん被害妄想に長けた種族だな、人間というのは」


 周囲から含み笑いが聞こえた。


「あなたたちはなんなんですか?」

ロブローチLov zlocinu」と男は言った。「この国の警備と犯罪の監視を行っている。女王直属の組織だ」


 人間の社会で言う警察のようなものだろうか。とすれば、行き先もおのずと判断が付く。裁判所か、拘置所。当たり前だが、僕は人間。この国に入ってしまった時点で犯罪が確定している。それを踏まえると、このまま処刑場に向かうことも、やっぱり視野に入れなければならないだろう。


 頭がさっと冷える。わき腹の傷が開いたことも相まって、血の気が引いた。気を張っていないと倒れてしまいそうだった。


 死は怖くない。ただ、死んでいく過程はあまりにも怖い。

 いまさら震え始めた手を、僕は強く握った。




     *




 どのくらい立っただろう。乗り物が止まり、汎用はんよう物資か何かのごとく降ろされた。


「歩け」


 再び命令されて移動する。しばらく進むと街の喧騒が小さくなった。建物の中に入ったみたいだ。ロブローチの男は、今度は「止まれ」と言う。その場に待機してると、ついさっき聞いたばかりの鎖の音が聞こえ始めた。


 水力昇降機ボニー・ヴィータ……?


 目隠しされた状態でゴンドラに乗るのは不安だった。でも、足を乗せると揺れが全くない。さっき乗ったものよりずいぶん頑丈にできている。誰かが合図を送った。鎖の音と上昇が始まった。




 無言の数分が過ぎる。鎖の音はだんだん弱まり、ついには止まった。


「降りろ」


 言われたとおりに足を踏み出す。エレベーターから降りた直後のような、独特な浮遊感が足を襲う。ふらつくまま、引きずられるように歩く。

 ひどく寒かった。サジールの部屋もかなりのものだったが。それよりも空気が冷たい。


 足音が高く反響している。ここはかなりの広さがあるみたいだ。


「止まれ」


 軍隊のような命令に、言われるがまま従う。すると石の板を打つような音が二度聞こえた。僕の数メートル前で重い何かが引きずられるような音がする。暖かい空気が吹き込んできた。巨大な門が開いている。


 それが処刑場でなければどんなにありがたいことか。

 乾いた喉を潤そうとしたが、唾液すら出ないほど緊張していた。


 門の開く音が収まると、誰かが話し合っている声が聞こえた。一人の人間が黙々と何かを読み上げている。ずいぶん遠くから聞こえる。


「失礼します」


 僕を捕えた詰襟の獣人が言った。話し声が止む。


「人間の侵入者を確認。捕縛し、身柄を運びました」


 誰かが息を呑んだ。その声に聞き覚えがある。

 シロツキだ。ということは──。


「そうか。ご苦労だった」


 赤い蝋を溶かしたような。

 そんな滑らかな声音が、静かに響いた。


「処分は我々が受け持とう。下がっていい」

「はっ」


 ロブローチと名乗った男たちが、背後へ退いていく気配。僕は背を押され、前によろけた。二、三歩たたらを踏む。背後で門が閉まった。

 立ち尽くす僕に、


 パチ。

 指を鳴らす音。


「こっちだ」さっきの声が言う。「そのまま前に歩け」


 恐る恐る足を踏み出す。

 動物の本能、という物があったとして、どうやらそれは人間にも備わっているらしい。僕の向かう先に待ち構えている敵対の気配が、嫌に強く感じられる。


「そこで止まれ」


 足を止める。いくつかの呼吸の音が聞こえる。

 視線の先でシロツキが呆然としているのがわかる。


 ここは、謁見のための場所。

 さっきから僕を誘導していた声の持ち主は。


「ようこそ、人間。我らがカルヴァへ」


 ──女王。

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